第7話 いざ平家の里へ


 洋一と正太郎、この二人はお互いに会話は出来ないものの数百年の時を超えて、それぞれが考えている事、感じている事、場面場面で必要としている内容をいつしか共有し、意識の中で最善の選択を選ぼうとしているのであった。



 洋一は現代の23才の社会人であり、農家で育った経験と知識がそれなりに備わっている、正太郎は5才の幼児であり、戦国時代の只中であり、現代の文明的な時代とはかけ離れた時代に生きており、洋一の知識を理解できる訳もなく、ほんの一部分を取り入れ経験を積もうと、最初の一歩をやっと歩き出した所である。



 洋一からの意識の中で最初に伝わったのが田植えの知識である、それをいよいよ実行する時を迎え村長と田んぼの持主である農夫が5名と、枡板を作成した二人が参加して、正太郎から指示を受けるのであった。




「よいか、先ずはこの桶に水を入れ、塩を匙でこんな感じで入れるのじゃ、そしてかき回して塩を溶かしたら、種籾を入れるのじゃ、よく塩水に浸かるようにして、この様に浮かんだ種籾を網で取り、塩水に沈んでいる種籾を取り出し、よく水で洗い塩を落とし、この種を作ってもらった枡板の枡に土を入れ、そこへ種籾を4粒ほど枡ごとに植えていくのじゃ、先ずは全部の枡板に入れるのじゃ」



 二時間ほどかけて全てに種を植え終わると、正太郎は。



「まだ霜がおりるかもしれないから、その枡板を納屋にしまい、暖かい日には日に当て、寒い日には納屋にしまい、夜はもちろん納屋にしまい、芽が出て長さが二寸程になったら暖かい日に植えるのじゃ、それも三寸毎に間を開けて枡にある苗ごとに植えていくのじゃ、長い紐に三寸毎に印をつけた紐を利用し間隔を開けて植えるのじゃ」




「最初は慣れないから大変じゃが、収穫する時は今までより驚くほど多くの米が取れるはずなのじゃ、とりあえず今年は試しに、いつも30俵ほど取れる田を利用してやって欲しい、もしこれで収穫が増える様であれば来年はこの村全部の田でやってもらいたい、いや、やるのじゃ、村長頼むぞ」



「はっ、若様の言いつけ通り田植えを行いますのでよろしくお願い致します」



「皆の者もよいな」



 はっ、はあーと頭を下げる農民たちであった。




 その後、村長より4月下旬に言いつけ通り田植えを行い、予定より田んぼ一枚多く植えたと忠義から報告を聞き、うまく行けば40俵を超える収穫を期待する正太郎であり、そもそも田植えすら経験もなく、どうやって稲が育つのかも知るはずもない五才の幼児なのだ、村長たちも、当主の嫡子であり、どんな言いつけであれ、言われた通りやる以外の選択は無く、ただ黙って作業をしたのであった。




 田植えを無事に終わったとの報告を聞き、かねてより、那須家の将来が没落するかもしれないという暗示と、回避するには平家の里へ行けと伝わった見知らぬ者からの意思を実行する時が来たのである、平家の里に行く準備を当主である父上と行い、必ず無事故で帰ってくる様にと人選を父上の指示によって三名の者が選ばれた。




 正太郎と忠義、そして那須家お抱えのマタギの良蔵と平家の里に定期的に様子を見に行っている山師の松男、侍女の百合である、マタギの良蔵は、人里離れた山奥なれば熊に襲われる可能性もありマタギのプロを父は人選したのだ、山師の松男は何度も里へ訪れており里の長にも面識があり道案内兼今回の責任者である、侍女の百合は忠義の従妹であり15才の健康優良児、山歩きは得意だとの事で選ばれた、もちろん私の身の回りの世話係である。




 出発は5月10日、平家の里に12日に着、数日滞在して5月18日には帰還するという行程で準備となった、父上からは倉庫にあった蒙古弓なる変わった形の弓も渡され、里の者たちに弓について何か知っているかどうかを聞くようにとの指示と、里の者に塩を5貫程、約19キロという大変貴重な塩を用意して頂き、これできっと里の者たちも大いに喜ぶであろうと微笑んだのである。



「父上、行ってまいります、必ずや那須に取って役立つ結果を持ってまいります」


 と伝えるも。



「無事に帰って来ることが一番じゃ、見分を広め、見た事の無い世界をしっかりと己の目で見て来るのだ、絶対に無事に帰って来ることが一番じゃ、皆の者も良いな、正太郎を頼むぞ」




「はっ、御屋形様、必ず若様をお守りし無事に帰ってまいります」



「皆の者出発じゃ! 」



 那須家の居城である、那須烏山城を5月10日に出発、予定では12日に里に着く予定である、山の峰を越え、峠を越え、延々と歩くこと約75キロの道のりである、五才の童が行くような距離ではなく、危険な旅であり現代の感覚では想像できない移動である。




 何度も里へ行ったことがある山師の松男の話では、峠の狭い獣道以外は騎乗して行けるとの事でそれぞれ馬に騎乗して行く事となり、正太郎にとって楽しい気分、それこそルンルン気分での出発であった、侍女の百合も手慣れたもので楽しんでの出発であった、ただ一人険しい面持ちで胃痛を抱える忠義の姿があった。




 三日分の食料と、父上より渡された塩5貫約19キロと蒙古の弓と、着替えを持っての出発である。




 初日は那須烏山城から那珂川沿いに西那須野に向けて移動、西那須野から関谷へ、初日は関谷までのたっぷりの45キロもの移動である、但し道のりはほぼ平坦であり緩やかな南傾斜の移動しやすい道のりであり騎乗という事もあり、お尻が痛いだけの旅路である、でも長時間の騎乗はお尻が大変に痛く、きっと真っ赤に腫上がっていると思う。




 関谷は街道の宿場町風になっており、宿屋もあり何件があり、この日は一番良い宿屋に泊まり疲れを癒したのである。




 問題は明日からの山奥に向けて進む危険な行程である、実に楽しみである。


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