諸家いろいろ


── 信玄 ──



「しかし何とかならんのか、箕輪の維持するだけでも出費が嵩むだけぞ、常備兵から足軽農民に変えた方のが良いのではないか?」



「御屋形様確かにそうで御座いますが、常備兵を足軽農民に変えますと農繁期はどうされますか? 異変があった際足軽農民では役に立ちませぬ、今暫くは現状の方が良いかと思われます」



「常備兵300を減らすのはどうであるか、半数でも良いではないか?」



「そうで御座いますね、曲輪、城門、本丸等を考えれば150では些か不足です、200であれば大丈夫でしょう」



「では200とし早速手配致せ、このような事になるなら乱取りも考えもんであるな、周辺から取り過ぎた故、稲作する農民がおらんから城にいる者の食料は全て甲斐から移送させねばならん、城の井戸は利用出来んし、毎日河川まで水汲みせねばならん、全く箕輪城を取っても損しかないわ」



上野の箕輪城を占拠した武田信玄、城内の井戸には毒が撒かれており使用出来ず城兵の主な仕事は水汲みであった、周辺の村々は以前より何度も箕輪城に攻め行った時に乱取りを行っており廃村となった村が多く、農民もおらず稲作が行えず食料が調達出来なかったのである。



既に信玄の目は駿河攻略に向いているものの、今川の寿桂尼じゅけいにが生存しており、侵攻出来ずにいた、寿桂尼が生存している所へ侵攻しても今川家が総力をあげ反攻するのは目に見えていた、今はなんとか上野箕輪城を維持し時を待つしか無かった。






── 織田信長 ──





墨俣一夜城を成し遂げた木下藤吉郎は一躍墨俣城の城代となり城持ちとなった織田家一番の出世頭である。



「これより美濃攻略を本格的に開始する、秀吉を見習え、褒美が欲しくば手柄をあげよ、美濃攻略こそ天下布武の初戦である」



信長が天下布武という言葉を朱印を行った時期はこの1566年頃と言われている、当初この言葉は、武力で天下の争いを鎮め治めるという意味ではなく武というのは、戦いを止めるという意味を持っていた。



武は七徳の武であり七徳とは、古代中国の古典である春秋左氏伝に、武の7つの目的を備えたものが天下を治めるのにふさわしいと記されている。



7つの目的は・暴力を禁じる・戦を止める・大国を保つ・功績を成し遂げる・大衆を仲良くさせる・民を安心させる・財を豊かにする、この7つを備えたものが天下人にふさわしいとされる、しかし、この崇高な天下布武の意味は信長の行動によって変化してしまう、暴力で天下を取るという信長の欲望が『乱世の奸雄』へと押し上げる。


 



 ── 北条那須小田の秋 ──




「父上、小田殿と武蔵の地より文が届きました、先ずこちらをの文を見て下され、武蔵の地が大豊作で御座います、見た事もない量の稲穂と書かれております、これで武蔵の地も落着き致します」



「どれどれ、ほ~、喜びが伝わる内容であるな、我らもこれで内政に力を注げる、伊豆、駿河はあまり米作りに適しておらんから、石高の多い武蔵が豊穣となれば御釣りがくるという物よ、嬉しい話ぞ」



「那須正太郎殿に足を向けて寝れんのう、相模も豊作と聞いている、それにあの芋とトウモロコシを見たか、あれは米と同じぞ、蒸して食したが腹持ちが良い、焼いて食したがこれまた最高よ、奥方衆がもっと寄こせもっと寄こせと煩い始末じゃ」



「それと常陸の小田殿から近況の文です、やはり里見家との戦いを停戦した効果があったとの事です、良い時期に婚姻同盟を結ぶと書いてあります、それに・・・それに~お~見て下され凄い事が起きておる様です、上総、下総の国人領主達より臣従の申し出多数と書かれています、明年春に取り纏めと書かれておりますぞ、常陸小田殿が常陸半国、上総、下総、安房を纏めれば我ら北条と並ぶやも知れませぬぞ、お読み下され」



「我らが四代に渡り長き戦を経て今日を築いた事を僅か数年で成し遂げようとしているとは、信じられん、那須正太郎殿が作りし三国同盟の成果が一気に実り始めているぞ、幻庵様が今川から帰られたらさぞ驚き喜ばれるであろう」



「儂からも那須殿と小田殿に文を書くゆえ、一緒に送るように、しかしよくあの里見が小田に付いたな、我らとは合戦となったが、時が速く動いているとしか考えられん」




── 那須錦小路の田舎暮らし ──




「ようこそお越し下さいました、資胤様、奥方様、正太郎様、むさ苦しい所では御座いますが、この度、菓子料理ご意見番飯之介殿と私にて工夫致しました料理で御座います、ごゆっくりご賞味下さいまし」



洋一から伝わった料理を正太郎と錦小路と飯之介でいろいろ作り、これ程美味しい料理なれば一度ここに父上、母上を招待しお披露目をする事にした、錦小路の田舎暮らしは、益々発展し、来客時に宿泊出来る離れも建てられており、いつの間にか使用人も増えており、現代で言う民泊施設の様に変化していた。



「こちらが、干し椎茸のお吸い物とかぼちゃの煮物になります、みりん、醤ひしお、砂糖を使用しております」



「次は海魚のアジの開きに時告げ鳥の卵に付け米粉をまぶし油で揚げた魚アジフライになります」



「次は説明の前に先に食してみて下され、香ばしく甘い匂いが食欲を高めます」



「次はこちらの茶碗を蒸し干した椎茸と卵と出汁が入った茶碗蒸しになります」



「最後は冷たい物になります、匙ですくってお食べ下さい、食材は後程ご説明致します」



「この様に素晴らしく美味しい料理を良く御造りになりましたね、どれも美味しく頂けました、カボチャの煮物は甘く食べ応えがあり、やや子にも良さそうです。」



「油で揚げた海魚は何枚でも食せる程癖になりそうだ、良く考えた物よ、茶碗蒸しも口に入れると溶けてしまいこれも素晴らしい、問題はまだ説明を聞いておらん香ばしい物と冷たい物よ、美味とか言う言葉では表現出来んぞ、どうであった藤よ」



「はい、もうお腹に入らないかと思いましたが、香ばしい匂いとその美味しさについつい最後まで食してしまいました、それと最後の冷たい物は、あれはなんでしょうか?」



「あれはその辺りの河川におります、鰻になります、みりん、醤、砂糖で味付けした料理になります、最後の冷たい物は若様の室にあります氷を砕きその上から牛の乳を濃し砂糖を混ぜ上からかけた乳の氷菓子になります、御口直しにお出し致しました」



「父上これらの料理は海を得た事で海魚も食する事が出来る様になりました、鰻は驚かれたかと思います、その鰻も河川に行けば豊富にあります、カボチャも今は簡単に手に入ります、卵はまだ時告げ鳥を増やさねば無理ですが、いずれも工夫すれば食する事が出来ます、他にも思案している料理があります、身近な食材を使い我らも民も食せる様に差配したいと考えております」



「今日食した料理はどれも美味しく誰もが欲しがる料理であろう、正太郎を始め錦小路殿、飯之介見事である、秋に山科殿が来られ暫く逗留するであろう、二人に歓待のお持て成し役を申し付ける、山科殿も喜ばれるであろう、それをお披露目すれば料理も領内にも広がるであろう」



「必要な費えがあれば用意致すゆえ安心して取り組むように、正太郎この料理、父と母は美味しく頂けた、又ここで食そうぞ」



「喜んで頂きありがとうございます、城の賄い方にもお伝え致しますので時々城にて食せる様に手配して起きます、氷菓子は侍女の方々も大喜びするでしょう」



錦小路の話では氷菓子もそうであるが城に室があれば傷みやすい食材の保存にも役立つと提案を受け作る事る事になった。





 ── 玲子の華麗なる変身 ──




令和の洋一夫婦にも変化が起きていた、特に玲子が料理に目覚めたのである、しかし、それは料理という名で表現するべきか、全く別の分野というべき物かも知れない。


 

本人曰く、私は将来パティシエになると勝手に宣言し入門的なフルーツサンドを毎日作る様になってしまった。


玲子が変化したのはあの後自宅に帰ってからである、あの後とは、勿論明和町に出来たコストコである、明和で生まれ、明和と言う途轍もない田舎で育ち、田舎の役場、明和町役場で働く玲子に取って、いや明和町に住む全町民に取ってコストコは革命をもたらした。



これまで明和に来る町外の人は道に迷った迷子であった、それが町民約1万1千人を超える大勢の人達が連日明和町役場近くに出来たコストコに来るのである、コストコに対抗出来る店はコメリしかない町である、あのコストコで玲子は買い物をしまくった、別名玲子の乱取りである、お金を出すのは洋一であった、一度の買い物で12万も買ったのだ、大きいワゴン6個に満載に乱取りしたあの日。



家には結婚時に買ったでかい500L超えの冷蔵庫、どうして夫婦二人にこんなでかい冷蔵庫が必要なのか聞く洋一に、大きくても電気代は同じと言い含められ買うしかなかった洋一である。



料理教室に通いオリジナル味付けで洋一を亡き者にする所だった玲子は両親に叱られオリジナル味付けは禁止となり、教室で習った料理をなんとか家で食べれる様になりホットした所にコストコがオープンした、玲子が大量に買ったのは冷凍クリーム、スポンジケーキ、ケーキ類の調味料と道具である。



玲子は甘党でありケーキは別腹、カロリーも頭を使う仕事なので消費するから大丈夫という哲学者である。



甘党であり、ケーキが大好きな玲子の作るフルーツサンドも味的には問題無いがお弁当が毎日フルーツサンドになった洋一には又もや地獄の日々が待ち受けていた。



フルーツサンド作りに機嫌を良くした玲子は次々と洋一に指示を出す、洋一達夫婦が住んでいる賃貸戸建ての間取りは3DKである、一部屋は既に戦国ジオラマ専用、もう一部屋は軍師玲子の部屋、最後の一部屋が寝室である、寝室の隅に半畳程のテーブルと椅子、そこが洋一が自由に出来る場所である、玲子曰く、立って半畳寝て一畳、武士はそれだけあればなんとかなるであった。



お前、もっとしっかりしろ、旦那の威厳は無いのかという考え方は洋一には無かった、洋一の性格は元々人から指示を受けた方がスムーズに事が運ぶタイプであった、指示を素直に受け覚えていくタイプである、一言で言えば指示待ち族の洋一、素直な分指示する側も教えやすく農家の人達からも親しまれている、玲子と相性が良い夫婦であり、下僕にピッタリな洋一、そんな洋一に職場で転機が訪れた。



洋一が食べてるお弁当に女子社員がフルーツサンドと交換して欲しいと、私もフルーツサンドが食べたいと言われ、大喜びで交換する事なった、数名の女子社員が順番を決め、ご飯のお弁当が食べれる様になった。



もう一つ大きな転機が訪れた、家の全てを玲子に占領され、私物を置く場所が無くなり、川越にある実家の蔵を整理し洋一が利用する事になった、玲子に話すと何やらお宝が出るかも知れないと、私も手伝う言い出し、連休を利用して整理する事に。



蔵の前に大きいブルーシートを四枚広げ、昔の農作業に使われていた道具類、大きい脱穀機、手動の精米機、等等でブルーシート半分が埋まり、次は正体不明の箱書きを大量に運び、蔵の中全てを一日かけて出した、ブルーシートも結局8枚使うなど、とんでもない量であった。



洋一は室内を竹箒で埃を吐出し、玲子は正体不明の箱を開けていた、時々玲子の声が聞こえる洋一。



『あ~お宝かも~♪』『やったー小刀発見~これ持って帰ろ~♪』『これ立派な鞍だ(人がウマに騎乗する際に用いる馬具)』革職人に修理頼めば使えそうだなど大きい声が外から響く。



洋一の家は川越で昔からの専業農家であり今成という名の発祥の家と言う言い伝えである、川越市には今成という地名が現在も残っている、地図の上から今成交差点、今成小学校も存在する、家には石の蔵と古い納屋も数棟あり先祖の戸籍資料でも1800年頃まで遡る事が出来る古い家という事である。



結局蔵の掃除と荷物整理は二日間たっぷり要してしまった、玲子はその中から数点持ち出し、最後重箱に相当古そうな手紙やら書類的な何かを持ち出し持って帰った、小刀とか危ない物は蔵に戻し、洋一は明治初期に使われていた農機具を納屋に戻し次回確認する事にした、農業の進歩という観点から見ると江戸の終わり頃から農機具の発展が進み、手動ではあるが機械化され特に米の生産力は上がる。



洋一は自宅の蔵にあった古い農機具に役立つ物があるだろうと考え納屋に戻した。




1566年この一年間で那須と小田は大きく飛躍した、しかし翌年の1567年に戦国期を更に揺り動かす家が躍進し始める、戦国期主役の登場、その名は『織田信長』である。







玲子のフルーツサンド、下僕の洋一、この二人本当に大丈夫なのか。

次章「信長」になります。

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