美濃平定


── 美濃平定 ──



この年織田信長が美濃を平定した、斎藤家と軍事同盟を結んでいた信長が足掛け6年かけ斎藤家を破り美濃を平定したのである。


信長は斎藤道三の娘帰蝶と婚姻し軍事同盟を結び尾張平定の後ろ盾を得て尾張統一を行った、しかし、その後ろ盾となる道三と嫡子義龍は仲が悪く親子で下剋上のお家騒動となり親子で戦を行ったのだ。


親子による大戦となり、負け戦を悟り父道三は明智十兵衛を放逐し生かされる、その後道三は敗れ息子義龍に殺されてしまう。


そもそも織田と同盟を結ぶ事に疑義を唱えていた義龍は信長に傾斜する父に反発し、お家騒動が本格的となり戦となった、しかし戦に勝った義龍は35才の若さで亡くなってしまう、義龍が亡くなった後を継いだのが嫡子の龍興であった。


この斎藤龍興が14才という若さで当主となるが、余りにも凡庸であり龍興を持ち上げる一部の重臣のみ重用し斎藤家は足元が崩れて行く、それを諫める為に城乗っ取りを行い諫言した竹中半兵衛であるが、半兵衛も国を追われ那須正太郎の元に来る経緯となる。



その斎藤家がいよいよ終焉を迎える。



斎藤龍興の稲葉山城は山城であり難攻不落の如く堅固な城であった、信長も何度攻め入るも撃退され進展が見られず時間だけが経過していた。


信長は敵の稲葉山城の足元、墨俣に城を、攻撃拠点を作らせるもその都度斎藤の軍勢に破壊され完成出来ずにいた中、木下藤吉郎が1566年に墨俣の地に砦を作り上げ城が完成する、これにより稲葉山城攻略の足場が完成し有利な戦いが出来る事になり、斎藤家に見切りを付けた国人領主達を味方に付け、8月に落城となり美濃平定となる。



フロイス日本史によれば(抜粋)。

信長は夜間、家臣の半分ほどをいったん後退させ、密かに敵の背後へ、龍興は信長の陣が薄くなった事を偵察させた、その結果自分に有利である事を知ると、進撃を開始、そこへ信長はあらかじめ作っておいた斎藤方の家臣の旗印を立て、龍興隊の背後に回り兵を移動させた、その兵達の旗印を認めると味方だと喜んだ龍興が陣地に誘い入れる形となり戦闘が開始された。


その味方と思った兵達が敵であった事で、両軍が戦端を開き、信長は龍興を挟撃して打撃を与え、稲葉山城へ突撃し、陥落した、こうして信長は美濃国を獲得したとある、龍興は数人の家臣と供に騎馬で脱出し京へ逃れたが、その後、堺へ移った、と記されている。


この稲葉山城攻略では木下藤吉郎が活躍したとされる。


これにより尾張57万国、美濃54万石となり合計、111万石の大国の領主となる、織田信長には同盟の三河国29万石の徳川家康がいる。


美濃を平定し名を岐阜と改め、稲葉山城を修築築城を行い岐阜城とし、この頃から天下布武の朱印を用いるようになったと言われる。



「良いな不破この話を纏めて来るのじゃ、今なら応じるであろう、浅井あざいが此方側になれば新たな道も開く、同盟の話は以前より使者を送り言質を得ている、市が嫁いで成立する事になっている、六角との戦いをしのぎ戦の才もある、儂の義弟にするに相応しい奴よ、早ければ早い程良い、不破この話纏めよ」



信長は浅井賢政に目を付けていた、六角家の従属として浅井家を下に置き近江国現滋賀県の支配を行っていた六角家、浅井家は淡海あはうみ現在の琵琶湖に面した領地を持っており、淡海を利用すれば一気に京近くまで行ける、豊富な漁から得られる恵み多い家であった。


浅井家は独立志向が強く、内政、武力と、どれをとっても申し分ない家であった。


浅井家を語る時必ず父久政と長政の親子関係が歴史物に描かれる、その際、父久政の手腕については見落とされ長政だけ悲劇の主人公として書かれる歴史物が多い。


浅井家の近江における地位を確実な物にしたのは父久政であり、特に内政と外交手腕に優れており、六角との従属関係では他の家とは違い、有利に事を運んだ浅井久正であった。


最後浅井家は信長と敵対し滅亡へと辿るが、何故多くの家臣が久政側に付き信長側である長政に付き従わなかったのか、結局のところ多くの重臣が久政が行った政を認めていたという事であり、家督を継いだから重臣が付き従うという事では無かった、仮に長政に多くの重臣が付き従っていれば滅亡とは違う道が開けたでろうと後日談として付け加える。


この年、永禄101567年9月に長政は信長の妹の市を妻とした、これにより正式に織田家と浅井家の同盟関係は成立した、浅井家の正確な石高資料が見当たらないが1570年当時として約40万石との資料を基準としたい、一説には60万石という説もあったが、多すぎる感もあったので40万石を採用。




── 正太郎の巡行 ──



宇都宮に向かう途中で佐野家の軍勢と遭遇し戦模様から今後那須と佐野家との誼を深める事となり事なきを得た、その日は宇都宮城に宿泊し、夕餉の後に懇談となり、城代の大関高増と代官の前当主宇都宮広綱から新しい田植えが領内で無事に行えたと報告を受ける事に、旧宇都宮領内でこの春に行われた田植えは新しい田植えであり、収穫増が見込める最初の年である。



「それは良かった収穫増なれば今年は宇都宮でも豊穣祭りは大いに盛り上がろう、芋とトウモロコシはどうであるか?」



「それも滞りなく進めております、烏山の祭りで食した者達が芋の美味しさとトウモロコシについて噂が広がっており、皆こぞって植えております」



「ほうそれなら安心であるな、困りごとはないかのう?」



「出来れば砂糖の量が不足しておりまして茶臼屋に言いつけても品不足で仕入れる事も出来ませぬ、どうした物かと!?」



「やはりそうであるか、麦菓子の普及で砂糖が足りぬのよ、油屋から仕入れてもあっという間に底をつくのよ、二カ月に一度船が来るのでそれを待つしかないのが実情なのだ」



「烏山の城には些か貯えがあるがそれでも七家に渡す程ないのじゃ、領国が大きくなり麦菓子が広まり砂糖が一気に減ってしまい皆同じ状況なのだ、打開策が無いのじゃ」



「若様砂糖はこの地では作れぬのですか? どこから油屋は買って来るのですか?」



「油屋の話では南蛮と琉球から買い付けていると、何でも竹に似た作物から砂糖が作れるそうだ」



「竹ですか? でも似てるだけなのでしょうね、琉球も大変遠くの国です、数年前まで砂糖は元々無い物でしたが、あれだけ麦菓子が普及されたとなると、一大事となります、困りました」



「取りあえず多く仕入れる様に申し付けておくので我慢してくれ」



戦国時代に砂糖が徐々に普及したとされる、その中でも那須が消費する砂糖の量は一向衆本山と同等であると油屋の話であった、一般の領民が麦菓子を求めるという事はそれだけ豊かになり石高に反映していると言える。


翌日は小山に、宇都宮と小山は大変に近く馬での移動であれば半日も掛からず午後には城に到着する。



「こんなに近いのか、烏山から芦野に向かう方が大変であるぞ、烏山の位置が宇都宮と小山側にあるという事か、どうりで十兵衛がいつも儂の側にいる謎が判明した、こんなに近かかったのか、十兵衛は城に帰っておるのか?」



「ええ、三日に一度は帰っております」



「では残り二日はどこで寝泊まりしているのじゃ?」



「それは・・・・いろいろで御座る」



「あっはははは、若様にバレましたな、あっはははは」



「和田殿は知っておったのか?」



「はい、十兵衛殿はその日その日の気まぐれで某の家、半兵衛殿の家、鞍馬の家、時には公家殿の家に寝泊まりしております」



「なんとそれでは、風来坊では無いか、この小山は誰が見ておるのじゃ、十兵衛は小山の城代だぞ不在でも大丈夫なのか?」



「若様ご安心下され、某の従兄と代官の小山秀綱殿が滞りなく政を行っております、従兄の明智光忠は内政に優れており問題ありませぬ」



「十兵衛の他にも家に帰らずふらふらしている者が他にもおるのか?」



「今ここに居りませぬが、太郎殿と一豊殿もふらふらしております、某忠義と義隆、福原は若様の館と城のどちらかで寝起きしております」



「なんで家に帰らぬのじゃ、どうしてじゃ? どうしてなのじゃ一豊!」



「若様も何れ妻を娶ればお判り申す!」



「余計判らん、では半兵衛そちはどうなのじゃ、百合を娶ったのだぞ、どうであるか?」



「某も皆と同じ様に家を出たいのですが、家に帰らないと大変なのです、あの大人しかった百合が・・・某の身に危険が及ぶのです」



「もう判らん、さっぱり判らん、梅なら判るか?」



「女子は殿方に昼間の出来事や家であった事などいろいろ話したいのです、それなのに酒を飲み勝手な話だけして寝るのです、きっと百合殿は寂しいのです、なのに話もせずに面倒がって外に出ようとするので半兵衛殿は怒りを買うのです」



「なんと今孔明の半兵衛が百合の怒りを治める事が出来ぬのか、全く考えてもおらん事であった、夫婦とは深いのう、そして怖いのう」




そんな話をしている内に小山城に到着し、広間にて明智一族、代官の小山秀綱が出迎えた。



「皆の者初めての者もおるかと思う那須正太郎である、今宵は世話になる、また日頃小山の地を滞りなく政をして頂き感謝致す、城代の十兵衛を我が重臣として暫し留守にさせ申し訳ない」




一通り挨拶を終えた後に。



「確か奥方の煕子ひろこ殿でありますな、これで三度目になりますね、十兵衛をお借りしており助かっております、この通りお礼を申します」



「若様・・なにとぞその様な事は・・夫十兵衛をお仕えさせて頂きこの通り感謝致します、勿体なくも今では城代など恐れ多い事です、若様に忠誠をするは当然の事になります」



「有難いお言葉助かります、先程道中で十兵衛が城に帰るのを三日に一度と申しておりました、詳しく聞くと、なんでも風来坊の如く色々な家で寝泊まりしておる様です、あっ、十兵衛下を向くでない。(笑)」



「それでこれより十兵衛に申し聞かせねばと思いましてお二人にお話し致します」



「某の父と母上ですが、用事が無い時、特に夕餉の後はいつも一緒の部屋におります、何を話されているのか判りませぬが、いつも一緒です、時に母上が般若の顔にて父上を追いかけております、しかし翌日には元通り一緒になります」



「母上は以前言っておられました、殿方は城にいる時が一番安心していられる様にするのが大切である、戦で外に出たらもう会えぬかも知れぬ、父上もその事を口に出さないが心得ている、一緒にいられる時を過ごすという事は共に生きているという証なのじゃ、と教えて頂いた、そこで十兵衛に申し付ける、月の内半分は城に帰り煕子殿と過ごす様に致すのじゃ、煕子殿どうか十兵衛の事をよろしくお願い致します。」



煕子37才、十兵衛が51才、しかし明智家にはまだ嫡子不在であった、話を聞き、これまで遠慮して主人の行動について何も言っては来なかった煕子であったが正太郎が母の話を通じ夫婦の姿について諭され、今までの考えを改める事とした。



「若様大変にありがたいお話しをして頂き感謝致します、これよりは主十兵衛が城に帰りやすい城となる様務めて参ります」



「皆も聞いての通りじゃ、一豊も判ったであろうな、奥方の元に帰るのじゃ、半兵衛も家出をしてはならん」



「某はまだ家出をしておりません。(笑)」



この夜も楽しい語らいとなり、翌日には十兵衛を小山に残し、白河に向かう、途中野営を行い二日後に白河小峰城に到着するも、正太郎はショックを受けていた、これは酷い、これは砦ではないのか? ここが白河結城家の居城とは、白河城城代、芦野家当主蘆野資泰も苦虫を嚙み締めた顔をしていた。



「若様この城を今修築しております、急ぎ行っておりますが本格的な普請は田植えが終わってからになります、寝泊まりは出来ますが今宵は芦野城にてお休み下さい」



「判った、普請するに費えが必要であろう、父上に伝えておく、これでは余りにも悲惨だ、当家が最初に手に入れたの奥州の地の城がこの様に小さく荒れておれば他家が何時狙って来てもおかしくない、苦労をかける叔父御殿」



芦野家当主の娘藤が正太郎の母である、近しい者達だけの時は叔父と甥の関係となる。



それにしても本当に白河結城家は貧乏であった、佐竹に棚倉まで攻め込まれており、その半分を那須に3万貫を支払っており、その3万貫を取った張本人は正太郎であった、心の中で儂が止めを刺してしまったと反省した。




芦野城でも先行き心配な話が持ち上がっていた。



「若、まだはっきりしませんが、どうやら又もや会津側で凶作となりそうです、昨年庇護した者達の話では田植えが終わって突如寒が戻り霜が降ったようで苗の半数近くが駄目になった様です、その後の天候も落ち着かず既に庇護を求めて来ている者がおります、会津領内全てがそうなのかは知りませぬが、那須に近い所では凶作の様です」



「なんとそれでは3年連続の凶作になるかも知れんという事じゃな、叔父御殿今までその様に3年も凶作など那須にありましたか?」



「3年はありませぬ、凶作の年の次にやや不作などありましたが、凶作が3年とは聞いた事ありませぬ」



「3年も凶作が続くとどうなると思われますか?」



「必ず一揆が起こります、米問屋を襲い、奉行所を襲い、城の蔵が狙われます」



「では領民に襲われるという事か」



「会津は24万石の大家ですが、今年の秋に収穫が見込めねば石高は18万石程度まで下がるでしょう、場合によってはもっと下がります、仮に18万石だとすれば、その18万石で領内全ての者に米は行き渡らず、その18万石の米を取り合う事になります」



「蘆名家の全兵力は8000程です、領民は15万はいるでしょう、足軽も領民側となれば圧倒的に領民が有利となります、しかし一揆で勝ち残っても待っているのは地獄だけです」



「そうなれば白河にも飛び火するのでは無いか?」



「何も対策を行わなければ白河にも、ここ芦野にも飛び火する事になろうかと」



「小太郎済まぬが配下の者達に会津領内の米の状況を確認してくれ、申達とも高林で合流する事になっておる、合流した後探ってくれ」



「叔父上の所には備蓄米はありますか?」



「今は結構どころか沢山ありますぞ、若のお陰で蔵に沢山ありますぞ」



「それを聞いて一安心じゃ、だが24万石の家を他家の米で救うという事はどう考えれば良いのか判断がつかん、昨年は1万石を安価で売ったが、今度は数万石という大量であろうし、取りあえず鞍馬達の報告を聞いて父と相談してみる!」








会津で又もや凶作?

三年連続って相当きついと思います。

それと十兵衛に跡取りまだ不在でした驚きです。

次章「母子」になります。

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