母と子


── 那須駒の楽園 ──



那須の騎馬隊を支えているのは高原地帯にいる野生の那須駒である、具体的な統計数は見当たらないが、日本が幕末維新から移行する新政府の政策は、列強に対しての富国強兵が第一であり、それ以外の政策は二の次であった、その中で富国を支える重要な動物が軍馬であった。



軍の移動に人も兵糧も全てを軍馬に頼るという時代、その中で那須駒の果たした役割は大変に大きかったと言えよう、馬に頼る時代、日露戦争時にロシアのコサック兵に対して初めて日本にも騎兵と言う概念が生まれ活躍した話は有名である、その馬の生産地こそ那須が支えていた。



北海道の次に多くの軍馬を生産した地、ここに大正期の馬市で取引された頭数が判る資料があったので紹介したい、大正4年に那須地域で行われた馬市で2515頭が取引されている、昭和22年の資料では1591頭が取引されている、時代背景も関係あるが、実に那須という地は馬が沢山おり適した地と言えよう、では、酪農の牛ではどうなのか、現在でも那須町と那須塩原市の高原地域は酪農王国である、北海道の次に多くの牛がいる地域である、一時期北海道を抜く飼育数があったとされる、神戸牛など日本全国のブランド牛の子牛はこの那須からかなりの子牛が供給されている、ほとんどの人が知らない事実である。



牛のブランドは育てた地がブランド名になり、子どもが生まれた地ではない、子牛を競りで落とし全国各地に運ばれ、そこで育った牛が神戸牛などのブランド名になる、その子牛の親は那須で飼育され、その親から子牛が生まれ日本各地に送られる。



那須騎馬隊を支えている那須は、駒に恵まれた地であり、この意味は大変に大きい。



那須騎馬隊を増員するべく、那須七騎の家は、騎乗する兵達の調練に忙しい夏であった、小田家においても騎馬隊を大幅に増員する計画で1000騎の騎馬隊を目指していた、弓士というのは天性の才能も必要であり、誰もが狙えばあたるという代物ではない、幼い頃より弓になれ親しんで雉、鴨などを狩猟する調練に接していないと中々的に当たらない。



小田家と軍事同盟を結び、小田家の騎馬隊へ本格的に調練が那須の地で七家の協力の元連日行われていた、ここには正太郎配下の騎馬隊も同じく参加していた、騎馬隊を率いるのは山内一豊である。



山内一豊は本来、槍を得意としていたが、一豊には天性の才があり弓の才覚が開花していた、アウン、ウインは元々狩猟で弓の技を身に付けており槍も、槍投げも得意であり、戦士としてこれ以上ない強さを示しており、七家の兵達からも憧れる程の戦士として育っていた。



身体が大きい為に那須駒では、駒が小さく、時々騎乗せずに、騎馬隊と一緒に走って調練を行っていた。



正太郎配下の騎馬隊には一豊と同じく一隊を率いる事が出来る武将に芦野忠義と千本義隆の三人であり十兵衛はその騎馬隊全体に指示を行う指揮官に向いていた、課題は騎馬隊300名に対して騎馬隊を率いる武将が不足していた。



正太郎はまだ八才であり、騎馬隊の調練には参加していない、忠義も義隆も調練に出払っており、福原と時々半兵衛が忙しそうに駆けずり回っている、忙しい理由は、正太郎の我侭のせいである。




── 母と子 ──



江戸時代の将軍の様な御奥という感じではないが、烏山城にも当主資胤の奥方が侍女達と暮らしている奥ノ間がある、仕える侍女はおよそ15名程である、これまでは貧乏な家を支える慎ましい御奥であった、そこへ大きい領地を得た事により、国人領主達の奥方も何かと挨拶に来るなど、それなりに忙しい日々を過ごしていた、そんな中、正太郎が城の近くに館を構え生活の拠点を作った事で母親として、それなりに心配もしていた、だからと言って頻繁に様子を見に行く訳にも参らず主人である資胤に相談し、一つの解決策を行う事にしたのである。




「本当に良く来てくれました、女将に来て頂いて本当に感謝致します、しかし、女将自らお越し頂いて里の代表は大丈夫なのですか?」



「はい、いつかこの様な日が来るであろうと備え、私の娘に教育を施し準備をしてまいりました、この程、里を代表する表の顔に娘が伴を継ぎまして御座います、時々は様子見に戻りますが、私も自由に動ける立場になりましたので那須のお家に役に立つべくまかり越し致しました、よろしくお導きお願いいたします」



「そうでしたか、それなら安心で御座います、子が独り立ちするというのは、ホッとする所もあるのですが正太郎はまだ8才、この冬で9才です、本来であれば、まだまだ手元で育てる年ですが、母親から見てて、時々心が疲れていると見て取れる時があり悩んでいたのです」



「それはどの様な事なのでしょうか、差し支えなければお教え下さい、お方様の代わりに身近に接する立場になりますので、お教え下されば何かと配慮出来るかと思います」



「勿論です、伴殿には私が出来なかった事、特に心を、正太郎の心を軽くして頂ければ母親としてこの上ない事になります」



正太郎の母である藤は、我が子が5才の祝いの時よりあの不思議なる洋一から伝わる那須に取って一大事の事柄が伝わった頃から、独り悩み、やっとの思いで父に打ち明けその後平家の里を訪れる中で、伴に本来であれば5才という幼き時は父や母に甘え、我侭を言っては親を困らせる楽しいひと時の時期です、それが正太郎には出来なかった、出来なくなってしまったのです。



那須の将来について僅か5才の子が途轍もない重しが正太郎に降りかかったのです、幸い父上に細かい事柄も相談し事なきを得ていますが、主人がいなかったらその重しに負け潰されていたでしょう、5才という甘える時期を逃し、今日まで来ておりますが、正太郎は普通の子です、特別な子供ではありません、しかし、普通の子が皆様の前では特別な子として見られ、本人も特別な子を演じています、私には解ります。



特別な子を演じなくては、自分が保てないのです、幼い頃よりそうせざるしか無かったのです、小さい心が悲鳴を上げています、小さい心が苦しいと叫んでおります、話を聞きながら伴も母の藤も涙を流し話していた、子が苦しむ姿、子の心が壊れるのではないかと言う姿を見届けなければならない母親の心も悲鳴を上げていたのだと理解した伴であった。



正太郎は那須の重臣達と話す時も自分を大きく見せ、安心させねばならないのです、本当に苦しいと思います、ただ幸いに独りに籠らず困れば父に相談したり、周りに者に意見を求めており、領民と接する時も身分を問わず話が出来ておる事が正太郎の心を軽くしております、きっと自然に身に付けた事なのでしょう、自分が苦しい分、周りの者の笑顔が正太郎の心を軽くしているのでしょう。



間もなく9才になります、益々母親から離れていくでしょう、私に出来る事は益々限られて行きます、この思い、母が子を思う心、伴殿のなら充分御分かり頂けるでしょう、里の者達の代表として苦しい姿を見せる事が出来ぬ立場であり、多くの親無し子を慈しみ育てた伴殿ならお判り頂けると安心しております、どうか息子の事を見守り時には厳しく接して頂きたい、この通り心よりお願い致す、と伴に頭を下げる奥方であり、そこには一人の母親としての姿であった。



この日の烏山城奥にて語られた正太郎の母上と平家の里表側の責任者であった伴との語ら部は女性として、母としての慈愛の情を正直に述べ、あたかも正太郎の行く末を共に見守って頂きたいとの心情が、奥底には息子を愛しどこまでも母が守るという強き意思を固める場でもあった。



話を一通り終え、これからの那須の奥は益々忙しくなると見えます、伴が選びし奥に仕えるに相応しい侍女2名を平家の里より連れて来ていた、この者は鞍馬に者に仕えており忍びの者になります、奥方様の身もいよいよ大事になります、何かとお役に立つ者で御座います、どうぞ奥にてお傍に置いて下さい、と、伴なりに将来を見据え手配であった。





── 母と正太郎 ──




その日の夕餉に正太郎は城に呼ばれ母と共に夕餉を取る事になった、その前に母から正太郎の館の事について話がさなれた。



「正太郎昼間竹太郎と村に行き新しい芋が出来たそうですね、竹太郎が嬉しそうに話しておりました、良かったですね、これからも時々竹太郎を伴って外に連れ出して欲しい、甘えてばかりで中々外に出ようとしなかったが、今日は兄と一緒に村を見回ったと、美味しい芋も食べたと喜んでいた、時々で良いので頼みますよ、それと正太郎の館の事だが、色々と新しい者達の出入りも多いようで、これからは益々増えてこよう」



「そこで、館にはしっかりとした侍女が必要と思い、母からの願いであるお方を館全体を見守る侍女を用意した、これは母からの差配で行いました、正太郎がいずれ元服するまでは何処までも私の子である、その侍女を母と思いなんでも語らい館を守るが良いです」



「はい、母上のお言いつけありがとうございます、竹太郎の事はこれからもお連れしますのでご安心下さい、しかし、その侍女なるお方は、一体どなたでありましょうか?」



「某が気を使う方はご遠慮したいのですが、それに百合や梅もおれば、忠義、義隆、福原もおれば特に何も困ってはおりません、どうかその侍女の件はなんとかなりませんでしょうか?」



「では今から呼ぶゆえ、侍女を見てから正太郎が判断すれば良い、良いな」 



「はい」



「侍女殿をここへ」




襖が開き侍女2名が入って来る。



「暫くです、若様、正太郎様、侍女の伴です」 



「えっ・・えっ、伴殿が侍女なのですか?」



「はい、私、伴がこの度、館の侍女長になります、ここにいる妹の松と一緒に館に仕えます、正太郎様、仕えてよろしいでしょうか」



「母上もお人が悪い、最初から伴殿だと紹介して頂ければ良いのに、本当に伴殿に来て頂けるなら大助かりです、ですが、本当によろしいのですか? 平家の里はだれが見るのですか?」



「私の娘が伴を後を継ぎます、よって私は自由の身となり、若様の元に来たのです」



「そうでしたか、それは良かったです、天狗殿も何かと此方に来る用事があるので偲び無かったのです、館に伴殿がおれば安心いたします、それから母に相談したかった事があったのです」




安心した正太郎であった、話が弾む語らいの日となった。




母親とは、今の時代も・・・・なのですね。

次章「牛乳で強靭化」になります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る