獣
富士川太郎の策によって堤防が壊された事で満水の水は真っ黒な濁流となり黒龍の姿に変え河川敷に広がる関白軍を呑み込み腹を満たし相模の海に消えて逝った、そのあまりにも凄い威力と全く抗う事が出来ない脅威に資晴も驚きを隠せずにただ茫然としていた、又、同じく那須軍全体がその異様な光景に驚き静けさが漂っていた。
「御屋形様! 御屋形様!! 火急の知らせが北条様より来ております、忍びの頭領、風魔小太郎殿が来ております、如何致しますか?」
「・・・済まん、余りにも凄い有様であり自分を忘れていた、北条殿の使者であるな、小太郎の良く知る者であるな!」
「はい、某の良く見知っている者です、名は同じでも風魔の頭領であります」
「うむ、判った儂も陣に戻る、それと河川敷に倒れている者で息がある者は助けてやるが良い!!」
「はっ、直ちに手配致します」
北条氏直からの知らせとは突如現れた上杉連合軍の軍勢についての事であった、城を囲む豊臣秀長の軍勢を次々と雪崩のように襲い薙ぎ倒していき、あっと言う間に囲みを崩し幾つもの城を足止めしていた関白側の陣地を崩壊させ僅か半日で秀長の軍勢を追いやってしまった内容が那須資晴に伝えられた。
「なんと上杉殿が来たと言うのか!? えっ!! 津軽安東殿も!! なんだと!! 蝦夷の兄上もおるじゃと!!!」
「はい、某の処に上杉家の忍び軒猿より耳に入り確かめた処、間違いなく上杉様と津軽安東様、そして那須様の
「半兵衛はこの事知っておったか?」
「・・・全く知り申さず、これはひょっとしたら御屋形様を驚かす為に態と知らせずに上杉様達が前々より謀っていた事かと思われます、そうで無ければ安東様や蝦夷からは来ないかと!!」
「これはやられたのう!!大きい一本を取られてしまった、我らより功を上げたやも知れぬ、先程の太郎の水計といい、上杉殿の神業とも言える時を得た攻めといい、これでは北条殿も城から出てしまうぞ!!」
「御屋形様、こうなれば城から出るなと申す方が酷であります、形勢は完全にこちら側に向いております、城を数ヶ月に渡り囲まれた北条様の事を考えれば今頃ウズウズと歯ぎしりしておりましょう」
「そうであるな、儂であったらたまらん、風魔殿、北条殿に上杉殿と計り城を出て戦っても結構である、ご随意にして下されと伝えて下され!!」
「はっ、これで我が殿も歯ぎしりせずに済みます、何しろ幻庵様、先々代様、先代様が殿から離れずにあ~でもない、こ~でもないと煩くて堪らないと我らに八つ当たりしておりました、これにて我らも一安心であります」
「あっははははー、目に浮かぶ光景じゃ、以前は三人であったが今は四人となったか、実に仲の良い親子じゃ! では頼んだぞ!!」
上杉連合軍に追いやられた秀長は軍勢を纏め関白のいる本軍に向かい合流する事とした、何故これほど簡単に追いやられたのか、そもそも秀長の軍勢は数こそ6万程いるが城を封鎖し続けるだけの目的で残った兵達であり城を攻撃するという意思が弱い状態の処に闘志満々の上杉連合軍が襲い掛かった事で半日で崩壊してしまった、謙信譲りの神業で一気に崩壊させた功は上杉家の真骨頂と言えた。
── 海戦 ──
陸側で順調な戦を展開する中、海の海戦も小田大海将の策が見事に当たり断然優位な状況に刻々と変化していた、九鬼水軍の大型鉄甲船12隻を攻撃目標と決め、小田原の海を横一列で並び浮き砲台となっていた鉄甲船を正面左側の平塚側の鉄甲船一隻に向かって三家の艦隊が隊列を長く組み艦砲射撃を行った、通り過ぎた後にはボロきれの状態となった船に今度は止めの30石の戦船420隻が火矢、石火矢、てつはう(那須家で開発した焙烙玉)が次々と撃ち放たれ甲板の木造物は燃やされ藻屑となっていた。
「次は敵二番艦、その次は三番艦を同じく攻撃せよ!!」
その結果、浮き砲台の鉄甲船は船足も遅く瞬く間に三番艦まで同じ様に攻撃され破壊されてしまった、鉄甲船の内側に配置された村上水軍は鉄甲船を助ける為に急ぎ沖合に向け動き出した事で村上水軍と三家の30石の戦船での海戦が始まった。
村上水軍の小舟は漕ぎ手二名と帆一枚、風向きによって帆は外され、細身の和船で小早船と呼ばれている、伝馬船と比べれば船足が早い船、それに対して三家の戦船は横波と直進性の優れたアウトリガー付きの船であり帆の向きは風に合わせて角度を自在に操れる現代のヨットと同じ仕組みの戦船、漕ぎ手の仕様も備えているが風が弱い時に使用する為の備えでありほぼ使用はしない。
村上水軍が向かって来た事で湾内での海戦は激しい戦となる、お互い近づいては弓を用いての戦闘に、海戦で重要なのが風を味方に付ける事が出来るかという事で風を得れば矢の飛距離も全く違う、五峰弓と言えども向かい風には弱く威力を失う、逆もしかり和弓であっても追い風を利用すれば優位に戦える。
村上側も火矢を放ち、三家は石火矢を放つ事で時間の経過とともに徐々に火力の差が現れる事に、村上水軍も焙烙玉を武器として備えているが、投げ入れ放つ焙烙玉であり敵船の動きが止まった時に攻撃する武器であった、それに対して石火矢は矢の先に竹筒で作られた焙烙玉であり飛ばす武器である。
村上水軍と小舟同士が戦う中、大型の艦船は九鬼の鉄甲船3隻を破壊し次の獲物を攻撃準備に入るも、その間に鉄甲船残り9隻はそれまで横一列で広がっていた隊形から小田原港近くに密集隊形を組み全船が艦砲射撃で迎え撃つ隊形となり砲対砲の覚悟を決めた陣形となっていた。
「どうやら九鬼も腹を決めたようです、我らは如何致しますか?」
「砲対砲での決着となれば風を利用した方が良いであろう、九鬼の船より半里離れた所に円を描く様に封鎖致せ! 九鬼が動けぬ様にしてしまえ、明日早朝より陸側に向けて吹く風を利用し砲撃と致そう、全艦に通達せよ!!」
※ 陸に近い海岸では午前と午後の風向きが変化する時が多い、又、不思議な事に岸より2キロ程陸側の陸地では無風に近い時もある、現代では高気圧、低気圧と言う科学的な気象予報で風向きと風力を知る事は出来るがこの時代は経験則での戦である。
関白側の九鬼水軍と村上水軍も三家との決戦とも言うべき戦に突入する中、陸地では二匹の獣が現れた、獣の名は柴田勝家と鬼真壁である。
── 獣 ──
小田原の城を囲んでいた秀長の軍勢を薙ぎ払うが如く突如現れた上杉連合軍の事を知り、撤退して行く秀長に、ここぞという時に3000名からなる勝家の別動隊が秀長軍に襲い掛かり追撃戦が始まった。
「大納言様! 新たな敵が追撃して参ります、急ぎ退いて下され、我らが止めまする、急ぎ殿下の下に!」
「待て! 我らは6万もの大軍ぞ! 態勢を立て直せば充分対処出来るであろう、違うか官兵衛?」
「そうでありますが、大納言様の御身に若しもの事が生じれば取り返しが尽きませぬ、ここは某に任せて下され!」
「注進! 注進!! 追撃して来る者達の詳細が入りました!!」
「敵勢凡そ3000騎の騎馬隊であります、那須家の家紋幟多数確認! その中に不思議にも見知った家紋があります」
「3000騎であれば充分対処できるぞ、官兵衛!! 逃げてばかりじゃ兄上に会えぬ、ここは我慢の時ぞ」
「判り申した、但し危機となれば退いて下され、それと見知った不思議な家紋とは何であるか?」
「はい、丸に二つ
「何だと・・2羽の雁で間違いないのか?」
「・・・2羽の雁・・・これは柴田様の家紋でありますが・・別家の者でありましょうか?」
「いや、勝家に付き従っていた残党であろう、那須に身を寄せていたのであろう、気にせずとも良い、急ぎ馬防柵を作り盾で塞ぎ追撃を食い止めてから始末に掛かろう!!」
「判り申した!!」
上杉連合軍の追撃が止まった矢先に現れた3000騎の騎馬隊、那須家の家紋幟の中に何故か見知った柴田家の家紋が含まれていた、柴田家の残党と思われたが勝家本人が率いる部隊と判断出来なかった事で秀長軍は致命傷とも言える傷を負う事に。
「大納言様! 止まりませぬ、敵騎馬隊が止まりませぬ! 馬防柵を打ち破り炸裂する火矢で我らの中に侵入しております、それと大変な事に柴田家の残党と思われましたが、そうではありませぬ、なんと柴田勝家様本人であります、3000騎の先頭を大槍にて暴れております」
「何!!! 勝家であるか・・・あ奴生きておったのか? 官兵衛よ、勝家は亡くなったのでは無いのか?」
「驚きました、某も全く予想の外であります、勝家様が生きておられここに現れたと言う事は凄まじい怨念を背負っての攻撃と思われます、目の前に秀長様の軍勢は全て敵であり仇と見なしておりましょう、やはり大納言様に危険があるやも知れませぬ、ここは某に任せて頂き柴田様が攻めて来た事を殿下にお伝え下さい」
「うむ、仕方なし、では半数の兵を引き連れて退く事としよう、なんとしても官兵衛はここに留まり敵勢を兄上の処に向かわせてはならぬ、ここが正念場となるやも知れぬ、頼んだぞ官兵衛!!」
「はっ、判っております、では急ぎ殿下の下へ、それともしもの場合は大納言様にはお苦しい差配をして頂くかも知れませぬ、申し訳ありませぬ!!」
「判っておる、そちとの約じゃ! 儂にも充分理解出来ておる、縁の下にいる者だけが知る苦しみぞ、上にいる者を支えるという誉もその苦しみがあっての誉である、儂の一命にて引き換える覚悟じゃ!!」
秀長の軍勢は二手に別れ、官兵衛は
富士川の那須資晴の陣でもやや異変が起きていた。
「なんじゃろうな? 向こうの山側で砂塵が舞っておるが、忠義、あれが見えるか? 何であろうか?」
「某も気になっておりましたが、土煙が向こうに向かっておりましたので、関白側の軍勢がこちらに来てはおらぬかと、
「それらにしては長い旋風であるな」
「御屋形様、ちと大変な事が生じました!!!」
「如何した?」
「小田家の将、真壁様が合流する筈でありましたが、あそこに見えます岩本山の後ろ側に向かっております、恐らく勝手に戦を始めまする、ここには合流せぬようです」
「えっ! なんと勝手に戦を始めるというのか?」
「なんとする半兵衛・・当初の策とは違うが良いであろうか?」
「あの土煙は真壁様でありましたか、御屋形様、数年前より小田家には知才ある軍師を得ております、真壁様の右腕となっておると聞いております、その者の差配かも知れませぬ、確か上田に飛び地の領を得ている真田と申していたかと、その者は独自の忍びを抱えており切れ者であると、真壁様の意志を汲み取り独自の戦に向かっておるやみ知れませぬ」
「あ~守治殿が言うていた良き臣を得たとの者じゃな、真壁に脳味噌が出来たと喜んでいた者じゃな、では心配ないと言う事で良いな!?」
本来なら那須資晴の軍勢に合流する筈の真壁軍2万5千は合流に向かう中、刻々と戦の模様が真田の忍びから伝えられたことで方針を変更して関白軍に奇襲をする事になった、その大きな理由の一つに上杉連合軍が小田原の城を開放した事と、小田家の将、真壁が暴れたくても全然暴れる場面に遭遇出来ずにストレスを貯めに貯めていたという事情があった。
仏教の用語に人の生命状態を表した言葉に畜生と修羅という説明がある、畜生とは狼や熊など獣の類、鳥・虫・魚などの全ての人間以外の動物のことを説明している、畜生の本質は腹を満たせば他者への攻撃は一旦留まるが腹が減れば他者を殺し貪り腹を満たす、仏教の教えに六道という六つの中の一つ。
では修羅はどうか、争いの世界、また阿修羅が帝釈天と争った場は修羅場と呼ばれる、そのため、争うことや、武人を修羅と表現することもある、敵を求め自らの武を極める事こそ己の使命と考える、同じく仏教の教えに六道という六つの中の一つ。
畜生にも他者の頂点に立つと言う獣の欲があり、両者の本質は似ている所があると言える、柴田勝家は復讐の獣となり、鬼真壁は敵を求めての修羅の世界に向かう事に。
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