生々流転と輪廻


「それでは某の客将で兵法家がおります、若様に紹介致しましょう、その兵法家の師匠が私の父上と懇意にしておりまして、御弟子の方が今もおります、某程度の腕では太刀打ち出来ない御仁で御座います」



「お~では長野殿のお家におられるのか、弓の修行は幾らでも出来るのだが、中々剣を教えて頂ける御仁がいないのだ、槍も沢山おるが剣がいないのじゃ」



「だがそのお方は背丈が大きく力が強く、腕の太さは見るからに丸太で御座います、太刀を受けますと骨に響きます、若様の身体がもう少し大きくなってからの方が良いかも知れませぬ」



「あのアインとウインに比べてどうなのじゃ?」



「背丈は少し下がりますが同等の体つきかと思われます、恐ろしい御仁になります」



「名はなんと言う方で御座るか?」



「駒川太郎左衛門尉国吉という者になります、剣は勿論、十手、薙刀、小太刀、草狩鎌、棒術、何れの得物でも操れるお方です、師匠は新陰流創始者・上泉信綱になります、剣聖と呼ばれたお方にから免許皆伝を受けたお方になります」


「ほうそのお師匠様の上泉殿はどちらにおるのですか?」


「父上が亡くなりお弟子さんを連れ諸国へ修行に行くと申しておりました、管領の上杉様とも親交がありましたので何れ当家か上杉殿の所に向かわれるかと思います」


「では儂の身体がもう少し大きくなったら駒川殿に是非ご教授願いたいとお伝え願いたい」



「判りました」




 ── らへん にあり ──




「公家殿元気そうで何よりだ、時告げ鳥の件、母上も喜ばれている、お陰で『那須プリン』が徐々に広がっている、公家殿が来られてより風聞に惑わされずに良い物は良いという事が自信をもって言える」



「若様・・・何か悩み事でもおありですか?」



「公家殿どうしてそのように思うのじゃ?」



「なんとなくで御座います、某は医道全般を学ぶ者です、食が細ければ身体をみれば判ります、食に問題無ければ私は相手の顔を見、目を見、瞳を見ます、若様の瞳は揺らいでおります、ですから悩みがあるのかと、間違いであればそれはそれで問題ありませぬ」



「怖いお方であるのう、公家殿は人の心も診断するのであるな」



「人の心は常に何かを考え揺れ動いているのです、その揺れは自信に満ちている時もあれば、自信なく揺れ動いておる時もあります」



「もう少し教えて頂けないか?」



「では少しお教え致しましょう」



「人を色々と判断致します時その者の健康も含め心の状態も含め一尺の顔に現れます、ですから医師は必ず顔色を窺い状態を見ます、顔色を見た上で眼を見ます、その眼には心の状態が現れます、目の中心の瞳が何かを呼び掛けておるのです、例えれば魚をつりあげた時の新鮮な魚の目は元気そのものであり、身体も逃げようと暴れております、その時の目は輝いております」



「しかし、その魚も時間が経ちますと目の色は光を失います、生きていても目の色は徐々に白くなります、やがて目から光が無くなり魚の寿命は尽きます」



「人の目も基本は魚と同じです、ただ人には心があり日々生活の中で喜怒哀楽があります、その喜怒哀楽が目に現れるのです、それ程瞳を見るという事は診るであり、観るでもあり、看る事でもあるのです」



「公家殿にはいつも感心されられる、逞しいのう、儂も見習いたい」



「では最初に戻ります、若様何かお困り事など悩みはありますか?」



「なんか寂しくてのう、何がどう寂しいのか分からぬが、佐竹殿の父上が危ないと聞き、判ってはおりましたが、知りおうた者との別れが寂しく切ないのじゃ!」



「そうで御座いましたか、心が痛むのですね、別れと出会いは双極にあり、別物と思われがちですが同じ物と某思います、心は一瞬にして両方を感じる事が出来ます、若様の悲しい気持ちと義重殿の感じる心は違っている事でしょう、義重殿の心には喜びの心もあるかと思います」



「義重殿の心には戦の世でありますが安生として別れを看取れるのです、最後の孝行が行えるのです、捉え方一つで感じ方も変わります、勝手な判断はなりませぬ、突如戦場で別れる者もおります、それであっても勝手に判断してはなりませぬ」



「相手が喜んでおれば一緒に喜ぶのです、悲しんでおれば寄り添い側にいてあげるのです、人の世の幸せとは遠くに無く『らへん』 にあるのです、足元にあるのです、喜怒哀楽は らへん にあるのです、若様は らへん を見据え政を行うのです」



「らへん であるか、身の回りに喜怒哀楽があり足元を大切にせよという事であるな」



「そうです、折角なのでもう一つ教えましょう、あの池にいる鵞鳥をよく観て下され、ゆっくり池を泳いでおります」



「鵞鳥と何か関係あるのか?」



「関係大なのです、悠々と池を泳いでおりますが池の水の中ではどうでしょうか? あの鵞鳥は足を常に忙しく動かしているのです、ゆったりと悠々と泳いでおりますが、水の中では必死に動いていたのです、民百姓も我らには笑顔で接しておりますが、目に見えない所では必死に生きておるのです」



「ですから上に立つ者は悲しい顔を滅多に見せてはなりませぬ笑顔でならねばなりませぬ」



「なんか話している内に元気が出たのか判らんうちに霧散してしまった、公家殿は悩みや悲しみなど無いように見えるがありはするのか?」



「某は医師でもあります、常に喜びと悲しみに触れております、特に最近は蘆名の飢饉で苦しみ餓死した者を看取り、命について問答をしております、最近その悩みの中で見えて来た物があります」



「どのような物が見えて来たのであろうか?」



「それは命とは生々流転の輪廻という事で御座る、命とは死ねば無くなると思うていたがそうでもないように思える時があります、人は生きて来たような死に方になるのではないか、生きて来た証がその人の死に様ではないのかと、しかし一度だけの死で判断出来る程簡単な物ではないのかと言う事を考えました」



「その為に輪廻という考え方が仏の教えにはあるのではと、自らの行いが自らに巡る、生も巡り死も巡るのでないかと今は思えます、それは生々流転であり輪廻という事があるのではないかと、ですから悲しい別れであってもその者の死は別の命となり蘇り又歩めるのではないかと今は思えてなりませぬ、人の死を多く見た事で行き着いた考えではありますが、そうでなければやり切れませぬ」



「仏が説いた輪廻について命あるものが何度も転生するという教えについてやっと理解出来る様になりました、命は紡がれ新しく生まれ新しい歩みを始めるのだと判ったように思われます」



「某には難しい話であるがどうしてそう思うのだ」



「そうですな、身近な例では、父上の資胤殿と正太郎殿は顔まで似ております、忠義殿も父上と似ております、その父上殿もおじい様と顔が似ております、女子も母親に似ている者も多くあります、これなども命が繋がっている証でしょう」



「確かに父の若い頃にそっくりだと言われる、最近は性格まで似ていると皆が言う」



「実は獣も同じく親に似ております、一見すると皆同じに見えますが、獣もそれぞれ違っております、大人しい奴もおれば気性が激しい獣もおり同じ獣の種類であっても違いがあり、やはり顔付など親に似ております」



「輪廻であるか・・・それが本当であれば、又、生まれて来るのであれば別れだけでは無いという事であるな、出会いがちゃんとあるという事であるな」



「公家殿ならではの話であるのう、某もあと数年で元服する、戦に参戦する事になります、さすれば死という事に直面する事になります、今は公家殿の話された事はまだ分かりませぬが、是非にも人の命が流転するのであれば、新しい命で誕生した世では戦で亡くなるのでなく誰もが天寿を全う出来る世にしなければならぬ」



「若様の元服は間もなくで御座いますね、父上も待ち遠しく心待ちにしておるでしょうね、そうなりますと元服の次は結婚となりますな、そして次は若様のやや子ですぞ、どんなやんちゃが生まれるやら楽しみが続きますな、あっという間で御座いますぞ」



「それはそうだが早すぎるであろう、元服しておらぬのにやや子まで、困った御仁である」



「今年も新しい田が増えております、楽しみで御座いますな」



「まあーそうであるな、帆船も順調のようだ300石の帆船なのだが大きさは和船の500石船程あるそうだ」



「それは楽しみですね、その船であれば以前話しておりました遠くの島に行き砂糖を作れるようになれば良いですね」



「それなのじゃ、砂糖が品不足で麦菓子が作れなくて菓子屋が困っておるのよ」



「九州西国から奴隷となるのを逃げて那須に来た者も昨年から3000人は来ておる、油屋の話ではもう1000人程送ると文が来ておる、領民も増えて来ており良い事なのじゃが一番困っているのが砂糖なのじゃ、小田殿北条殿に砂糖を広めた事で品不足で高値になってしまった、公家殿に何か良い知恵は無いかのう?」



「少しお待ち下され・・・・これですが、ここに書かれている通りに作れば麦で水飴が作れます、砂糖より甘くは無いと思われますが、水飴であれば、それなりに甘いかと思われます、そこそこ代用出来るかと思われますぞ」



「麦で、あの麦で水飴が作れるのか?」



「某作った事はありませぬがここに作り方が書いてあります、飯之助であれば問題なく出来ましょう、この本を御貸出し致しますので試して下され、麦なれば沢山ありますぞ」



「お~水飴があれば麦菓子に入れる砂糖の代わりに・・・いやまてよ、麦菓子も麦じゃ・・・・砂糖が本当に必要なのか?・・・そんな事儂が考えても判らん、飯之助に任せよう、とりあえず急場がしのげるかも知れん、公家殿これは朗報かも知れん、助かった、これより伝えて来る」



「はい、お気をつけて!」



若様は多感な時なのであろう、悩むと言う事は前に進もうとされているのであろう、お忙しいお方じゃ、砂糖の事位他の者が考えねば身体が持たん、十兵衛殿に伝えて改善を図らねば!





── 天寿 ──




「尼御台あまみだい様 尼御台様 氏真で御座います、お元気を出して下さいまし」



「お~氏真・・・間もなく妾は其方の父上と我が夫氏親殿の元に参る、可愛い其方を残すは不憫なれど天命には抗えぬ、氏真よ、領地替えをしたは今川を守る為じゃ、儂が亡くなった後、武田は新盆を経て最初の彼岸が終われば秋の収穫を行い攻めて来るであろう、既に北条殿とは対策を整えておる安心するが良い」



「婆様、私が至らずこのようになりまして申し訳ありませぬ」



「そうではないのだ、今川は足利家に縁する家として格式があるにも関わらず数得きれない戦を行い、累々に渡り武田と似たような事をして来た業が其方に降りかかったのじゃ」



「良く聞くのじゃ、氏真よ、其方は政の才は凡ではあるが、芸事は今川にあって抜きんでている右に出る者はおらぬ、政は北条殿を頼るのだ、其方には芸事があるゆえ、今川の家格であれば公家の家として生きる道もあるぞえ、公家であれば今の領地で充分な手当てを作れる、帝を支えるという大義も得られる」



「武家として生きるは辛いであろう、武田との戦が落ち着けば其方の道は開けるであろう、だから安心するが良い、それと其方には伝えておらぬ事がある、儂が亡くなりし後に北条氏政殿を訪れるが良い、今事の成り行きを伝えると其方の身に危険が及ぶやも知れぬ」



「なんとお婆様は、そこまでのお考えをしていたのですか、判りました、北条家を頼ります、その後の事は今は判りませぬ、それと私の身が危ないから言えぬ事があるのですね、その事も後にお聞き致します、もう何も心配なさらないで下さい」



「尼御台様、お婆様~・・・・」



「もう行くが良い、太原雪斎の経が先程から聞こえておる、私と色々と話をしたいようじゃ、氏真何も心配はいらん、安心して進むが良い、お別れじゃ!」



「・・・・・・・」



寿桂尼じゅけいに永禄11年3月14日今川氏親の正室、藤原北家、勧修寺流の中御門家(公家)の出自、父は権大納言中御門宣胤、弟に中御門宣秀、妹は山科言綱の正室・黒木の方、子に今川氏輝、今川義元、瑞渓院北条氏康室などがいる。


病床にあった夫の氏親を補佐し、十年余の間、病床にある夫を支え、大永61526年4月に制定された今川家の分国法『今川仮名目録』は寿桂尼とその側近が中心となって作成したとされる。


この分国法を作った事で今川家は将軍家の差配を受けず、独立国家今川家の道を歩み天下を目指す事になったと言われている。


『死しても今川の守護たらん』という遺命により、今川館の鬼門、東北の方角にあたる自らが開基した龍雲寺(静岡県静岡市葵区沓谷)に埋葬された、推測すると年齢は80才代中ごろとされる、戦国大名今川家を支え、戦国期を代表する女性の一人であった、激動期を女性の身でありながら駆け巡った波乱万丈の生涯であった。



武田信玄、織田信長、徳川家康を題材とする作品に必ずと言ってよい程、登場される寿桂尼。

ここに寿桂尼は永眠となる、戒名は「龍雲寺殿峰林寿桂大禅定尼」安らかな眠りであってと願う者である。






幸せは 『らへん』 にありという言葉があるそうですが、らへん という言葉を人生で初めて使い書きました、あっ? あれはどこの引き出しにしまったかな? そこらへん にあるよって使い方でも間違って無いですよね? どうやら結構 らへん って言葉使っていたようです。(笑)

次章「堺危うし」になります。

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