第48話 美濃騒乱

 東北は伊達、会津蘆野、最上を中心に、関東は上杉、北条、武田、佐竹、東海近畿は織田、斎藤、京周辺は六角、三好、浅井、西国は、毛利、尼子、長曾我部、九州は大友、竜造寺、島津、と言った大きい大名を中心に、その周りを衛星の如く、隙を狙い中小の大名が、のし上がろうとしていた。





関東の荒ぶる戦神謙信が嵐を巻き起こす中、美濃の国でも、お家騒動となり、織田信長が隙を狙い、美濃を揺るがす事態が起きていた。



1554年引退に追い込まれた斎藤道三、息子義龍が継ぐも、1556年にお家騒動が、引退に追い込まれた道三と息子義龍が争い、ついに長良川にて戦となり、父、道三を誅する、下剋上が起きた、その時、尾張から織田信長が道三の救援に向かったが間に合わず信長は撤退した。



史実では、義龍は足利義輝将軍より一色氏を称する事を許され、姓を斎藤から一色に変えるも永禄2年(1559年に義龍が病死に、父、義龍が亡くなり息子龍興が14才で家督を継ぐも祖父、父に比べ凡庸であり、評判の悪い、斎藤飛騨守を重用し、家臣の信頼を得られず美濃国は荒れていく、家臣が龍興を見限り、森可成、坂井政尚、堀秀重、斎藤利治、明智光秀等が離れていく。



織田信長が1561年、森部の戦いなどで、弱みを見せる美濃の国へ触手を伸ばす事に、1564年2月、竹中半兵衛が稲葉山を襲い、龍興は逃亡、同年、4月、竹中半兵衛が、龍興に荒れた生活の改善、政に目を向ける、一部の者だけを重用しない事などを条件にし、稲葉山を放棄し、城を龍興に返還する。



竹中半兵衛はこの一連の騒動の責任を取り、家督を弟に譲り、隠居に、関東は上杉、北条を軸に、東海近畿は織田、三好、六角、浅井、又、足利将軍家が権威を取り戻そうと画策するなど、目まぐるしい動きと戦が起きていた。



戦国の螺旋模様は、応仁の乱(1467年)より戦国期に入ったと言われてより、100年近く経過し、戦乱の出口を求め熾烈な後半期に突入していた。





── 那須家 ──




1564年1月中旬、小田家重臣、菅谷と那須家重臣達と5月の佐竹との戦について烏山城にて、密かに打ち合わせが行われた、小田家では今回の佐竹に対する戦を100年に一度の好機であると考え、動員兵力を2000として、万全を期し、那須家の軍略通りに推し進める事になっていると報告がされた。




「小田家当主、小田氏治様より言付けをお預かりしております、那須資胤様より騎馬隊の調練に指揮官を派遣して頂き、騎馬隊の調練も滞りもなく終え、騎馬隊が一段と頼もしく成長を遂げる事が出来ました」




「さすが那須の騎馬隊指揮官で御座います、これにて一段上の戦いが出来ます、先に頂きました那須駒30頭の代金として塩と矢3万本をお持ちしましたのでお収め下さい」



「これは忝い、塩についても、なにかにつけ小田様にご配慮頂き感謝しておる、嫡子正太郎も、船を度々お借りし、重宝しております、これからも良しなにお願い申す、よろしく小田様にお伝えください」




その後、5月の佐竹侵攻に備え、詳細に確認し終えたのである。





 ── 正太郎 ──




2月下旬、軍師玲子からの指示を受け洋一からある人物に接触する様に正太郎に伝わり、小太郎を呼び出し伝えた。




「京周辺、北近江周辺で、ある浪人が仕官先を探している、その事を天狗殿に伝え、急ぎ探してその者をこちらに来て頂ける様に手を打ちたい」



「はっ、分かりました、これより父天狗に配下の者を都合付けて頂きます」



「頼む、やや広範囲となるのでそれなりの人数が必要かと思う、その者に会う事が叶えばこれを見せて欲しい、父上からの手紙と朱印だ、費えはこれを使ってくれ」



翌日には鞍馬天狗に内容が伝わり、10名の配下を、京、北近江に派遣した、その際にその地域の草を使い、情報を集める様に指示をした、正太郎が接触を試みようとしている者は、斎藤道三に仕えていた者の一人である、道三が息子義龍と長良川での戦いの際に、ここで死んではならない、と道三より無理やり放逐された者である。



鞍馬の配下は、数日後には正太郎から指示を受けた内容の浪人を探すべく現地の草を使い探索を開始、鞍馬が捜索する中、草から早速、最近美濃より来たという浪人が仕官先を探している、その者は京にいると報告を受け、鞍馬の配下が宿泊先を突き止め、接触を試みるのであった。



「その方が私に用があると言われておられるお方ですな」



「はい、その通りで御座います」



「お聞きしました処、仕官先をお探しかと、私どもの主より貴方様の元に伺い、是非当家に仕官をお仕え願えないかとの話で御座います」



「なるほど、確かに某は仕官先を求めております、しかし、どこでも良いという事でありませぬ、だが折角なのでお話しだけでもお聞きしましょう」



「主とはどこのお家のお方でしょうか? どこでその様な話をそちの主はお聞きしたのでしょうか?」



「私は使いの者であり、某の主が貴方様の事をどこでお聞きしたのかはお聞きしておりませぬので説明は出来かねます」



「此方に当主より貴方様へお渡しする様にとお預かりした文があります、こちらをご確認下さい」



配下より、那須家当主資胤より、書かれた文には、嫡子正太郎へ、嫡子に仕えて欲しいと懇願された事が、正式に那須家当主にて仕官承認の朱印が書かれた文であった。



「本当に私宛に書かれた文なのですね」



「もう一通、嫡子様から貴方様へ書かれた文を預かっております、こちらをご確認下さい」




「・・・ほう、ここに書かれています事ですが、近い内に那須家にて戦が起こると、那須家が戦国の世を切り開く戦になると、その戦いぶりを観戦し、自分に仕えるかどうか判断して欲しいと書かれています」




「戦があるという事なのですね」




「嫡子様の事について、お聞きしたい」




「嫡子様は、正太郎様と申します、齢7才で御座います、聡明である事横に並ぶもの無し、那須家重臣達も一様にその先見の明なる力をお認めになり、間もなく行われます戦を見据え、齢7才ではありますが、那須家軍師に就任致しました」




語られる話を聞き、驚きと困惑が入り混じる浪人。




「貴方の話は本当なのですね? 7才の童が軍師と言う話を聞いた事は過去にも古今東西何処にもありませぬ、その様な神童は存在しません、あり得ませぬ、その様な世迷い事などあってはならない話です、某を浪人と思い見下しておりませぬか」



語気を強めに憤り話す浪人に。



「某の知る話をしたまでで御座います、これでも嫡子様のご説明は控えめに話しておりまする、貴方様が言われた、古今東西その様な神童はあり得ぬという事でありますが、1人だけおります」




「何、では、誰であるか名前を教えて頂こう」



「はっ、某が知っていますおか方は、僭越では御座いますが、そのお方のお名前は、『上宮之厩戸豊聡耳命』(かみつみやのうまやとのとよとみみのみこと)様、又、他の名を、『厩戸豊聡耳皇子命』(うまやとのとよとみみのみこのみこと)様で御座います」




顔色を一気に変える浪人・・・・・・まさか、その方・・とっ言って浪人は配下の目を見つめる・・・配下の者も真剣な眼差しで浪人を眼光鋭く見返す。




「その方が今述べた名前は恐れ多くも、聖徳太子様で間違えないか?」




「間違い御座い申さぬ、ただ御一人、聖徳太子様で御座います」




静寂に包まれる部屋・・・・まさかその様な途方もない名が其方から出るとは・・・・




「これは某の負けである、この日ノ本でその名を出され、応えぬ者は逆賊に等しいであろう、どの様な神童様か、某、この目で見という御座る」



「今の話を聞き、些か行きたい処があるゆえ、暫しお時間を頂きたい、嫡子様の元には必ずお伺い致します、と、お伝え願いたい」



「はっ、ありがとうございます、失礼ですが、こちらを嫡子様よりお預かりしております、費えのお役にお使い下さい」



浪人に50貫という大金を渡した。




「こっ、これは、些か多すぎるという物、某まだ仕官するとは決めておりませぬ、いかに某が図々しい者であったとしてもさすがに受け取る訳にはなりませぬ」



「恐らく断るであろうとその場合、嫡子様から、貴方様の見聞を広める為に役立つのであれば仕官に関わらず、日ノ本の徳になる事ゆえ、気になさらずにと若様から渡されたのです、遠慮せずにお納め下さい」



言葉がでない浪人、拝礼し黙って受け取るしかなかった、配下と別れた後、浪人は美濃に足を向け、懐かしい景色を見ながら、隠居しているある若者の家を訪れた。



「お久しゅうございます」



「こちらこそ懐かしく又、元気なお姿を見て安心致しました」



「それにしても大胆に主を諫言致しましたな、国中が大騒ぎとなり、都でもその噂が持ちきりです、さすがは、今孔明である、しかし、隠居とはまだまだ早すぎます、まだ20で御座いましょう、某など35で仕官先を求め四苦八苦しておると言うのに」




笑いながら暫し歓談する二人。



「ところで今日はどの様な用向きがありましょうや、昔話だけでもうれしいのですが、貴方様なら何か思惑があっての事かと」



「やはり判りますかな、ではこれより本題に入りましょう、某の殿であった、道三様をお味方した事により今の美濃当主龍興殿より、某の城は接収され追放となり、今は仕官先を求め四苦八苦していた処、思いもかけぬ処から声がかかったのです」



「ほう、では、仕官先が見つかったと言う事ですな」



「それがその話、些か某の頭では理解出来ぬ想像を超えた話故、今孔明のそちの聡明な千里眼にてその家に共に訪ねた方が良いかと思案し訪問したのである」




「貴方様の頭で理解出来ぬ話では、某でも理解は出来ませぬぞ」



「先ずは、これを見て頂きたい」



「・・・・ではこの那須家より仕えて頂きたいという要請ですな、嫡子へ仕官して欲しいとの内容ですね」



「こちらの文も読んで頂きたい」



「それにしても那須家ですか、久しぶりに聞くお家の名ですね、下野国、奥州の手前だったかと、失礼な言い方ですが、この戦国の世では聞かぬお家ですね」



「この文を遣わした者から那須の嫡子についてどの様なお方なのか聞いた所、まだ7才でいるにも関わらず、那須家の軍師に就任したと、重臣達もその7才の軍師に付き従っていると、配下の者が神童であるとの話です」




「私よりその様な神童など古今東西この世にいないと、戯言だと一笑にしようとしたのですが、なんとその配下は一人だけいると延べたので、ではその名を明かせと言いますとなんと、恐れ多くも」



「『上宮之厩戸豊聡耳命』(かみつみやのうまやとのとよとみみのみこと)様、又、他の名では、『厩戸豊聡耳皇子命』(うまやとのとよとみみのみこのみこと)様で御座います、と、いい放ったのです」




まさか・・・・聖徳太子様・・・・・言葉を失う今孔明であった。





この戦国後半期1560年頃~1585年、秀吉が関白とし宣旨を受けるまでが一つの節目、那須家は1564年を迎えていた。


次章「卯月」になります。

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