第8話 洋一と正太郎そしてお尻が真赤か


 田植えを終えて、いよいよ平家の里に向かう事を父上に相談した頃より、令和にいる洋一と戦国時代にいる正太郎の心に変化がはっきりと見とれたのである、全くお互いが生きている時代という年代が約460年という途方もない時間軸にズレがあるのに、お互いが那須家の事柄に関して考えている事については、相手側が今どんな状態なのか、特に洋一からは正太郎に必要な情報が意思疎通できるように具体的に変化してきたのである。




 しかし洋一がいくら必要な情報を送ろうと知りえた知識を正太郎に送ろうとしても、その知識を正太郎が受け取っても五才の幼児である正太郎が理解できないという事がわかり、送った知識が余りにも五才には難しく、その情報又は知識を伝える事さえ出来ない状態となり正太郎が悶々と過ごしている事に気づいた洋一が取った次の手は、具体的に伝えるという方法、五才の子供に理解できる仕組みで送る事にしたのである。




 田植えが無事に出来たのは、洋一が具体的な枡の大きさ、家にあった一合の酒枡があり、用意する塩の量もお椀に入れてこの位という映像で、種籾をいれて塩水選する桶も風呂桶に入れて洋一が一度やってみた映像が正太郎に伝わり、なんとか正太郎が理解出来たという成功例があり、その成功例を生かす工夫を洋一は行ったのである。




 正太郎は、ひらがな は読める、漢字はまだまだ未熟で簡単な字しか書けない、その上で今は理解できる内容の事柄を伝えようと考え、平家の里で正太郎が行うべき二つの内容を伝えたのである、この二つは今後の正太郎が歩む那須家に取って重要な一手となり大きな支えになる事であると洋一は考え正太郎に伝えたのである。




 その内容は平家の里の者たちと鞍馬の子孫という重要な者たちとの繋がりとなるので、いかに五才児の子供とはいえ、那須家の嫡子であり、洋一からの伝わる知らせは那須家の没落を防ぐ事が出来るかも知れないという重要な事であり、五才の幼児か抱える問題としては、とてつもなく大きい事柄なのであると理解する正太郎であり、やり遂げるという覚悟で臨む決意であった。



 その一方でやはり子供であり、五才児という幼児としてどんな事にも興味があり、城からの初めての泊まり掛けのこの旅では、何もかもが新鮮で驚きであり、楽しいのである。



 初日はやや急ぎの長距離の移動、初めて何時間も馬に乗るという経験、そんな中午後には脂汗を、何しろお尻が予想通り痛いのである、最初の頃はリズムよく上下に揺れる事も楽しめたのだが、その揺れによってお尻がどんどん刺激を受け、午後には、楽しむどころか、痛みとの戦いで景色を見る余裕すらなく、全身から冷や汗と脂汗が出ており、苦痛すぎて、いつしか姿勢が前かがみとなりなんとかお尻に刺激を与えない様に我慢するだけの苦行となった。




 その事に気づいた侍女の百合が休憩時に馬の鞍に着替えの服などを座布団代わりに取付け、お尻に伝わる振動を和らげたのであるが、その程度では一向に改善されず、恥ずかしがっている正太郎の袴を脱がし、お尻の状態を見ると小さな可愛いお尻は真赤に腫れあがり、まるで猿のお尻の様に真赤に充血しており、これではとても馬に乗って移動は出来ない事となった。




 忠義とマタギと山師が相談し、取りあえず薬草を真赤に腫れあがった尻に貼る事にし、山師が雑木林の中へ薬草を探しに、探している間にマタギが木から垂れ下がっている蔓を利用し、あっという間に背負子を作った、結局正太郎は薬草を尻に貼られ、マタギに後ろ向きに背負われて移動する事になったのである。



 尻の痛みから解放された正太郎はマタギに背負われて、より高い目線で山々の稜線を見たり、右を見ては指を指し、左を見ては指を指し、あれはなんの鳥だ、あの山の名前は、あそこに猿がいるぞと、一人で楽しく騒いでいる内に眠ってしまった。




 2日目の工程は関谷の宿場からいよいよ箒川に沿って山へと塩原の山の中へ、今で言う所の塩原温泉郷に向かい、さらに奥地である、三依という小さい集落で泊まる予定である、距離にして20キロ程であるが、塩原温泉郷まではくねくねと道は曲がってはいるものの行けるのだが、そこから三依という集落までが難所続きであり、獣道などの険しい道の連続になるのだ。




 塩原温泉郷の最奥、小滝までなんとか昼前に到着し、休憩と軽い食事を済ませ、いよいよ三依に向かう、この三依という集落は山師の話では、塩原の領域なのか、会津の領域なのか不明なのだという、会津側からも行ける山道があるそうだが、10件程の小さい集落なので、一応は宇都宮家の領地なのだが、あまりにも僻地であり実際はどこからも放置された状態であり放棄地の地域なのだそうだ。




 この正太郎の時代は、宇都宮家と那須家は密接な関係で同盟以上の強い繋がりがあり、塩原の地域もその昔は那須家の領地的な感覚というのもあり、那須家の者であれば自由に行き来できる温泉郷であって今回の正太郎一行が塩原を通過する際にも支障なく行けたのである。




 三依へ道のりは、険しく僅か7キロ程の移動だが、5時間以上要する道のりであった、騎乗しての移動と崖道などの険しい所では徒歩での移動の繰り返しで時には標高約1000m程の峠を越える難所もある中、正太郎は背負子に背負われているので、景色を見て楽しんでは昼寝までしている始末であった。




 夕闇が迫る中、三依の集落に着き、山師松男が平家の里に行く時に寝泊まりさせて頂く農家で宿を借り泊まる事に、三依の中で一番大きい農家だそうだ、贅沢は言えないので、こちらはコメを提供し芋粥を作り、その家族と食べた、農家の家族は夫婦と爺、婆、そして子供3人、一番小さい子供が正太郎と同じ五才であった、コメを提供し、芋粥を作り、持って行った塩を入れ、美味しい芋粥にしたが、農家では塩は大変貴重なので普段は使わないとの事だった、お礼に塩を竹筒に入れてあげた所、床に頭を付けて感謝された、そもそも栃木県は海が無い県であり、場合によって塩は米より貴重なのかも知れない。




 翌日朝に、朝餉も昨夜と同じ芋粥を食べ農家には、帰りにも泊まる旨と今後も我々の知りあいがお世話になるからとコメを二升約三キロ渡し、分かれたのである。


 農家の家族総出で凄い感謝をされて目的の平家の里へ出発した。


 正太郎のお尻は、腫れは引いたが、まだ赤くマタギが背負っての出発であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る