信長

  

── 信長 ──



織田上総介平朝臣信長、誰もが知る織田信長である、1534年5月生まれ、1566年の時点で32才、働き盛りである、前年1565年に尾張を平定、美濃攻略に向け着々と前進していた、この年、配下の木下藤吉郎が墨俣に一夜城を築城、美濃攻略の足場が出来本格的に戦を推し進めた。



1566年信長は美濃国有力国人領主、佐藤忠能、加治田衆を味方にし、さらに西美濃三人衆、稲葉良通・氏家直元・安藤守就を味方にし、美濃稲葉山城を攻略を目前とした、信長の戦略は美濃攻略はあくまでも通過点であり、朝倉に保護されている足利義昭を神輿に担ぎ諸大名を従え京を押さえている三好軍を蹴散らし足利義昭を征夷大将軍に就任させ、将軍を使い天下に号令をかける事であった。



同盟を結んでいる徳川家康も一向一揆を平定し三河の実権を得、今川遠江領を視野に狙いを定めていた、徳川家康については特に語る必要もないが、ただ一つ信長が桶狭間の戦いで今川義元の首を取り勝った事が因となり、それまで今川に利用される形で臣従させられていたが、今川義元が討ちとられた事により三河の地で独立出来た経緯と幼少期織田家の人質となっていた時期もあり、信長とは不思議な縁で繋がっていた。



今川家の力が弱くなり国人領主が離れて行く中、武田信玄と同じく今川領を狙っていた、今川には寿桂尼がまだ生存しており武田と同じく侵攻する時期が来るのを待っている状態であった。




── 和田の帰還 ──




秋の収穫が終わる頃に元幕臣の和田が帰還した、30名程の和田衆を引き連れ、資胤と正太郎に広間で謁見した。



「御屋形様、若様只今戻りまして御座います、お役目を無事に果たし戻りました、ここに控えておりますのは、某の一族、甲賀の和田一族の頭領と配下の者達です、よろしくお見知りおきの程お願い致します」



「那須家当主様、若様にお会い出来ます事、恐悦至極で御座います、某近江国甲賀和田村にて頭領をしております和田惟忠と申します、この度、叔父上より那須家に仕えるお話を頂きこの上ない喜び感謝しております、我ら和田一族身命を賭して臣従致しますのでよろしくお願い申し上げ致します」



「良くぞ来られた当主の資胤である、横にいるのが嫡子正太郎である、我が那須家はここ数年で大国となり、何れ西の西国とも誼を通じ、あるいは争わなければならぬ時があるやも知れぬ、和田一族は西国の事情も心得ていると聞いている、我らの力となり共に安穏な国作りに力を借りたい、詳しい事は正太郎に任せておるゆえ差配を受けるようにしてもらいたい、先ずはこの地で暮せるよう致すゆえ安心するが良い」



「ありがたいお言葉恐れ入ります」



「和田殿、朝廷への報告は、山科殿とはどうであった?」



「はい、那須が大国になった事をとても喜ばれ時期を見て帝に報告するとの事です、朝廷は将軍が亡くなり混乱を極めており今は時機を得ていないとの事で山科殿に一任となりました、某の旧知の知人も多くが離散しており京の騒乱が落ち着くには今しばらく時を要すると思われます」



「確かにそうであろうな、早く平穏が訪れる事を願うばかりである、和田殿、誠にご苦労であった」



この後正太郎の館に移動し歓待する事になり今後の仔細について話が行われた。




── 洋一夫婦 ──




「実家の蔵にいろいろあったね、納屋にも沢山ありそうだし、整理すると役立つ物とかありそうで来年は時々片付けて見ようね、私もこの重箱に入った手紙とか書物をなんとか読めるように努力してみるわ、歴オタだけど、文字については素人だから」




「そうですね、もう一つの石の蔵にも沢山ありそうですね、親父の話だと物がありすぎて片付けを諦めていたそうだから、処分する物も沢山あると思いますよ、昔の農機具も結構ありましたから、使い方とか調べて正太郎達が使える物があると思います」



「気になっていた事があるんですけど玲子さん、信長がこれから大きく力を付けて行く時期になるけど、那須との関係は何か手を入れるとか考えはありますか?」



「これまでの出来事を整理して解った事があって、私達の知っている歴史と正太郎達の那須、小田、北条の出来事が結果的に違いが生じていないという事が判ったの、確かに正太郎の活躍で那須と小田は大きくなったけど、史実でも北条家側に付いた大名家の石高と、今の正太郎達の合計した石高にそれ程の違いが生じていないの、私もどうしてなのか、史実と違う事が起きているのに結果が同じ様になるのかと」



「どうしてなのかと言う仮説を立てて見たの、私達の歴史と違う事が正太郎の世界では起きているのに、私達の知っている歴史に影響を及ぼしていない、又は影響が出ていない点として、史実と石高に違いが生じていない、関東以外の地では歴史通りに物事が進んでいる、これらの事を考えて仮説を立てたの」



「歴史には戻そうとする力がある、修正する力があると仮説を立てて見たの、確かに那須での出来事は大きい事なんだけど、全体の流れから見た場合、戦国時代という大きい流れの中ではまだ小さい出来事で全体の流れに影響を及ぼしていない、そう考えるとこの先何をどうすればいいのかが少し見えて来る所があるかなって」



「私達は歴史を知っている、正太郎達はその歴史を逆手に取って他の誰よりも先に手を打てるアドバンテージを握っている、歴史全体の流れがそれ程変わらないのなら、あと10年は得た力を維持する時間が残って居る、その間に那須、小田、北条の陣営が力を付ける事が出来る」



「領地を広くして石高を増やす方法はそれ程余地は史実から判断して余り残っていないと思う、しかし、既に得た領地の石高を増やす方法は塩水選の田植えで充分に石高をまだまだ増やせると思うの」



「確かに塩水選という現代の方法は戦国時代の田植えに比べれば、日当たりも良く通気が良く、稲の病気にもなりにくい、多雨にも多少は絶えられます、確かに石高を増やせる余地は充分ありますね」



そこで次の段階に移る時が来たと思うの、信長に関与して力を使うよりも、小田家が里見を味方に付けたように三家に魅力を感じる大名家が絶対にいる筈よ、それらをこちらの陣営付けるのよ」



「という事は信長は放置で武田も放置でいいの?」



「そこはちょっと違うかな、私達の歴史だと武田は信長と徳川に滅ぼされるでしょう、さっきの話だと流れが変わらないという話をしたけど、武田が滅ぶのは防げないけど、その前に打てる一手が出来たと思っているの」



「武田信玄は労咳が悪化(所説あり)して京に上る途中で亡くなるけど、武田は甦らそうかなと考えているの?」



「えっ・・・蘇らせる・・・」



「武田が滅ぶのを防げないけど打てる手って? もしかして武田を陣営側に付けるとか?」



「そんな恐ろしい事はしないわよ、私が考えいる手は幻庵が見事な一手を指したでしょ、あれを利用した一手よ、寿桂尼さんの怨念が乗り移った一手かな、正太郎達の世界に関わった事で知った事だけど、寿桂尼さんの生き方は見事という一言に尽きるわね、その生き方を無駄にしたくないと考えて打つ一手よ、幻庵と寿桂尼さんが今生最後の一手に私の軍略全てをぶつけるの、その一手を打つ時には寿桂尼さんは亡くなっているけど、私が寿桂尼となって打つ手だから洋一さんもその時が来たら驚くから期待していてね」



「判りました、私は何か役立つ事を、何か支援出来る事を考えてみます」



玲子が考えている一手とは、玲子が考えている以上の変化をもたらす一手であると言えよう、幻庵と寿桂尼による武田の駿河侵攻を防ぐ一手があるからこそ打てる手であり、二手で完成する、幻庵の知恵と寿桂尼の魂の一手でありそこへ玲子渾身の一手が加わる。




── 正太郎館 ──




「揃ったようであるな、間もなく秋の豊穣祭りであるが、その前に洋一から伝わった事を話す、なんでも織田信長が尾張を統一し、明年美濃一国を取るそうだ、斎藤氏は美濃を離れどこかに逃げるそうである、十兵衛と半兵衛は元々仕えていた国ゆえ何かと案ずる事があるかと思う、那須からは遠くであり我らに出来る事は無いであろう、出来るとすればただ一つ、十兵衛と半兵衛の親類縁者など被害を受けそうな者達をこの那須に呼ぶ事であろう、それと信長とはどの様な者か知っておるかのう」



「若様某十兵衛と半兵衛の縁者の件、美濃におりますので誘いを行ってみます、織田信長ですが、元は尾張の織田一族の中の庶流の国人領主でしたが信長の父、信秀が武勇に優れ尾張の実権を握り、息子の信長が後を継ぎ、尾張を統一したのです、その辺りは山内殿も詳しいかと、信長の奥方は美濃の斎藤道三の娘であった濃姫を娶り道三が健在の時は尾張と美濃は同盟国でした」



「道三が息子義龍と争い、道三が敗れ亡くなりますが、義龍もその後亡くなり今は義龍の子龍興が後を継いでおりますが、政を行わず若くして酒に溺れ惚けていましたので、半兵衛殿が稲葉山城を占拠したのです、その様な当主でありますので、信長は美濃攻略を行うのでしょう、信長は桶狭間で今川義元の首を取りこの戦国で知らぬ者がおらぬ程武勇の優れた者かと」



「半兵衛も同じであるか?」



「十兵衛殿と同じですが、某の見た処、敵となる者には大変厳しい事を平然と致します、それと若様と似ており手柄を立てる者、優れた者は身分を問わず重用致します、いずれ信長は美濃を取り足利義明を担ぎ京を目指すと思われます」



「なるほど、儂はまだ戦に出ておらず、戦の実感が湧かず敵の事も哀れに思えて厳しい事を父に進言出来ぬのよ、本当はどうしたら良いのか解らんのじゃ、身分を問わず重用するのはきっと、那須が貧しかったゆえ、才ある者達の力を借りたかったのよ、村長の平蔵を初め儂に取っては大切な者達ばかりなのよ」



「若様のお気持ちはそのままで良いかと、進言する時はこの忠義もおります、ご安心下され、若様は若様なのです」



「若様の身分に問わず重用する意味と信長の重用する意味は少し違いがあると思います」



「十兵衛、それはどういう事であるか?」



「若様は才ある者を重用し、より育てている様に思われます、信長は、才ある者を重用は致しますが、役に立たなくなれば見捨てます、信長の代になり、これまで何代にも渡り尽くした譜代の家を目新しい手柄が無いと前線に追いやり断絶した家が多くあります、信長の重用とは役立つ者だけを指しております」



「厳しい事を致すお方であるな、利用するだけ利用し、役に立たぬと見ればて捨てるなどそれが人の上に立つ者の行いであろうか」




「若様、某お知らせしたい事があるのですが、宜しいですか?」



「おお福原なんかあれば何でも良いぞ」



「実はまだ確定では無いのですが、常陸の石高に違いがあるようなのです、先の戦で得た領地と此度の得た領地の石高が聞いておりました話と違うのです」



「それは先の戦で得た領地10万石に新しい田植えを行ったからでは無いのか?」



「えーそれは某も最初そのように理解していたのですが、何やら違うようなのです、新しい田植えを計算に入れても3万石程合わぬのです」



「良く判らん、もう少し嚙み砕いて説明を頼む」



「はい、一言で言えば考えていた石高より3万石程実際は多いかと思われます、先の戦で聞いておりました10万石が新しい田植えで12万石になる予定なのですが、実際は15万石取れそうなのです、此度の得た領地も10万石と聞いておりますが、実際はもう少しありそうなのです」



「福原殿それはもしかしたら縄伸びではないでしょうか?」



「十兵衛なんだその縄伸びとは?」



「那須では五公五民の年貢ですが、取り立てが厳しい領国では六公四民と厳しい所があります、佐竹は戦を多くしておりましたので年貢の取り立ても厳しかったかと思われます、厳しい領国の民は少しでも年貢の納める量を減らす為に自衛手段として田の広さを小さく報告するのです、民が生き延びる知恵として報告するのです」



「では農民が米の取れ高を少し誤魔化し年貢を少なく納めていたと言う事か?」



「そうだと思われます、那須は五公五民です、民も安心して生活を営める事が出来ます、安心出来るので誤魔化す必要が無くその分が増えたのではないでしょうか?」



「成程のう、新しい田植えでも増えているので隠す必要が無くなったという事か」



「今の十兵衛殿の説明で納得出来ました、若様、先の戦で得た領地で今年は15万国になると思われます、更に増えた領地も今確認している所です、恐らく似たような事になろうかと思われます、さすれば我らが得た常陸半国の石高は25万石以上になる計算になります」



「それは大きい事だのう、この話を父上が聞いたら大喜び致すであろう、福原よ新しく得た領地の石高が判明したら父上に伝えるゆえ引き続き確認を頼む、民とは力強いのう、民を苦しめれば民も知恵を使うておる、大地に根があるのよ、我らも民を守るという事を深く考えねばならぬという事であるな、勉強になった」



この縄伸びと言う言葉、実際の面積の方が多い場合に使われる言葉である、昔は縄を利用して田の面積、山林の面積を算出していた、いわゆる検地である、なるべく税を納めたく無いので検地の際に縄で距離を測った時に境界を誤魔化したのである、簡単に言えば登記簿に5千坪の山林と記載されていても、実際に測量すると7千坪あったという話であり、田んぼや畑、山林などに多く見られる現象である、逆に登記簿に記載されている面積より実際の方が少ない場合もある、しわ寄せとなった残地に多く見られる現象である。






玲子の考えた一手、気になりますね、読者の皆様もどなん手か考えてみて下さい、私も考えて見ます。

次章「生れながらの善」になります。

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