前哨戦
── 上杉謙信 ──
謙信は武神毘沙門天の烈々な信仰心を持っており、本陣の旗印に『毘」』の字を掲げている、特に有名なのが生涯不犯(妻帯禁制)を貫き、結婚をせずに養子を得ている、変わった逸話に、配下の者が謙信の食事で出陣の有無を知ったという、倹約に努め質素に過ごす謙信が、戦の前に飯を山のように炊かせ、山海の珍味を豊富に並べ、重臣配下に振舞い、豪勢な食事に喜び、結束を固くし出陣したとされる、これが客をもてなす、お立ち飯、お立ち、として、今なお、新潟県や山形県の一部に風習として残っている。
謙信と言えば大の酒好きで知られ、過度の飲酒や塩分の摂り過ぎによる糖尿病性高血圧が原因の脳血管障害、現代の医師達も謙信の史料を見た所見も高血圧症、糖尿病、アルコール依存症、躁鬱気質だったとする見解が多い。
謙信の居城春日山城は、戦国時代を代表する山城、標高約180メートルの山に築かれ、2キロメートル四方に郭や空堀などが広がる、規模の雄大さでも全国屈指の名城、現代では春日山城跡は国の史跡に指定され戦国期の日本五大山城の一つ、五大山城とは、越後国の春日山城、能登国の七尾城、近江国の観音寺城、小谷城、出雲国の月山富田城が日本五大山城と呼ばれている。
そして生涯不犯を誓う謙信、しかしこの戦国時代は現代の性に対する常識とは違う時代である、この時代の権力者達は衆道者が多い事が史実として散見されている、織田信長は夜の御伴に森蘭丸を寵愛している、こんな乱交騒ぎもある、永禄2(1559)年、足利義輝の求めに応じて2度目の上洛を行った謙信、関白近衛前嗣と将軍義輝邸に招かれる、謙信30歳、義輝と前嗣は20代半ばの恐れ知らずの若者達、この時の事を前嗣は『きやもしなる若衆数多あつめ候て、大酒まてにて度々夜をあかし』と記している、要は若い美少年たちと乱痴気騒ぎを何日も行っていたとう話である、そして謙信の愛した衆道相手は直江兼続であったとされる、戦場で命をかけて戦う男達の時代、性に対する考え方が現代と違う事もある意味不思議な話とは言えないであろう。 尚、殿様から選ばれた衆道者は出世の早道とも言われている。
春日山城広間にて織田家との大戦について話し合われる事に、軍略について上杉家重臣、直江景綱、甘粕景持、山浦景国、上杉景虎、上杉景勝を集めての評定に、資晴の重臣、忠義、半兵衛も付き従い参加していた。
── 軍議 ──
「管領様、我ら三家にて話し合われた軍略をお話し致します、こちらの地図を見て下され、敵の織田家援軍が来る道は京から若狭、敦賀を通り能登を目指す道、岐阜から高山を抜け能登を目指す道となります、我ら三家は別々に北条家2万は小田原から甲斐に向かい上田を抜け越後に向かいます、我が那須家1万5千も会津から越後に向かいます、小田家は別の動きを致します、戦いが始まりほぼ両軍が全軍が加賀に集まる中、小田様には2万、北条家5千と那須家5千、計3万の軍勢を引き連れ、敵の弱点となる、ここを抑えて頂きます」
資晴から語られる軍略に唸り声が響く評定の間。
「小田家が抑えた事で反転するのだな?」
「はい、管領様、敵の軍勢も多く、此方も同様に多くの兵がおります、これ程多くの軍勢が集まり野戦で戦うにも北条家も那須もこの地は不慣れであります、10万以上が戦うにも広き場が限られております、であれば、敵には防戦していると見せかけ時間を稼ぎ、小田様の別動隊が敵の弱点を抑えます、織田家はその弱点を放置出来ませぬ、敵の織田家は必ず動きます、動かなければ織田家は終わりとなります」
評定で軍略を聞く中、上杉家四天王の一人、甘粕景持が声を上げた。
「那須殿、我らは管領家であり、御実城様は戦神でありこれまで防戦をした事はありませぬ、敵が来る以上叩き潰す策は無いのでしょうか?」
「甘粕殿ですな、管領様の上杉家だけでの戦であればご自由にされれば宜しいかと、しかし、三家の者達は上杉家の家臣ではありませぬ、その家臣達に犠牲を伴う策は回避しなくてはなりませぬ、最小の被害で最大の効果ある策を用いる、それが軍略です、孫子の兵法に『敵を知り己を知れば百戦殆うからず』とあります」
「敵の弱点を調べた上で策を用いる事であります、どうしても策を用いず織田家と正面から戦うとの話であれば我ら三家は手を引きまする、又、甘粕殿が最小の被害で最大の効果ある策があるのであればそれを用いる事は、その策を用いる事もやぶさかではありませぬ!!」
「甘粕殿、此度は三家が参戦する事で戦える事は充分承知しているであろう、相手が柴田だけであれば正面から潰せばよい、しかし、敵が織田本軍を従えて来るとなれば、今一歩深く考えねば取り返しがつかぬ事態を招く、ここは我慢し、那須殿の軍略が最良と思う、御実城様如何でありましょうか?」
「甘粕の申す事も最もである、敵本軍との戦いは我ら上杉家が担い、北条家、那須家には支援の戦いをして頂き、小田殿には隙を狙い抑えて頂き、反転は我ら上杉家が行うとしよう!!」
資晴が述べた最小の被害で最大の効果を用いる策が軍略であると語られた事で自然と役割が明確化された、上杉家は戦で敗戦と言う経験がほぼ無く、戦国大名から戦神という名が付いた。
資晴はこのまま春日山城に北条と那須の援軍が到着するまで滞在する事に、その間に戦とは違う数年後に起きる上杉家の危機の対処を行う為に、鞍馬小太郎にある者との接触を命じ、秘密裏に会えるように手配させた。
「その方が儂に用があるという那須の忍びであるか?」
「如何にも、軒猿殿でありますな、配下の者を下げて下され、二人だけで話さねばならぬ事があります!」
「断ったら、如何する?」
「では、これを見ても断れますかな!!」
鞍馬小太郎は軒猿に鞍馬天狗の家紋が記された袱紗を見せた、家紋を見て顔色を変える軒猿。
「お前達は下がれ、これより二人で話す、安心致せ!!」
「貴方様は、この家紋の・・・・でありますか?」
「如何にも、その昔その方が那須の地を伺っていた事も知っておる、某は其方に会う事は二度目である!」
「そうでありましたか、では某に話とはどの様な事でありましょうか?」
「ではこれより場を移ります、我らの若殿に会って頂きます、直接話を聞いて下され!」
その夜に資晴がいる部屋に通される軒猿。
「済まぬのう、態々お呼びして、何故儂が軒猿殿に話すのかを聞けばお判りになるであろう、これより話す事は上杉家の命運に関わる話になる、その上でなんとかそれを回避したいので軒猿殿の力を借りたいのじゃ!!」
軒猿にこれより三年後に起きる御館の乱を説明した、天正6年(1578年)3月13日の上杉謙信急死後、上杉家の家督後継を巡り、謙信の養子である上杉景勝(長尾政景の実子)と上杉景虎(北条氏康の実子)とのお家騒動に発展し上杉家は弱体化する事を説明し、密かに直江兼続と図り弱体化を防ぐ計を話され、動揺する軒猿。
「那須の若様は何者でありますか? 某には三年先の話をどのように理解して良いか、それと直江様にどのように離せば良いのか見当も尽きませぬ!」
「驚かして済まぬが、儂の話を信じても信じなくても先ずは動いてくれ、お家騒動が起きなければそれで済む話じゃ、しかし、起きてしまえば、それからでは対処出来ぬ、此度の織田との戦よりも被害が及ぶ乱である、儂はここにいる小太郎を通じ、其方と意思疎通を図る、其方は直江殿と意思疎通を図るのじゃ、儂はその時には既に那須家の当主になっており、当主となれば表立って動けなくなる、故にその方とここにいる小太郎にて、忍びの者同士でこの件を防ぐのだ、お家の一大事を回避させるのだ!!」
「判り申した、今の話を全て直江様に繋げます、小太郎殿よしなに願います!」
「大事の話である、謙信殿に伝えてはならぬ、直江殿だけに留めて今は動くのじゃ!!!」
── 勝家陣営 ──
「これより軍議を行う、皆の者よう来た、それで信忠様をお迎えし堂々と正面から上杉と戦える、信忠様が来る前に些か陣立てを考えたい、皆から意見はあるか?」
「柴田様、陣立ての前に信忠様が来る前に某那須に調略を試みたいのだが、その昔那須には殿の命にて使者として伺っておる、その際に那須の者は織田家の事を天下を采配するお家と認めていた、しかし此度は上杉家に付いておる、何かの事情があり、出来れば調略し、上杉から引き離したい、どうであろうか?」
「猿よ、その方は調子に乗り過ぎぞ、時には正面から戦う事も学ぶが良い、調略は時と場合を考えよ、浅井の時は国人領主が寝返ったが、あれは他の者達が退路を断ち封じ込めたから寝返ったのじゃ、お主は手柄を調子よく横取りし、当主になれただけよ、それと佐久間殿が追放されたから席次が上がったのじゃ、立場を弁えよ!!」
「なななんと・・・某にそのような事を言うとは・・・話にならん、相手は百戦錬磨の上杉家でありますぞ、あの手この手を使い勝たねばなりませぬ、弓刀で戦うだけが戦ではありませぬ、知略を使う事で弓刀も役立つのです、柴田様こそ知恵を使いなされ!!」
「なにを言うか、猿は猿である、人には成れぬ、儂の指示に従えば良いのだ、
「そこまでで御座る、柴田殿も羽柴殿も頭を冷やすが良い、我らは援軍として来ているがこの戦は織田家の大戦ぞ、共に分別ある軍議を致す場である、口を慎み戦局を有利となるよう考える神聖なる場であるぞ、殿がおりましたらお二方如何致す?」
「済まぬ滝川殿、興奮していた、許せ猿、儂が言い過ぎた!!」
「いえ私も余計な事を言いました、柴田様、滝川様、申し訳ありませぬ!!」
「そこでじゃ、羽柴殿の意見も考慮した上で先ずは織田家として正面から戦うが宜しかろう、その上で敵も大勢じゃ、一度の戦いでは決着は難しいであろう、戦が膠着した時こそ羽柴殿が裏から調略を試みるが良い、今行っても侮られるだけであろう、どうであるか柴田殿、それであれば羽柴殿から那須に調略も良いであろう!」
「判り申した、滝川殿そのように致そう、猿よ、それで頼む!」
「はっ、判り申した、その際はよろしく願います」
織田家には明智十兵衛と言う知略の者はおらず、人誑しという本能と貪欲なまでに人一倍の出世欲で地位を築いた秀吉と武力と言う侍の本質で這い上がった筆頭家老の柴田勝家とは別の者であり水と油である、両者は歩み寄り交わると言う事は無い、史実と同じであった。
両者をなんとか纏める役割は滝川しかいなかった。
「利よ、お前も儂の事を柴田様と同じ様に見ておるのか、正直に話して欲しい」
「儂は秀吉は立派だと思っておる、これまでにお前ほど努力している者はおらん、ただな、親父殿は根っからの侍なのだ、刀一本でこれまで来たお人じゃ、織田家の武を背負って来たお人じゃ、無骨者なのじゃ、だからお前にあのような発言をしたが、あれはお前を認めているから感情的に言うた言葉じゃ、許して上げて欲しい、悪い人では無い事はお主も知っていよう!」
「判った、では今回は忘れる事にする、でも悲しいのじゃ、上に立つお人にあの様に言われた事を儂は悲しい、この気持ちは判って欲しい」
その頃織田家本軍を率いて織田信忠は岐阜を出発した、この時18才の若武者である、織田家の嫡子であり父の背を見て育ち優秀なる素質を秘めた若者、父信長も自分より当主としての才ある者と認め近い内に家督を譲ると考えた逸材である。
織田信忠が織田家本軍3万の軍勢を引き連れ進軍を開始した、その報は瞬く間に四家に伝わった。
勝家と秀吉、生き方が違う者同士、史実と同じ方向に進むのでしょうか?
次章「苦悩」になります。
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