一閃と朧


「小太郎これを知っておるか、最近練習している技なのじゃが、今一つ要領が掴めぬのじゃ、忍びの技にありそうであると聞いてのう、ちょっと教えてくれぬか」



「もう一度見せてくれませぬか?」



「いいかこのように動くようなのじゃ、それともう一つこれじゃ」



「それはあれかも知れませぬ、天狗に伝わる一閃の動きかも知れませぬ、今行いますので見ていて下され、良いですか、この姿勢から、さっと~っと、一瞬で動きます、これでしょうか?」



「お~それそれそれだぞ、その動きである、今一度見せてくれ」



「では、こう頭を下げながら姿勢を屈めます、すると勝手に身体が前に進みます、こうです、この姿勢から、さっと~っと、一瞬で動きます」



「お~やはりそれだ、その動きを覚えたいのだ」



「では、この姿勢を行えるように何度もやって下され」



「よし分かった、なんと言う名前であったか?」



「一閃と申します、忍びによっては紫電と呼ぶ者もおります」



「忍びであれば誰でも出来るのか?」



「この技を使う者はそれ程おりませぬ、鞍馬でも数名だけです、某の場合は一通り覚える立場なので使えますが、中々使う場はありませぬので、今では数名となります」



「ではこの動きはどうであるか?」



「・・・・なんでしょうかその変な動きは? 歩いているのですか?」



「なんと言って説明してよいのか分らぬが、歩いていながら後ろに下がるのよ」



「前に歩いていながら下がるのですか? そのような動きは忍びにありませぬな」



「前に歩きながら下がるとなれば『朧』と言う名がよろしいでしょう」



「『朧』とはどんな意味なのか?」



「『朧』とは月の光がぼんやりとかすんでいるありさま、その姿はっきりと判らず、曖昧な、不確かな動きを表しております」



「まさにその動きよ、私が見た動きはまさにそれよ、人の動きではない『朧』よ」



「よし必ずや『一閃と朧』を我が技として身に付けようぞ!」



『一閃』とは洋一が古武道の師範から習った縮地である。



縮地の特徴は身体を前に倒し前傾姿勢をとる事で自然に足が前に出る、本能と身体の機能を生かした技である、人間は走る時に、走るという姿勢に入る時に両足に力を溜めるという動作を行うが縮地にはその溜めの動作が無くいきなり全速力の速さに到達する技と言って良い。



合気道には攻撃をさせる、その力を利用するという円転の理が基本にある、空手とは違い攻撃する側ではなく相手の力を無力化させる、攻撃する力を応用し組み伏せる、その動きの中心は自分であり『円転の理』という円の中心に自分がいる、縮地は一瞬にして相手の懐に入り、その懐で円転の理を使い無力化させる事が出来る技である。


その技を弓に応用しようと洋一は一年以上かけて縮地を身に付けたのである。


相手が剣であれば一瞬にして一間以内の間合いに、槍が相手であれば3間以内の懐に入り相手の武器を無力化にする技として伝えたのである。


『朧』は玲子の得意とするマイケルの得意技ムーンウォークである、足を交互に滑らせ、前に歩いているように見せながら後ろに滑る技法である、玲子は全国大会に出る程のウォーカーである、この技も正太郎に教えるようにと玲子が嫌がる洋一に無理やり覚えさせたのである。



役立つかは別であるが伝わった以上覚えなくてはと練習する正太郎であった。

1568年『一閃と朧』が伝わった記念の日となる。



1568年2月8日、足利義栄は三好三人衆と松永久秀による働き(朝廷への大量の銭を献上を行う)で室町幕府第14代征夷代将軍の宣旨を受け正式に将軍となった、三好と松永による傀儡将軍の誕生である。




「では徳川様、寿桂尼は間もなくであります、約束通りよろしいですね、亡くなれば徳川様も最早今川に遠慮する必要も無くなります、これにて同盟を結び遠江と駿河を分け合いましょうぞ」



「間違いなく武田殿は我らと敵対ではなく同盟を行い今川を遠江と駿河より攻めると言うのであるな、我らが遠江を獲れば徳川の領地という事で宜しいのですな」



「その通りで御座います、我らも今川家とは何かしらの縁が御座いますが寿桂尼が無くなればこれまでの縁が無くなり遠慮する必要が御座りませぬ、あの氏真の代わりに領を治めるは民の為になります、むしろ今川義元様もその方が喜ばれるで御座いましょう」



「確かに氏真は逆恨みを行い罪なき三河の質を多く殺した、意見する重臣も殺めておる、義元様が知れば嘆く事間違いなし、草葉の陰より民が平安なるを願っているであろう、よし誓書を交わし盟を結ぶと致そう」



これにより永禄111568年2月、武田氏は徳川氏と同盟を結び、駿河・遠江を東と西から攻め取る約束を交わした。




── 諜報 ──



「若様那須の家も大きくなり近隣諸国への対応も含めこれまでとは違いきめ細やかな動きが必要になります、今は和田衆もおります、若様がその都度指示を行っていては大変で御座います、そこで和田衆は主にこのように動いて頂き情報を得てはどうでしょうか?」



「怪しまれずに行うにはどうすればよいかのう、自然に入り込め世間話をするようにその情報とやらを得る事が出来ればいいのだが」



「ではこちらをご覧下さい」



「なんだこの箱は? くすり と書かれておるのか、この袋は~~頭痛と書かれておる、こっちの袋は、腹痛と書かれておる、これは食あたりである、こっちは喉痛と書かれておる、この油紙は傷あてと書いてあるのか、薬の入った箱であるな」



「はい、薬の入った箱になります、この箱を先ずは村々の長の家に渡すのです、定期的に訪れ使用した分だけ費用を要求致します、くすりはどの家でも中々持ってはおりませぬ、薬を常備させる事で定期的に訪問が出来ます、箱の裏書に錦殿の名を書いておけば相手も公家の家で行っていると安心されるでしょう」



「それは名案ぞ、定期的に同じ者が薬を使用した分を補充しに訪れ親しくなれば世間話も増えよう、中には拾いもんの話も出て来る、身分ある家にも侍の処にも出入りが出来る、箱には錦小路殿の公家の官位等書かれておれば相手も安心するという事か!」



「これは使えるぞ、流石天狗殿である、そうなると遠くへ行く者には薬の補給を受ける拠点が必要であるな、態々那須に戻らなくても拠点があれば動きやすくなる」



「しおやを使いましょう、しおやは常陸の商屋という事になっております、そのしおやの出店を数ヵ所作ります、しおやは我ら鞍馬の者が商人と称し商いを行います、そのしおやと薬売りが、薬を補充する出先の店として利用し得た情報をこの烏山に届けるようにするのです、和田衆は近江に残っている者達も多く京周辺の動きは近江にいる者達に、こちらにいる和田衆は東国と陸奥、西は尾張、美濃へと動けます、既に甲斐にはしおやの店があります」



「若様が未来の洋一殿からえる知識と我らが行う現地から得られた情報があれば何かと正しい手が打て、災いを防ぐ事が出来ます」



「そこまで考えおったのだな、しおやの出店を出す場合であるが鞍馬の人数は大丈夫なのか? 以前は40人程しかあらなかったが増えたのであるか」



「我らが若に仕えてから6年になります、今は60名を超えております、出店には手練れの頭を1人、若者を3名付けます、小者などは現地で雇います、さすれば五ヶ所は作れます」



「鞍馬と和田衆の役割を明確にし棲み分けを行うという事でより我らも和田衆も働きやすくなります」



「和田衆は近江に40人程残っており、那須には100人程来ておるからその内の半分程がその任に就けるであろうか、さすれば相当内側に入る事となり詳細な情報が得られるかも知れぬな」



「はい、仮に70名の者が1人200軒を二ヶ月に一度薬を置いてある家に出入りすれば14000軒の家に年六回訪問する事になります」



「それは恐ろしい数であるな、このように似た事をしている家はあるのか?」



「信玄が行っている歩き巫女がそれになりましょう」



「そうであった、だがその薬売りなれば歩き巫女どころではないぞ、薬売りではあるが忍び本人が売り歩き家々を出入りするのである、くすりは足りるのか?」



「このような時に使用出来るように鞍馬の里で増産をしておりました、公家殿の薬園もどんどん大きくなっております、そろそろ増えすぎて困っている頃です、見てますと増えすぎており食しても問題の無い薬草を鵞鳥と時告げ鳥に与えております」



「確かに公家殿は際限なく自由にやっておる使用人も30人以上になっておる、昨年赤子が生まれたが又もや奥方にやや子を授かったそうな、来客用に宿泊出来る館と病人が治癒出来る館もあり今では儂の処より賑やかである、たいしたお人であった」



「では天狗殿、和田の頭領と公家と図ってこの話を進めて欲しい、くすりの箱は漆も塗り綺麗にして家々で宝物のように常備してもうおうぞ、塗師にも伝えてくれ」



「判り申した、準備出来次第そのように行いまする」




── 悩み ──




「父上、幻庵様が不在であれなのですが、某の事で相談したき事がありまして、少しよろしいでしょうか?」



「氏政よ、いつになく殊勝な物言いであるな、相談であればなんなりと話すが良い」



「実は某の奥である黄梅院の事になります」



「喧嘩でも致したか?」



「そんな事ではありませぬ、某の奥は武田信玄の娘で御座います」



「それで?」



「だから某の奥は信玄の娘であります」



「そんな事は最初から判っておる、だから次を早く言わぬか」



「ですから妻は信玄の娘になります、武田家と間もなく手切れとなります、さすれば某は黄梅院を武田の家に戻すべきでしょうか? 些か思案が纏まらず父上に相談すべく話したのです」



「はあ? 言いたい事は同盟が手切れとなるのでお主の奥方とも手切れした方が良いかと悩んでいると言うのか?」



「はいその通りで御座います」



「はあ~小さいのう、小さい小さい、お主は北条家の当主ぞ、当主が悩むような事柄では無い、武田と手切れとなればと言って、なにゆえ妻である黄梅院と手切れをしなければならないのだ、では黄梅院の父親は信玄であるが、母親の三条のお方はどこにおる?」



「母親は那須におるではないか、信玄の息太郎も那須におるぞ、その妻の嶺松院も那須におるではないか、態々武田に返して何になる、本人がどうしても帰りたいと申すなら考えぬ訳もないが、問題も起きておらぬのに、何が戻すべきでしょうか? だと、そのような小さき事で悩むお主を武田にあげたいわ、儂の方が頭が痛くなってしもうた」



「では某の心得違いであると申されますか?」



「心得違いそのものよ、幻庵様が聞いたらお主を殴り飛ばす所ぞ、武田の娘であれば出自の家と手切れとなれば心苦しいはずじゃ、労わってやるのがお主の務めでは無いか、それが主人の務めでは無いか、よいなこれが儂の答えぞ、後はお主が考えよ」


「判り申した、では某が考え答えを出しまする」


史実では北条氏政の奥方黄梅院は、武田家か駿河侵攻を行い北条家と手切れとなり、裏切った武田家に怒り、信玄の娘である黄梅院を武田家に返すのである、北条家を追われた黄梅院は失意の底武田家に戻り、出家するものの、僅か半年後には生きる希望を失い亡くなるのであった、享年27才という若さであった。(所説あり)






『一閃と朧』かっこいい名前ですね。

次章「生々流転と輪廻」になります。

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