上京・・・3


戦国期の主な野盗の特徴は領内の農民足軽とは違い、銭雇いの荒くれ者が大半である、特定の主家を主人にしておらず、銭で雇われた者達が、銭払いが悪い雇い主を見限り、簡単に野盗などを働く者達が大半であり、強盗、殺しを躊躇なく行い、悪行を平気で行う者達であった。



三好家の当主であった三好長慶が7月4日に亡くなり、三好を支えていた者達による主導権争いが起き、松永秀久、三好三人衆、三好長逸・三好政康・岩成友通による内紛が生じた事により、銭雇いの者達が三好の争いに巻き込まれて命を失うなど馬鹿馬鹿しい話であると見限り、京の町を治安を守る者がいない京を狙い襲い始めた。



那須家と小田家は武装を整え急ぎ御所内裏正門の朱雀門に集合し、朱雀門の内側は帝が住む住居などあり、この門を突破される訳には行かない門である、朱雀門に門衛舎人20名が門前に柵を設置し篝火台を設置し、火を灯し始めていた。



そこへ那須と小田の兵士が集まって来た事に涙を流し安堵していた、直ぐに舎人の隊長と那須資胤と小田氏治にて、警備について打ち合わせが行われた。



我らは内裏内の事は不案内ゆえ、内裏内は舎人が、門前と周辺、御所周辺の治安警備を行う事に、朱雀門護衛は小田家70名、那須騎馬隊30名、計100で守り、小田兵で大内裏周辺を20名1組の隊を10組作り警戒に、御所正門の羅城門に小田兵30名、那須騎馬隊20名を、計50名で警備を行い、周辺に15騎1組の騎馬隊15組を編成し巡回警備する事になった。



野盗を見つけた場合は容赦なく殲滅、捕縛した場合は侍所に引き渡すという事にし、京の治安を守るべく配置し行動を開始したのである。



京の町とは、碁盤のマス目に道が出来ており、羅城門が御所と呼ばれる平安宮(町)の正門、その門より奥に直線で約3500mの所に朱雀門がその門、内側が内裏となる、幅約4400m×奥行き約5100mのやや長方形の形が大まかな平安宮御所と言える、この大きい長方形の町を巡回し守ろうとしたのである。



この平安宮と呼ばれる所には寺社仏閣と多くの公家衆の屋敷があるが、上位の公家衆は内裏に近い所に屋敷があり、公家でも下位の者が内裏から離れておりいる、寺社仏閣では特に力ある寺社では僧兵がいる、僧兵は他宗の寺社まで守らず、自己中心的な対応しかしない。



帝を守る鞍馬天狗の話では、長方形の御所内真ん中近くまで郎党が押寄せていると報告を受けており、緊急を要する事態であった。



小田と那須でそれぞれ巡回警備を行う為に隊が組まれ那須は主に騎馬隊での治安警備が始まった、既に夜中であり、真暗闇の中で始まった、しかし、馬と言うのは夜行性の能力を持っており暗闇でも人間より視力が優れており、ネコ科と同じ様に目の奥に僅かな光を捉える機能を備えている。



騎乗では進む方向を指示すれば人には周りが見え辛くとも馬の方で障害物を避け進む、千本義隆も一隊を率い羅城門を正面に見て左側信濃小路を進むと前方に怪しい人影を見つけた。



あそこに怪しい者達がいる、急ぎ家を囲めと指示をし、怪しい者達に義隆が、その方ども何をしている、そこになおれ、と命令する。



急に現れた武士に、なにをー、邪魔建てする気かー、おうー野郎ども、こ奴らを血祭りに上げろと声を出し、家の中から10名はいたのであろう野盗達たちが現れ、乱戦となった、しかし、騎馬隊は襲い掛かる野盗達に一斉に矢を放ち、あっという間に5名が打ち取られ、慌てふためく野盗達が逃げ始めるが、そこへ容赦なく矢を放ち打ち獲った。



結局この時に仕留めた野盗は8名、重傷を負わせ負傷した者が4名、素直に捕縛された者が3名であった、その後も他の騎馬隊により、この夜だけで、亡くなった野盗が40名、負傷者が30名、捕縛した者は30名を超えた。



御所周辺では治安警備が及ばず、民家や商屋なども相当な被害を受けており、幸い御所内で襲われた公家が6軒と小さい寺院1つが襲われただけであった、襲われた公家衆は、近くの有力な公家に避難するなどしており、小者三名が命を落としただけであった、寺院もお堂が荒らされたが他に被害は無かった。



翌朝、足利将軍家、足利幕府に昨夜の事を朝廷からの依頼で治安警備を行った事、亡くなった野盗と捕縛した者達を侍所に報告し届けた、本来は御所の治安警備は幕府の仕事であり、那須家及び小田家が行う事ではない。



この事は火急の事とは言え、幕府は面目を失い、余計な事をされたという逆恨みを抱く幕臣がいた、幕府を支える幕臣達の讒言で両家に対し、逆恨みをする将軍、足利義輝。



そもそも帝に挨拶を行ってから何故直ぐに将軍の元に挨拶に来ないのか、将軍をなんだと思っているのだ、と幕臣達からの讒言を聞き、その通りだ、将軍を馬鹿にしているという感情を抱いた義輝。



実際は事前に帝への挨拶を終え、公家衆との歌会を終えた後に将軍家に幕府に来れば良いという返事があり、その様になっていた、将軍の顔色だけを窺い、同調するだけの虎の威をかりる狐が跋扈する幕臣が多く、その事に嫌気を感じ離れて行く者も多かった。



足利幕府が急速に弱体化した理由に、この年、1564年に侍所の執政伊勢氏に代わって、新たな政所執事として摂津 晴門が起用された事による混乱が主な原因であった。



侍所は武士の統率、京の警護という重要な役目のある機関であり、将軍を支える柱の一つである、その長官である執政が伊勢氏から突如摂津氏に代わった事により、それまで辛うじて回っていた機関が摂津氏による怠慢な運営が主な混乱の原因と言われている。



那須家、小田家による治安警備の効果は、幕府が面目を失うも、その効果は翌日には元三好の野盗達は京周辺から姿を消した事で公家衆からは絶大な支持が寄せられた、数日後には治安警備の兵数は半数ほどに縮小され、領国に戻るまで御所と内裏の警備は続けられる事とになった。



四日後には無事に歌会が開催された、小田家は歌の心得があるという事で当主小田氏治が出席、しかし那須家は、やはり当主資胤が、歌の心得が全く無い、という事を公言し、代わりに知識豊富な明智十兵衛が代理として国人領主の経験を生かし代役を果たした。



那須家菓子料理人飯之介が腕を振るい、休憩毎に麦菓子、梅のべっこう飴、きな粉餅、最後は口直しに豆入りの寒天を出し、公家衆から絶賛された、最後には油屋が用意した手土産まで渡し好評の内に幕を閉じた。



人にたかる技を身に付けた、たかりで戦国の世を渡る恐ろしい者達が公家である、一方で日本独自の文化文物という華を今日まで続く日本独自の文化に発展させた功績を忘れてはならない、その文化は人々が生きる上で時には潤いであり、人を育む美であったり、徳であったり知、仁、情という人を人として育てる栄養でもある、100年も続く、戦国期という過酷な時期であったが、人にたかるという方法であっても、その文化知識を失なう事無く後世に託し続け、次代へ繋げた事は大いに褒められる事であり、見事としか言い様が無い、この雅な世界があったお陰で、今の日本という文化があるのかも知れない。





── 将軍謁見 ──




一連の朝廷との行事を終え、足利義輝との謁見となり、ここで那須、小田両家に取って将軍家を見限るという事件が起きる事に。



謁見時に教導役として、幕臣の和田惟政これまさが両家の指南役として当日の差配役を将軍義輝より言いつけられていた、和田は、幕臣として将軍を支え、京周辺の外交官として、将軍家との橋渡しを行い有力大名もその力を認める一人であった。



謁見では両家から大金と貴重な品々の献上品が紹介され、両家の事をあまり良く思っていなかった将軍ではあるが、献上の品を聞き機嫌が直る中、侍所摂津晴門から横槍が入る、その事で将軍が激情を起こし事件となった。



一通り挨拶が終わり、摂津晴門から両家に対して詰問が発せられた。



「その方達が勝手に行った昨日の御所及び内裏の治安警備は、足利幕府の面目を潰し、将軍足利義輝様を陥れる謀ではあるまいか? その証拠に侍所に野盗どもが御所近くを襲っているなどの報告もなく、そもそもその方どもが出動する際も我ら侍所に何ら知らせを送らずに動いておる」



「どうであるか、幕府を陥れ、将軍様の権威を蔑ろにする諮り事であろうと、言う者もおる、素直にその事を認めるや否や、如何申し開きを行うか?」



和田より、お待ち下され、誰の讒言が知りませぬが、実際に元三好の兵どもが狼藉を働き、多くの者が襲われております、那須殿小田殿が治安を守り、賊どもを打ち取った事も事実であり、捕縛した者達も、其方の侍所に連行されたと聞いております、明らかに、その讒言は言いがかりであり、それこそ両家を貶める謀ではありませぬか、摂津殿のお言葉とは思えませぬ、取り消して頂きたい、と話すも。



和田と摂津は、水と油であった、和田は周辺諸国と渡り歩いて、誠実に将軍家の力を取り戻そうと働き、誰もが知る忠臣である、その一方、突如侍所執政となった摂津は、これまでにも数々の諫言を自らの手柄とし、上手く立ちまわり将軍に取り入れられ執政となった佞臣である。



将軍足利義輝は日頃から何かと煩い和田より、自分を持ち上げる摂津晴門の方が忠臣であると、又、将軍の性格は頭を下げて来る者には尊大な態度で接する事が威厳を保つ事であると日頃から幕臣より言われており、此度の摂津による詰問も、自分の尊厳を示す場として摂津が敢えて作った作為の詰問であろうと、であれば一言両家より詫びの言葉があれば許し、将軍としての尊厳を示せばいいだろうと考えた。



おろかな幕臣に支えられた将軍も愚か者であると言える、この様な幕府を誰が本気で支えると言うのであろうか。




両家の治安警備が功を奏し切り抜けた様ですね、しかし、将軍家、これは救い様がないです。次章「上京4」になります。

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