蝦夷快進撃


── 蝦夷快進撃 ──




1年7ヶ月前にナヨロシルクと義兄弟となり名を那須ナヨロシルクに、あれから三度目の那須から蝦夷に向けての交易船が到着した、船は那須駒を多く運ぶ関係で300石船と1000石船の大型船での半年振りの蝦夷となる、春と秋に釧路の厚岸湾と根室半島をぐるっと回り込み、根室湾の二ヵ所に停泊する。


那須ナヨロシルクが支配する地域は帯広側なのだが、襟裳岬から釧路間に波を防ぐ湾が無く、釧路まで来るしか無かった、本来なら、室蘭側に行きたいのだが、蠣崎の支配地域から近く、交易が露見しない様に不便でも釧路に停泊していた。


その分、那須ナヨロシルク達が大きく動けるように既に那須駒を300頭が渡されており、今回も60頭が渡された、蝦夷からは多くのぺト二の煮詰めた2斗樽が那須の船に、他にも沢山の昆布など海産物の干物が、那須から馬以外に米などの穀物類と鋳物などの鉄器と土器、それと刀を初めとした刃物類など沢山の品が馬200頭以上の荷車に積載され渡された。


那須ナヨロシルクの話では他にいる大酋長2名とも同盟を結び、那須ナヨロシルクを頂点に蝦夷内のアイヌ人が結束する方向で動いており、村々に渡す馬がもっともっと必要であるとの事だった、そこで次回の秋に100頭を持って来る事になり、来年には500頭の目途が付き、冬にアイヌ人による蠣崎へ向け戦を開始する予定であると、根室の大酋長イソンノアシにも話は通じており、根室側からも500名の戦士が集まり総勢3000名で攻撃を行う計画を伝えられた。



「那須ナヨロシルク殿、では那須に帰りましたらこの話を伝えます、我らも兵を用意致します、何名程いれば宜しいでしょうか?」



「蝦夷の地は我らが取り戻す、多くのアイヌの者達が集まります、弓と矢と食料の支援をお願い致す、兵は特に要りません、大丈夫です」



「では那須からは手助け出来る器用な者達をお連れ出来るよう若様に依頼します、次の春に来る時にお連れできる様依頼致します」



「それと根室に寄ってから帰りに又、来ますのでその時に那須にお連れするアイヌの方々をお乗せ致します、20日後にお会い致しましょう」



那須ナヨロシルクと一旦別れた後、帆船は次の寄港地根室に向かった。


根室の大酋長イソンノアシの話から蠣崎の件とは別に、択捉島、得撫島、千島列島の島々にいるアイヌの村と同盟を結び既に40近い村がイソンノアシを頂点に同盟が結ばれた事が伝えられた、今は、樺太にも使者が出張っており来春に戻る予定となっているとの事だった、そしてやはり馬の数が足りないと言う要望であった。



「イソンノアシ殿、お見事です、那須ナヨロシルク殿とのご活躍、実に素晴らしく感動しております、帰りましたら若様に多くの馬を依頼して次の便で持って来れますよう致します、所で助殿はどうされましたか? 見当たりませぬが」



「あ~助は儂の代わりに樺太に行っている、儂の娘婿であるから酋長の代理として行かせた、それに娘に又、子が出来た、二人目である、戻って来る時には生まれておろう、あいつなら大丈夫であろう」



根室でもぺト二の樹液と多くの海産物の干物、それと那須に来る者達50名を乗せて再び釧路に戻り同じく50名の者達を乗せ那須に向けて出港した、このアイヌの者達は倭国の言葉と文字の習得を目的に7才~10才程度の子供と面倒を見る大人達20名である。


アイヌの文化は口承文学であり、文字は存在していない、洋一から資晴にアイヌの文化は大切であり、現代では失われてしまった部分も沢山ある、特に疱瘡という疫病が広がった際に、疫病に対して免疫力が弱く多くの者が亡くなりアイヌ人の人口が極端に減ったとされる史実から、免疫の牛痘予防接種と文化を守るために文字でも口承文学を残す取り組みを行う為に多くの者を那須に寄こさせたのである。


現在のアイヌ人は日本語も勿論文字も書ける、しかし、この口承文学とは、代々の先祖の歴史、地域地域の昔の物語を一字一句間違わないで代々受け継がれ、何時間も語られる内容を代々覚えるのである、この口承文学の正確性は大変に優れており、文字を持たない民族ではやはり同じ様に口承で伝えられている。


ある言語学者が録音した記録と数十年後の三世代、四世代後の同じ家系の者から伝えられた口承を比較したところ完全に一致したという報告がある、、村々、家々によって伝えられる内容で大きな違いは先祖の生い立ちを語る部分であり、代々の先祖の一生が何代にも伝わるという凄い物である。


仏教における経典もそういう意味では釈迦の教えを口承で教えを受けた内容を編纂した物である、釈迦が法を説いた期間は49年と言われており、その間の教えは文字に残っておらず、そこで大切な教えを残すために、釈迦が亡くなった後に高弟達が集まり、釈迦の教えを一人一人が聞いた事を確認し間違いない内容に対して全員で合掌しそれを正しい教えとして、何回にも渡って編纂された物が今の経文となっている。



※ 余談だが、私は妻が昨日なんで怒っていたのかを翌日には忘れています、最近余りにも物忘れがひどい言う事で今年、無理やり脳ドック検査をやらされ、検査結果を見た医師が、脳に問題はありません、奥さんの話を忘れるのは、きっと、どうでもいい話だと脳が判断しているとしか考えられないと言う検査結果でした。

その話を正直に伝えるには、危険すぎて出来ません、そこで魚を食べるようにと言われたと説明しておきました。悪知恵だけは直ぐに働きます。




── 軍師玲子と洋一の意見 ──




「来年ですが、徳川家康に危機が訪れますが、それと息子の信康が何年かすると信長から武田に通じていたと言う理由で切腹になりますが、太郎みたいに救わなくて良いのですか?」



「なんだ洋一さんも知っていたのね、結構勉強しているんだね」



「なんとか少しでも玲子さんに付いて行ける様に本を読んだりしてます、家康が晩年に信康の事を切腹させた事を悔いる場面があったので、どうするのかなと思ってました」



「そうだったのね、結構信康って気が荒くて、信長に似ているとか言われているけど、私の見立ては全く違うのよね、気が荒いだけじゃなくて、思慮が足りなくて、人を殺す事に快楽を求めている節が見受けられて、信長とは全く異質な異常者だと私は判断してたの、信長が切腹を命じるのは家康を守るためよ」



「でもそれは作られた話では無かったのですか?」



「確かに盛られている話もありそうだけど、母親と同じ物事の善し悪しの分別が出来ない愚か者だね、太郎みたいに義とか持ち合わせていないと思うよ」



「そんなに酷い若者なんですか? おかしいな!」



「母親のもとで育ち、今も岡崎城で一緒に暮らしているし、長年母親が家康と信長の事に怨恨を抱いているから、母親と同じ憎しみの感情が宿っているの、信康の奥さんは信長の娘、徳姫って言うけどその奥さんの目の前で徳姫付きの侍女を殺すのよ、それも口の中に小刀を突っ込んで突き刺して殺すの、異常者よ、かばう気にもなれない、直ぐに切れて逆上する癇癪持ち、放置でいいと思う、救う事で手に負えない事になるから、ここは歴史通りにしましょう」



「判りました、では浅井も放置でいいの? いろんな書物でも信長に負けて戦で命を失う事を残念がられていますが、浅井長政の寿命もこのままではあと僅かになりますが?」



「それは私も何度も考えたよ、確かに勿体ないし、なんとかしたいけど、助けようとしても軍勢で動いているから助け出す場面が見つからなくて、困っていたの、浅井と朝倉は本願寺に逃げ込んで救い出す隙が見当たらなくて、このままだと史実通り進むかも!」



「お市と娘三人達は結局助かるけど、浅井を助けるのは相当難易度が高いからまだ手は出せないね」



「玲子さんがそう言うなら本当に難しいという事ですね」



「それと氏真が那須に来たそうです、資晴からどう対応した方がいいか悩んでいましたよ、一応太郎の館に横に別棟を用意したと言ってました」



「氏真か~、武将では使い道無いから、学校の教師でもやってもらうか、蹴鞠以外でも雅樂も出来るし、知識は高いからそっち方面が良いかもしれない、うん、それがいいね」



「今川家は多くの公家を庇護していた関係でその影響を幼い頃から氏真は受けていたんですね、蹴鞠が得意だったのは公家達と蹴鞠遊びをしていたからね、そう考えると玲子さんの言うとおり、知識を生かせば道は開けそうですね、何しろ今川という名前は将軍家の親族衆ですから名が知られていますから」



「じゃーそういう方向で資晴さんに伝えてみてね、後は蝦夷のアイヌだね、那須からだと遠くだからいざ戦闘がはじまったら那須ナヨロシルクに任せるしか無いかな? 応援の兵は不要と言っていたようだし」



「蠣崎って家は兵数がどの位なんですか?」



「この1572年頃の詳しい資料が見当たらないんだけど、私の見立てでは500程度、問題は蠣崎じゃなくて、津軽安東家なのよ、この時点では津軽安東家に蠣崎家が臣従している状態で、安東家から独立を画策してい時期なの、そこへアイヌの人達が蠣崎家を襲ったら、必ずまだ繋がっている安東家に支援を求めると思うの」



「安東家の用意出来る兵数はどの程度なんでしょうか?」



「2000~2500位用意出来ると思うよ、だからちょっと危険なんだよね、那須ナヨロシルクは安東家の事は知らないと思うよ、ほぼ同じ兵数だとちょっと危ない、いや敗北も考えられる、仮に敗北したら蝦夷同盟は瓦解するかも知れないね」



「それは大変じゃないですか、援軍は断られているし、相手は鎧兜を持っているでしょうし、アイヌの人達は防具など無いと思いますよ、負ける確率が相当あるかと・・・・」



「そうだよね、蝦夷の戦い、要は北海道の陸の中で援軍はダメだけど・・・津軽海峡の海の中では手を出しても大丈夫だと思わない?」



「えっ、どいう意味ですか?」



「蠣崎家は最初から函館にいるよね、では援軍の津軽安東家はどこにいると思う洋一さん?」



「津軽という名前があるから津軽半島ですよね?」



「正解です、正確には津軽半島の十三湊とさみなとになるけど、その十三湊一帯を領地として海運が盛んで船を多数持っている家よ、主に漁船だけど」



「玲子さん、ひょっとして援軍を北海道に到着する前に叩くって事ですか?」



「ピンポン! 正解です!」



「えっ、それだと、今度は本格的に那須と津軽安東家との戦いに発展しませんか?」



「そこは知恵の使いようかな、正面切って、那須の幟を掲げて攻撃すればそうなるよね」



「そこでちょっと知恵を使って、船の操船は那須の海軍が行って、船から攻撃する人達はアイヌの人達が行えばどうかな? これなら那須ナヨロシルクの顔も立つと思うけど、ちょっと強引だけど那須は手伝っただけだよね?」



「あっはははは、相変わらずですね、玲子さんには敵わないです」



「・・・・今、気になる一言が・・・何その相変わらずって?」



「・・・(やばい)え~と、玲子さんが冴えていると、感心しただけです」



「・・・じゃーそう言う事にしておくか、言葉には気を付けてね、こないだもお母さんに注意されたんだから、私が洋一さんを虐げているように見えるって、私以上に洋一さんを大切にしている人いないと思うけど、虐げているって、凄い言葉で言われたんだから、それから最近はフルーツサンドもやや自重してるんだから、罰として、晩御飯は洋一さんお願いね」

(いや何だかんだで、週のうち半分は作っていますが、昨日も作ったしと反抗出来ない洋一)



「はい、喜んで(笑)」



「良し、判れば良い、資晴さんには小田守治さんが作った30石の戦船を沢山造るように今からなら一年以上あるから、それと次回蝦夷に向かう時は和田衆の忍びを30名程連れて行く様に手配してね」



「はい、承りました」



「良し良し!」



何気ない、いつもの洋一夫婦の会話、しかし、この会話には戦う軍略がしっかり含まれており、今後の蝦夷の(北海道)展望を開く事に繋がる。





── 梅の苦悩 ──




梅は資晴から離れ、鞍馬達忍びが住む里に戻り、師の元で連日過酷な修行に励んでいた。



「まだじゃ、まだどこかに力を残しておる、力が残ればそれに頼り眠っている力が湧現しないと何度説明すればわかるのだ、今一度倒れるまで上段の路を走破するが良い、全て出し切る所から始まるのだ、気だけは残せ!」



梅は資晴が刺客に襲われた際に危うく命を失い、主である資晴の命までも奪われる所であった、梅は9才の時に優れた運動神経と類まれな天性の才を備えた女子の忍びとして幼い頃より認められ、資晴の百合付きの侍女として警護役で見習い侍女として遣わされたくノ一である。


修練の途中であったが、時々資晴の元でも鞍馬天狗による直々の修行を行い、技を磨いて来た、しかし、あの刺客が現れた時に対峙した瞬間に敵の忍びの方が強く、死と言う物に初めて直面、何時しか倒されており、資晴を守れなかった事を胸の傷跡を見る度に悔いる梅であった。


遡る事半年前に傷の治療と称し里に戻り、師である杉というくノ一を育てる頭領の指導を受け死と隣り合わせの修行に励んでいた。


師である杉は女の身であり、既に70を超え、見た目は何処にでもいる老婆と言えよう、鞍馬のくノ一達の名は樹木や花などから名を付けられ、頂点に立つ者だけに杉、欅、銀杏、楠、桜などの大樹になる名が付けられる、今はこの老婆である杉が頭領である。


厳しい修行を連日行う中、梅の才能が開花し覚醒を始めた、人とは不思議な能力が備わっており死と隣り合わせの修行の中で、それに抗う生という本能が目覚め、一段上二段上の境地を知らずに会得する、極限の中でこそ得られる境地である。



「梅よどうやら会得したようだな、良いか、敵も死と戦っているのじゃ、戦いの中で、どちらが先に死の境地を克服出来るか、忍びの技とはその境地を得てこそ本来の力が発揮出るのだ、お前の帯で敵の手を縛り封じた事は見事であるが、そこで油断が生じたのだ、敵は誘ったのだ、それを見抜けぬ事で打倒されたのじゃ」



「帯で敵の手を封じ、次に敵がどう動くかを予測せずに飛び込むは己の力を過信した愚かな行いじゃ、今なら判るであろう、それとくノ一の武器は小刀と苦無だけじゃ、那須資晴様を守るにはもう一つ、もう二つと工夫が必要であろう、くノ一の大樹の者達にしか出来ぬ技を授けよう、会得出来るかどうかは梅次第じゃ、一度しか見せぬぞ!」



「良いか、この動きは相手が一人又は二人の時だけであり数名の者に囲まれては通じぬ、敵の数が1名か2名であり、正面から見て左右に対峙した時に使う技じゃ、良いか半身の上体は戦う姿勢で残り半身の腰から下の足の動きを見て記憶するのじゃ、良いな、見ておれ! こうじゃ!!」



「ほうどうやら見切れたようじゃな、この動きを千鳥と呼ぶ! 次は苦無じゃが、特別な苦無を授けよう、これは飛苦無の一種であるか、飛燕という特殊な苦無じゃ、扱いは難しく、投げると自分に戻り受け取りに失敗すれば自らを攻撃される苦無じゃ、これは敵が複数いても使用出来る武器となる、攻撃力も強く敵の注意をこの飛苦無に向けさせる事も出来る、必勝の武器となる、見ておれ、儂が投げる腕の曲げ具合と、手首の返しを良く見極めよ! あの樹向かって投げるぞ、行くぞ、見極めよ!」



「どうじゃ、枝を切り裂き苦無が手元に戻ったであろう、呑み込めたか、後は調練の繰り返しじゃ、この苦無は『飛燕』という鞍馬にしか伝わっていない苦無じゃ! 梅に授けよう、そして資晴様を御守り致すのじゃ!」



「これで儂の役目も無事に終えた、何時でも戻っても良いぞ!」



「お師匠様、お師匠様、ありがとうございました」



里を後にする梅であったが、ふ~やれやれ、中々帰ろうとしないから技を授けてしまった、まあーこれでそう簡単にはやられないであろう、では儂も元の姿に戻るか、変装を解き、老婆の姿から30代後半の普通の女性に戻った杉であった、奥底の見えない鞍馬のくノ一と言えよう。




梅ちゃんが『千鳥』『飛燕』という技を習得した様ですね、資晴の『一閃』と『朧』という技もありましたよね。

次章「包囲網と信玄」

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