那須武田騎馬隊

 

「忠義、義隆、資広、十兵衛、半兵衛、飯之助、アウン、ウイン、梅、例の物は準備出来たか? 伴殿もよろしいか、よし、出発じゃ!」



荷馬車に、酒2斗樽20個、魚の干物、麦菓子、大学芋を乗せて正太郎の村に向かった。



「おーい平蔵~参ったぞ、皆おるか~沢山土産を持って参ったぞ~! 待たせたのう~」



平蔵の村に8つの村人達大勢が集まっていた、既に正太郎の村も難民を受け入れ親無し子を受け入れたりと人が増え、村分けを行い8つの村が出来上がっていた、広場には所狭しという感じで歓声を上げて正太郎一行を出迎えた。



「若様足を運んで頂き感謝致します、村人も総出にて喜び集まりまして御座います」



「凄い数だのう、話は聞いていたが、本当に沢山いるのう、遠くから見えていたぞ」



「初めての者もおるかと思う儂が那須正太郎である、困った事があれば平蔵に相談せよ、儂の大切な者である、遠慮せずに相談するのだ、今日は沢山の酒と菓子など持って来ておる海魚の干物は家に持ち帰り夕餉で家族で楽しく食べるのじゃぞ、寝ている者にも食させるのだぞ、では平蔵の指示に従って並ぶように」



「これから配る芋は新しい芋である、蒸かしても、焼いても、粥に入れても美味しい芋である、今日は特別に那須家菓子ご意見番の飯之介が作った芋菓子を用意した、甘くて美味しい芋であるから仲良く食べるのじゃ、酒もあるから酒が飲みたい者はここに並ぶ様に」



炊出しの芋粥、海魚の干物、麦菓子、芋菓子と酒が配られ楽しく賑やかな正太郎の村人達、平蔵より村を案内され。



「この様に芋が沢山取れました、収穫されたサツマイモが山積みされていた、こちらが昨日取りましたモロコシです、この様にこれも沢山取れました、これも焼いても良し、沸いた湯で茹でれば食せれます、甘く美味しい物です、カボチャ、畦豆枝豆もこの様に沢山取れました、来春は各地の村に種を配り植える様に行います」



「こんなに実ったのか、凄いではないか、荒れ地でも育つと聞いたがどうであった?」




「荒れ地でもやや細い芋でしたが育ちました、確かに旱魃や冷害にも強い芋の用です、いろいろな場所で試し植えを行いましたが、大小の差はあれ収穫が出来ました、モロコシの方は日当りが必要でしたが、手間いらずで育ちました、時々雑草だけ取り除くだけです」




「それと芋とモロコシですが、馬達が食べたがり大変です、芋とモロコシを見せると食べさせろと騒ぎます、飼葉と一緒に時々差し上げると良いかも知れませぬ、特にモロコシに至っては茎まで全部食べてしまいます」



「そうなのだ、先日儂の馬が勝手に芋を食べ始めたのを見て馬まで美味いとヒヒィ~ンと吠えておったぞ!」



「馬で美味いとはやりますな若!」 



大笑いの一同で会った。



「平蔵も儂等の事はほっといて食して来るが良い、儂らも適当に楽しんでいる」



「この芋は腹持ちも良いので沢山作りましょう、日持ちもするので充分兵站としても役立ちます、焼くだけで食せて簡単です」



「飯之介殿が作られた芋菓子など奥方や子供に大変好まれます、あの芋菓子は逸品かと、茶屋などで出せば人気の品となりましょう」



「あの芋菓子は作れば作っただけ直ぐに無くなる、百合は一人で10個も平らげ追って儂が食べようとしたら2個しか残っておらんかった、母上を始め侍女達にはすごい人気よ、麦菓子とは違って小腹が空いた時に丁度よい」



「こちらのモロコシも保存出来そうで役立ちますな、粥に入れても良い味がする、今はこの村にしか無いので、来年は芋とモロコシを沢山育てましょう、領民が先ずは食さなければその良さが伝わりませぬ、各村で行い、この芋とモロコシを保存すれば飢饉にも備える事が出来ます、それに武蔵、上野からも少なくなったとは言え、いまだに難民が来ております、食せる物が沢山あった方が良いです」



「そうであるな、領民に行き渡るまでは今は無理である、各村の長をここに呼んで平蔵から育て方を指導させ村々に行き渡る様に手配をしよう、先ずは村長達にこの芋とモロコシを食べさせ様、さすれば勝手に広まるであろう、誰もが美味しい芋なら食べてみたいものよ」



「十月中旬の豊穣祭りの準備も怠らずに、今年は父上もおる、昨年は烏山だけで行ったから大変であったが、今年は芦野、伊王野、高林、大田原、馬頭、大子、大津、高萩の各地で行うから烏山に昨年ほどは集まらないだろうが、それでも1万程来るかと思う、茶臼屋に濁酒を半年前から注文しておるが最近は那須の家々で買う者が増えて品不足だと言っており、思う様に集まっておらぬそうだ、澄酒もそれ程残っておらん、どうしたら良いかのう?」



「若様が大盤振る舞いで澄酒をいろいろとお配りするから、それに御屋形様も何処かに出かける度に酒樽を持って行きます、酒が足らなくなって当然で御座います、こうなったら隣国より買うしかありませぬ」




「まあー儂にも責任があるようだのう、皆の喜ぶ顔が見たくて配ってしまうのじゃ、それに儂はまだ酒が飲めんので、美味しそうに飲んでいる顔を見ると渡したくなってしまうのじゃ、父上もきっとそうなのだ、戦に勝ち、領地が増え、稲作も豊作となれば皆が喜ぶ酒なればと思うのであろう、問題はその酒がもう無くなりそうなのだ、そもそも昨年までは無かった澄酒なのだ、濁酒を隣国から買うしかないのう、十兵衛も泣きそうな顔であるし・・・・いや待てよ‥‥儂には奥の手が残っておったぞ・・・・」




「何でしょうか、濁酒も美味しいですが、澄酒が入る奥の手があるのですか?」



「今はまだ9月初めだ、豊穣祭りには1ヶ月はある、濁酒は隣国から買って、澄酒は油屋がおったではないか、堺には酒の講があるから勝手に造れないから職人達が那須に来たのじゃ、という事は堺に行けば買えるのではないか、どうであるか? 十兵衛」



「確かに堺であれば買えます、しかし、値が高いかと思います、那須で造った値の何倍もするかも知れませんぞ、そんな高価な酒など買ってよろしいのでしょうか?」




「では他に何か良い考えは無いか、頭を使うのじゃ、そもそもその方らが飲む酒ぞ、何でも良いぞ、意見を言うのじゃ」  




「あの~よろしいでしょうか・・」  



「梅、何でも良いぞ、そちは時々良い事を言うではないか、何でも良いぞ」



「では、若様が佐竹を破った時に佐竹から分捕りました鉄砲が倉庫に100丁以上あるので重くて邪魔だと言っておりましたので、その鉄砲を堺で何丁か売って、その金で酒を買うというのはどうでしょうか?」




「武士がその様な事が出来るか、鉄砲は貴重な武器なるぞ、鉄砲を売って酒を買ったと露見したらそれこそお家の一大事ぞ、恥であるぞ」



「十兵衛、忠義まて・・・いや・・まて・・確かに武士であればそうかもしれん・・・・お~お~おったでは無いか、我らには人材がいたでは無いかあの者が鉄砲を売り酒を買う任を聞けば大喜びするであろう、あの者が最適じゃ!」




「誰ですか、その様な事に適した者とは我らの中にはおりませんぞ」




「良いか、思い出すのじゃ、那須のお家で初めて勝手に人の銭で大金を使った者がおったでは無いか」




「・・・まさか、それ某がその者をその場で切り伏せ様とした者の事ではありますか?」



「そうじゃ、あの者以外にこの重き任は出来ん、あっさり人の銭で100貫という大金を使い堂々と胸を張り凱旋した、鞍馬100貫ならこの任最適である、500石船満載に酒を積んで買って来いと言えば喜んでやり遂げる者ぞ」



「本当に鉄砲を売ってよろしいのですか? 御屋形様に叱られませぬか、私はどうなっても知りませんぞ」




「大丈夫だ、鉄砲の代わりに以前似た様な鉄の筒を作らせたからそれとこっそり入れ変えておけ、火薬は今も買っておるが、鉄砲の弾は買っておらんので使いもんにならん、今は酒の方が戦力になる、砂糖と酒と・・・あの金平糖なる菓子を満載にして買ってこさせよう、これでなんとか年越しまで持つぞ」



「飛風に100貫を呼ぶ様に手配と、鉄砲50丁持たせ、伴殿にも堺に行ってもらい母上や侍女達の着物とかいろいろ買って渡せば、鉄砲を売った事が露見しても母上に守って頂ける、般若の顔で父上からま守って頂ける(笑)、よし急ぎ手配するのじゃ」





── 那須武田騎馬隊 ──




「嶺松院れいしょういん様又お会い出来る日を楽しみにしております、太郎殿と那須の地にて健やかにお過ごし下され、この者達は全て甲斐を放逐された騎馬隊の者達です、この日の為に軍装を整え準備しておりました、太郎殿もこの者達がおればきっと喜ばれるでありましょう、安心してご出立されて下さい」


「氏政様数々のご配慮忝けのう御座ります、このご恩、嶺松院生涯忘れませぬ、今一度生まれ代わり恥じぬ道を歩みまする、氏政様もどうかお健やかにとお祈りしております」




「では皆の者出立せよ!」



号令をかけた氏政であった、嶺松院を乗せた輿が見えなくなるまで見送る氏政であった、何故これ程まで嶺松院に北条家も那須家でも気を使うのか、その理由は、今川家が特別な家格の家でありその姫であるからである、今川家は足利将軍家の縁戚であり近い親族衆という家柄である、将軍家から御一家として遇された吉良家の分家にあたる、『御所(足利将軍家)が絶えなば吉良が継ぎ、吉良が絶えなば今川が継ぐ』とされる特別な家である。



戦国と言う乱世であり、場合によってはこの嶺松院から生まれた子が将軍となる可能性があるのである、まさかと思われるが、そのまさかという出来事が乱世でもあるのだ、北条家も那須家でも今川家の姫を厚き遇する理由がそこにあった。




新しい那須の地に武田太郎の奥方である嶺松院が住む武田館が完成したと言う連絡を受け見送った氏政、お家騒動で甲斐国を放逐された80騎の騎馬隊も北条側にて面倒を見、その騎馬隊が那須に向かうというこれ以上ない演出をした氏政である。




正太郎からはいずれこの武田の騎馬隊は北条、那須、小田に取って鉾であり盾となろうと示唆され大切に庇護し軍装まで整え、騎馬の馬は那須の地より送られ、堂々たる威容で那須の地に向かった、ここに那須武田騎馬隊が結成されたと言って良いであろう。




太郎を育てた飯富は武田二十四将の1人であり、信玄の父である信虎の代から将として仕え今の武田家の基礎を築いた古参の1人である、二十四将と呼ばれる武将の中で八名の者が一期と二期に別れそれぞれの時期に四天王と呼ばれた将がいる、その一期の四天王の1人が飯富虎昌であり二期四天王達を育てた将である、戦国時代の有名な騎馬隊の名に『赤備え』を最初に作った武将が飯富であり武田家の名を天下に示した騎馬隊こそ、飯富が率いる赤備えの騎馬隊である。



この飯富が率いた騎馬隊を見習い赤備えという名の騎馬隊が徳川家でも作られた、そのモデルとなった武将こそ飯富であり、その飯富が率いる騎馬隊が今ここに那須の地に誕生したのである。



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