戦後処理


小田原成敗を三家の勝利で迎えた事で日本は三河より東北の地域全体を関白の支配が及ばない政治体制を築く事となった、西側は関白が支配する地となり一国二制度が確立する事に、何れ日ノ本は日本として統一されるが東国はそれまでに自力を付ける期間として那須資晴は考えていた。


この勝利により日本は史実に無い大きな舵取りを行う、東国の航海はさざ波もあれば大きな波浪に揉まれる事も予想されるが那須資晴が知る歴史という羅針盤が明確な方向を指し示す事で嵐を回避出来る事であろう。


関白との約定を交わし捉えていた捕虜を解き放ち戦利品の分配と今後の東国体制について話が行われる事になったが、その前に小田原城での勝利の宴が三日間に渡りどんちゃん騒ぎと言える狂乱が繰り広げられた、20年以上に渡り備えた三家の喜びは頂点に達しており一回程度の祝いでは許されなかった、城下町においても北条家から道々で澄酒の無料提供が行われ領民こぞっての戦勝祝いが行われた。


三日間の戦勝祝い、二日間の休養を経て戦後処理の話し合いとなった、戦場が小田原という事もあり主に北条氏直が主導しての進行となり主要な事柄は一日で処理された、この場には三家の代表の他に上杉家、津軽安東家、那須ナヨロシク、徳川家康も参加していた。




「では戦利品の分配でありますが、特に鉄砲が沢山あります、それと武具と槍等もありますが鉄砲の分配比率と同じくお分け致します、お分けした後は家々でお願い致します、では那須家、小田家、北条家は各2千丁、上杉家800丁、安東津軽家700丁、蝦夷の那須ナヨロシク殿、同じく700丁、徳川家300丁となります、玉薬も同様に分配致します、それで宜しいでしょうか?」



「異議が無いようですので政について那須資晴殿より話があります」



「氏直殿ご苦労様でした、それにしても1万500丁もの鉄砲を置いて行かれましたか、ありがたいお土産品となりした、配下の家々も喜びます(笑)では今後の東国の政は大きく変貌致します、皆様は某が先読み出来る事を知っている方々であります、某と繋がる460年先の洋一殿からはこの日ノ本の首都が京では無く北条殿の支配地である江戸が相応しいとの話です、洋一殿の世界では江戸が大発展されそこに住む人口は1300万余りとなるとの事です!!」



「今の日ノ本には100万人が住める地は何処にもありませぬ、洋一殿の知る世界でも今から100年後の江戸の人口は100万人を超えるとの事であります、そこで我ら東国は力を合わせ江戸の地を開拓して参ろうと思いますが如何でありましょうか?」



「今の話によれば江戸を開拓した場合は北条殿の地を東国の家々で発展されるという事でありましょうか? その為に東国の者が労力を使うという事でありますか?」



「意味合いは確かにそう取れますが一つ大きな違いがあります、北条殿の支配地ではありますが、江戸に何れ新しい幕府を作るのです、幕府の地は将軍家が支配致します、誰が将軍になるとかの話は全くの別でありますが、新しい幕府を作るための素地を作ると言う事であります、既に北条家では上杉景虎殿が今は名を北条氏秀殿と改め江戸の城を新しく作り始めております、先ずは江戸を東国の都に致します、西国には京という都がありますが、東国にはそれに匹敵する都がありませぬ、東国全体に影響を及ぼす基盤を作るのです!」



「では新しい将軍がその地を治めるという事ですね?」



「そうなります、但し東国の家々で内政に向いている者、治安維持に適した者など多くの人材を出して頂き皆で将軍を支える仕組みを作ります、よってこれまで家々で拘っていた領地と言う概念は無用となります、将軍の治める地は全ての者達の物とも言えます、それだけに責が重い地となります!!」



「那須殿の言われている事を噛み締めて咀嚼し吟味しないと理解が進みませぬが、新しい国造りでありますな、新しい国を作るとなれば戦に繋がる芽は根絶やしにしなくてはなりまぬ、某上杉家は全力でお支え致します!」



「実際は悩み苦しみの先に新しい国造りとなりましょう、どうか皆様のお力をお貸し下さい、それと北条殿とは話を終えておりますが、此度の戦で特別に功を上げた者がおります、その者には最大級の褒美を致す事になりました、皆様に御渡しする鉄砲の半数はその者によって得た戦利品となります、ではここで北条殿より皆様にお伝えして下され!」



「承知した、その者をここへお招き致せ!!」



呼び出された事で奥に控えていた二人の親子が現れた、着ている服装は平民が着る普段着ではあるがその親子の威風は堂々としていた、その二名とは親の名を富士川一番、息子の名は富士川太郎であった、広間中央で平伏する二人に北条氏直は響き渡る声で功を称えた。



「その方親子は富士川河川にて日頃より河原者を纏めておる事は我ら北条家でも知る所である、此度の戦では富士川太郎殿による計で川を堰き止め、徒過する敵勢を水計にて多くの敵兵を倒した功は見事であり素晴らしき手柄と言える、此度同盟者である那須資晴殿の推挙により手柄の功と褒美を言い渡す!!」



現れた親子の息子は、富士川太郎は紛れもなく家康の息子、信康であった、岡崎を追われ放逐された息子が東国の武将達がいる広間の真ん中で主家である北条氏直様から直々に褒められ、更に三家の盟主である那須資晴様からの推挙によって手柄の功があった事を満座の中で述べらていた、家康も何時しか体中が熱くなりあたかも一幅の名画を観ているようであり静かに目を瞑り嗚咽を堪えていた。



「富士川一番!! その方は良くぞ息、太郎を導き育てた、太郎が成した功の証として富士川流域の差配を任せ1万石の領地をここに与える、これより富士川家は大名となる、富士川家は徳川家の与力として差配を受ける様に、徳川殿!! 富士川家をよろしく教導願う!!」



顔面を硬直させ聞き入る二人、河原者が大名になるという英雄譚がここに誕生した、富士川親子に言い渡しを終えた後、家康と二人は別室に移り今後の話を行う事になったが、家康と太郎は様々な思いが廻らし話を切り出す事が出来なかった、息子の太郎の様子に訝しむも一番と本多にて此度の功は並々ならぬ功でありここまでの褒美は特例であり、武家の者でもこれ程寛大なる褒美は聞いた事が無く驚いている事等も伝えられた、今後は当家で富士川家を支えるので館の建築費用等は徳川家で捻出し、武家の作法、仕来りなどを伝える者を遣わすのでその者達を配下とするように言い伝えた、最後に別れ際に家康は一番の手を取り頭を下げ退出した、実に不思議な光景であったと本多は日記に記している。


何はともあれこの戦によって東国は自治権を得て内政に突き進む事に、その裏では那須資晴が静かに次の災いに備える準備に入る事になった。



一方の大阪に戻った秀吉は帝の仲裁で和議を仕方なく結んだという言い訳を述べ、三家も帝に忠節を誓ったとして小田原成敗は勝利したと公言し戦勝の祝賀会を公家を招き開いていたが、中国勢と九州勢の者からは陰口が囁かれた、その囁きとは半天下人秀吉という嘲笑であり、その呼び名は酒の席でのツマミとなってネタとされていた、戦に参加した者は誰が勝利者で敗北したのは誰であるのかを当然知っており、戦勝の祝賀会など祝う気持ちも無く、それより多くの同士を失った悲しみの方が強かった、中には一日も一早く領国に戻る家々もあり大阪城は祝賀会の割には閑散としていた。


帝は秀吉に敗北と言える和議仲裁の約定を認めさせ交わせた事で那須資晴から聞いていた朝鮮出兵と言う恐ろしい計画に歯止めが出来たと喜んでいたが一人山科は心の中で秀吉であれば西国の者達を誑かし狂気に走るのではと読んでいた、西国の態勢を整えれば数年で20万以上の兵員が用意出来るであろう事、那須資晴の話では史実での出来事は簡単には回避出来ぬという、むしろ大きい出来事は回避は無理であり回避しても代わりの変事が起きると説明を受けていた、山科は帝の喜びを何処か危惧していた、だが当分は秀吉が静かになるであろう事は理解していた。



三家と戦に参加した多くの兵達は二週間程小田原に留まり城下町で土産など珍しい鋳物鉄器などを沢山買い込み帰路についた、那須資晴も間もなく新しい年が来ると言う事でその準備のために那須に凱旋する事になった。



「北条殿! 小田殿! 来春田植えを終えた後にお会い致しましょう、此度は大勝利でありました、此れよりは江戸の開拓となります、大望の絵を描き素晴らしき都を作りましょうぞ!!」



「那須殿! 北条殿! 来春のお会いする場は是非常陸にてお願い致します、三家が揃ったのは某の元服の時でありました、それ以来常陸にはお越しになっておりませぬ、是非にも当家にお寄り下さい、この守治皆様が来られることを楽しみにしております!」



「確かにそうでありました、某も各家には元服でしか行っておりませぬ、であれば来春は小田殿の家に寄ってから那須殿の処に寄りましょう、如何でありますか?」



「そうなりますと、最後は江戸の築城を三家で確認しましょう、常陸から那須に、那須から江戸に回りましょう、それであればぐるっと一通り公平になりましょう」



「何が公平なのか良く判りませぬが、そう致しましょう、では皆様来春にお待ちしております!」




日本の戦国期末期から江戸時代初期の日本の人口は諸説はあるが凡そ1500万人から1700万人位とされる、そこから100年後には倍増の3000万人を越えるとされる、そこからは緩やかな増加となり幕末の人口は凡そ3500万人に、では江戸の人口はどの様に増加して行くのか、江戸幕府が開かれた当初の人口は凡そ15万人程度から18世紀初頭には100万人を超え世界の国々の中で世界一の首都に成長する、この100万人は定住している人口の様であり参勤交代等の移動する人口は含まれていない様である、人口統計からの推移を考えた場合いかに戦国時代と言う環境が特殊だったのかが伺える、戦が無くなる事で日本全体が安定した成長期に入ったと言える。

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