毛利家


── 毛利家 ──




バタフライ効果という言葉が存在する、物理の世界、又は自然現象の自然科学の世界で比喩として使用される言葉、その意味する内容は力学的にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化が無かった場合と、わすがな変化があった場合に、結果的に状態が大きく異なってしまうという現象、カオス理論で扱うカオス運動とされている。


簡単な例えで説明される比喩として蝶が羽ばたく羽の運動が台風に成長する様な意味の事をバタフライ効果と言う、嘘でしょうと言いたくなるが、その様な理論が存在する。


ここで登場する毛利家は戦国時代を語る上で必ず登場する家であり、欠かす事の出来ない、毛利とは鎌倉幕府政所別当・大江広元の四男で御家人の毛利季光を祖とする、名字の毛利は、季光が父・広元から受け継いだ所領の相模国愛甲郡毛利荘、現在の神奈川県厚木市毛利台の周辺、中世を通して毛利もりと読まれたが、後に毛利もうりと読まれた。


毛利季光を祖とし、子孫は越後国と安芸国に分かれ、安芸毛利氏は戦国時代に西国の覇者となる戦国大名毛利元就を出して安芸を中心に中国地方、山陽道・山陰道、11カ国を領し、江戸時代には長州藩主として長門国・周防国を領し、明治後は華族の公爵家に列している家である。


毛利元就が最大勢力を築いたとされ、10ヶ国の太守又は11ヶ国の太守、中には13ヶ国の太守等諸説があり、主な国は安芸国19万4千石、長門国13万石、備後国18万6千石、備中国17万7千石、周防国16万8千石、出雲国18万8千石、石見国11万2千石、因幡国8万9千石、播磨国38万5千石、豊前国22万4千石、筑前国33万5千石の11ヶ国を主な領地と採用、国によって半国を支配している場合もあり半国で一国と考える場合もあるようである、安芸国という表現では現在の広島県西側地域で一国の安芸を表現している、現在の県との境界が複雑に絡み合い13ヶ国という表現なのかも知れない。


石高に関しては主流の最大200万国の説を採用致します。


毛利元就と言えば三本の矢が有名な逸話があるがどうやら後世に作られた創話と紹介されていた、但し元就が兄弟の結束を何度も文に書き残している事から話の内容は間違っていないと言える。


この毛利家が織田信長と対峙する契機とは那須資晴が行った米を売った事によるバタフライ効果と言えそうだ、下野の国は関東の東北に位置する国であり、隣は奥州である、毛利家とは幾つもの国が間にあり全く接する理由のない国、それが兵糧を売った事で織田家と本願寺顕如との戦を作り出し西国でしのぎを削り合戦に明け暮れていた大国毛利家が戦国の表舞台に登場した、那須が兵糧の米を売らなければ顕如は動く事が出来なかったであろう、これこそバタフライ効果とも言える現象であろうと。


毛利家が本願寺へ何故兵糧の支援を行ったのか、顕如から義昭、義昭から毛利に依頼した事は事実であるがたったそれだけの事であれば織田との対決を選ばず他の方法で対処出来た、義昭を庇護するにあたり信長とは両家は戦わずと言う不戦の約定を交わし、織田家と毛利家は戦を避けて来た、ここへきて何故顕如を支援したのか? それは毛利家の抱える事情が存在した。


毛利家に取って特別に大切な領地安芸国は大大名にのし上がる地盤の地であり、その戦に先代の毛利元就は一向宗と争わず、一向門徒を戦力として組みその力を利用してきた経緯がある、何故一向と手を組めたのか、元就の戦略としか言いようがないが、元々安芸国には一向門徒は皆無であった、この100年近く戦乱の世で此れまでに、京、関東、東国で一向一揆が各地で起こる中、戦いを避ける一向門徒も多数いた、又戦で怪我を負い逃げる者達も沢山いた、その者達は何処に避難先として逃げたのか、安芸に逃げた。


元就の哲学は一向宗と敵対するのではなく、その力を利用する、一向一揆の門徒達を受け入れ庇護しその力を取り入れ家を大きくするという遠大な数十年に渡る軍略を手掛け何時しか11ヶ国の200万石を要する大大名へ成長したのである、その礎に多くの一向宗を自国に抱えていたという特別な事情がある。


その偉大な毛利元就は1571年6月にこの世を去る、現当主は元就の孫にあたる輝元、輝元の父、隆元は元就の嫡子であったが急病にて41才の若さで亡くなる、隆元の嫡子が輝元になる、輝元には父の弟、叔父にあたる力強き二人の武将がいた、吉川元春と小早川隆景である、この二人がいたお陰で毛利家は戦国を生き延びる事が出来たと言える、元就が何度も兄弟の結束を伝えた、元就が手塩にかけ育てた息子達、この二人が輝元を支える毛利家が本願寺勢力に加わり顕如を下支えする事になった。




── 天然娘 ──




那須資晴と鶴姫の結婚式も無事に終え鶴姫は幼い鶴夫人となりその天然ぶりに周囲を慌てさせていた、侍女長の梅がつきっきりで面倒を見る羽目に、北条家から共に来た侍女達も那須の事は知らず、何かにつけ梅に指示を仰ぎ、梅と梅付きの侍女華と菊も眠る暇なく忙しく働いていた、その理由は鶴夫人の覚醒であった、北条家では嫁入りの修行に明け暮れ、遊び盛りの年齢になっても外界と触れる事無く、城下の町にも一度も出る事を許されず外と言えば城の中にある庭園での散歩位であった、そこへ世の事を何も知らない鶴は、領民が結婚を祝う縁日が開催される、資晴とお披露目を行った事で覚醒した、覚醒したと言うより世の中の事を知りたい、一体何がどうなって、この食べ物は何? なんでこの様にここまで一緒に喜んで頂けたのか、梅の涙を見た時に自身も大泣きして感動を抑えきれなかった、もう私は北条家の人間ではない、那須家の人間、だからどうしても全てを知りたい・・・天然妻がここに誕生した。


天然妻の代表者と言えば、一豊の妻、まつである、何事も自分の都合の良い解釈で旦那を支える、困難な課題を勝手に分解し、明後日の方向に一豊を向かわせる天性の天然妻『まつ』の種族がここにもう一人誕生した、天然という言葉を検索すると中二病者のオタク界では『最強』と変換される、天然には常識が通じない、通じない以上敵わないその称号が『最強』と言われる由縁である。



「梅様! 梅様! 私も資晴様のお役に立ちたいのですが、何をすればお役に立つでしょうか?」



「お鶴様、その梅様という言い方は駄目で御座います、梅と呼んで下さい、梅であります」



「それでは私がいろいろと教えて頂く立場であります、師になる梅様を呼び捨てには出来ませぬ、北条家から来た侍女達も何から何まで梅様に教えて頂いております、とても呼び捨てには出来ませぬ!」



「私は身分の無い侍女であります、お鶴様の高貴なお立場とは違います、どうかお願いであります、梅とお呼び下さい!」



「梅様は資晴様を殿方達と一緒に那須の家を支えております、普通の侍女ではありませぬ、資晴様からも梅様は優秀であり、ご活躍目覚しく優れたお方であると申しておりました、困った事があれば頼る様にと、私もそのように思います、私が梅様を梅様と呼ぶ事は私の意思です、梅様には関係ない事になります、ですから梅様とお呼びします、そして何をすれば資晴様のお役に立ちましょうか?」



「それでは示しが尽きませぬ、ではお鶴様、私の呼び名については資晴様にご確認してからお願い致します、それと資晴様である若様のお役に立つ事にてお支えしたいとの話は大変立派であります、何が出来るのか一緒に考えて参りましょう、それと若様の御作りになられた村を最初に回るのは如何でしょうか、その村で作られた物は若様が職人に命じ役立つ物が沢山あります、しかし、勝手に城からは出る事は控えなくてはなりませぬ、私からお伺いをお聞きして見ます」



北条家で嫁入り修行する中、嫁ぐ殿方の資晴について大変聡明で神童である事、北条家を大きくした恩人だという事、童の時に将軍を一枚の文で負かした事、新しい田植えで領内を豊かにした事、美味しい菓子を沢山作った事等伝説的な内容を何度も聞かされ、恐れ多い方の所に嫁ぐ事になったと思っていたが、実際に会った資晴はとても優しく、聡明であるが親近感のある青年であった、この様な立派な方が主人であり夫であった事に感謝し、梅を見ている内に自分も何か役立ちたいとの心境から梅に相談したのだ。


かと言って、侍女は侍女であり、身分には大きな違いがあり、梅の方が困惑していた、相手が幼いとは言え嫡子のお嫁であり妻なのだ、決して失礼な振る舞いは厳禁である、お鶴からの要望を資晴に伝え指示を受ける事になった。



「梅、済まぬのう、些か疲れている様であるな、先程の話であるが、儂もどうして良いのか判らぬ、村を見せるのは問題無いが、鶴にやれる事はまだ何もあるまい、それより那須の事もさっぱりであろう、十兵衛今の話をどう思う?」



「お鶴様のお話は素晴らしきお話しであります、ただ何から学べば良いか某にも判りませぬ、今は見る物、聞く物、全てが目新しく興味が御有りなのかと、梅殿も目の下に隈を作っております、ここはあのお方の力をお借りしたらどうでしょうか?」



「えっ、あのお方とは誰の事じゃ?」



「この那須の地に来てよりただの一度も動揺せず主人を励まし自由奔放に笑い飛ばしている奥方であります、あのお方であればお鶴様も余り悩まずに自然と那須の事を御知りになられるのではないでしょう?」



「もしや、十兵衛、あのお方とは、あの奥方であるか?」



「はい、その通りで御座います、一豊殿の奥方、まつ様であります、苦労を苦労と思わず、何事も笑い飛ばし、主人の失敗も喜んで受け入れ、失敗を失敗と思わせぬ、ひょっとして成功していたのかと勘違いさせる技の持ち主です!!」



「確かにそうじゃ、まつ殿と話している内に不思議と話の中身を忘れ何故か全く違う話になっている、その全く違う話をする為に聞いていたと錯覚する、結局はなんだか判らん内に満足してしまう、梅には出来ぬ話術を持っており、図ってその様にしているのではなく、自然とそのような話に纏まるのだ、一豊を怒りつけ家に帰り、まつに儂から怒られた事を伝えると、怒った筈なのに一豊は褒められたのだと言う話になっており、翌日には胸を張って仕事に励んで居る、怒った儂まで、褒めたと勘違いしてしまう!!」



「お鶴は今いろんな事を知りたいのじゃ、そして何を知りたいのかも判らぬほど知りたいのじゃ、儂にもそんな時があった、女とていろいろと知りたいのだ、梅の事を梅様と呼ぶのも梅が沢山の事を知っているから呼び捨てには出来ぬのだ、梅、今の話をまつ殿に伝え、時々お鶴の相手をして頂けるよう、城に来て頂くのじゃ、そうじゃ、まつ殿だけではなく奥方衆にも来てもらうのじゃ、百合にも来てもらい、各地の領内の事なども知りたいであろう、奥方達からの話であれば遠慮せずに聞けるであろう!!」



「それは良い事です、お鶴様は若様の正室です、これからは領主達の奥方とも親しくなさらなくてはなりませぬ、侍女衆の方達も領内の事を知る機会が増える事になります、とても良い事かと思われます」



「今の話、千本、福原、皆に伝えるのだ、差配は梅が行い、茶会なども開くが良い!! 忠義は当分芦野から戻れぬ、婚儀と叔父後との領主代替わりで暫く戻らん、千本と福原にて梅を手伝うのだ!!」



資晴の一番の重臣、芦野忠義は芦野家の当主として代替わりを行う事で芦野領に帰っている、那須資晴が近い内に資胤から当主の代替わりを行う際には芦野家の当主として資晴を支える為に一足早く当主を継ぐ為に戻っている、芦野家は芦野の地以外に棚倉町~大津までの海の地まで治めている以前は結城白河家も与力として面倒を見ていたが、会津に資宗が養子となり蘆名家を継いだ事で結城白河家は蘆名家の与力となった事で芦野家の治める地から離れた、それでも芦野家は今では15万石という大きい家になっている。


資晴の判断により鶴姫の為に奥方衆との交流教育が始まる事になった、梅は相変わらず梅様と呼ばれる事に、梅はくノ一であり資晴を守るために侍女となった、この10年間命を掛け捧げた少女であった、その少女に間もなく大きな転機が訪れようとしていた、その大きな転機を与えた者こそ鶴姫である。





毛利が出て来ましたね、毛利が表舞台に出たと言う事は戦国期の流れが変化して来ますね、西日本の戦国期はもうめちゃくちゃ、合戦が沢山ありすぎてちょっと歴史をかじっただけでは説明が出来ません、いろんな家が戦いまくるので私には正直時系列を覚えるだけでも怪しいです。

次章「孫一」になります。

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