小田城危うし


── 氏治の意地 ──




上総の千葉が小田に向けて進軍中、菅谷勝貞より千葉軍の到着を遅らせその後小田城に籠城すると連絡を受け氏治も予定を変え、佐竹と結城の攻撃を待たずに先に結城軍の兵力を削る事にした、佐竹と結城はそれぞれ左右に陣を構え、正面から見て左側に結城軍が陣取りしており、そこへ攻撃をすることにした、念の為、佐竹側にも騎馬隊300と長柄足軽2000に鋒矢の陣を三本作り突撃の構えを見え、結城側に援軍を出せない様にした、佐竹も那須との戦いで鋒矢の陣で痛い目を見ているので迂闊に動かせないでいた。



小田軍は那須騎馬隊からの調練を受けており鋒矢の陣での攻撃を徹底的に教え込まれている、小田軍にも1000騎の騎馬隊が用意されている。



結城に向け騎馬隊300、長柄足軽2000に三本の鋒矢の陣を500間離れた所から進軍させ、残りの騎馬隊は結城の後ろ側に回り込み敵を全方向から離れては近づき、近づいては離れる、キツツキ戦法で弓攻撃を行う事にした。



時刻は午前11時、氏治の合図の下、三本の鋒矢が動き出す、150間から騎馬隊の弓攻撃が始まり、弓に守られながら突き進む足軽鋒矢の陣その後ろを進む騎馬隊からの猛烈な弓攻撃、弓は那須五峰弓である。



結城にも那須の弓攻撃は強いので事前に盾を多く用意し防ぐ様に知らされていたが、まさかこれ程強いとは想像出来なかった、盾を突き破り弓が飛んで来る、盾を二枚重ねでやっと防げるかと思うと今度は上空から矢が降って来る、結城兵2600は小田からの攻撃で防戦を強いられ徐々に被害が広がる、その様子を黙って見ている佐竹では無かった、鉄砲隊の援護200、盾兵500に守らせ結城軍に向かわせた。



佐竹が鉄砲を放ちながら結城に近づき結城軍の正面に出て小田からの攻撃を弱める役目をしたのである、佐竹の盾は二重の板で強化されており、150間の距離からの矢では中々貫通せずに防御の役目を果たしていた、それを見た氏治は多少の犠牲は仕方なしと考え、距離を100間まで縮めた。



鉄砲の玉も近くまで届く、あと20間も近くなれば鉄砲の餌食になる微妙な距離である、騎馬隊の隊長は鉄砲の砲手に狙いを定め撃つ様に指示し、その作戦が功を奏した、佐竹側の鉄砲隊が放つ砲数が徐々に弱まっていく、ここまでに一刻二時間以上の時間を要している。




菅谷城では千葉勢が予想より早く到着し、午後一時の時点で菅谷城手前500mに迫った時に油を浸み込ませた木材に火を放ち千葉勢の進軍を停止させた、停止出来る時間は約2時間程度である。




火を放ち千葉勢を停止させた菅谷勝貞と海賊衆は船に乗り霞ヶ浦の土浦に移動し小田城に向かいこれより籠城すると氏治に早馬を飛ばした。



知らせを聞き攻撃出来る時間は残り30分と、三本の鋒矢を結城軍に突撃させた、この日一番敵側に犠牲が出た攻撃である、鉄砲からの攻撃も弱まり、突撃する小田軍その後ろに騎馬隊が雪崩れ込む、外側の騎馬隊も距離100間まで近づき弓を次から次と放つ、この鋒矢の陣の攻撃で結城の陣形は完全に崩れ2600いた兵力が1800まで削られてしまった、佐竹が送った鉄砲隊と盾兵も半数は被害を受ける事に。



鋒矢の陣で攻撃を終え一斉に城に戻る合図を送り撤退に入る小田軍、追撃を防ぐ為騎馬隊は残し、弓で援護し無事に城に辿り着く小田軍であった、その時千葉の軍勢は進軍を再び開始し小田城近く目の前まで来ており間一髪間に合う事に、これより籠城戦に移る小田家。



千葉の軍勢は小田城前で進軍停止させ、佐竹結城軍へ知らせを走らせ、城攻めの布陣確認を行う、小田城は北東側に小高い山が連なり自然により守られている、攻め口は北側、西側、北西側の三方向、城は幾重にも堀が廻らされており、志田曲輪に小田側の兵が主に布陣されており、その曲輪を陥落させれると本丸に通じる道となる、他の曲輪を落としても城壁に阻まれ本丸に入るには志田曲輪攻めが最短となる。



此れまでに何度も落城している小田城、氏治は城の弱点は志田曲輪への援護策が無かった事であり、五峰弓を得た事で曲輪後方に弓による射撃部隊を展開出来る様に足場を作り射手を三段、各段200名計600の弓隊を配置出来る様に工夫した。



籠城した小田軍を囲む様に佐竹結城千葉の約1万の軍勢が取り囲み、志田曲輪攻撃の準備を整える、佐竹が盾で弓の攻撃を防ぎ、結城千葉佐竹の順で休みなく曲輪へ攻撃を行う事になった。



盾で曲輪の門前まで両脇に配置、頭上に盾のトンネルを兵達で作り攻撃兵を送り、トンネルの隙間から鉄砲で小田兵を攻撃するように指示した、隙の無い攻撃指示、流石佐竹義重てあった。



「間もなく敵が押し寄せる、ここを守るぞ、城を死守するぞ! おー!」



志田曲輪と後方の足場には射手600名が配置され、いよいよ攻撃が開始された、時刻は夕方5時となる、盾兵が徐々に近づくと射手から一斉に矢が放たれる、鏑矢の音、ビュー、ビュー、と唸る矢が向かって来る、身を屈め、首を竦め、徐々に前進する敵兵、隙間から矢が飛び込み負傷する兵、抜けた穴には補充の盾兵が隙間を埋める、曲輪に近づく盾兵、既に100名上の死傷者が出るも圧倒的な兵数の前では全く問題ない犠牲者であった。



夕闇が迫っても敵の攻撃が止まぬ、佐竹側は夜通し攻撃を仕掛けて来る、こちらも志田曲輪の兵を二時間毎に交代させよ、疲れたら麦菓子を食するのだ、志田曲輪を守るのだ! と激を飛ばす氏治である。



盾兵のトンネルが出来上がり次々と志田曲輪前に佐竹鉄砲隊が送り込まれ、鉄砲と弓矢との飛び道具による戦に変化、その隙に長梯子を曲輪前の塀にかけ槍兵が入り始める、小田も塀を乗り越えて来る槍兵を迎え討つ、小田軍には鬼真壁が率いる勇猛な一群がいる。



「やっと我らの出番である、思う存分敵を殺すのじゃ、儂に続け── おー!」



鬼の真壁の武器は金砕棒かなさいぼうである、打棒の武器であり、敵を切り倒すのでは無く、叩き潰す武器であり、頭に中れば即死し、腹部に中れば内臓が破裂するとても危険な武器であり、乱打戦に適した武器である、しかし、重量もあり腕力が無いと操れない武器である。



塀を乗り越えて来る敵兵を一瞬で抹殺する鬼真壁、殺せば殺す程勢いを増す真壁であった、敵兵10人程度では真壁にとって蚊を叩き潰す程度あり、疲れを知らない猛将であり剛将である。



 唸り声をあげ襲い掛かる真壁それに続く真壁の槍兵、鬼に鍛えられた猛者達。



「どうした何故塀を乗り越えているのに進まぬのじゃ、もっと兵を送り込ませ、どんどん送るのじゃ!」



徐々に塀を乗り越える敵兵に氏治は那須正太郎から送られた『てつはう』を用意させた、真壁を後方に下がらせ、塀を乗り越えた敵兵を50人程入れた所で、曲輪前にトンネルを利用して押し寄せている敵兵に向かって、導火線に火を点け『てつはう』を10機投げ入れる、時刻は夜11時過ぎである。



弧を描き落ちて行く、てつはう、敵兵にあたり一斉に火の点いた油が散乱し辺りを燃やす、一つのてつはうで4~5人に火が燃え移る、暗闇の中、てつはうの炎が敵兵を襲う、盾兵のトンネルも火には敵わず崩れ始める、そこへ追加のてつはうが投げ込まれる、塀を乗り越える敵兵もいなくなり、取り残された50名の槍兵は真壁の餌食になるだけであった。



阿鼻叫喚の紅蓮の炎、辺り一面を明るくし、その炎に悶え苦しむ兵を見て顔色を変える佐竹義重であった。



暗闇の中これ以上の攻撃は被害が増えるだけであると悟り、全軍を陣に下げ、夜明けとともに下田曲輪への攻撃を開始する事にした義重であった。



この時点で小田側の死傷者150名、佐竹軍(佐竹結城千葉軍の総称)の死傷者400である。(先に被害を受けた結城軍800名の被害含めず)




佐竹軍が一旦攻撃を止め陣に戻った事を確認した小田氏治は騎馬隊に夜襲指示を出した、那須騎馬隊から教え込まれた夜襲である、敵に隙あらば夜襲を行い休ませてはならぬ、攻撃されるより守る方が精神的にも疲れるのが夜襲である。




深夜2時静まり返っている佐竹軍陣地に陣幕に向けて数百本の火矢が放たれた、暗闇から鏑矢が音を立て襲い掛かる、篝火に向かって矢を放てば敵兵に当たる、燃え盛る陣幕の炎に照らされる敵兵に向かって暗闇から矢が襲い懸かるのである。



暗闇にいる騎馬に向かって攻撃をする事は無意味であり、鉄砲を放つも効果は無い、佐竹が出来る事は盾兵で円陣を組み矢の攻撃を塞ぐだけである、攻撃が止むのを待つしか方法が無い佐竹軍である。



この攻撃は夜明け近くの午前4時半まで続けられた、日が昇り辺りを確認すると、のた打ち回る兵の姿が無数にあり、佐竹の騎馬も被害を受けていた、さらに千葉軍の原父子の内、親の原胤貞の目に矢が刺さり重傷となり戦線離脱する事になった。



佐竹義重は昨夜の下田曲輪への攻撃を主として、陽動として田土部曲輪からも攻撃を行い小田の籠城兵を分散させる事にした、死傷者を出したとは言え佐竹側には9000の兵が残っており、攻撃力は充分にある、朝6時に銅鑼を鳴らし法螺貝を鳴らし攻撃を再開した。





── 那須本軍 ──




正太郎から敵側は時間稼ぎを行い、小田を殲滅した後に那須に襲い掛かるとの知らせを受け、那須資胤も宇都宮と小山軍に向けて進軍を開始した。



那須本軍が敵陣に向けて徐々に迫ると宇都宮と小山軍に動きが現れた、漸く戦う気になったかと思い軍に停止を命じ、様子を確認するも、何故か敵の軍勢が下がった様に見えた資胤であった、そこへ敵側の様子を探らせいた鞍馬の忍びが戻り、資胤に敵の動きが報告された、敵側ですが、攻撃する気が無く後退しています、敵方の軍はいつでも下がれる様にしております、こちらから見て前方の布陣だけが攻撃姿勢に構えていますが、振りだけで御座います、と報告を受けた資胤であった。




経験上聞いた事も無い話であった、なんなのだ宇都宮も小山も時間稼ぎは理解出来るが兵数が少ない我らが近づくと離れるとは、奴らは恥ずかしくないのか、何しに来たのだと憤る資胤。



そこで騎馬隊1000を芳賀に向かわせた、芳賀から宇都宮と小山の退路を確保終えたら狼煙を揚げ挟撃する事にした、この時点で午後2時である。



騎馬隊1000が出発したのを確認し、資胤も即く攻撃が出来る様に鋒矢の陣を幾重にも用意した、連続で一気に推し進め戦局を強引に変える為である、そもそも那須には守るという防御の戦法は用いない、攻撃に特化した軍である。





ついに『てつはう』が武器として初登場しました、今時の火炎瓶に近い効果だと思います、突然の火責めに驚いた事でしょう。

次章「猛撃武田騎馬隊」になります。

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