産声


── 幸地 ──




「ほうこれですな、何度が堺にいる時に実際に明船を見ております、大きい帆が3本あり、竹で出来ておりました、南蛮の船とは少し違っておりましたな、この模型を見れば中々良く作られた船で御座います、今の我らにはまだあの明船と同じ船は出来まいかと、しかし、この模型があれば伝馬船の倍程度の大きさなら作れます」




「流石幸地なら知っておったか、伝馬船の倍でも結構大きいではないか、一隻作って試し、実際のところどうなのか知らねば大きい船は出来ぬであろう、船大工も増えたと聞いてるがどうであるか?」




「大工の数も15人となりました、大津で今500石船を作っております、これと同じ船であれば、伝馬船の倍と考えて、そうですな、50石船位にはなるかと思いますので、人数をやり繰りすれば・・・ざっと三ヶ月位で出来そうです、ただ形が出来るだけですので、操船については船乗達次第となります」




「ふむふむそうであるか、もっと大きい船であれば一年、あるいはもっと期間が必要かも知れん、造船場も増やさねばならん、そうなると船大工も今の倍以上は必要であるな、中々船大工は見つからんし、家を作る大工達も不足しておるし、どうすれば良いかのう?」




「やはり私と同じ様に堺周辺の船乗に声を掛け大工を見つけ後は交渉するしか無いのでは? 某もそうでしたが、戦がある所では船を作っている場合ではなく、仕事もありません、大工達はそれなりに仕事があるのですが、船大工は大工と言う名がついておりますが別の者達になります、海以外であれば、近江の淡海の海あふみのうみで探すのも脈があるかと思います」




「よし油屋に文を書くか、干し椎茸を多くするから至急船大工30名以上なんとかしろと、少し我儘を言って見るか、油屋は儂のお陰で北条家にも伝手を得て大儲けしている様であるし、砂糖も全然足らんと書くか(笑)、まずこの模型を渡すので試作してみてくれ、必要な物があれば何でも言ってくれ」




「はっ、分かりました、某もこの船には関心がありますので三ヶ月程で完成させて見ます」




「大津に戻る時に澄酒と鹿と猪の干し肉を好きなだけ持って行くが良い、五峰弓を沢山作っているので干し肉が倉庫に山の様になっておるので、むしろ持って行って欲しい位じゃ、では頼んだぞ!」






── 北条氏政 ──





「ささどうぞどうぞ、良くお越し下さいました、暫くこの地にてお休み下さい」



「この度は氏政様の心温かいご配慮にて、夫太郎が生きている事を知りました、心から感謝致します」




「寿桂尼様からお聞きになられたのですね、恐らく嶺松院殿には詳しいお話をされていないかと思います、それは嶺松院様の事を思っての事になります、某が此度の事を説明致しますのでお聞き下さい、太郎殿と飯富殿他2名の者はこの北条の地ではなく他の所にて元気にお過ごしされています、表向き北条は武田と同盟を結んでおります、その為、この地ではなく同盟とは全く関係無い地にてお守りしております」




「今、初めてお聞きしました、ここに来れば会えると思うてました、その地とは何処なのでしょうか?」




「太郎殿が今いる地は那須という下野国になります、東国になります、ご存じでしょうか?」




「そうですか、名前は・・確か那須与一という弓のお方の名前のお家でしょうか?」




「その通りです、源平の戦いで弓一射にて源氏の名を天下に示した与一様を祖にしたお家になります、その地にある温泉地で健やかにしているとお聞きしております、嶺松院様を迎える館もお作りしており、間もなく完成すると文が来ております、それと、太郎殿が幽閉された際に飯富殿の旗下の騎馬隊も武田の地を放逐され、仕官先を求めこの北条の地に多くの者が来ております、その者達と一緒に嶺松院様を太郎殿の所にお連れする事になっております」




「何も知らず、私は罪深い者です、自らの事であるのに、その様にご配慮頂き、何も出来ない事に心が苦しいのです、この御恩は必ず必ずお返し致します、どうかこの通りです、ありがとうございます」




「いずれ判るかと思いますが、此度の事は単に武田家のお家騒動という簡単な事ではありません、あるお方によって深謀遠慮によるお計らいなのです、私の北条家も寿桂尼様もその方によって此度の事が運ばれたのです、そのお方がおらねば、太郎殿も他の皆全て、処断されていたでしょう、それを回避し、新しい地にて太郎殿と嶺松院様、飯富殿の騎馬の者、家族を合わせれば数百名もの大勢の方が、新たな地にて生を営む事が出来る様にとお計らい下さったのです、私はそのお方に力をお貸ししているに過ぎません」




「氏政様、私にはもう言葉が見つかりませぬ、寿桂尼様が言っておられました、間もなく命の灯が消える時に私が戻ったと、そして寿桂尼様が私の命の灯を受け取り継ぐのだと、私の魂の灯を受け取ってくれと申されました、今の私には北条様のご配慮に御恩は返せませぬ、又、那須の地で我らを迎えて下さるお方にも何も御恩をお返しは出来ません、しかし、寿桂尼様から伝わる深き情愛と北条様からの深き情愛に答える事が出来る自分に生まれ変わりとう御座います、必ず太郎様と共に生まれ変わり皆様にご恩をお返し致します、どうかその時までお待ち下さい」





── 鞍馬と風魔 ──





「その方ら何者であるか、我が首を狙いに来たか・・・」




「お待ち下さい、某秘命にて貴方様に遣わされた者です、先ずは、こちらをご覧下さいまし」




深夜城の寝屋に現れた忍びの者、その者より渡された文を読む・・・・・




「ここに書かれている内容は一体どういう事であるか、何故この様に詳細に書かれておるのだ、これから起こる戦の内容が事細かに書かれているでは無いか、何故この様な事が解るのだ?」




「そこに書かれている事は必ず起きます、防ぐ事は出来ませぬ、防ぐ事は出来ませぬが最悪の事態だけは貴方様の意思にて行う事は出来ます」




書かれている文の内容に驚く若き当主、具体的な日時が示され、どの様な戦がこの城で行われ、落城する日まで示され、自身が最後どの様にして亡くなる様子まで書かれていた、忍びの者が防ぐ事は出来ぬが最悪の事態は儂の意思で行う事が出来るという言葉に・・・




「その方の主が儂にこの文を遣わした者なのであるな、その者はどの様なお方であるか?」




「私から言える事はこれから起きる物事を見通せるお方で御座います、そのお方が言われた事は必ず起きます、この文を渡す様に差配されましたお方はこちらのお方になります」




新しい文を3通渡され中身を確認する若き当主・・・・・・



一通は那須家当主資胤の文であり、若き当主宛に間違いなく書かれた文であるとのご朱印状であった、もう一通は、何度もこれまでに敵として刃を向け合った北条氏政からの文であった、そこに書かれた内容は、戦場にて敵として戦うは戦場の誉なれど此度其方に渡された文の出来事が起これば北条家に取っても由々しき事となる、敵味方の立場ではあるが、この先は共に手を携える事も夢ではない、寧ろ共に手をさずさえ戦う日も間もなくとなろう、ゆえに死んではならぬ、そこに書かれている事を疑ってはならぬ北条氏政と書かれていた。




最後の一通は那須家嫡男正太郎より、大変に失礼な事をお伝えして申し訳なく心苦しいのですが、武士として武田に立ち向かうだけが武士ではありません、今はどうか耐えて下され、耐えれば何れ取り返す事が出来ましょう、那須の地にて皆様をお待ちしております、ご心配は何もありません、那須正太郎と書かれた文であった。




「・・・この文を遣わされたのは那須正太郎と言うお方なのであるな? それに何故北条殿からも文があるのだ?」




「此度の事柄は全て那須正太郎様が差配し計らっております、貴方様にとっては敵方であった北条様も正太郎様の協力者として動かれております、既に北条様は貴方様にとって敵方では無く貴方様とお家の方々をお助けする動きを行っております、正太郎様とはその様なお力をお持ちの方になります」




「那須家と我らは父上の代よりこれまでにも管領様のお味方衆として共に戦っている、しかし、私が当主となってからは日も浅く一度もお会いした事はない、どう受け止めて良いか判らぬが日を改めて其方と話がしたいがどうであるか?」




「判りました、では後日某と北条殿より遣わされた者二名にてまかり越します、では後日」





確かに父が亡くなり上野の地に武田が何度も来ておる、管領様は今も武田と戦をしている、この文には明年この箕輪が落ち儂も家族全てが亡くなると書かれておる・・・・敵方であった北条までが関係してるとは、一体何が起きているのか・・・・




正太郎は9月の収穫期に入る前に洋一から軍師玲子から近い将来に備え、次の事が伝わった、その内容とは。




上野国箕輪城が年明けとともに武田軍が攻めて来る、武田家最大戦力2万の軍勢で進軍し、既に幾人かの国人領主は武田側に寝返っている、箕輪城は2000名で籠城するが9月29日に全ての者を失い当主も城の持仏堂にて父の位牌を抱き自刃し滅亡すると伝えられた、玲子の話では長野家は勇猛な武士達でありこのまま滅亡するには忍びなく、被害が無い内に全ての人と物を那須に移させ、空っぽの城だけを武田に与える事で城を維持する為に、余計な出費を伴い甲斐国からの兵站維持を余儀なくせざるを得ない事態となり、その文駿河侵攻を遅らせ、又は甲斐国が手薄になる様に軍略として伝えた。




上野国群馬県は下野国の隣であり隣国となる、上野と言う地は那須に比べると平坦な地が多く、人も耕作も豊かな地である、1721年の最古の資料では約57万人が生活しており、明治初期の石高は約63万石と記されている。




この地を巡り武田が狙いを付けるのは当然の事であった、正太郎は北条殿に依頼し配下風魔の力を借りる事に、風魔小太郎と鞍馬天狗は何度も面識があり人数に限界があった鞍馬にとって風魔が参加する事で多方面に渡り此度『箕輪城偽計空城の諮り』の計略が行える事になった。




1・武田が攻めて来る前に籠城する者達を敵に悟られず一ヶ月ほど時間をかけて那須の地に移動させる。


2・併せて風魔の忍び多数を城に入れ、城外から見える位置に配置させる、幟の数も多く掲げ、戦う準備が出来ている様に偽装を行う。


3・当主長野業盛と馬廻役衆200名は城に残り城周辺を巡回し武田側に武威を示し一歩も引かない構えを示す。


4・武田がいよいよ城攻めを本格的に開始する前夜に一斉に城から退去し、城を空にしてしまう、城には米粒一つ、何一つ渡さない。


5・退去の際に井戸に毒を入れておく、この毒は下痢を起こす程度の軽い毒であり、その効果は半年程で無毒となる。




後日城にて長野業盛は鞍馬天狗と風魔小太郎と会い、対武田に対する具体的な計略を説明した、それを聞き、これは面白いと満面の笑みで笑うのであった。



「よくもこの様な計を考えた物よ、その方達の後ろにいる正太郎というお方は余程の方であるな、確かまだ10にも満たない子であると言っていたが、納得した、城を持つ当主ではこの様な事は出来ない、一戦も交えずに城を渡すなど決して考えぬ、しかしこの計は罠に等しい、武田に城を態と取らせ、城を得てから罠に嵌ったと気づき、さぞや悔しがるに違いない、城を得た事で苦しむ事になろう、水も飲めぬとなれば城に留まる事が出来ぬ、これは見ものである」




ここに明年起こる武田2万の軍勢による上野箕輪城攻略に対する『箕輪城偽計空城の諮り』を発動する事になった、今は9月初旬、一年前の箕輪城での会談である。



正太郎が武田太郎の奥方嶺松院に打った手も上野国長野業盛へ打った手も、史実とは違う流れであり、新たな『産声』を聞くが為の大きな一手であった。





今川義元の娘さんですから、何しろ今川家は普通の大名とは違う格式です、相応の対応をしておかないと後で大変な事になるかも知れませんから、お姫様ですからね。

次章「那須武田騎馬隊」になります。

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