上京・・・4


── 決別 ──




上京しての将軍足利義輝への挨拶、そこへ侍所執政摂津晴門より詰問が、謂れなき諌言という低次元な詰問が行われた。



将軍義輝は執政からの詰問である以上聞き流すわけにもいかず。



「今、摂津が言われた幕府を陥れる謀ではないかという事に対して、如何であるか、小田、那須、両名如何に?」



先に名を呼ばれた小田氏治は。



「我ら両家は摂津殿が言われた讒言こそ幕府を陥れ、将軍様の権威を下げるご質問かと思われます、われら両家は決して幕府、将軍様を陥れるなど途方も無い事を考えも謀など一切関係あり得ませぬ」




「ではその方、那須は如何であろうか?」



「いろいろと申し上げたき事がありますが、申し述べて宜しいのでしょうか?」



「お許しがあるなら覚悟を持ってお聞き頂きたい、その覚悟なくば、我らはこのままここを去ります、それが答えとなります」 




那須資胤は摂津からの詰問は見過ごせぬ、ここで一切の妥協をしてはならぬという那須家当主として覚悟を決めた、ここは引いてはならぬと足利義輝に挑戦状を叩き突けたのである。



資胤の言葉に幕臣達は、ただならぬ事が生じた、これは明らかに非が幕府側にあり、失態である、このままでは、取り返しがつかぬ事にならぬかと一同息を飲んでいた、さまかこの場で、将軍の前で逆らうなど、摂津の顔も、これはしまった、相手を田舎侍と侮ったやも知れぬと悟っていた。



足利義輝は剣の道を歩めば、剣聖へと辿り着ける剣豪将軍と言われた剣に精通した猛者である、媚び諂う幕臣に囲まれなければと言われた程の人格者としての素養を持っていたが、周りには持ち上げる幕臣ばかり、人の上に立つにはやはり欠落者であった。



那須資胤からの返答は将軍に対して発した言葉は挑戦状であり、正しき意見を聞く勇気があるかとの言葉であった。



人として未熟な将軍は生意気な奴め、この儂に一言詫びれば済む話を、慈悲を受け取らぬとは、少し懲らしめて於かねばと挑戦を安易に受けた。



「ほう、その方、儂に意見を聞く覚悟があるのかと儂に将軍に意見を申すのか、聞く覚悟は無くてどうする、その方こそ覚悟して意見あれば申せ、その方の覚悟を聞こうでは無いか」



「はっ、ありがとうございます、では某の思う所をお話しさせて頂きます、先程侍所執政摂津殿より、我ら両家にて御所の治安警備を行った事、勝手に行い幕府及び将軍様への謀であるとの詰問、仮にも幕府侍所執政というお立場は、将軍様から与えられし、将軍の代わりに京の治安を守るという重大な責ある職であります、その職を放り投げ、治安を守らず一体何をしていたのか?」



「何故我らに御所の治安を夜半に頼まねばならない事態が朝廷に生じたのか、はっきり言えば、侍所が機能しておらず、信に置けないとの判断を朝廷は、帝の判断があったから我らに話が来たのです」



「先程の摂津殿からの詰問に、その場でお叱りにならぬ将軍様にも大いに責任が御座います、御所をお守りすると言う、日ノ本66ヶ国を束ねる将軍がその様な不埒な詰問をそのまま我らに問い正すなど、日ノ本66ヶ国の領主がこの話をお聞きしたらそれこそ幕府、将軍の威信も地の底へ落ちまする」



幕臣達は那須資胤の話を聞き、頭を垂れ、ただ聞き入るしかなかった、もっともな話であり、二人を除き誰もが資胤の言葉を聞いていた。



真赤な顔で幕臣の前で恥を晒した摂津晴門と将軍義輝には資胤の言葉が届かなかった、義輝はわなわなと怒りで震え出し、俺を公の前で叱責し、あたかも儂が悪者である様な話をするなど、この者の命をここで断ち切り首を刎ねてしまえという衝動にかられ刀に手を掛け鯉口を切る義輝。



小田那須家の重臣達もこのままでは取り返しがつかない事態が生じる、当主のお命が危ないと、危惧するも金縛りにあった如く動けなかった。



資胤はさらに我ら日ノ本66ヶ国の武士は足利将軍義輝様にお仕えし、全ての者は帝をお守りする事を死命としております、佞臣とも言うべき者共を侍らせ政を忘れ死命をお忘れしたならばそれこそこの国を御作りになられた御霊になんと申し開きを致すのか、どうか将軍様には聡明なる政にて御所をお守り下さい」



聞き終えて、刀を鞘から抜き、那須資胤の首筋に刃をあて、その方よくぞ申した、お主の命儂がもらう、その覚悟あるであろうな! よもや覚悟無くて、話したのではあるまいな!



顔色を変えずに御髄にと一言話す資胤、そこへ、お待ち下さい、那須殿の前に某の首をお願いしますと申し述べる、小田氏治であった、さらに、小田那須両家の後ろに控えている20名の者達が我らの首もお願い致しますという声が上がった。



静寂が・・時が止まる・・・そこへ、山科言継が声を上げながら広間に、義輝殿初めここにいる者共は今日より朝廷に逆らう逆賊として討伐を行う様に日ノ本66ヶ国の太守に勅令を出す事になった、ここにいる小田殿那須殿に手を掛ける様であれば直ちに逆賊として、朝敵として見なす、その覚悟義輝殿にあるか?



その刃こそ朝敵の証ぞ、矛を収めるのか、今決めよ!



山科言継は正親町天皇から由々しき事が二条御所で起きている小田と那須の命が危ない急ぎ勅命として助けよ、あの者達を失ってはならぬとの厳命を受け、騎馬にて急ぎ駆け付けた。



正親町天皇にこの事を告げたのは帝を守る鞍馬天狗より只ならぬ事態が生じていると両家のお命が危ないと告げられ、帝は山科に勅命を授けたのである。



突如現れた山科に向かって義輝は武家の事は武家にて行う故、例え山科殿であっても余計な口出し無用と言い放った、そこで山科がよくぞ言い放った、では儂は勅命を果たせなかった故、この首最初に刎ねて頂こう、その方、覚悟をもって私の首を見事刎ねてみよ、その方はこれより朝敵である、一歩も引かない山科、いつものヘラヘラした公家ではなく、勅命と言う意味の重さに身を呈した見事な態度であり、将軍恐るに値せず、という見事な振る舞いであった。



山科の一言に目覚める幕臣達が将軍のもとにかけより、今は矛をお納め下さい、この者共の首を切り将軍様を朝敵など、もっての外です、ささここは山科殿のお顔を立て、ささ、あちらで仕切り直しましょうと連れ出してしまった。



それを見届け、小田殿那須殿ささ、この様なぶっそうな所など、私の家に参りましょうと、と言って皆が立ち上がり魔殿から退出した、この件で摂津は10日間の謹慎となった、和田は、教導役としてこの様な事態を招いたと言う事で同じく無期限の謹慎となった。



山科邸に移動し、今夜はここにお泊り下されと言う山科、あの様な馬鹿な将軍がおるから都は荒れており、世が乱れているのである、お二人の命を奪おうなどと、狂気の沙汰である、今夜はここにおればいかに馬鹿な者でも襲って来ないであろう。



その夜は、折角と言う事で主な者達と山科殿と酒をくみ交わし、小田が、資胤に、よくぞ言ってくれ申した、胸がすっと致しました、あの様に愚かな者達に囲まれている幕府には期待出来ませぬ困ったもんですと話した、山科もうんうんと頷き、資胤は言うつもりは無かったのですが、此れ迄にもあの様な言いがかりで、何人もの武士が悔しい涙を流したのか、と考えたら、今が言うべき時であると覚悟を決めつい話してしまいました。



「山科殿に助けられホットしております、助かり致しました、心より御礼申し上げ致します」



「いやなに、本当に帝から急ぎ助けよとの勅命でありました、帝はとうの昔に将軍を信用しておらず、見捨てております」



「ささ、今夜は誼を通じ合う大切な夜です、ささもう一献いきましょう、それに此度ここだけの話ですが、お二人が上京した事で、教導役の私の株が上がり申した、お二人にはありがたい事に銭も頂きました故、万々歳なのですよ、あははははー」



 頭を下げる二人であった、その後、御所をお守りするという名目で勅命が降り、正式に小田家と那須家に300名の派兵が命じられ、幕府からの横槍が入らぬ様になった、平安宮御所の羅城門から内側の治安警備を舎人と共に行う事になった。



ここに戦国の史実では起きない事が生じる事に、小田家那須家が上京する史実も歴史の上からは起きていない出来事であり、佐竹に勝ったという波紋が、目に見えなかった波紋が徐々に変化をもたらし始めたのである。



那須は騎馬隊での上京であった為、350名中150の騎馬隊を残し、同じく小田家も150名の兵を残し、領国に帰る事になった。



今回の幕府とのひと悶着、安全に帰還する為に資胤と数十名の配下は小田氏治からの好意で一緒に船にて帰還する事になった、残りは騎馬を率いて帰還となり、明智十兵衛は堺の油屋へ、いろいろな用を足しに行く事になった、十兵衛は油屋手配の船で帰還となる。





馬鹿将軍に付ける薬はなさそうですね。こなん感じですから翌年三好に殺されてしまうのです、史実と同じです。次章「酒飲み大会、居酒屋烏山城」になります。

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