魂の灯


── 今川館 ──




「よくぞ無事に舞い戻った、心配しておった、そなたの顔を見られ安心いたした、もう何も心配する事は無い、暫くここにおり、落ち着いたらそなたは北条殿の元に行く事になっておる」




「その様な無体な事を、妾はここにいてはならぬのでしょうか、もうどこにも行き等は御座りませぬ、御婆様助けてくだしゃりませ、どこにも行き等御座りません、夫を亡くし、藁にもすがる思いで帰りました、心が死にました、どこにも行けませぬ、助けてくだしゃりませ、御婆様、寿桂尼じゅけいに様」



「安心するが良い、その方の幸せのために一旦北条殿の所に行くだけじゃ、これから話す事は一切誰にも話してはならぬ、そなたの侍女にも絶対に話してはならぬ、氏真にも話してはならぬ、もそっとこちらにおいで、横に来ておくれ」



「良いか心して聞くのじゃぞ、そなたの夫、武田太郎は生きておる、死んではおらん、安心するが良い」



驚き顔色を変える嶺松院れいしょういん、夫太郎は、実の父により謀反として斬首となったと聞かされ、実家である、今川家に戻されたのである、それが生きていると御婆様である寿桂尼じゅけいにより聞かされ、今後の事について話されたのである。



寿桂尼の語られた事は、主人である夫武田太郎はある所で匿われ健やかに過ごしている、この事は北条氏政殿より極秘に寿桂尼に知らされており、太郎の妻である嶺松院も武田家を放逐され今川家に戻されると事前に伝えられたと話したのである。



一旦北条殿の所に出向き、太郎と暮らせる様に北条殿と庇護している者が手配しているので安心する様にと話された事に驚き、疲れ果てていた心に灯が注がれた嶺松院であった。




「良いな、その方は北条殿の所へ行き太郎殿と暮らすのじゃぞ、幸せな道を歩むのじゃぞ」




「分かりました、でもそれならこの今川の地でも良かったのでは無いでしょうか? 何故今川の地で暮らせぬのでしょうか?」



「よいか心して聞け、この今川家は間もなく滅びる、亡くなるのじゃ!」



先程、夫が無事であると安堵したのも忘れ全身が硬直し、夫を亡くしたと思った時の驚きよりさらに衝撃的な言葉に全身が硬直した嶺松院であった。



戦国の妻に取って自分を支えている出自の家と言う存在があるからこそ、今の自分があり存在しているのである、その家が無くなるという事は、自分の半身が無くなる様な意味である、それが今、自分を支えていた家が滅びるという話を、衝撃的な言葉が寿桂尼から語られたのである。




寿桂尼は戦国乱の世、女傑の申し子と言えよう、女性でありながら戦国の中で誰よりも苦しみもがき、この世の不幸全てを一身に受けた女性と言える、まさに戦国を代表する女傑であろう、その半生は公家の出自であり、1508年に今川氏親が21才の時に嫁ぎ最初は幸せな日々を過ごし、子が次々と生まれ養っていくも、主人である氏親が44才の頃に中風となってしまう、この事により寿桂尼の不幸な人生が始まったと言ってよい、寝たきりとなった主人に代わり、今川家の柱として政を行うも、日々弱まっていく主人、懸命に支える妻の寿桂尼、しかし、夫である氏親は1526年55才の時に亡くなってしまう。



主人を亡し家を守るために亡くなる前に息子氏輝を13才の時に元服を行い当主として継がせるも、その氏輝が24才で亡くなってしまう、さらに悲劇が襲う、氏輝の弟、彦五郎までも急死する、そこで氏輝と寿桂尼の間に出来た5男義元を、出家していた5男を呼び戻し義元に家督相続させ行うも、それに異議を唱える側室の子が現れお家騒動となり、家を二分させる争いが起こってしまう。



義元に無事に相続が終わったかと思いきは、わずか三か月後にお家騒動が起こり、側室の子である玄広恵探と身内の戦となる玄広恵探は1536年6月10日に戦いに敗れ亡くなった、それにより今川義元は17才で今川家当主を継ぐ事になった。



今川義元を擁し、後見として寿桂尼、出家時に師匠であった太原雪斎が軍師となり今川家の繁栄が始まるも、1560年5月19日に桶狭間の戦いで、織田信長に殺されてしまう、義元の子、氏真が後を継ぐも、幼少の頃から贅の限りを尽くし政に関心を示さず、蹴鞠に歌に耽り、雅なる生活にしか興味を示さなかった氏真22才。



贅沢な暮らしと雅なる遊びしか経験が無い氏真が当主となるが、そんな当主に愛想が尽き、徐々に今川家から心が離れてしまうのも自然の出来事であった、今川家には氏真より存在の大きい寿桂尼がいる事でなんとか踏み留まり維持するも、寿桂尼の寿命が間もなく消えるという時に武田家でお家騒動が起こり嶺松院が今川家に戻って来たのである。



その孫である嶺松院が戻った事に寿桂尼は大いに喜び、自身の小さくなった命の灯を受け継ぐ孫に全てを託した。



「よいか、兄の氏真では今川家は間違いなく滅ぶ、これは氏真だけの責任ではない、今川家の業でありその業を背負ってしまったのが氏真なのだ、今はまだ私が生きているから武田は今川を攻めて来ぬが、私が死ねば必ず攻めて来る、それは間もなくの事である、だから滅びる今川の家に居てはならぬのじゃ、其方が私の命を継ぐ者なのじゃ、血を継ぐ者なのじゃ、魂を継ぐ者なのじゃ、武田太郎殿と幸せになる事が継ぐ事なのじゃ、どうか私の願いを叶えて欲しい」



「今のそなたには、この意味が理解出来ないであろう事だと思う、しかし、よく聞くのだ、今後起こるであろう今川家の事は気にやむ必要はない、その方は、自分がどうすれば幸せな道を歩めるのか、その事を考え進めば自ずと道は開かれる、ここに3万貫30億円を用意した、ここにある銭がそなたに渡す最後の銭となる、贅沢の為に使っては身の破滅となる、賢く使うのじゃ、其方を支える銭である、よいな、今話した事は絶対に他の者には話してはならぬ、相談するとなれば北条氏政殿だけである、今少し、この今川の館にて落ち着かれるが良い、そなたには私の魂の灯を全て捧げるゆえ安心して進むが良い」



今川家に自分の知らない事が起きており、いつの間にか身を案じて親身に話す祖母寿桂尼の痛切なる情愛の籠った話に申し訳ない気持ちと、これまで武田の家の事も、出自の家である今川の家の事に気にもかけて来なかった愚かさに、只々その愚かさに悔いるのであった、何も気に留めず優雅な暮らしを追いかけ、我儘に生きて来た、気付いた時には夫は謀反で斬首となったと聞き、自分は武田家を放逐され、実家に戻ったら間もなく家が滅亡すると聞かされた、さらに、残りの寿命が尽きようとしている祖母寿桂尼から、知らない間に自分を守るために命を削りながら道標を作り向かうべき道を、魂の灯を受け取り進むのだと励ます祖母寿桂尼の姿に滂沱の涙を流す孫の嶺松院れいしょういんであった。



託す方も託される方も生まれも年も全てが違う人生ではあるが、思いが一つになる時、人を思うという深き情には、年も年齢も関係なく、時の流れは一つとなる、この日より嶺松院は生まれ変わり、決然と強い意志で立ち上がろうと魂の灯を命に宿したと言えよう。



史実では、寿桂尼は数年後、永禄111568年3月14日に、今川館にて死去となる、遺言として『死しても今川の守護たらん』今川館の鬼門である東北の方角にあたる自らが開基した龍雲寺(静岡県静岡市葵区沓谷)に埋葬された。



同年12月には武田氏による今川領国への侵攻が開始された(駿河侵攻)、氏真は駿河を捨て遠江に落ち延びるも翌年に徳川家康に降伏、ここに戦国大名今川氏は滅びる、寿桂尼は戦国時代の女性としてまさに女傑と言えよう。





寿桂尼の生涯、大河ドラマが作れる内容です、時代がそうさせたとは言え凄い人生を歩まれた方でした。既に数百年前に亡くなられておりますが、改めて安らかにと祈るばかりです。

次章「産声」になります。

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