駿河決着


駿河とは律令制のもと造られた国の一つであり、名の由来の一つに山から海に落ちる険しい川の意図をもって命名されたといわれている、富士川の流れが急峻であることに由来するというものである。


現在の静岡県を三つに分けた一つが駿河になる、その三つとは駿河、遠江、伊豆に分かれる。


石高の推移からこの時代の人口を読みあてると(私的な推測です)


駿河の人口が22~25万、遠江が25万から28万、伊豆が12万から15万という所では無いか、人口比率から石高を見た時この時代はどうやら遠江国の方が豊であったかも知れない。


1598年時の資料による石高は駿河が15万石、遠江が25.5万石、伊豆が7万石、物語の那須がいる下野国は一国で37.4万石、資料的に下野国は広さの割に石高が低いと言える、面積では現在の静岡県の方が15%程広いとなる。


さて話はいよいよ掛川の戦いが終盤へと突き進む。




戦の状況は朝比奈の方円の陣に徳川の軍勢と槍にて激しい戦いを展開中に、この陣に向け、掛川城から北条の援軍15000が徳川勢の後方から迫る、前方からは武田の軍勢13000も朝比奈の陣に、これぞ大一番の乱打戦へと突入に。



「 敵武田の軍勢も朝比奈殿の陣に向かっております」



「良し此方の方が先に間もなく徳川の軍勢に辿り着く、皆の者、今ぞ、襲い掛かれ!」



「 耐えろ、押し返せ、援軍が来る耐えろ! 槍衾を密集させろ、隙間を開けるな! 間もなく武田も来る耐え時じゃ!」



「殿、来ました、北条様の援軍が徳川に突入しました」



「よし、我らは向きを変えろ、前面の武田に備えろ、槍を突き出すのだ、後方は後ろの者と北条様の援軍にに任せよ!」



「 良し、今ぞ! 者共突撃せよ、朝比奈を襲え、我らに抗う朝比奈を叩き潰すのじゃ!」



朝比奈の陣に四つの軍勢が激突し巨大な戦の塊が袋井に出現した、その数、3万を超える戦国史上稀にみる激戦となる。



「 騎馬隊は、このまま我らは突き進む、戦場に目を奪われている今が勝機ぞ、武田本陣に突っ込むぞ! 我に続け!」



「 御屋形様、敵騎馬隊が此方に向かって来ます、その距離350間です」



「散会している騎馬に当たらせよ、早く動きを止めるのだ!」



「敵騎馬隊の動き止まりませぬ、我が方の騎馬隊が次々と蹴散らされております、距離250間に迫っております」



「え~い、控えの兵で本陣を固めよ、急ぎ前面に出て固めよ!」



「距離150間を切りました、間もなく突入されます」



「あっ・・・あっ・・・敵の騎馬隊先頭に・・・騎馬隊を率いているは、先代の信虎様です、信虎様がこちらに突入して来ます」



「なんだと! 亡霊でも見ておるのか!」



「・・・なんと親父が・・・本当に・・・おのれくそ親父、儂の邪魔立てをするというのか、今度は追放では許さんぞ、親と言えどもその首引き抜いてくれるわ!」



「先頭の騎馬隊だけを狙い、突撃せよ、先頭を倒せば騎馬の者共は瓦解する、先頭を潰せ潰すのじゃ! 親父を殺すのだ!」




(晴信よ、お主は人を見下し過ぎているのよ、人には心があるのよ、これよりお主の心ノ臓を突き刺し、己のこれまでの歩んだ道を後悔するが良い、父がお主に引導を渡してやろう、せめてもの情けよ!)




「 連射用意、撃ち方初め、敵本陣に連射を撃て~! 」



「 敵騎馬隊ぶつかりました、本陣まで50間、勢い止まりません、残り30間切りました・・・残り20間切ります・・・・来ます・・・」




弓騎馬隊の長、福原長晴は突入前に五峰弓の封印を解き、弦を必殺の獣の筋から出来た弦に変えていた、狙いの的を信玄に絞り、その時が来るのを待っていた、あれは数ヶ月前の事。



「福原長晴よ、この弦を渡しておく、油紙に入っておる弦は今使用している弦とは違いより強く矢が放たれ、敵を射抜く矢にとなる必殺の弦である、特別な時にしか使用してはならぬ、お主にだけ託す、福原長晴がここぞという時に使用するが良い、使用し終わったら直ぐに元の弦を取り換えしまうのじゃ、誰にも悟られてはならぬ、これは必殺の弦である!」



「判りました、某がここぞという時のみお使い致します、若様忝のう御座ります」

(若様が某を信じ託された弦、若様今封印を解き使わせて頂きます)




「 晴信、そこにおったか、その御首級みしるし頂戴致す!」



信玄の周りに500名の歩兵が槍衾で陣を固め守るも、弓隊の連射により信虎が進む道が開け、一気に距離を縮める、乾坤の槍を突き出す信虎、まさに信虎が槍で一突きする瞬間に。



「御屋形様御免!」



信玄の側に控えていた一人の武者が飛び出した、原 昌胤が身代わりに打ち取られる事に。



騎馬隊は一度通り過ぎると中々戻る事は出来ず、信虎は武田本陣を通り抜けるしか無かった、そこへ福原長晴が敵大将の信玄に狙いを定め矢を放ったのである。




『那須の祖、与一様、南無八幡大菩薩我に力をお貸し下さい!』


『ビューン バシュッ ズバーン!』



原 昌胤に陣より押し出された信玄の胸目指し一射必殺の矢が放たれた、矢は胸のど真ん中に突き刺さり、その場で倒れこむ信玄。



「やったぞ、やりましたぞ、信玄を打ち取ったり、福原長晴が信玄を打ち取ったり!」



大歓声が弓騎馬隊から湧き起こり、瞬く間に信玄が打ち取られたと言う流言が戦場に流れ一気に形成が朝比奈と北条軍に有利となった。



「 もはやこれまで、引馬の城に撤退じゃ、引馬に撤退せよ」



最初に撤退し引き上げていく徳川軍、武田が行った鶴翼の陣形も最早意味をなしておらず、そのまま撤退戦に移る、殿しんがりは武田騎馬隊が務め一気に潮が引くが如く軍勢が引馬に流れた。



「逃げ遅れた者は生け捕れ、手向かう者は始末せよ!」



引馬の城は袋井からも近くであり、追撃戦に移ってもそれ程の戦果は期待できずに戦場の処理となった。


(どれ儂が最後の死に水を取ってやる、晴信の顔を拝んで引導をわたしてやる、倒れている鎧武者を抱き上げ、兜を取ると言葉を失う信虎であった・・・これは・・・この面影は・・・信康・・信康に違いない)



亡くなっていたのは影武者の武田信廉であった、信虎の六男、信玄の弟、信虎が甲斐を追放された時に9才で分かれた息子であった、信玄は弟を影武者として用意し、その後ろで指揮を取っていたのである。



「信康、安らかに眠るが良い、父がこの信虎が魂を看取る、戦の無い世に生まれて来るが良い」



朝比奈の軍も援軍の北条軍も戦場の後始末のため掛川の城に戻った。





── 引馬城 ──




引馬の城には敗残の徳川軍、武田軍が充満しており、亡くなった者の遺髪、武具を外すなど、負傷者した者の手当などで痛々しい状況であった。


城の広間では両家の主な重臣達が声を潜め二人のやり取りを聞いていた。



「武田殿ご無念かと思われる、弟君を亡くされたとお聞きした、心中お察し致します」



「信廉が先に逝ってしまった、無念としか言いようがない、必ず仇を儂の手で討ちます」



「徳川殿これより先の事であるが、如何致す」



「我らの兵6000の内2000が死傷しております、これ以上被害が広がれば政に支障が起きます、此度はこれ以上掛川に攻め入る事は出来ませぬ」



「では我らは徳川殿の為に弟を初め多くの者が亡くなった事をどの様に思われますか」



「戦の勝敗は世の常で御座います、どの様にと言われましても我ら徳川も大傷を被りました、今は耐えるしか御座りませぬ」



「それでは我らは何のために、武田はなんの為に多くの血を流し、徳川殿の為に戦ったのですか、徳川殿の兵は今も4000、我らの兵は16000おります、この事をよくお考え下さい、我ら武田が呑める話をして下され」



「武田殿我らは武田殿のお誘いで此度の戦を始めました、それ相応の事は致しました、武田殿が呑める話とは如何様な事を言っておられるのか解りませぬ、はっきりとお伝え下され」



「では我ら武田も禍根を残さず腹蔵無く申しましょう、本来は遠江を徳川殿、駿河を我ら武田という事で始めた戦、しかし、結果は掛川を落とせず遠江の袋井までとなりました、そこで徳川殿は三河からこの引馬の城までを領地とし、ここから先の袋井の久野城までを我ら武田の領地とします、その後、両家にて掛川を落とし駿河を落とした後に遠江は徳川、駿河は武田にするという事でどうでしょうか」



「何も得られずこのまま甲斐に戻るはどうあっても納得いきませぬ!」



「・・・・武田殿一晩考えさせて頂きたい、某の一存で即答は今は避けたい配下の者にも聞かねばお答え出来ません!」



「よろしい、では明日に致しましょう、我らは二の丸にて休ませて頂きます、失礼する」




「殿、武田が言われた事を飲むので御座いますか? 袋井まで我らが取った地で御座いますぞ!」



「他に意見ある者はおるか?」



「本多正信は何か言いたそうであるが意見あれば言うが良い」



「では、皆様先程の話し、あれは脅しですぞ、我らが武田の意にそぐわない結論を出した場合、必ず我らを襲います、16000の兵で襲われ、この引馬も三河も平らげ武田の物になります、駿河を取るより簡単に獲る事が出来ます、無理に駿河を獲る必要が御座いません、私の意見は以上です」



家康初め全員の顔色が青くなる話をした本多正信、冷静に武田という者を考えれば全くその通りであり武田が言った袋井の地を差し出す以外方法が無かった、駿河を狙わず徳川を狙われる事に気づく一同。




── 武田信玄 ──




「御屋形様、いっその事三河を獲る事が今なら出来ますが、掛川に北条の援軍がいる以上簡単には行きませぬ、徳川を攻めれば袋井から三河まで駿河以上に大きく捕れますぞ」



「馬鹿、声が大きい、もそっと小さく話せ、いいか明日家康が袋井を渡す事を渋ったらそのまま襲い掛かれ、儂もそのつもりよ、家康が裏切った事にして分捕るつもりよ、いいか抜かるなよ、素直に明け渡せば今回は許す事にする、塩を得る道が出来れば甲斐も豊かになる、徳川を襲うはその次よ、何れ襲うので安心せよ」



「安心致しました、そうでなければ御屋形様ではありませぬ」



「袋井を治め、次は長野が戻った西上野か、又はこの引馬の遠江よ、間もなく田植えが始まる、先に農民足軽を戻す様に致せ、全ては収穫を終えてからだ、良いな!」





── 掛川城 ──




「皆の者ようやった、見事な勝利ぞ、朝比奈殿やりましたな、徳川も武田もこれにて掛川には直ぐに手が出せぬでしょう、ようやりました」



「氏政様、よくぞよくぞ援軍を・・・援軍を掛川にお出し下された、掛川を守る事が出来ました、北条の皆々様に感謝しきれませぬ、ありがとう御座い申した、この朝比奈この通り感謝申し上げ致します」



「判っております、この勝利は北条の勝利でもあります、暫く敵も動けまい、我らの兵も多くを残して行きますのでご安心あれ」



「それと信虎殿此度参戦頂き感謝致します、寿桂尼様も喜ばれているでしょう」



「なんて事ありませぬ、晴信が仕出かした悪事を懲らしめる為に参加させて頂きました、それにこちらにいる那須からお越しの福原長晴殿のお陰で騎馬隊はほぼ無傷で戦えました、素晴らしき御仁達です」



「そうでしたか、離れておりましたので見る事が出来ず残念でしたが、信虎殿がそこまでお褒めするとは素晴らしきご活躍で、この北条氏政からも御礼申し上げ致します」



「恐縮で御座います、見事な指揮で騎馬隊を率いた信虎様がおりましたから我らも活躍出来たのです、此度の騎馬隊は変則の形かと思っておりましたが、実戦でこれ程役立つ組み合わせなのかと某も驚いております、槍の騎馬隊、その後ろに歩兵、最後に弓の騎馬隊と言う隊列は戦国の世で初めの事かと思われます、如何思われましたか信虎様?」



「儂も初めての試みであり、これ程までに強い騎馬隊になるとは予想出来ませなんだ、北条殿のお家にも槍の騎馬隊がおるかと思いますが、歩兵と弓の騎馬を組み入れる事御勧め致しますぞ、それほど強き騎馬隊であったと思います」



「それは又剛毅なお話で御座いますな、正太郎殿から弓の事は聞いておりましたが、それ程とはちと我が家でも試して見た方が良さそうですね」



「ささ戦場で何もありませぬが、酒を用意致しました、先ずは勝利の乾杯を致しましょう」



掛川の防衛線は徳川と武田の敗退で決着が着いた、この戦いで遠江の引馬までが徳川に引馬から袋井の久野城までが武田が支配する領地となった、遠江の掛川5万石は北条が守り死守出来た事になった、駿河国も守れ最善の形となった。


徳川と武田にてそれぞれ10万石を増やした事になるが武田にとって10万石では一時しのぎであり、この事で徳川を狙う事に、徳川として見れば領地を得る以上に隣に血に飢えた餓狼を呼び寄せた事になった。


掛川の隣には武田となり念の為に用意した木砲40門は使用する場面が無くそのまま掛川の秘密の兵器として残す事に、北条が作った鋳物の大筒10門は小田原に戻す事になった。




── 薬屋今井宗久 ──



「織田様、こちらが矢銭2万貫で御座います、お納め下さいまし」



「よう纏めたでは無いか、もう少しで堺を燃やす所であった、これよりその方を織田家にて堺の窓口とする、会合衆を纏め織田の膝下として役立つよう教育するのだ、逆らえば判っておろう」



「はっ、はぁー充分判っております、これより織田様の膝下にて商いをさせて頂きます」



「その方最近、名を改めたと聞いたが、なんという名になったのじゃ」



「はい、これまでは納屋の今井と言われたり、とと屋と言われたりしておりましたが、織田様の下で商いを致しますので薬屋の今井宗久と名を変えました、玉薬の薬で御座います」



「ほう、洒落た名ではないか、儂の役立つ為にと薬屋と変えたか、それは結構な事だ、殊勝な事よ、大いに可愛がってやろうではないか、鉄砲は今年中に残り500は揃うであろうな」



「はい、収めました500と今急ぎ500を作っております、年内に間に合うよう手配り致しております」



「良い心がけじゃ、儂に応える者はそれ相応に扱う安心致せ、下がって良いぞ」




織田信長が義昭を担ぎ上京し10月18日に義昭は朝廷から将軍宣下を受けて、室町幕府の第15代将軍に就任した。


上京を果たした事で、畿内五ヵ国を制圧し支配下に(大和44.5万石、山城22.5万石、河内24万石、和泉14万、摂津35万、計140万石)更に信長は石山本願寺に京都御所再建費用に5千貫、堺に矢銭2万貫、尼崎にも矢銭を要求した。


堺会合衆は三好の庇護を受けていた商業都市であったが、三好が四国に去った事で信長の支配下にされてた、信長は堺に対して2万貫20億円もの大金を要求するも会合衆は一旦は断っていた。


しかし、断った事で堺が織田信長に焼かれると判断した会合衆は10人を代表する一人である今井宗久が会合衆を纏め1569年2月に矢銭の支払いに応じたのである。


信長は上京した後に美濃に帰還するとその隙を突いて、三好が義昭の仮御所を襲う(本圀寺の変)などもあり、将軍に本格的な城を二条御所を築城する事になり矢銭を要求したのもその理由の一つとされている。


信長は当初将軍を傀儡として扱う積りは無かった節が見られる、しかし、その一方で義昭は将軍を支えて当然であると言う驕りと謙虚さの思慮に欠けており徐々に二人の関係はギクシャクしていく、これより数年と待たずに、あろう事か、義昭は恩人である信長を討つよう追討令を諸大名に発した。


先の三好に殺された先の将軍兄の義輝と同じ愚かな道を歩み始めるのであった。





感想ご意見、プレビューよろしくお願いします。

駿河侵攻決着ついたのかな? 家康が危なさそうです。

次章「助の活躍」になります、助って誰だっけ?

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