懐柔策


那須の地より急ぎの知らせが信長の元に届いた、知らせた者は滝川一益、その文に書かれていた内容は那須家に織田家の情報が洩れており織田家の内情が知られているであろう事、那須家に織田家から追放された佐久間信盛が仕官しており重役に取り立てられている事が書かれていた、また、北条家、小田家の三家連合の要の家が那須家であり、現当主である那須資晴こそが中心人物と書かれていた、他にも織田家に対しては今のところ支持しており反対側では無い事が書かれていた。


那須家に佐久間がいた事に信長も、しまったという後悔の念が、考えたら織田家の実情を誰よりも知る者であり、配下の重臣たちの事も良く知り尽くしている、佐久間が那須にいるという事は織田家の内情が全て露見されており、感情の赴くまま佐久間を追放した事を後悔した信長、こうなれば必ず那須をこちら側に引き込み懐柔する事が最善と考え判断した。


滝川からの文が届き、急ぎ那須家の三家が宿泊する館建築を命じ、あたかも織田家は三家を向かいいれる事にこれだけ尽くしているという姿勢を見える形で行うことにした、それと北条家との緩衝地帯で役立っている家康にも招聘之状を出す事にした、さらに三家の当主には朝廷に諮り官位を賜れるように事前に手配した、官位の手配は近衛を使った、一連の指示と動きは即決に判断し、三家、特に那須家を懐柔する策を取ることに舵を切った、当初の予定では田舎者の大家など安土城に招聘すれば簡単に足下に膝くであろうと甘い見通しで在ったが佐久間がいた事で用心した手配となった。


この時の織田家の実態は長きに渡り戦が続いており、家全体が戦疲れという奇妙な厭世気分が慢性していた、いろんな意味で消耗された状態であり元気な者は秀吉位であった、そんな中だからこそ三家を招聘し、東側全体を織田側の支配下に置き、毛利と九州に当たらせようと腹の中で探り練った策であった、この事は滝川にも話しておらず、形式上は三家の努力で東国を戦のない地域に纏めた貢献を寿ぐ為の御礼の招聘であった、その目論見が簡単には通じないかも知れぬと判断し信長は指示をだした。




── 埋伏の毒 ──




「近衛様、信孝殿より文が届きました、こちらをご覧下さい!!」



「ほう明年5月に安土の城に那須家北条家小田家の当主が来ると書かれておるな、いよいよ信長は三家を引込むと決めた様じゃな、三家が織田に付けば天下は信長の物になる、なんとか防がねばならぬな、ここは儂自ら動くしかあるまいな!」



「如何致すのでしょうか?」



「信孝はこちら側と言っても良いが信長を支えている5将を狙う、5将の誰か一人でも欠ければ大きい力を失う事になる、信長本人に罠を仕掛ける事は無理であろう、であればその配下を狙うのよ、配下の者達であれば隙があるであろう、身内と思うておる儂にしか出来ぬであろう、三家が信長に付くと決まればもう止めようが無くなるであろう、後は暗殺位しか残っておらぬ、まあーそれは最後の最後の策に取って置く!!」



「あと半年でありますな、近衛様我らも正念場となります、近衛様のご活躍に頼るしかありませぬ、何卒お力をお貸し下さい、信長の天下となるは許せませぬ!!」



「滝川様! 近衛様の使者が参っております、先触れの使者との事です」



「近衛様の使者であれば会わねばならぬ、お通し致せ!」



「お休みの処申し訳御座りませぬ、明日近衛様が近くに用向きがあり、その帰りに滝川様の屋敷にて一泊の宿をお借りしたいとの事です、それと美味なる菓子を共に食しましょうとの話をお伝えするようにと遣わされました、滝川様この件宜しいでしょうか?」



「お~それは名誉なる事であります、近衛様が態々当家を頼って頂けるとは有り難い事であります、断る理由などどこにもあり申さず、是非に当家にお立ち寄り下され、田舎料理とはなりますが準備をしておきます、それと近衛様は他に用事などありましょうか、ご希望に叶う事があれば宜しいのですが!?」



「それなれば恐らく滝川様が那須家に行かれたご様子に関心を示されておりました、東国の事は近衛様も良く知らず、特に那須についてはどの様な家風の家なのかを知りたいご様子でありました」



「なるほど納得が行きました、流石近衛様です、上様が頼られるお方であります、先を見越しての東国の事、那須家の様子などを知りたいと言う事ですね、この事何も問題ありませぬ、私の知った事をお話致しましょう、特に隠す話などありませんでした、では近衛様に楽しみにお待ちしておりますとお伝え下さい」



翌日の午後に滝川家に訪れた近衛、近衛の目的はただ一つ!! この日の夜に滝川は那須での見知った事を近衛に伝え、近衛もやや驚くなど警戒されずに懇談がなされた。




「なんと那須の家に佐久間殿がおられたのですか、それは驚きでありましたでしょう、我も正直驚きました、あの佐久間殿のう」



「まさかのまさかでありました、何でも那須家の用向きで元幕臣の和田殿が京に行った際に偶然にも流浪の身となった佐久間殿を見掛け那須に連れて来たそうであります、確かに和田殿であれば佐久間殿を良く知る者です、多くの仕官を求め採用している那須家にとって丁度良い者を見つけた処であったようです」



「ふ~む、元幕臣の和田は足利幕府の頭脳であった者ぞ、あの和田がおらねばとっくの昔に幕府は衰退しておった、懐刀の様な者まで那須にいるとは、それに佐久間か、やれやれであるな、他にも優れたる者がおるかも知れぬ、用心に越したことは無いであろう! それと那須の当主はどの様な人物であった?」



「今日は色々と聞けて楽しい夜であった、それとそちは甘い物が好きと聞いた東国で流行っている麦菓子を多く仕入れた、ちと買い過ぎた故分けて進ぜよう、茶うけにも良い、それとここだけの話であるが儂も甘い物には目が無いのよ、酒のつまみにしても麦菓子は良い菓子であった、これぞこれ、知っておったか?」



「那須でこれと同じ物を食しました、話によると元々この菓子を作られたのは那須殿とお聞きしました、それも童の時だと、高価な砂糖を鉄砲と玉薬を買わずに砂糖を買ったと、実に変わった家でありましたな! まあーこの菓子は良い物ではありますが、ちと那須で食した味とほんの少し甘さが足りぬ様でありますが、しかし美味しい菓子でありますな!!」



「鉄砲を買わずに砂糖を買う家か、初めて聞く戦国にそのような家がいるとは面白い話であるな!!」



── 懐柔策 ──



同じ頃秀吉の下に中国攻めの慰労と称して酒と猿楽の一座が到着した、手配した者は公家の近衛であった、近衛から慰労の酒と猿楽一座が来た事を知り大喜びの秀吉、上位の公家より慰労が届くなど身に余る光栄と受け止めていた。


秀吉宛てに書かれた文には織田家で活躍第一の功臣、毛利が足下に頭を垂れ下れば織田信長殿が天下人である、天下人をつくり支えた功第一の者がそなた秀吉であると儂は思うていると書かれていた、これよりは儂とも誼を深めて参ろうと結ばれた文であった。



「勘兵衛、この文を読んで見よ、近衛様は儂の事を認めてくれたのじゃ、なんとありがたい事であろうか、織田家の家臣共よりよう判っておいでしゃ、儂が一番尽くしている事を見ていてくれたのじゃ、はやり上様が信頼されている近衛様である、嬉しくて仕方が無い、どうすれば良いか勘兵衛!!」



「ありがたい話であります、では上様と近衛様に御礼の文を書きましょう、それと戦で取り上げた品の中で一級品の茶器を送りましょう、上様は特に気に入る事になりましょう!!」



「良しそうするとしよう、茶器は茶器である儂も欲しいが目先に囚われるより上様と近衛様の心根の中に入り込む事が大事な時じゃ、勘兵衛茶器を選ぶように、失礼の無い茶器を送るのじゃ!!」



この中国攻めを機に秀吉と近衛が近づく事に、近衛が狙った織田家の武将は滝川と秀吉の二名であった、しかし滝川には埋伏の毒という麦菓子であった、遅効性の毒であり、麦菓子一個一個にはほんの少量しか含まれておらず毒の正体が判明出来ない様にされた麦菓子を与え、秀吉にはあたかも功臣との評価を、近衛がほめたたえる事で舞い上がらせ秀吉の懐に入る策であった、公家の世界も今のように戦国期以前はそれこそ利権が飛び交い、派閥が争い、時には毒を持ってライバルとなる者を蹴落とすなど裏では醜い世界でもあった、その頂点に立つ近衛、帝の名を自在に操り暗躍する戦国期の官位は従一位の近衛前久さきひさ、表の顔は信長を支持し、裏では自らの力を強め、朝廷の力を復権する為に暗躍する顔を持つ、氏真などは所詮手駒の一つであり、用が無くなれば捨てる駒である。


1582年正月下旬、滝川一益は信長に呼ばれ再度那須に向かう事に。



「少し顔色が悪いようであるな、深酒を控え滋養のある物を食せ、此度もう一度那須に行き、招聘の際に来る人馬の数等を確認して来るのだ、それと三家はどの様な手筈で来る予定なのかを確認して来るのだ、詳細に確認して来る様に使者として行くが良い!!」



二度目の使者となる滝川、しかし、その滝川は那須に到着して倒れてしまう、使者の役目処ではなく死を彷徨う滝川、連れの者達から急ぎ信長の元に早馬を走らせ一報が届く。



「なんとあ奴はそこまで身体を悪くしていたのか、拙い滝川が亡くなれば間諜を担う者が・・急ぎ医者じゃ、医者を手配致せ! 那須に医者を派遣せよ!!」



幸いな事に那須には公家の医道全般に詳しい天下第一の医者と称する錦小路がいた、倒れた滝川の目を覗きその瞳が黄色となり肌色も黄疸ありと見て取れ、脈も弱く内臓より病の起因が起きていると判断した、何時頃より身体を悪くしているのか、食している物はなにかと詳しく連れの者から聞き出し確認するも体調を崩したのがここ一ヶ月位の事以外従者の話では判らなかった。



「失礼ですが、滝川様の衣服、手荷物を拝見したい、全て見せて頂きたい!!」



従者より全ての手荷物が渡され念入りに調べる錦小路、見慣れた麦菓子や衣服と幾つかの丸薬を確認する中、様子を伺いに那須資晴が錦小路の元に。



「どうであるか滝川殿の様子は?」



「はい、今は薬湯を飲ませ安静に寝ております、好転するかどうか今は判りませぬ、もしやと思い今手荷物など検めておりましたが特に怪しい物はありませなんだ」



「もしやとは毒にでもという事か?」



「はい一ヶ月程で調子を悪くし黄疸がここまで進行したようです、内臓の病であればもっと時間がかかるでしょう、それが一ヶ月ほどでここまで倒れる程進行したとなれば、ここ二週間程で急激に悪くなった筈です、どうすればこの様に急激に悪くなるのか、毒物らしき物が体内に入ったのでは無いかといろいろと確認しておりました、毒物と判明すれば解毒の湯も良いのですが、毒が因で無かった場合に毒消しを飲めばそれが毒となり余計に身体を痛めます、今は因を探っている処になります!!」



「ふ~む、毒とは・・・この麦菓子は何処で作られた菓子であろうな!?」



「那須の麦菓子ではありませぬのか?」



「これはそっくりな菓子である、模倣した菓子じゃ、ほれ麦菓子の周りにある模様の幅が那須で作った菓子とは違うであろう、儂が作った菓子の型は皆統一されておるのじゃ、那須で作った麦菓子は全部この形よ!! 他家や商家が真似て作っても判るようにしていたのじゃ!!」



「そうでありましたか、何気に同じ菓子と思うておりました、ではこの菓子が怪しいかも知れませぬ、この袋の中に10枚ほど残っております、二枚ほど砕き粉を調べて見ましょう、那須の菓子と同じ粉になるのか、それとその粉を湯に溶かし色、匂いなど比較してみましょう、さすれば違いが少し判るかも出来ませぬ!」



従者の話では昨年暮れ頃より麦菓子を食するようになった事が判明、どうやって手に入れたのかは知らぬの事、麦菓子を砕くも目視では粉の状態では判別出来ず、拡大眼鏡ルーペを用い探した処色の違う粉が少量ではあるが確認出来た、次は粉を茶巾に包み湯煎にて色の違いを検証する錦小路、数日後に錦小路より報告を聞き驚く那須資晴。



「御屋形様、やはり麦菓子に毒が含まれていた様であります、毒の種類判別は出来ておりませぬが、二種類の毒と思われる異物が、那須とは違う物が含まれておりました!」



「なんと麦菓子が・・それでその毒はまだ解明出来ぬという事であるな?」



「一つは判明しました、麦菓子の中に大麻草が使われておりました、大麻には陶酔させる力があり、これだけでは中々毒にはなりませぬが、麦菓子を必要以上に欲する効果があるかと、そしてもう一種類の毒が内蔵を痛める遅効性のある毒がほんの少量含まれており、その麦菓子を毎日何枚も食していた事で毒の効果が表れ身体を痛めたのと思われます!」



「大麻とは神官が神事で用いる大麻の事か?」



「そうであります、大麻の煙には人を寄せ好ける陶酔成分になる物が含まれております、陶酔成分になるには大量の大麻が必要でありますが、大麻の陶酔させる成分を濃した物が菓子に含ませていたようです」



「では滝川殿は毒の入った菓子をその大麻に誘われて多く食して痛めたという事か?」



「その通りかと思われます、この事三家にも、正しい模様がある麦菓子だけを食する様に致しませぬと、他にも狙われている者がおるやも知れませぬ、危険なる偽の毒入り菓子となります!」



「うむ、その通りであるな、それと滝川殿の状態は如何である?」



「既に解毒の薬を煎じて飲ませております、体内の毒ゆえ効果が出るまでに10日はかかりましょう、それまで身体が持てば宜しいのですが、何分目も開けられず、話もほぼ出来ませぬ、こちらの呼び掛ける声は届いている様でありますが、身体が鉛のように重くなり闇底にいるのでありましょう、今は温かくし薬湯をなんとか飲ませるしか手立てがありませぬ」



「うむ今聞いた事を調べた内容を書き記して織田殿に文を届ける、織田家の家臣が何者かに狙われている事も考えられる、滝川殿の事も心配しておろう、しかし何者がこの様な手を使い滝川殿を亡き者に謀ろうとしたのか、織田家とは特にこれまでやり取りがそれ程は無い那須の地からでは判らぬ事が多い、後は織田家が念入りに調べるであろう!!」






近衛の埋伏の毒という計略、那須には公家の天下第一なる医師の錦小路がいた事でなんとか一命を今は留める事が出来たと言える、織田信長に忍び寄る奸計を信長は防げるのか? 次章「本能寺の変・・序章」になります。

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