海軍士官学校・・・1


 軍議を終え二日後に小田城を後にした、大津浜に向け、小田家嫡男彦太郎も同行する事になり、菅谷、赤松と小田家の騎馬隊も同行し総勢200名の総勢となった、途中高萩の港にも寄る事になる。



当時の高萩はやや大きい漁村であり、この高萩から大津浜までが那須の領地になる、高萩、足洗、磯原、大津が主な漁村であり、大津に大きい港を建設しており、今は500石船二隻が寄港出来る所まで岸壁が作られている、常時500名の者が作事場に日雇いで工事が行われている。



高萩、足洗、磯原では漁村には先触れを出し、那須の領民として大切にしているという意味の施しとして澄酒、麦菓子を配る正太郎、騎馬隊は荷車を引いており沢山の土産の品を用意し交流を深めながら大津浜に向かった。



道順は安全のため佐竹領を通らずに土浦から大子の宿場町で一泊し翌日高萩に向かう、土浦から大子までは80キロの行程であるが騎馬での移動なので可能である、翌日は高萩まで35キロ、高萩から大津まで15キロである、初日の宿泊地大子では、宿場町は近くにある金鉱山の町という事で宿も何件も建ち並び賑わっており、遊女屋まで数件出来ていた、正太郎達には関係ない建物であるが、大人の事情と考え見て見ぬ振りをした。



この時代の男女の貞操感は現代とは全く違う、夜鷹と呼ばれる遊女も普通におり違う男女の道徳観である、宿での夕餉で彦太郎では、某この様に遠出をした事がありませぬ、正太郎殿は凄いですね、長時間の馬上も大丈夫なのですね、某お尻が相当痛く大子に着いて安堵しております、と苦笑いで話す二人。



「遠出は何度かありますが、船で北条殿所に行ったのが一番遠くになります、船でありましたので私は楽しかったのですが、同行した者達が皆船酔いをして難儀しました、騎馬では某も最初は相当酷い目に遭いました、私のお尻が真赤に腫れてしまい結局背負われました、彦太郎殿も慣れれば大丈夫です、那須の者達は船酔いを克服せねばなりませぬ、困ったもんです」



「船酔いも騎馬と同じですね、慣れるしか無いですね、小田の方は船酔いはしないのですか?」



「童の頃から船に乗る者が多くおりますので、余り聞きませぬ、どうであろうか菅谷」



「某の家は浦の近く故、童の頃から船遊びも普通にしておりましたから、船酔いする者はおりませぬ、やはり陸に住まう者達が船に慣れておらぬので仕方なき事かと思います」



「正太郎殿この菅谷は小田家の水軍衆を率いている家なのです、500船を造る際も大勢の船大工と作っております、それと戦船も持っておりますので小田家に取って大事な家なのです」



「菅谷殿とはその様なお方だったのですね、同盟時に何度も那須には来て頂いておりましたので頼れる御仁であると思っておりましたが、水軍衆を率いているお方だったのですね、それは頼もしいです、那須にはその様な方はおりませぬので、いろいろとお教え頂かねばなりませぬな、どうかよろしくお願いいたしまする」



「正太郎様、そのような他人行儀は入りませぬ、某が役立つのであれば何でもおっしゃって下さいませ、小田の領地が大きくなり、正太郎様には足を向けて寝ておりませぬ、烏山に足を向けず、佐竹に足を向けて寝ております、あっはははは」



「相変わらず、流石菅谷殿です、切れ味が鋭いです、その鋭さも那須の者に教え伝えねばなりませんね、あっははは」



楽しい大子での語らいを終え翌日に供え就寝した正太郎達。



翌日夕方前に大津浜に到着した一行、浜を見て驚く、1000以上の者達が正太郎達を待っていた。船大工頭領幸地が若様が来られる事を皆が知り若様にお礼を申したいと、浜の者一同が集まっております、この者が漁村の長、兼松で御座います、是非お声をと願い出た。



「若様お初にお目にかかります、長をしております、兼松です、那須の皆様のおかげで侍に怯える事も無くなり、安心して漁を行い、取りました魚も買って頂きまして皆喜んでおります、若様が来られるとお聞きし、どうしても一目お会いして感謝したいと集まりました、これからも那須の皆様と営んで参りますのでおねげぇー致しますだ」



「兼松よ、嬉しく思う、皆の者私が那須正太郎である、良くぞ集まった、心から嬉しく思う、父に代わり感謝致す、我らは侍ではあるが皆と同じ人である、その方達は漁民であったり農民であったりと、違いはあるが、役割が違うだけである、侍の役目は皆を守るが役目である、この地が那須の領地となったからには、我ら侍は命を懸けてお主らを守る、安心して仕事を行い、家を繁栄させるのじゃ、今日は皆に会えるのを楽しみに土産を持って来ておる、この騎馬の者達から頂く様に、あと10日もすれば新しい年が来る、家族で幸せな正月を迎えるのじゃ、ここにいる皆の者は、那須の領民である共に歩もうではないか、今日はご苦労であった」




一斉に頭を下げて感謝する一同で会った。



「兼松よ、困った事があったら何でもこの幸地に相談するのじゃ、この幸地は儂の重臣である、きっとそなた達に寄り添って解決するであろう、これからもこの浜を頼むぞ兼松」



「ありがとうごぜえますだ、若様ありがとうごぜいますだ」



うんうん、では皆の者に土産を配るのだ、と言って一人一人に配る正太郎、集まった者達の顔には笑顔が溢れ、竹筒に入った笹酒、新しい芋と麦菓子を渡し、頭を下げにこやかに解散した。



配り終え既に日も落ち、船の確認も明日となり、宿に泊まる正太郎達、夕餉の後に彦太郎達と懇談となる。



「正太郎殿、先程の様に大勢の前で話す事があったのですか、某あの様に大勢の前でまだ話した事がありませぬ、素晴らしいお話でした、どうすればあの様に話せる様になりましょうか?」



「彦太郎殿、それは彦太郎殿も村を頂いたと言われていたので、その村の者と話す様になれば普通に話せる様になります、農民も漁民も全ての者は安心して暮したいのです、佐竹の侍達は彼らを虐げていたのでしょう、相手の目が怯えているかどうかで分かります、目を見て話して上げれば此方の思いも伝わります、彦太郎殿も村の者達を慈しみ話かけてあげれば心を開き親しく話せる様になります、心配はいりません」



横で聞いていた菅谷が。



「某も正太郎様のお話に感動致しました、若様ならきっと問題なく行えます、ご安心下され」



「うんうん、ではこの二日間急ぎここまで来ましたので早めに寝ましょう、明日は新しい船など見て回りましょう」



翌日一緒に港に向かい、完成したという50石程の明船を模様した帆船を見学する事に。



「これがあの帆船か、思ったより大きいのう、これで50石船なのか?」



「はい、和船と違って船の構造が二重の壁で出来ており、外側の船板が壊れても海水が入らず沈没しない様に工夫されており、その分船が大きいのです、それと甲板の上と下にも部屋があり、海水が入らない様に工夫されております、よく考えられた船です、この大きさで50石程の積載量になります」



「菅谷殿どうであろうか、この船をどう思われる?」



「そうですな、外海は波も荒く、荒波にあたれば海水が船の中に入り沈没してしまいます、しかし、この船は二重の舟板で作られているのなら、確かに海水が入っても沈没は免れます、戦でも強い構造かと思います、帆が三つもありますので船足も早そうです、後は操船がどうなのかになります、和船は帆が一つです、この船は三つです、それも見たところ帆の向きが変えられ帆も閉じたり開いたりと、操船がややこしく慣れるのに大変そうです」



「実は明船で操船していた者が油屋殿から送られて来ております、明の者で奴婢という身分の奴隷だったと言っております、二人おりますのでその者から操船について色々と聞いておる所です、それと南蛮の奴隷で元漁師だった親子三名が見た事のない船を作りました、あそこにあります、丸太の木をくり抜いた船です、その横に変わった重りの木が付いた船になります」



「そう言えば他にも南蛮の漁師がいるとか文が来ておったな、その者達と会えるか?」




「今呼んで参ります」



「確かに木をくり抜いて作られた船である、なんであろうかこの横にある長い木は、菅谷殿解りますか?」



「器用にくり抜いておりますな、確かに船ですね、四人程が乗れますがこの櫂かいで水を搔きわけるのでしょうか? 横の長い木は何でしょうか? 帆柱も一つありますので帆も張れるようですね」



「連れてまいりました、この二名が明の奴婢という奴隷であった者です、こちらが南蛮の奴隷で漁師の親子になります」



「言葉は分かるのか? 話せるのか?」  



「はい大丈夫です、こちらの意味は通じます、明の者は漢字も書けます」



「お~では明の者から、名前はなんと言うのじゃ?」



「私は陳です、こちらが張です」 



「奴婢とはなんであるか?」



「奴婢とは身分です、家が奴婢という身分の家でした、奴隷では無く使用人になります、この国では下僕という身分です」



「半兵衛、奴隷と下僕は違う者なのか?」



「奴隷よりは身分がありますが下僕と似た様な者かと」



「そうであったか、二人とも安心するが良い、那須には奴隷という者はおらぬ、この船は二人で操れるのか?」



「二人では無理になります」



「ほう、二人では無理なのか?」



「二人なら帆の数を二本にしないとダメです、帆が二本なら動かせます、本当は三人いた方が良いですが二人でも大丈夫です」



「なるほどのう、菅谷殿どうであろうか、この者達から操り方を習い、小田殿の霞ヶ浦で操船が出来る者達を育成出来る学校を作って見てはどうであろうか、習うならいきなり外海より浦の方が良いと思うが」



「それは良いお考えかと、浦であれば波は静かです、我が一族の者も船乗ですので覚えも早く、この大きさの船であれば習いやすいかと思います」



「彦太郎殿どうであろうか、いずれこの船より大きい帆船が必要になります、那須の者には荷が重すぎます、浦で学ぶ者を育成するには小田殿のお力が必要になります、父上にお計らい願えないでしょうか?」



「素晴らしいお話かと思われます、この船を見ただけで興味が湧きます、この船が数隻あれば早船としても荷の移動も楽になります、是非浦に学校を作りましょう、最初は小田家で20名、那須で10名程でどうでしょうか?  恐らく船に慣れている小田の者が覚えるかと思います、そうすれば覚えたその者達からも学べます、それから那須の方々を増やし、操船出来る海軍衆を増やしましょう」



「お~それは素晴らしい案です、幸地この船は完成しているのか、もう海に出せるのか?」



「この者達の話では、船底に石を入れば船が安定するので、もう大丈夫だと言っておりました」




「であれば菅谷殿、この二人を引き渡すので他に何人か船に詳しい者を乗せて浦に連れいって頂きたいがどうであろうか?」



「それなれば船乗も連れて来ておりますから一緒に浦に連れて行きましょう」



「では陳と張よ、二人は那須家の船乗りの教官とする、小田様の所で皆に操船を教えるのだ、頼むぞ」



「はい、ありがとうございます、頑張ります」  



「それと菅谷殿これを渡します、羅針という物になります、この針が常に北を向きます、海の上で陸地が判らなくても北が判る物になります、これをお使い下さい、何個がお持ちしましたので、彦太郎殿もお使い下さい」




霞ヶ浦に海軍士官学校が出来るとは、考え深いものがあります。

次章「戦前の正月」になります。

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