新年会・・・1


 ── 那須資胤帰還 ──




11月に入り無事に京から帰還した資胤、京で感じた事は帝との目に見えない繋がりを紡いだ資胤であったが武家の棟梁である足利将軍家と生じた事件は一地方の領主には思いの外心労を抱える出来事であり、本来あってはならない出来事であった。



那須全体に及ぼす出来事であると考え早々に評定を開いた、各七家に影響が及ばぬ様に少しでも軽減しておきたかった資胤、皆の者今申した様に帝とは強き誼が出来たと思うが、よりによって足利義輝将軍とは決別に近い事態が生じてしまった、済まぬ、皆に心から詫びる、と頭を下げた、話を聞き終え、千本が今のお話のを聞く限り、理不尽な申し立ては将軍側であり御屋形様に瑕疵は見当たりませぬ、その上で家に影響が及ばぬ様に考える事が肝要かと考えまする、ここは関東管領上杉様に事の次第を告げ善処を図る方がよろしいかと思われますが皆さま如何でしょうか? と冷静に話す重臣達。



福原からも確かにその方がよろしいかと、ただそれだけでは当主の資胤様の首に刃を向けるとは由々しき事であります、見過ごせませまぬ、屋形号を得ている家に対して無礼千万な振舞い、むしろこちら側から此度の事を将軍家にどの様な心得を持ってその様な愚かな事をしたのかと、申し述べるべきではなかろうかと思われます、苦虫を嚙む様な評定の中、正太郎が声を上げた。



「皆様のお怒り御最の事です、しかし、皆様が騒がずとも良いかと思われます」



「なんと嫡子様がその様なお心得であると、某、ちと納得いきませぬ、父上である、当主の首に刃を向けたので御座います、これは由々しき事で御座ります」



いやいや、大関様、先ずはお聞き下さい、皆様重臣の大人達が大きい声を上げれば、将軍家とて、意地でも非を認めませぬ、そこで、わたくし7才の童が此度の事で、父を思うあまり憤りの声を上げた場合はどうなりましょうか? 皆様が声を上げるより、将軍に打撃を与える事が私の7才と言う立場であれば出来ると思います。



「それはどの様な事でありますか?」



「簡単です、66ヶ国の領主に此度この様な失態が幕府で起きました事、息子の私は父の仇は打てませぬが、領国の皆様にこの様な失態を行う将軍家に私の代わりに、御所をお守りする役目を真面目に行う様に太守の皆様から諫言して下さい」



「そうでなければ私の父上が義輝将軍様自らの手で父の首まで切られようとした愚かな事態が、今後は皆様まで及ぶかも知れませぬ、帝をお守りする将軍様が、帝をお守りせずに代わりにお守りしたお家の当主の首を切ろうなとど二度とあってはなりませぬ、という様な文を私の名で出したらどうでありましょうか?」



「今の話、7才の息が書かれた手紙が各領国の国主に届き、その事を知った幕府の面目は地の底に落ちるのでは無いでしょうか? 幕臣は恥ずかしく外を歩く事もままならず、将軍も恥ずかしくて部屋から出られないでしょう、それ程の攻撃力が備わった文になろうかと思われます」



「我らがどんな事を行うより、効果絶大であり、7才の子供ゆえに咎める事が出来ない文であろうかと思われます」



一同頷く評定であった。



「父上、此度の事は、黙って見過ごせば、幕府はつけ上がり、難題が那須に降り注ぐでありましょう、管領殿には経緯をお伝えし、私からは、父上を守るという義憤から7才の子供が書いた文であれば、幕府も手を出せず、この話を聞いた者は非は幕府にあり、刃を抜くなど愚かな事をしたのは将軍であると誰もが理解するのではないでしょうか?」



「ふむー、その方は益々、人の心を利用する事に長ける様になったのう・・・驚いたわ」



その言葉に笑いが響き渡る。



「確かに7才の子供が書いた文では反論すればみっともなく大人げない、本当にあった出来事故隠しようが無い、これは相当痛いしっぺ返しぞ、無理難題を押し付けたくも恥を晒すだけで出来ぬ、儂の首に刃を向けた代償と釣り合う、御釣りがあるやも知れぬ、よし正太郎文を書き領国に送るのじゃ、見ものである」



「では皆さま、これより私が頑張って文を書き送りますのでここはお怒りを鎮めて下さい」



「次に皆様に報告があります、正月に待望の澄酒が完成します、濁酒ではなく透明なお酒です、試しに忠義に飲ませた処、余りに酒精が強く、喉越しが素晴らしく、今生の思い残す事がないという馬鹿な事を言う程美味しい酒だそうです、佐竹に勝ち、領地を増やし、石高も大いに増えました、正月は思う存分飲める様に澄酒をお飲み下さい」



「正月に振舞う酒は費用が掛かりませぬが、各お家に渡す澄酒には費用を頂きますのであしからずとなります」



「あはははは、それはそれは、しっかりと支払わなければなりませぬな、わっははは、それにしても忠義が、今生に思い残す事が無いという話は笑えます、わっははは正月が楽しみです」



正月まで一か月と迫った年の瀬に、下野国那須家より66ヶ国の当主と、主な公家衆と有力な寺社仏閣にまで幕府で起きた失態、将軍義輝が行った暴挙が書かれた文が届き、上や下でこれはこれは、痛快である、よくぞ国々へ知らせてくれた、7才の子供が父上を心配し、さらに幕府と将軍を、見事諫めている、これは痛快なる文である、よしよし、儂自ら返書を書こうではないか、と褒めたたえる家もあれば、7才とは言え幕府と将軍に失態の責任があるとは言え、この様な恥を天下に知らしめるとは、無礼千万である。と憤る家もあった、しかし、表立っての抗議は流石に出来ず、文を放置した者もいる。



堺油屋も誼にしている正太郎からの文を握りしめ、有力な会合衆に見せて回り、これは痛快である、見事な反撃である、なんという神童であろうか、と口々に広まり、油屋にどの様な童なのか聞きたいと、それはそれは引っ張りだことなる油屋であった。



一番喜んだのは、朝廷であった、特に帝が日頃から将軍に対して、あの愚かな者が将軍故この様な乱れた世になるのである、との思いが強くあり、そこへ起きた、小田家那須家当主の命の危機と知り急ぎ山科を遣わしギリギリ首を切らずに救えたという事件に、幕府、将軍に対して更に信を失い、憤りが溜まっていた所へ届いた文を見て、これは正に痛快なる文であると、鬱憤を晴らす痛快なる事が書かれた、我が意を得た内容である文であると喜ばれた。



関東管領上杉謙信、この様な愚かな将軍を支えねばならぬとは、支えがえの無い将軍に失望したが、それにしては7才の嫡子正太郎という子がこの文にて見事敵討ちしたと感心した。



甲斐の国武田信玄、ほほうこれは面白き文が来たぞ、幕府がこの様に愚かであれば、儂がいずれ天下に躍り出て、新たな将軍を支える形で武田家が天下に号令を布せる日もあるやも知れぬ。



小田原北条氏政、これは又痛快なる文が届いた、それも那須の子倅が書いた文とな、これでは幕府の権威も地に落ちたのではないか。



織田信長、なんだこの文は将軍を嵌めるかの如く悪辣な文では無いか、あの那須資胤の嫡子が書いたと言うのか、鉄砲も使わずに戦に勝つなど、俺を愚弄しおって、那須などどうでもよい。



三好家、やはり将軍は馬鹿者であったな、凝りもせず三好を討て討てと諸国に檄を放つ馬鹿将軍だと誰もが気づくであろう、将軍を支え、幕府の代わりに費えを賄い朝廷を支えて来た我ら三好を討てなど、愚かな将軍だと証明された、実に良い文である。



島津家、ほう、東国の遠き下野の国であったな、源平の戦で活躍した那須与一の系譜であろうか、此度はたった一通の文で幕府を打倒して居る、見事な一手である、この者が家を継げば世に躍り出るやも知れぬ、ここは面白き文の返礼を遣わそう。



幕府足利義輝、おのれおのれ、許さん、将軍を、将軍をなんと心得ておるのか、皆の者戦支度を行え、これより那須を攻め滅ぼす、諸将に檄を飛ばせ、この儂を虚仮にしおって成敗せねばならぬ、皆の者戦の支度をするのだー。



「この上まだお恥を上塗り致すのでしょうか? 確実に朝敵となり将軍職も剥奪されます、ここは見て見ぬ振りが寛容かと、そもそもこの事態を招いたのは摂津晴門が悪辣な言いがかりを那須殿に失礼な物言いを行った事が原因です、ここは堪忍しか御座りません」



「おのれ和田、まだ儂にその様な物言いをするのか、その方これより蟄居いたせ、この館から出よ、その方の面を、許しがあるまで見せるな、蟄居せよ!」



この事で和田は蟄居と言う愚を将軍は行った。



佐竹義重、調子に乗りおって、今度は将軍に諫言だと、今にみておれ、我らに一時勝ったからと調子に乗りおって、那須と小田は絶対に許さん!



等々国中に影響を与えた正太郎の文、この文により正太郎の名は広まる事に。




── 新年会 ──




烏山城には例年になく大勢の者達が来訪していた、新しい領地の国人領主、代官を初め、商人から村代表の名主達まで新年の挨拶に訪れていた、最初に重臣達からの挨拶を受け、次は部屋に入れなかった領主や代官、と部屋入れ替えが三度行い、最後に商人や名主から挨拶を受けた資胤と正太郎。



挨拶が終われば、それぞれが部屋を移動し、各部屋で澄酒が配られ烏山城で新年の宴会が始まった、資胤は重臣達の所へ、正太郎は母上の元へ行き新年の宴が始まった。



賄い方も大忙しである、今年は海の魚も用意されており、さらに澄酒という極上の酒が飲めるのである。



しかし、この新年会には風変わりな公家も参加していた、その名を錦小路忠直という半家の公家である、半家とは官位が上位の位を得ていても拝殿が許されない公家の事であり、拝殿を許された公家を堂上家と呼ばれ、御所の清涼殿南廂にある殿上間てんじょうのまに昇殿する資格を世襲した家柄とは違う半家の公家が参加していた。



新年会では武家達に交わらず正太郎の近くで一杯やっていた、近くにいる公家を呼び寄せ、どうして那須に来たのかと聞く正太郎。



「麿が来た理由は簡単です、那須のお家に身を寄せれば食べて行けるからです、なんとか家族を養い生きて行けると判断したからです」



「それはまた、どんな理由でそう思われたのでしょうか?」



「簡単でおじゃります、御所は荒れており、私の様な拝殿も出来ない公家は家職を頼りになんとか糊口を凌いでおりましたが、それも儘ならずそれに、御所が襲われた時に那須の騎馬隊のお方に助けて頂き、あそこに降ります千本殿に助けて頂き、いろいろ話を聞けば那須の皆様とお聞きし、京より離れており、安心なのでは思い、来させて頂きました」



「ほうそれは、当家を頼って頂ありがとうございます、して家職とは何が専門なのですか?」



「はい、麿の家は代々医道を行っており、薬剤も作るなど医道全般を行っておじゃります」



「これは良い話です、後ほどゆっくりお話ししましょう、ささこれもどうぞ、凄く美味しい鯛の塩焼きで御座います、ささどうぞ。」





手紙の効果絶大ですね、それから鯛の塩焼き食べたい・・・・です。

次章「新年会2」になります。


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