進軍

 烏山城を出発した資晴軍、その軍勢は一万を超える大軍での初陣、陣容は12500名。


資晴直属軍は6500名その内訳は。

忠義率いる馬廻隊1000騎(弓騎馬隊)と長柄足軽500騎

千本義隆率いる騎馬隊(弓)1000騎

山内一豊率いる騎馬隊(弓)1000騎

明智十兵衛率いる騎馬隊(弓槍混合)1500騎

武田太郎義信率いる騎馬隊(槍)1500騎


資胤が援軍として付けた軍勢6000名の内訳は。

蘆名軍(弓槍の混合騎馬隊1000騎)と長柄足軽500騎

芦野家騎馬隊1500騎

伊王野家騎馬隊1500騎

佐野家騎馬隊500騎と長柄足軽1000騎


向かう最初の目的地は西上野の長野業盛が当主の箕輪城に向け行軍していた。



「忠義、まだダメなのか? まだ戦は当分先ぞ、もう脱ぎたいのだが!!」



「諦め下さい、初陣ですぞ、若そのような弱音を吐くとは、だらしないですぞ、誰も武装を解いておりませぬ、軍を率いる長である若が鎧を脱げば示しが付きませぬ!」



「それは判っておるが、もう一万人以上の領民から拝まれておるのだ、このままでは生き仏の様になってしまう、皆が拝むのだぞ、騎馬隊の者まで両手を合わせて来る、この鎧と兜を身に付けれるから拝まれるのである、拝まれる度に笑みをこばさねばならん儂の身を考えよ、もうずーっと笑みをしており、お前と話していても笑みを浮かべておる、どうすれば良いのだ!」



「! あっ、そうだ、そうしましょう!♪」



「どおした梅、なんか良い案が浮かんだか?」



「はい、素晴らしき案が浮かびました、若様が笑みを浮かべておりますので、今日からこう呼ばれようにいたしましょう!」



「どうせ碌な事を考えておらんと思うが、一応聞いてやる言うてみよ!」



「ではお言葉に甘えて披露致します、笑みを浮かべておりますので『微笑みの資晴』と致しましょう、微笑みながら悪事を働く者どもを成敗する若き殿様の通称として広めては?」



「おっ! ~お~危ない危ない、何が『微笑みの資晴様』じゃ、危うく良い名だと思ったではないか、何が笑みをこぼしながら悪を退治じゃと、変態ではないか、管領様見たいではないか、他にないのか?」



「では忠義が考えた必殺の名を授けましょう、領民が拝みますので『仏の資晴様』又は『後光の資晴様』では如何でしょうか?」



「う~いまいちであるな、もうちょっとひねりが・・・ばかもん! 通称などいらん!」



「でも若様、このままですと『金ピカの資晴様』と呼ばれますぞ、アインとウインの話では一里先から光って見えると、おひさまの陽



「・・・『金ピカの資晴様』・・・勘弁してくれ・・・そうだ、この兜の前立を船の形にして小田守治殿にさ差し上げてはどうか、そうすれば喜ばれないか? そして儂のはまた新しいのを造るのじゃ!」



「若、いくら何でもその様な事をしたら同盟が手切れとなりますぞ!」



「そうか、さすがにそれは拙い、では竹太郎に送るか?」



「若、判り申したこれより『悪だくみの資晴』と呼ぶように致します、梅殿若は今日より『悪だくみの資晴』様になられた、後で触れ回りましょう!」



「お~ぴったりです、さすが忠義様見事です!!」



「散々馬鹿にしよって、儂を誰だと思っているのじゃ、梅も調子に合わせるな!」



「そんなに直ぐ怒ってばかりでは、やはり若様は笑顔が一番です『微笑みの資晴様』で行きましょう!」



「・・・もう知らん!!」



資晴が烏山を出立した頃に1572年秋の三家の石高が判明した。

北条家 212万石から225万石

小田家 180万石から198万石

那須家 155万石から172万石


合 計  548万石から595万石 となった。



西上野の箕輪城の拠点では混合の資晴軍の連携をスムーズに行えるように軍事演習を連日行っていた。



「佐野殿連携の方はどうであるか、蘆名も騎馬隊との連携は初めての事である、特に佐野殿には足軽も多く戸惑う事が多くあるかと思うが?」



「若様の言われる通り蘆名殿の軍勢と我らの軍勢が今一つ上手く動けませぬ、騎馬隊の動きに対して一歩二歩と遅れてしまい、陣形に穴が出来ます」



「このまま調練を重ねても兵が動けるようになるまで一ヶ月以上は必要と思います、身体が自然に覚えるまでに時間を要します、それに長野殿の足軽も合流しそれを二手に分けるとなれば陣形を変えた方が良さそうであります」



「まず全体を本軍と別動隊の二つに分け、それぞれに攻撃専用騎馬隊、弓と槍の指揮する者二名と防御専用の長柄足軽隊に分け、それぞに指揮を執る者がやはり二人必要となります」



「半兵衛殿もしやその陣形とは八門でありますか?」



「そうです十兵衛殿、八卦の陣とも言います、本陣を守る側と攻撃する側をはっきりと分けた八卦の陣、又は八門遁甲の陣であります、これであれば攻守がはっきり分かれておりますので、佐野殿の足軽達も騎馬隊を気にせず、またそれほど連携を取る必要はありませぬ」



「半兵衛よ、儂にも判る様に説明せよ!」



「ではこの地面を見て下され、殿を中心に円を描く様に防御の陣を七つ作り殿がいる中心に向かうには八つの入り口を作ります、仮に八つの入り口の何処かから敵が侵入した場合は両側から敵を挟撃し殲滅します、そして攻撃する騎馬隊は殿を中心とした円の前方に騎馬隊を配置致します、騎馬隊は弓と槍がおります」



「弓の騎馬隊が前に、槍の騎馬隊が後ろに配置し、弓の攻撃で敵を混乱させ、混乱した所を槍が敵本陣を崩します、この防御と攻撃を一体とした陣こそ、八卦の陣または八門遁甲の陣と呼ばれます、かの三国が争いました蜀の宰相である軍師、諸葛孔明が編み出した必勝の陣となります」



「凄い陣であるな、魚鱗とは違うのであるな?」



「魚鱗とも似ておりますが、魚鱗は主に攻撃を主としております、魚鱗を使う家は大けれど八卦の陣を使う家はあまりおりませぬ、那須の家であれば騎馬隊と足軽に分けてしまうので容易かと、他家では足軽も攻撃に使うので配置が難しいのです」



「孔明の策を今孔明が蘇らせる、実に気に入った、では隊を分け、それぞれが調練を行うよう致せ、進軍は年明けに行う、それまでに完成させるのだ!」



孔明が編み出した八卦の陣、又は八門遁甲の陣とは、敵に対して前面を騎馬部隊に、後ろの陣地を歩兵で固め攻守に対処できるように構築した陣地、敵が陣形を壊さない様に、わざと八カ所の通り道を作り、仮に敵が侵入しても殲滅できる優れた陣形である、その陣形を知る者がいても実際に使われた例は過去見当たらない、その多くの理由は騎馬隊と足軽の均等が取れておらず、一般的に足軽も攻撃側に配置される為である。


半兵衛が八卦を提案した理由は攻撃主体の騎馬隊10500名と多くいる資晴軍だからであり偶然と言えば偶然の事と言えよう、日本初の八卦の陣、又は八問遁甲の陣となる。


年の暮れ蝦夷より帰還した福原が軍勢騎馬隊1500名が合流し騎馬隊の数も12000名となった、これに防御する最初から引き連れていた長柄足軽2000と箕輪衆2000加わり4000名が資晴を中心とした八門が作られる。



── 悪行 ──



信玄が京を目指す侵攻路は史実と少し違っていた、その理由は遠江側の一部袋井側の久野城しか得ていない為であり、その為侵攻もより慎重に地固めするようにゆっくりと行軍していた。


別動隊の動きは袋井側の久野城から馬場が5000名の兵を率いて甲斐から先に南下し三河周辺を攻め込み徳川に組する小さき領主達を吸収し浜松に向かわせた、それとは別に甲斐より山県昌景と秋山虎繁は3000の兵を率いて遠江に残る家康の勢力を一掃し浜松に押し込めた。


信玄本軍はその動きに合わせ三河に攻め入り浜松に向かう途中の諸城を一つ一つ潰し後塵の憂いを廃しゆっくりと向かっていた。


信玄の強さは我慢強く有利な戦に結び付ける為にはどうすれば良いか、その展望の先には織田との対決であり、徳川家康は眼中に入っておらず、浅井、朝倉、比叡山の僧兵、本願寺の一向門徒の動きを掴みながら駒を一歩一歩推し進めていた。


此度は長期戦となる事を見越し、別動隊も本軍20000の軍勢も通る道々の村を襲い乱取り(強奪)をし歯向かう者は殺され焼かれた。


信玄の兵は足軽も多く、略奪する事で富を得る喜びをこれまでにも何度も得ており、戦で高揚した感情を時には婦女子にも向けられ慰み者として襲われる、その事を知る三河の領民達の多くも三河の岡崎に避難する羽目になっていた。



「資晴様、武田別動隊の動きの知らしが届きました、こちらになります」



「まだ三河から出でおらぬ様だ、代わりに村々が乱取りされている様じゃ、歯向かい殺された者が1000名以上と書かれておる」



「資晴様、新しい知らせが届きました、北条様の忍びからになります」



「流石北条様だこれを見よ、武田は徳川を追いやった心算でも、実は武田も追いやられているとは知らず徐々に袋に追い込まれているのじゃ!」




── 援軍到着 ──




「殿、織田様より、織田様より援軍が到着されました、援軍が到着されました!」



「ようやった正信、でかした、して織田殿は如何程の援軍をよこして頂けたのじゃ!」



「はっ、それが佐久間様を長とし、足軽3000を遣わされました」



「ちと少ないと思うが援軍の先陣か?」



「織田様もこれが精一杯であると、武田が来る事を知り一向も勢いづき四方八方に兵を出しており、後は勝手にやれと、もう援軍は出せぬと、人間死ぬ時は死ぬ、生きる時は生きると申され、一角の武将であれば自ら切り開けと申しておりました」



「なんと切ない話じゃ、なんと心もとない話であるか、佐久間殿の率いる足軽は精鋭であるか?」



「いや、普通の農兵であります!」



「・・・籠城じゃ、籠城しか無い!」



「こうなれば武田が通り過ぎるを待つのじゃ!」



「・・・・・・・」



「佐久間様がお越しに成られました」



「おう、徳川殿、武田との戦ご苦労で御座る、もうご安心でありますぞ、我らが精鋭を引き連れ申した、これにて武田など一泡吹かせ、甲斐に押し戻しましょうぞ! あっははははは!」



「いや・・・佐久間殿・・様・・これにて勝ったも同然であります、佐久間様の援軍実に忝い、信玄が来れば共に暴れましょうぞ、佐久間様の武勇を天下に示しましょうぞ!」



「いや(嫌)何々、やはりここは三河殿、徳川殿の本地でありますれば先ずは先陣をお切り下さい、我ら佐久間軍は武田が崩れた横腹を喰い破り致しましょう、先ずは遠慮せず先陣をお勤め下さい」



「いや(嫌)それでは織田殿に申し開きが出来ぬ、折角援軍を頂きながら手柄働きを我らが取りましたら織田殿が怒りましょう、織田殿が怒れば佐久間様の顔を潰します、どうぞ遠慮せず先陣をお願い申す」



「殿なら大丈夫で御座る、どうぞ殿の事を気にせず飛び込んで下され(死地に!) 」



「・・・いやいや(嫌々)佐久間様と言えば飛び込み上手(逃げの佐久間)と聞いております、安心して死地に・・いや武田に突き進んで下さい!」



「えっへん、オッホン! 殿、佐久間様明日にも武田が浜松の城に来ます、ここは敵の動きを見極めてからお決め致しましょう!」



「あっははははは、そうである、そうである、流石は徳川殿の知恵袋である、では本多殿の言う通りと致しましょう、では奥にて少し休ませて頂く!」



「どうぞお休み下さい!」



「正信聞いたであろう、あの佐久間の本心を、最初から我らに戦わせ、又もや逃げる気ぞ! 前々から佐久間の噂を聞いていたが、此度も本領を発揮して『退のきの佐久間』を演出する気なのだ、3000名が蜘蛛の子を散らす様に戦場から逃げるから意外と被害が少なく敵も驚き付いたあだ名ぞ、木下藤吉郎殿が言っておったが、逃げる時は佐久間を見本とすれば皆が助かると、戦場では弱い敵を見つけるのが上手だそうだ、織田家古参の武将故文句を言う者がおらんそうだ!」



「参りました、そこまで酷い援軍でありましたか、この正信の失態であります、どうりで織田様が一つ返事で寄こした訳が判りました、織田様も佐久間殿が邪魔であった所へ援軍を頼みましたので、この際、一掃する気で寄こされたのですね」



「まあーそんな所よ、明日に成れば武田を見て腹痛と申して前に出て来ぬであろう」



そして翌日・・・・・12月22日、運命の日を迎えた。



「武田の軍勢が見えます、ゆっくりと近づいております」



「ついに来たか、軍議を開く急ぎ集まれ!」



「良いか、武田が間もなく城の前に来るであろう、敵の動きを見定め、どうするかを決める、討って出る事もある、準備を怠るな!」



「武田の軍勢止まりました、半里先で止まり、炊煙と思われる煙多数確認!」



「よくも我らの面前で昼飯の準備を行うとは、ここに我らがいる事など眼中にないと言う挑発なのじゃ、その手に乗ってはならぬ!」



「流石徳川殿、武田の挑発に乗ってはなりませぬ、謙信公と互角に渡り合う勝負強き武将です、ここは我慢でありますぞ!」

(なんだこいつは、この佐久間は、昨日は我ら精鋭が来たから安心しろ大言を吐き、今日は我慢だと、こいつが一番腹が立つ!)



「佐久間殿の言われる通りです、ここは我慢でありますな!」



「武田に動きあり、城に向かって来ます!」





── 資晴 ──




「これより甲斐に向け進軍致す、街道を塞ぎ一人も通してはならぬ、進軍せよ!」



「若、卑怯ですぞ、いつの間にこんな物を造らせたのです、某聞いておりませぬぞ、余りにも卑怯ではありませぬか! 見損ないました!」



「何を言うか大金をかけ、左之助の魂魄が籠った鎧と兜であるぞ、それに前立は石切りののこぎりであるぞ、芦野家と言えば芦野石よ立派ではないか、のう梅!」



「はい、お見事です、若様の腹心であればこそ、その鎧を着る資格があるのです!」



「うううう~梅、お前もぐるであったか、私の私の鎧と兜はどこにあるのですか?」



「あ~あれは傷んでおったので長野殿が修繕に出してくれたのじゃ、何れ戻る安心致せ! これで儂の横に忠義がおれば眩しくて誰も近づけん!」



「当たり前で御座る、某にこの様な銀ピカな鎧と兜を用意するとは、銀ピカでありませんか、私まで拝まれておりますぞ!」



「ふふふふ、我らは金と銀なのじゃ、儂を金ピカにさせよって、そちと儂は一体なのじゃ、あっははははー、これでいいのだ!」



「確か、天竺の話で三蔵法師を食べようとした金角、銀角という鬼が居ましたね!」



「あ~確かにいた、まあー我らは悪人ではないが武田を懲らしめる金角銀角と言った所であるな!」



「ふん、某はもう知りもうさん、勝手にして下され、泣きたくなりました!」





いよいよ徳川家康の史実最大の負け戦『三方ヶ原の戦い』が目前に、生き残れるか?

次章「奇襲」になります。

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