七家の代替わり


── 戦力 ──



1576年秋に軍師玲子が女性としては高齢となる38才にて妊娠していた、待望の二人目が懐妊となった、今成洋一夫婦にも跡取りという問題が玲子のストレスでもあった、そのストレスを最早プロ並みとなったフルーツサンドで解消し、パンダの体形に近づく中又もや身体がクリームを受け付けなくなった。


クリームの食べ過ぎだと洋一が何度も注意する中、フルーツサンドを作らなくなった玲子に娘の那美が私が出来た時に何故かクリームが食べれなくなったって言っていたよね、お母さんひょっとしてそれかもよ! 娘の一言に何かを思い出す玲子。


そう言えばそんな事があったと思い出す洋一と玲子、市販の検査シートで反応が・・・出る事に、急ぎ産科で確認すると確かに妊娠していた、性別は判明出来なかったが嬉しい報告に今成一族が第二子誕生に向けて動き出した。


年が明け2月となり安定期に入りお腹の子は『男子』と判明した、玲子に無理な事をさせない、洋一が働きアリのように下僕として尽くす第二ランドの開始である、そんな夜に資晴の代替わりについて玲子から不安な事が告げられた。



「どうしたの玲子さん具合でも悪い?」



「身体は大丈夫、間もなく資晴君が当主になると思うと感無量で、おなかの子も安定期に入ったからなんとなく、資晴君とお腹の子供が繋がっているように感じちゃって考え込んでいたの」



「それは僕も親近感が本当にあるね、実際は関係ないだろうけど、長年育てた長男の資晴が当主になるって感覚が凄くあるんだよ、そこへ来てお腹に男の子がいる訳だから本当にそう思うよ!! でもなんか浮かない顔してたけど?」



「資晴君が当主になって三家の石高が増えても秀吉に勝つのは無理かも知れないって最近考えていたんだよ、歴史の大きな流れを見ると信長と秀吉の歩み方は史実とほぼ同じだから、どんどん大きい勢力に拡大しているから不安なんだよ!」



「那須側の三家と上杉家も含めれば互角に近い勢力になるように見えるけど、それでは不安だと言う事?」



「秀吉は天才だよ、何れ信長が築いた力を一瞬で呑み込み自分の力にしてしまう、更に輪をかけて数年で大きくなる超新星みたいや天才だよ、史実で何故北条家が負けたのか、北条家と北条側を支援した者達の石高もそれなりにあったけど碌に戦わずに半年以内に秀吉の勝利で終わったのよ、それが今から13年後の事だからその基盤は10年以内には出来上がってしまうのよ、だから時間があるようで全然ないの!!」



「いい1586年10月27日に家康は関白となった秀吉に大阪城で拝礼し臣下の礼を取るの、いわゆる恭順を示すの、今の質晴達は1577年の2月だよね、という事は9年と半年、北条以外の勢力すべてがたった9年と半年で秀吉側になるって事なんだよ、上杉家も家康と謁見する四ヵ月前に臣下の礼を取って恭順しているから、後は北条だけ、まあー一応伊達はまだ残っているけど秀吉からみればちょっとした餓鬼大将が東北で少し暴れている位にしか見えてないから伊達は除外でいいけど」



「じゃー玲子さんから見て那須家が存亡出来る、対処できる期間はあと何年残っているんですか、特に不安な理由は何ですか、私にわかるように説明して下さい、そうしないと資晴に伝わらないので不安だけ煽る訳には出来ないし、もう少しかみ砕いて!!」



「そうだね、じゃー史実と咬み合わせて言うね、信長が本能寺の変で討たれた後に戦国期は一気に終盤に入るのは理解出来ているでしょう?」



「ええそこから秀吉の天下取りになりますね、でも十兵衛が不在です、本当に本能寺の変は起きるのですか? そこがすっきりしないですね」



「一度同じ話をした事があったけど、私の中では益々確信的に必ず起きると思っているの、信長の行動が余りにも史実同じなの、変化が見られないの、そう考えると天正101582年6月2日に起きる本能寺の変はほぼ確定だと見た方が安全よ、仮定の話で起きないであろうと考えるより起きると読み解いて備える方が安全よ!!」



「判りました、玲子さんがそこまで言うのであれば十兵衛が史実と違って不在でも似た様な事になると理解しました、でもそこが玲子さんが不安になる点じゃ無いですよね? 不安になる原因は?」



「実際に資晴達が戦力という国力を拡大できる残された期間はあと6年よ、6年しか残っていないの!!!」



「えっ! ちょちょっと待って下さい、さっきは9年と半年だったのに、どうして6年なんですか? 余計判らなくなりました!!」



「いい事洋一さん、思い出して、秀吉が最後まで時間をかけて家康を取り込んだのは、妹の朝日を離婚させ家康に嫁がせた理由はなに? それは戦力よ、徳川家の戦力を得るために時間を掛けたの!!」



「史実では確かにそうですが、今の徳川に戦力はそれほど期待は出来ないかと・・・」



「そこはその通り、史実と今の状態を比べるとそうね、でもそれは今の資晴達の世界でも秀吉は同じ様に大きい戦力を手に入れるよ、それと戦力って兵数じゃないから、さっき残り6年って説明したけど、ここを見て、これに秀吉が勝つのは知っているでしょう?」



「それ位は判っています、戦力が兵数じゃない方が判らないです!!」



「最後の説明を聞けば理解出来ると思うよ、この時に秀吉が勝利して、秀吉は信長の築いた力を全て飲み込むでしょう、実質これで天下取りが大きく近づくでしょう、そしてこの6年後から3年半をかけて家康を取り込むの、そう考えると残された時間は6年なの、要は家康以外この6年後には手中に治めているの、そして戦力は兵数じゃないって事なんだだけど、資晴達も兵数を比較すれば両者の差は私の感だと6対4又はもう少し差が縮まっているかも知れない、やや資晴達が不利な程度、でも戦力という見方だと7対3ってところなんだよ!!」



「兵数だと互角に近くて戦力だと7対3って、何かのマジックですか?」



「じゃー聞くけど洋一さんの中で強い武将って誰?」



「強い武将ですか? 上杉謙信、本多忠勝、立花宗茂、柴田勝家、井伊直政、可児才蔵、森可成、加藤清正、後藤又兵衛、前田慶次、真田信繁、前田利家、朝倉宗滴、福島正則、佐々成正、佐竹義重、ちょっと順番が変だけど強いって個人の強さで考えるとこの辺りかな?」



「まあーほぼ同じような武将が浮かぶよね、まだ資晴君達の時代に登場していない人もいるけど、問題はこの中に那須家側の人はだれ?」



「上杉謙信、本多忠勝、井伊直正、真田信繁、佐竹義重って所でしょうか?」



「そうだね、でも謙信の寿命は間もなくだから除外すると残り三名よ、井伊直正は今の時点で16才、真田信繁まだ10才、佐竹義重は30才、油が乗っている時だね、これで判ったと思うけど十兵衛や半兵衛もそうだけど基本は文官なの、戦で先頭を走って端緒を切り開く、道を作る武将じゃないの、戦略や軍略は抜きん出ているけど、その策を具体的に実行出来る武将の大物が那須側の三家、上杉家も含めて圧倒的に数が少ないの、兵数は互角に出来ても武将の数が少ないのよ、だから戦力だと7対3って評価なの!!」



「どうして那須側には個人が強い武将がいないのですか?」



「今の織田家を見れは判るは、那須は戦を行っている数が現場を踏んでいる数が少ないの、強い武将が育つ現場が無いという事、戦を通して個々の武将達が強くなって行くのに対して那須家では個々の武将達が強くなる戦も少ないし猛々しい武将が中々見当たらないのが問題なの!!」



「那須家で個々が強い武将それも戦局を読みながら、道を切り開ける武将は、佐竹義重、武田太郎、長野業盛、山内一豊、位しか見当たらないの、兵を五千~一万率いて戦える武将が四名以外見当たらない所が大きい弱点だって説明を聞けば納得出来るでしょう」



「飯富寅正さんは?」



「飯富さんは70越えのおじいちゃんよ、元気なんだろうけどもう戦は無理!!」



「本当に居ませんね、七家の中でも不在ですか?」



「忠義さんは副将なので資晴くんの近くにいないと駄目、後は千本君は今中堅所だから経験を踏めばいい所に行けるだろうね、福原君は海将の副になるから義重佐竹が野戦で出る場合は残らなければならないし、結構現実は厳しいよね、それが私の憂鬱な所なの! なんかいい方法無いかな残り6年なんだよ!!!」



「・・・・えーと飯富さんは元気だから、そこで個々としては強いあの二人を一豊から引き離してスパルタで育ててもらったらどうでしょうか、高林には飯富さんの騎馬隊がいますので、どうでしょうか?」



「えっ、あの巨人の二人? ・・・・それは・・・グッドかも!! 個人としてはピカ一だったよね、槍も弓も両方熟せる本物の戦士だったね、洋一さんそれはナイスよ、飯富さんが元気な内に二人を武将に育てて頂きましょう、武田騎馬隊の創設者よ、これ以上ない教官だよ!!」



那須家に残された期間が残り6年と驚く洋一、理由を聞けば確かにと理解した、個人として道を切り開く武将が少ないとの玲子の判断は間違っていなかった、兵数が劣勢の中、強き武将達は必ずと言って良い程反転攻勢し勝利を呼び込み勝ち上がって来ている、軍略、戦略と言った全体像からでは無く一つの局面を確実に勝利をもぎ取る事が出来る武将の存在が結局のところ軍略と戦略を生かせる事になる、秀吉との何れ来るであろう大戦は両者で20万人以上は激突するであろう事を考えれば手駒が少ない方がじり貧となる事は目に見えていた。


洋一の前ではあのアフリカの戦士アイン、ウインを育てる事に大賛成したが、それでも大粒の大物がどうしてもあと一人は必要だと考えていた、絶対的な力を持ちその者の前では敵も覚悟して戦う事が必要になる、逃げだしたくなる大物が那須には必要だと玲子は考え深く場面には見えない奥底にいる者を注意深く見守る事にした、玲子の予想ではその者が切り札になるであろうと、しかしその名はまだ洋一に告げる事が出来なかった、告げれば歴史が違う方向に動くと判断した軍師玲子であった。


礼子は確かにオタクとして豊富な知識を持ち資晴が童の頃より洋一と共に那須家の危機回避に知恵を授け難局を乗り越えて来た、オタクの枠を超え本物の戦国の中で軍師として玲子も育って来た、オタクの軍師では無く、実践を何度も経験した軍師として今日を迎えた、玲子のこれからの采配は史実に無い場面の連続であり全神経を覚醒させ臨む正念場の境を超えようとしていた、この苦しい胸の内は長のみが背負う孤独であり、誰も手を差し伸べる事が出来ない、その時をこの苦しみを迎える時が来た事を軍師となった事を1人喜ぶ玲子であった。




── 七家の代替わり ──



那須本家を含めて六家が那須七家の総称であり、六家は国人領主であり独立した家であるが六家には那須家の血が流れており分家でもあった、家の大小の差はあるが、那須本家を支えるという点では一致しており数百年に渡り那須家を支えて来た。


当主資胤から御伽衆の座を得る為に各家は動きだした、これまで難色を示していた家も280万石の家全体に影響が与える事が出来るであろうと、そうすれば出自の家を大きく出来る機会と捉える者も現れ代替わりに向け、六家が動き出したのである。


動き出す事と、代替わりが出来る事とは別でありそれぞれ嫡子の年齢などで断念する家も、それはそれで仕方の無い事であった


大関家は大関高増が現在の当主であり那須家の中で本家に次ぐ大きい家である、黒羽周辺の領主である現50才、嫡子に大関晴増16才がいる、大関家の石高は20万石となる、黒羽以外に大子周辺の金山を任されている、一番難色を示していた高増は御伽衆の話に一番野心を持って嫡子に世代交代を、代替わりする事にした。


大田原家は大田原綱清が当主、39才、現大田原市周辺黒羽を除くの領主、18万石、史実で那須家が改易となっても那須家再興を何処までも目指す七家随一の忠臣の家である、嫡子に晴清10才がいる、嫡子の年齢が10才という事で諦めざるしかなかった、その事で大田原家は資晴代では大きい活躍をする事になる、大田原綱清39才油が乗っている働き盛りである。


千本資俊58才、西那須千本松周辺の領主、4万石、嫡子に資晴の重臣義隆36才がいる、千本の祖は那須与一の兄為隆を祖としている、千本は既に資晴の重臣となっており代替わりする良い機会と捉え、御伽衆になるならないは別として義隆に代替わりとなる。


芦野資豊66才、那須芦野地域の領主、娘は当主資胤の正室お藤のお方様になる、資胤の義父となる、嫡子は資晴第一の重臣忠義30才、芦野領と棚倉~大津一帯を領地としている、20万石、同じく芦野家は忠義が昨年暮れに代替わりを終え、既に地位を固めた。


伊王野資宗60才、那須伊王野地域の領主、芦野家の隣、嫡子資友23才がいる、伊王野周辺と矢祭を領地としている、石高16万石、伊王野家でも嫡子資友が調度良い年齢に差し掛かり代替わりする事になった。


福原資孝33才、那珂川、小川周辺から馬頭の領主8万石、大田原資清の息子であり福原家に養子となり福原性を名乗っている、大田原綱清の弟になる、福原家は家を継ぐ者がおらず、資晴の重臣資孝が既に福原家に養子となっており福原を継いでいる、既に福原も領主となっており代替わりは終わっている。


これにより御伽衆は大関高増、千本資俊、伊王野資宗の三名と飯富寅正、和田惟政、佐久間信盛の六名が職に就く事に、その者達を束ねるのは現当主の資胤である。






洋一夫婦に待望の二人目が、それも男の子とは、玲子がより覚醒しています、この先どんな手を1人考えているのでしょうか、何やら含みがありそうです。

次章「ゴム足」になります。

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