駿河と北条氏政

 

北条氏政は必ずといっていい程、信長、秀吉、家康という三英傑が登場する戦国史に登場する人物である。1538年に誕生し、1590年に7月に秀吉によって切腹させられ亡くなる。


 これにより秀吉の天下統一がなったとされ、秀吉に最後まで抵抗した武将の一人。


氏政は父が北条氏康、母が瑞渓院(今川氏親の娘)の子であり、正室は黄梅院(武田信玄の正室・三条の方の長女)武田太郎義信や武田勝頼とは義兄弟にあたり、今川氏真とも従兄に、氏政の代で父氏康が築いた版図をより大きく広げ北条家最大の領地を成し遂げた。


史実ではこの駿河侵攻対し、今川に援軍を自ら薩埵峠まで進出するが、此度は史実と違い掛川城に15000の兵を率いて参戦となる。




何事が起きたのであろうか? 城に向かった農民から悲鳴が聞こえる、敵の武田は目前である。



「後ろの事は気にするな、氏政様が対処致す、我らは目の前の敵から目を離すな、間もなく残り500間の距離ぞ、気を逸らしてはならん、槍を突き出せ、このまま進むぞ!」



「では我ら騎馬隊はこれより出張る、出た後、陣を固めて下さい、隙を作ってはなりませぬ、では信虎様参りましょうぞ!」



「では、武田信虎いざ参る!」



方円の陣より騎馬隊の一隊が隊列を組み躍り出た、先頭は武田信虎の槍騎馬隊600に槍上手の足軽歩兵1200と那須騎馬隊200(弓専門)による攻撃部隊である。



「我に続け、敵の中に入ったら目の前の敵だけを攻撃し、先頭の者に続くのだ、遅れる者は命を失う、よいな前の者の背中を見失ってはならんぞ」



「なにやら敵の騎馬隊が出て来たぞ、我らに騎馬で手向かうとは馬鹿な奴らよ、赤備えを出せ、返り討ちにしてやれ」



「そして頃合だ狼煙を上げよ、徳川に見える様大きい狼煙をあげよ」



「狼煙です、殿合図の狼煙が上がりました」



「よし、これより袋井の掛川兵の後ろに出る、敵を確認したらそのまま武田と挟撃を行う」



「者ども我ら徳川の力を見せるのだ!」



「お~! 」



「鶴翼の陣が見えて来ました、その前方に武田騎馬隊の横陣が並んでおります」



武田騎馬隊4000の内3000が厚みのある横一列の態勢に展開し、見るからに巨圧を放ち徐々に信虎に迫って来た。


その巨圧を信虎は心地良い春風をうけるが如く、あ~戦場に戻って来た長い年月忘れていた心地よい風に我が魂が蘇る、という充実した幸福感に満たされ体中を血液が沸々と煮えたぎらせ心躍らせていた。


信虎は騎馬隊を率いそのまま武田騎馬隊の中に突っ込むかと思いきや、左右に移動しながら変わった動きを行い戦場をさも楽しんでいる様子であった。



「なんだあの掛川の騎馬隊は、我らの動きに似ておらぬか?」



「馬場様あれは我らの騎馬の圧に押され躊躇しているのでしょう、見た処先頭の騎馬隊はともかく中団は多くが歩兵です、先頭さえ崩せば我らの餌食です、最後尾の騎馬隊は弓など持っております、もう笑うしかありませぬ」



信虎の動きは横一列に並んでいる武田の騎馬隊に徐々に距離は縮めながら入る場所、厚みはあっても隙があり弱い場所を探っていた。



「あった見つけたぞ、あそこに穴がある、儂について参れ、これより敵陣を突破し、敵の騎馬隊を崩壊させる」



武田騎馬隊の前を左右に動していた信虎は突如正面左端手前の騎馬隊に走り出した。



「こちらに向かって来ます、敵先頭ここに向かって来ます」



「槍を上げよ、列を崩してはならん、敵先頭を叩くのじゃ!」



と言っている間に10間程の距離に迫り来る中、戦闘に手慣れた武田の騎馬隊の目が、先頭の武将を見て驚愕となり、一瞬対応が遅くなってしまった。


そこへ信虎が突入したのである。


厚みのある横一列の騎馬隊に突入した信虎、続く歩兵、最後尾の那須騎馬隊を率いる福原長晴は最初にある事を命じた。



「石火矢を用意せよ、先頭が突入したら両側のむらがる敵騎馬隊に向け放て、敵を先頭に近づけてはならん、援護するのだ、石火矢を準備せよ!」



信虎の餌食となる前列側の武田騎馬隊。



「あれは・・あれは・・・先代様の信虎様では・・・・」



突入された騎馬隊の左右に配置された武田騎馬隊も信虎の騎馬隊に押し寄せ殲滅を図ろうと動くその時に。



「放て、今ぞ両側に放て!」



一斉に200もの石火矢が矢から放たれた。

ピューシャ・・ドカーン! ピューシャ・・ドカーン! ピューシャ・・ドカーン!



「なんだ、なんだあの爆発は、何が起きた!」



信玄は敵の騎馬隊が突っ込み飲まれる中、突如その周りで爆発が起きた事に驚き、何がどうなっているのか判断出来ずに、声を張り上げていた。



「どうやら後方の弓の騎馬隊より火薬が撃ち込まれているようです、その爆発音です」



馬は音に敏感であり慣れていない音に対しては驚き前足を上げその場から逃げようとする、騎手がどんなに制してもその場では恐怖心の方が強く離れようと馬は暴れる。



「某が打つ石火矢は火薬で爆発をする矢で御座います、信虎様が進む方向と歩兵に押寄せる武田の騎馬隊に放ちます、炸裂音が致しますが、驚かずに戦闘を続行して下さい、敵は必ず狼狽え隊列が乱れ我らへの攻撃が弱まります、皆さま宜しいですね」



事前に騎馬隊と歩兵にどんな武器なのかを伝え、放たれ石火矢。



「馬を馬を御せる、馬を御せるのだ! 敵が来るぞ、馬を御せるのだ!」



「暴れて言う事を聞きませぬ、ダメです、御せませぬ」



そこへ信虎の騎馬隊が雪崩を打って襲い掛かる、通り過ぎた後には落馬した者、逃げ遅れた者へ歩兵が襲い掛かる。



「よし敵が乱れた、敵が乱れておる、連射にて騎手を狙え、連射にて騎手を打ち倒せ」



那須騎馬隊の連射とは直接的を狙う直射を連続的に矢を放つ技である、矢を三本持ち、一射放つと直ぐに二本目、三本目と連続で矢を放つ技である、近距離の戦いでは的が大きく騎手に射当てる事は容易い事であり、次々と武田騎馬隊の兵に矢が乱射され落馬しそこへ歩兵が止めを刺す、その勢い止まらず信虎は武田騎馬隊の中で左右に蛇行を始めた。


信虎の蛇行は正面左側から突入し、石火矢で周りにいる騎馬隊が崩れた事で移動しやすくなり、左から厚みのある横隊列中央に蛇行しながら向かい始めた。


この蛇行する意味は敵の弱い所を見抜き被害を与える事でもあるが、動きその物が敵側の攻撃を錯乱させる事で被害も少ない、又、次々に石火矢と連射の矢が放たれる事で攻撃力は幾倍も増した突撃となった。



「駄目だ駄目だ、騎馬隊を散会させよ、後方に一旦下げよ、騎馬隊を一旦下がらせ、鋒子の陣ほうしのじんを作り突撃させよ」



「殿、氏政様より注進が入りました、正面右側半里先油山から多くの土煙が上がっております、軍勢が袋井の戦場に向かっております、敵軍勢かも知れません」



氏政が控えている掛川城は平城であるが、正太郎から渡された遠眼鏡があり、物見櫓から敵側の動きをその都度知り状況を掴んでいた、城の大手門前で農民の虐殺を行っていた武田の兵達も氏政が素早く対処した事で粗方農民に紛れ込んだ兵を倒し既に多くの者を城に避難させていた。



「こうなれば仕方なし、敵兵が袋井の戦場に残り半里の所で我らも討って出る、出陣の合図を用意致せ!」



「それでは当初の打ち合わせと違くなりますが、宜しいのでしょうか?」



「ここへ来て新たな伏兵まで現れた、朝比奈殿が挟撃を喰らえば無傷では戻って来れぬ、敵が挟撃を行うのであれば、我らも向かって来る軍勢を挟撃するのよ、伏兵であれば兵の数も我らの方が多いであろう」



「風魔よ、狼煙をあげよ、この狼煙で策に変更が生じたと伝えよ」



「殿、掛川の城より狼煙が上がりました、うむ何かの合図であろう、全方面の注意怠るな! 我らはこのまま武田の本陣、敵陣に方円の陣を押し上げる、信虎殿のお陰で敵の騎馬隊が乱れておる、押し上げるぞ!」



「間もなく袋井まで残り500間、あの後ろの塊が掛川と思われます」



「よし、このまま進め、我ら徳川であの方円らしき陣を襲い挟撃するのだ!」



「伏兵の軍勢が来たぞ、大手門を開けよ法螺貝を鳴らせ、右から来る軍勢に襲い掛かるのだ!」



「徳川です、あれは徳川の軍勢です掛川の方円の陣後方より迫っています、その距離500間です」



「徳川が来たようじゃ、調度良い時に来たな、散会しておる騎馬隊は、敵の騎馬隊の相手を行い此方に近づけるな、これより鶴翼の陣を押し上げる、敵方円に進め!」



武田の騎馬隊が散会し蛇行が意味をなさなくなり信虎は次に狙った塊こそ息子である武田晴信の本陣であった。


信玄は鶴翼の陣の中にいる訳ではなく、その後方に本陣を敷き戦全体の指揮を取っていた、本陣から見れば前方に鶴翼の陣を展開させ、その翼の中に横一列に並んだ武田騎馬隊を配置し戦っていた。


武田の全兵力は2万であり、そのうちこれまでに約2000の兵に死傷者を出していたがまだまだ大きい兵力であり信玄の本陣には3000の兵が予備兵として控えていた。


徳川軍も全兵力6000の内500に死傷者が出ていたが、5500という軍勢である、その勢いは失われていなかった。



「朝比奈様、左側後方より此方に徳川と思われる軍勢間もなく衝突致します」



「くそ、これでは先に後方から来る軍勢とぶつかる、全軍止まれ、後方からの徳川勢に防御を固めよ、槍衾を展開せよ」



「我ら騎馬隊はこれより武田の鶴翼を破りそのまま一気に突き抜け、本陣に向かう、この信虎にに続け!」



騎馬隊が散会していた事で信虎が狙う塊の本陣に肉薄するべく槍を突き出し向う信虎、そこが息子武田晴信がいる場所である。


那須弓隊は進行方向と左右に連射を行い、散会していた敵騎馬隊を近づけぬ様にし被害を大きく広げ寄せ付けなかった、そしてついに翼に突入する時に。



「前方翼に石火矢を放て!」



隊を率いる福原長晴は秋祭りで弓競技で優勝した一人であり、率いられている200名は那須騎馬隊1万を超える騎馬隊の中で抜群の腕を持った猛者達、精鋭中の精鋭である、彼らが放つ矢に狙われた者は防ぎようが無い必中の矢となり、その攻撃力は凄まじいの一言であった。



同じ頃徳川の軍勢が。



「今ぞ、方円に襲い掛かれ、我らの力を見せるのだ!」



6800の方円の陣に徳川軍5500が後方より襲い掛かる、徳川の軍勢の多くが足軽歩兵であり槍衾を展開し両者が槍で突き合い上下に槍を振り、敵の頭を目掛け叩き伏せて戦うのが槍歩兵の戦い方である、隣同士が隙間を開けず、前の槍歩兵が倒れたら後ろにいる者が前に出て補充し戦う。



必死に守る掛川の方円の陣、大将の朝比奈がいる方円の陣、ここに大将がいるという事は戦う兵達に取ってこの上ない大きい力を生み出す事になる。



「敵の後方から現れた徳川の軍勢朝比奈殿の陣に襲い掛かっております」



「判っておる、全軍急げ、このまま我らも挟撃し襲う、ものども蹴散らせ!」



「何をやっておる、鶴翼をもっと押し上げよ、敵が止まったでは無いか、朝比奈が止まったぞ、今が勝機ぞ、押し上げろと伝えるのじゃ、何故直ぐに動かぬ!」



思う様に動かぬ武田軍に信虎が更に襲い掛かる。



「良し、ここから入るぞ、続け、突撃だ!」



「信虎様を援護しろ、騎馬隊を守るのだ、石火矢を放て、翼に放て!」



ピューシャ・・ドカーン!ピューシャ・・ドカーン!ピューシャ・・ドカーン!

一斉に200もの石火矢が炸裂する、崩れ始める鶴翼・・・・・



「徳川様、急ぎ注進です後方より掛川の城より大軍が我らに迫って来ております、援軍かと思われます」



「なんだと、襲いかかったばかりでは無いか、敵の援軍は如何ほどか?」



「判りませぬが、我らより大きい軍勢であります」



「武田の軍勢はどうなっておる? まだ来ぬのか?」



「向かって来ておりますが、もう少しかかろうかと、思われます」



「武田の本陣に伝令を使いを出せ、急ぎ掛川の陣に襲い掛かるべし、我らの後方より敵軍現れる、このままでは我ら徳川は窮地に追いやられると、伝えるのじゃ、急ぎ伝令を出せ!」



「判りました、急ぎ伝令を出します」



戦国時代の戦の多くは、戦闘中も部隊は勝手に動けず、その都度指示を受け戦うというのが基本であり、余程の将でない限り勝手な行動を取る事が許されていない、戦で勝っても勝手な判断で被害が大きい場合は処分されてしまう、負けた場合は当然首を斬られる事になる。



「徳川より火急の伝令が入りました、掛川城からの敵軍が徳川の陣に間もなく襲い掛かるとの事です、襲われた場合、朝比奈の陣への攻撃が出来ず離脱するとの事です」



「なんだと、なんと頼りない奴らよ、良しこうなれば、控えの1500を差し向けよ、掛川の朝比奈の陣を襲わせよ、それと陣太鼓を打ち鳴らせ、鶴翼は速足で押し進め向かわせよ、陣太鼓を鳴らし向かわせるのじゃ」



これにより武田信玄の本陣には予備兵1500が残る事に。



「諏訪陣太鼓が鳴っております、全軍で襲えとの合図です、諏訪の陣太鼓です」



「良し、御屋形様の指示通り、急ぎ敵陣、朝比奈を攻撃するのだ!」



朝比奈の方円の陣は既に徳川の軍勢と槍にて激しい戦いを展開しており、そこへ掛川からの援軍15000が徳川の後方に、しかし前方からは武田の軍勢13000が間もなくぶつかる大一番の乱打戦へと・・・誰が敵で味方が判らぬ事に、隊列から離れた者は敵と見なされ殺されてしまう、恐ろしい地獄絵図の様相へと変化していく。



「武田の軍勢も朝比奈殿の陣に向かっております、敵勢多勢が向かっております」



史実の戦いでは掛川城は落城せずに囲まれ、孤立した事で和議が結ばれる、今川氏真の身を無事を開放する事で泰朝は開城を決断したとされる、その後、時は流れ、家康は関東に領地替えを秀吉に命じられ、掛川城は山内一豊が城主に、その一豊は関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は土佐の国主に。


一豊が去り掛川城が徳川に戻り重臣達が城代となる、時代は変わり明治に行われた廃城令により掛川の城は1871年明治四年に廃城となる。


しかしこれでこの城の歴史は終わらず、近代1994年に天守が再現され、その後も修復作業が入り、2006平成18年日本城郭協会により日本100名城に選定され日本の代表する城の一つとなる。



掛川の地で激しい戦が展開されている頃、西上野の箕輪城も大きく様変わりを見せ始めていた、数千名という大勢が毎日城普請を行い石垣も組まれ、堀も広がり、曲輪も増え、強固な城に変貌していた。



「長野殿これであれば、そう簡単に武田とて落とせぬのであろう、見事な城になり申した、烏山の城だけが置いて行かれます、父上に申し訳なく、父上の前ではこの話余り出来ませぬ」



「若様本当に申し訳ありませぬ、この様に立派な城となり、某では絶対に出来ませぬ事でした」



「いやなに、いずれ烏山のお城も某が大きく致します、父上も母上もあまりそのような事には拘わりませぬのできっと今の城で満足していると思われますが何れ大きく致しますので気になさらないで下さい」



「後は下野に通じる道の整備が必要になります、急を要する時に時間が掛かれば不利となります、砕石は無限にあります雨水にも強い強固な道にしなければなりませぬな」


「はい、田植えが終わりましたら、農民に伝えております、5月に入りましたら城の仕上げと道普請を行う段取りになっております」



「そうでしたか、では城が整い、道が整備されますれば商いを求めて多くの庄屋が訪れましょう、何時しか賑わいのある城下町が出来る事でしょう、暫くは那須からも多くの庄屋が訪れると思います、楽しみですね、きっと数年で様変わり致すでしょう」



「はい、それと離れておりました国人領主達に私が那須様に臣従した事、城に戻った事を伝えた処、早速これまで通り、昔の誼で仲ようしたいと言って来た領主が数人おります、簡単に離れた者達ですが、許そうと思っています」



「それは良い事です、佐野殿もそうですが、小さき家は家を残す事に大変なのです、長野殿が包んであげる事が良いと思います」



西上野の箕輪城、武田に備えた強靭な城、信玄が留守の間に大きな変貌を遂げたのであった。





やはり戦を文字で書き表すって大変ですね、歴史物を書く方達になんかコツみたいなの物でもあれば教えて頂きたいです、書いている方は頭の中で場面を想像して書いていますが、果たしてそれが読み手に通じているのか、正直な所、文才がなくて申し訳ない気持ちになります。

なんとか通じればいいのですが。次章「駿河決着」になります。

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