石垣山合戦


日露戦争における我が国の勝利は犠牲者約8万4千人という途方もない戦死者を出しなんとか勝利したとされる、旅順要塞という有名なロシア側の拠点、その多くの犠牲者達は陸軍の無謀な要塞突撃と自信過剰による調査不足によって作られた作戦と言えた、それに対しロシアは重要拠点をコンクリートで固めた砲台からなる要塞化を作り上げ戦争に備えた事で日本側に多大な犠牲を与えた、ロシアが負けた要因は国内問題にあり継続出来ずに戦場での勝負とは別の要因であり戦争があと一年も続いていれば負けたのは日本であろうと評される。


日本の陸軍に多大な犠牲者を生み出したロシアの要塞、その事を充分に知る軍師玲子は2年も前から史実で作られた石垣山が戦場となる事を伝え北条側の堅固な要塞を作るように指示していた、一つの砲台には50名程の鉄砲隊と弓隊と大筒や木砲要員が戦える広さがありその砲台が幾重にも築かれ、砲台と砲台は塹壕で繋がっており兵の交代も自在に行き来出来る要塞と呼べる陣地構築が出来上がっていた。


史実における小田原成敗での関白側と小田原城にいる北条側では戦闘がほぼ行われずに降伏してしまう、軍師玲子の考えでは関白側は城を包囲した後に史実と同じ様に戦闘が行われない可能性もあるのではと読んでいた、その理由は帝の介入により裁定される場合が考えられた、朝廷の仲介による和議が戦闘を行わずに整った場合と、北条家側の三家が戦を有利な状況で和議を進めた場合では全く違う結果になると玲子は判断していた、その為に石垣山の要塞陣地の意味は小田原成敗における重要なキーポイントだと判断していた。




── 石垣山合戦 ──




官兵衛より100名の武装した物見がほぼ全滅に近い形で戻った事でこれは大変な状況になったと判断し急ぎ秀吉に面会を求めて説明を行った。



「なんだとあの山に北条側の砦が既に出来ていた申すのか!? それでは我らの方が見下ろされているという事ではないか、我らの動きを充分知っておるから夜襲もせずに北条側は高笑いをしておったという事ではないか、許せん! 急ぎ兵を集め山に籠る北条の兵を蹂躙するのだ! 1人も残さずに始末するのだ! 官兵衛これより蹴散らせ!」



「判り申しました、ではこれより準備を致し明日より山を包囲し殲滅を図ります」



官兵衛もあの石垣山に敵側の陣地がある意味を悟っていた、山から大筒が放たれれば関白軍に被害が生じ小田原を包囲している線が崩れる事になる、関白側が被害を受けた場合は戦局が大きく変わる可能性が生まれた、絶対に放置出来ないと判断し事で石垣山が戦場となる事になった。


石垣山攻略は中国九州勢を中心とした小早川隆景、吉川広家、大友義統、立花宗茂を将とし、包囲網から外し抜けた穴を関白の本軍で補充し小田原城への包囲網には全く影響が出ていなかった。


小早川隆景、吉川広家、大友義統、立花宗茂と主な者達が集められ石垣山攻略の軍議が開かれた。




「関白殿下の命を受け此度あの石垣山を占拠致します、本日100名の物見を放ち調べるもほぼ全滅となり敵側には相当なる備えがある事が判明しております、鉄砲と矢による攻撃であったとの事です、そこで皆様8000の兵で山の裾野より山の外周を囲い徐々に上を目指して進軍し頂上を目指します、物見の報告では頂上より200間程離れた所より攻撃をされたとありました、此度は大勢の兵にて進みますのでもう少し遠い250間程より攻撃があろうかと思います、ここまで宜しいでしょうか?」



「敵側の数はどうでありましょうか?」



「それが解らぬのじゃ! 物見達は頂上まで辿り着けなかったという、攻撃され次から次と皆が倒れてしまったと!」



「それは厄介ですな、こちらは丸裸で飛び込むような状況ですな!!」



「上から攻撃する方が有利じゃ、そこで今急ぎ盾を作らせておる、盾で弾を防ぎ上らねばならぬ、敵にどれ程の備えがあるのか判らん、先ずは一気に登らず徐々に輪を縮めるように山を登り威圧するが宜しいかと思われる!」



「ここは黒田殿の言われる方法しか無いであろうな! 慎重に進み敵を退けるが良い!」



「では皆様頼みましたぞ!!」



翌朝徴集された兵をそれぞれ東西南北の四隊に分け石垣山の裾野を囲み上り始めた関白側、どのような罠が仕掛けてあるのか不明の為ゆっくりとした足取りで上り始めた。



「敵勢が上って来ます、山全体を囲み進軍して参ります!」



山の様子は下から見た場合外周に雑木がある為に樹木のある普通の山としか見えなかった、しかし雑木の内側では樹は取り払われており砲台陣地からは見通し良く敵の動きは丸裸に見えていた。


北条側の陣地には1500名程の鉄砲と弓に長けた者と大筒と木砲担当の要員がおり数だけ見れば少ない様に見えるが一度に砲台に向けて攻撃する側は100人程しか上れずその100人が上り切れないと後続が続けて攻撃出来ない様に工夫されていた、北条側は向かって来る100名という単位をその都度裁けば良いと言えた。


石垣山の中腹に差し掛かり全軍の行進を一旦止め東西南北より同時に物見を先行させた、暫くして物見は誰も攻撃されずに戻り石積みされた塀がありその上に同じく石積みされた館のような物が幾重にも配置されている事、その館の中に無数の北条兵が動いていた事が知らされた。



「では多数の北条兵が頂上にはいた申すのだな! 如何に攻め上がれば良いであろうか?」



「某、立花宗茂が東がより先陣を承り致しましょう! その際に先に三方より攻め上がるように見せかけて下され、敵は三方より攻めて来ると思わせた処で某の隊が攻め上がります!」



立花宗茂と言えば戦国九州を代表する猛将であり知略の将である、大友宗麟に仕える立花家の女当主立花誾千代に婿入りした宗茂、九州の地は大友と島津が覇権を争い血みどろの戦を行っていたが徐々に島津に追いやられ命運が尽きようとしていた。


島津家が天正141586年に30,000の兵を率いて、大友家が支配する筑前国へ侵攻、立花宗茂が守る立花山城へ向かうことに島津の侵攻を食い止められないと思い至った大友宗麟は重大な決断を下す事にそれは豊臣秀吉への臣従です。


大友宗麟は自ら秀吉に謁見し臣従を誓い傘下に入ることと引き換えに軍事的支援を取り付け豊臣家の援軍が来る間、宗茂は、籠城している最中にもかかわらず、機動力を駆使した遊撃戦術を実行、降伏するかに見せかけて島津軍の本陣を襲い、敵将を含め数百人を討つ詐降さこうの計と呼ばれる知恵を使った策を労して持ちこたえていた。


豊臣軍が大友の要請に応える形で九州に渡ると、島津軍は立花山城の包囲を解き、その場から撤退する事に、宗茂は豊臣軍に合流し島津成敗における戦で武勲を立てた事で豊臣秀吉よりその後、柳川城を根拠地として筑後国柳川13万2,000石を授かります、これで大友家より分離・独立した大名として取り立てらる事にまで成長した立花宗茂、この後、関ケ原の合戦では秀吉から受けた恩により三成が率いる西軍に参加しますが戦は敗北し改易となります、しかし武勇に優れた宗茂は家康に拾われ最後は旧領柳川10万9,200石の大名として返り咲きする立花、その立花宗茂が北条の砦に襲い掛かる。



「では我らが三方より攻め上がります、暫くしてより立花殿は東より攻め上がって下さい!」



「では攻撃する時刻は夕刻に願います、日が落ちる時を狙い西日が邪魔をして北条側も狙いが定まらないでしょう、日が落ちてより東側から攻め上がります!」



「おう、それは良い案じゃ! ではそのように致しましょう」



合図と共に先に三方より攻め上がる関白軍、石垣山に響き渡る軍勢の雄叫び、三方向より攻める部隊が頂上との距離が250間程となった所で砦側よりけたたましい鉄砲の音が鳴り始めた、その音を聞き北条側の目が三方側に向いたと判断した立花が動き出した。



「よし陽動は成功したようじゃ! これより我らも参戦致す、盾兵を前面に槍部隊は突撃せよ!」



東側より立花軍が頂上を目指し突撃を始めた事で本格的な石垣山合戦が展開される事になった。



立花宗茂の考えた陽動作戦は実に正しい策と言えたが大きな見落としがあった、事前に調査の為に送った物見達は頂上まで行けずに肝心の要塞砦の実態を知らずに戻っていた、石垣山に造られた要塞に続くルートは実際には立花が攻めて来る東側だけであり他の三方からは頂上に行けない工夫がされていた、三方から攻め入る為には最後頂上に登る為の長さ20約36m程の長い梯子が必要であり実質無理と言えた。



「間もなく敵勢が押し寄せる鉄砲と弓を構えよ!!」



「敵勢確認しました、長蛇の列にて向かって来ます、その距離250間・・・220間!!」



「もっと引き寄せよ! 150間で攻撃を行う合図せよ!!」



「200間・・180間・・160間・・間もなく150間・・150間となりました!!」



「攻撃開始!! 鉄砲と矢を放て・・勢い止まらずに来る場合は大筒を放て!! 石火矢も用意せよ!!」



外側に盾兵で隙間を埋め内側に鉄砲隊、槍隊など攻撃主力の兵を守りながら徐々に近づく立花の軍勢、その距離150間に迫った所で北条からの攻撃を受ける事に。


立花は歴戦の知将であり北条側からの鉄砲と弓による攻撃は当然と理解しており盾兵には鎧兜をしっかりと身に付けた体躯の良い重武装の者達を充て隊列を組ませていた、前傾姿勢で盾で身を防ぎ一歩一歩進む中猛烈な攻撃が開始された。



「我らの攻撃受けるもまだ前進止まりません! 120間の所迄来ております!」



「良し大筒と石火矢を一斉に放つ、大筒は前方盾兵を狙え、石火矢は崩れた処に矢を放て!!」



「間もなく100間となります!!」



「放て!!」



猛烈な攻撃を受ける中、耐え忍び頂上に迫る立花軍、その距離100間となった所で前方より大筒の発射音が聞こえたと同時に鉄の弾が盾兵に襲い掛かった、砲弾の大きさはソフトボール程度、重さ6キロ程であるがその衝撃力は人間では耐える事が出来ない破壊力となる、その砲弾が盾兵に襲い掛かった。


※ 1キロの鉄球が10mの高さから落下させた場合の衝撃力は1tを優に超えるとされる、6キロの砲弾が飛んで来る事を考えれば木で出来た盾で防ぐ事は無理であり即死又は重症の打撲を受ける事になる。


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