背中で語れ


「よし次じゃ、そう次じゃ、手が震えておる力をいれよ、よし次じゃ、大きく外れたぞ、よく的を見よ!」



正太郎の身体が10才の割には大きくこれなら本格的に弓の調練が出来ると判断し父自ら指導を行い始めた、弓は勿論大人の和弓である。



「父上、腕が上がりませぬ、手が震えて来ます、もうよろしいでしょうか?」



「儂がいいと言うまで続けよ!」



「構えよ、呼吸を整えよ、身体を動かすな、そうではない、足を大地に根を地に下ろすのじゃ、そうすれば身体が動かん、違う、腰から下、尻の穴を締めよ、そうそう、ゆっくり持ち上げよ、そうそう、矢を弦に、そうだ、的を凝視せよ、ゆっくり弦を引く、まだまだ離すな、弦をまっすぐに鼻の中心線に中てよ、矢を的の中心に合わせ、中心にあったら小指一本の太さだけ顔を上に向けよ、そうそうまだまだ、我慢我慢、震えるな、止まったら放て!」



「ほう、やっと満足いく試射が出来たでは無いか、あと10回忘れずにやるのじゃ!」



ぐったり疲れ切りいつになく厳しい調練を連日開始した正太郎。



「正太郎ここに座れ、その方もあと数年で元服じゃ、そうなれば将として戦場に立たねばならぬ、よいか、足軽の頭も騎馬隊の頭、荷駄隊の頭であれ、付き従う者達は皆頭かしらの背中を見ているのじゃ、その頭達がそれぞれ役割のある武将の背中を見ておる、その武将達が最後は大将の背中を見ているのだ」






「先程お主が疲れて腕が上がらないと言った姿を見た武将達は、大将が疲れている姿を見たら、命がけで戦う者達がその姿を見たらきっと悲しむであろう、其方を信じ命をかけておるのじゃ、戦とは苦しい物である、命が失われる悲しい事なのじゃ、それに耐え、大将を守り勝利を掴もうとする者達全てがお主の背中を見ているじゃ!!」



「どんなに疲れていようが、腕が上がらなくても、そこに踏みとどまるのだ! 最後の一人になるまで立っているのが大将の役目であり、それが護るという事なのじゃ、良いか調練は辛いであろうが、那須では全ての者が経験している事なのだ、その辛い調練に励んだ者達を支えている者が大将になるのだ、その大将が疲れたと言ってはならぬ、良いな、明日からは的を50間先にして行う」



「正太郎『男は背中で語れ!』その事忘れるな!」



「はい、ありがとうございました」



朝から三時間以上に渡る厳しい調練、父が伝えたい事を充分に理解しているものの、頭で理解する事と身体で覚える事は全然違い泣きそうになる正太郎。



「若様良き事で御座います、上達しておりますよ、大人の和弓です腕が痛くなって当然です、痛くなっているのが上達している証拠です」



「判っておるのだが、腕が痛くて箸が持てんのじゃ、何時頃になれば痛みが取れるであろうかのう、忠義の時はどうであった」



「そうですな~、最初は痛くて眠る事も出来ず、苦しんでおりましたが、その内痛いのが嬉しくなり、痛くて笑えるようになり、痛くて心地よい気分となり、何時しか痛みが無くなりました、今も時々多めに試射した翌日に腕に力が入らなくなります」



「相変わらず判るような判らぬような説明であるがきっとそうなのであろうな、父上を見てると、どうしてあの様に酔っておりながら、あのような危険な事が出来るのか、人殺しでもしたいのかと思う時がある、忠義も犠牲者の一人であったな」



「あの様に恐ろしい目に合うは勘弁して欲しいです、それも酔った時にやられるのでたまった物ではありませぬ、如何に弓に自信があるからと言って一歩間違えればお陀仏で御座る」



「喜んでいるのは七家の重臣だけである、白河も宇都宮も小山も佐竹ですら青い顔しておった、母上に至っては般若の顔から仏の顔になっておった、一番危険な仏の顔であるぞ、翌朝父上の目玉の周りが青く腫れておったわ、どうしたのか聞いたら無言でおったわ、どっちにしてもあれだけの腕前じゃ、儂も早く身に付けたいものじゃ」



「あの芸は身に付けなくも良いかと、親子で共演となれば母上であるお方様から二人とも顔中腫れあがる事になるかと思われますぞ」



「あははは、儂なら大丈夫じゃ、最初に逃げるわ、父上を置いて、父上に命令されたと言って逃げるわ、あっはははは」



「暫く調練を行うと言っておったので、ひと段落したら領内を見て回りたいのだがどうであろうか? 油屋も小田様の所に行ってしまったので城周辺以外の領内の様子をしっかり見ておきたいのじゃ」



「それは良い事です、私も芦野と伊王野以外はそれ程知りませぬ、大国になりましたので戦が無い時に各地を回り問題がありましたら改善が図れます、出来れば騎馬の従軍調練も行うはどうでしょうか?」



「ほう、それは良いかも知れぬ、儂の部隊も今では1000名を超えた特に太郎殿の槍の騎馬隊への入隊希望が増えたので良いかも知れぬ、父上に明日でも相談しておく、弓と槍の騎馬隊による連携は重要であるし絶対に行っておかねばならぬ」



弓の調練は5月一杯まで行う事になり6月初旬に宇都宮、小山に向かい日光へ、そこから白河から烏山に帰還する下野国を大きく回り一ヶ月の従軍工程とした、佐野と足利は那須の領内になっておらず旧来の形であった、足利は将軍家の関係したお家であり那須が盟主になるなど持っての外であり、那須でも足利を格上として尊重し遇していた、佐野家については宇都宮家と何度も戦をしていた経緯があり独立心強き家でありそれを尊重していた。



「よし本日より行軍を開始する調練ではあるが、領民を守る威厳ある兵士として振舞う様に、出立じゃ、宇都宮に向かって前進せよ」



宇都宮城城代は大関高増である、前当主宇都宮広綱は宇都宮の代官として職を与え1万石相当の禄にて大関の元で仕えている、戦で敗れたとは言え、八屋形の家柄そこは尊重し今後の貢献次第で大名へ復活出来るお仕置きをしていた、宇都宮領内の政も前当主宇都宮広綱を代官にした事で混乱もなく領内は安定していた。



正太郎の従軍規模は1200名からなる騎馬隊であり、ひと合戦出来る規模の軍勢であった、通過する道沿いの村々のへは通達をしており領民達が一目見ようと街道沿いに集まっていた、どちらかと言えば現代の駅伝選手を応援する観衆の状態である。



田植えも終わり稲穂も伸びて来ており山々は青葉が茂り梅雨前の過ごしやすい時期、宇都宮目前と迫る中、城から急ぎ注進が届いた。



「どうした何事であるか?」



「はっ、佐野方面より軍勢が宇都宮に向かっております、その数1500、戦支度をした軍勢であります」



「あっ、なんだと十兵衛、半兵衛、なんと読む」



「佐野の軍勢でありましょう、宇都宮とは敵対関係です、和睦を結んでおりませぬ、那須が領主となってもその関係は解消されておりませぬ、我らの軍勢を見聞きし戦と判断し、向かっておるのではないでしょうか」



「困ったのう、如何する?」



「戦になっても負けは致しませぬが無用な争いとなります、調度元幕臣の和田殿がおりますので、和田殿の名を使い仲介に入って頂くのはどうでしょうか? 出来れば相手が出て来ております、若様と正式に和睦を結ばれたら如何でしょうか?」



「成程、流石半兵衛じゃ、十兵衛今の半兵衛の話が一番良いと思うが如何である?」



「流石半兵衛殿です、一番良い形であろうかと思われます」



「よし、では和田殿那須の幟を持って使者として頼む、小太郎配下を五名程付けよ、我らは宇都宮城に入らず事の成り行きをこの先で見守っておる、宇都宮城には事を荒立てずに静かに見守る様にと伝えるのじゃ」



「判りましたでは行って参ります」




「某将軍家幕臣の和田である、使者としてまかり越した、この軍勢の主の元に使いに来た、対面を所望する」



佐野の軍勢も突如幕臣の使者が現れた事に驚き、陣幕を用意するので暫しお待ちあれと返事を寄越した、暫くして、年配の重臣と思われる者が、和田の前へ進み。



「某佐野家に仕える田沼と申します、陣幕整いまして御座います、和田様こちらに」



幕臣という言葉は将軍に仕える者であり時には地方の大名当主より立場が上となる、陣幕の中には床几が用意され、相手がたの主が座っており、そこへ手慣れた動作で床几に座る和田であった。



「それがし幕臣の和田惟政である、縁あって今は那須家の客将として身を寄せている、那須家嫡子正太郎殿より使者の役目仰せつかりまかり越しました」



「佐野家当主、佐野昌綱であります、して使者殿口上はどの様な事になりますでしょうか?」



「佐野殿でありますな、まずは対面頂き感謝致す、では率直にお聞きします、佐野殿の軍勢の行き先は宇都宮かと思われますが如何でしょうか? ひと合戦する程の軍勢であります」



「これは何を言われますか、宇都宮に向け大勢の軍勢が向かわれ我らに戦を仕掛けると判断し対処しただけで御座る、当家から戦を仕掛けるつもりは御座らんが黙って見過ごす訳には行かず、戦を行うなら当家は受けるまでで御座る」



「その潔し《いさぎよし》心意気大いに褒める事なれど那須の軍勢は佐野殿に向かってはおらぬ、調練の為に行軍を行っているだけである、佐野殿と争う気は非ず、此方にて事前に調練の事お伝えせずに申し訳なかった、配慮が足らず佐野殿に謝罪する」



「そうで御座いましたか、幕臣の和田殿から謝罪を受けるとは誉で御座る、ところで先程嫡子殿の使者と申されましたが、あちらに嫡子殿がおられるのですか?」



「はい、那須の嫡子正太郎殿になります」



「佐野殿嫡子よりもう一つ佐野殿にお伝えしたい事を授かっておる、申し述べて宜しいか?」



「何なりと」



「嫡子曰く、佐野家と那須はこれまでに争いは無く諍いも無い、宇都宮家と争いしていた事は知っているが今は那須が政を行っている、出来ればこれまでの経緯を和解し正式に和睦を行いたい旨を預かり申した、佐野殿のお考えどうでありましょうか?」



「宇都宮と和睦なればお断り致すが、那須との誼を深くするは願っても無い事である、既に敵となる宇都宮も無くなりました、今下野の国が平穏なる事那須の力で御座る、是非に誼を深く行いたい物である」



「お~お、これは有難い、これで少しは客将となり恩を返せた、忝い、先ずは正式に後日佐野殿に使者を遣わします、詳細はその時に致しましょう」



「うむ、判り申した、ところで何故幕臣の和田殿が那須にて客将となっておりますのか?」



「そうで御座いますな、確かに訝しい事で御座います、某京にて将軍義輝様が三好に討たれた時に那須の方々に助けて頂いたのです、那須の皆様が私を守り私は身を寄せたのです、今も京は政情不安であり、その様な事にて那須におります」



「そうでしたか、和田殿から見て那須とはどの様なお家で御座いますか?」



「一言で言えば大きい、何事にも大きく捉え、人の世の姿を求めています、人が人として安穏に暮らす世を作ろうとしております、その中心者こそ嫡子の正太郎殿です」



「興味深い話ですな、那須の家が数年で大国となり驚き羨ましくもあり、かと言ってどうする事も出来ぬ自分に歯がゆい思いを某はしております、本日ここまで来た甲斐がありました、その嫡子様に宜しくお伝え下さい、和田殿何れ又会いましょう」



「お~和田殿どうであった、些か長かったので心配しておった」



「はっ、佐野殿との話、問題なく済みました、佐野殿も和解の件も快くお引き受け致しました、佐野殿というお方は筋を通される律儀な方とお見受け致しました、あの方なれば間違いないでしょう」



「和田殿がそこまで言うなら安心した、では宇都宮城に向け出立しよう。」





そりゃそうだ1200もの騎馬隊が近づいて来れば戦だと思います。

それにしても幕臣という言葉思ったより使えそうです。

次章「美濃平定」になります。

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