謀反
謀反とは、国家、君主、主君、時の為政者に背く事、特に武力、軍事力を動員して反乱を起こす、少人数で君主・主君を暗殺する行為を謀反という、唐の律において謀反は十悪の第一の大罪、戦国時代には数多くの謀反が起り家臣が主君を謀る『下克上』が起こる、明治時代の西南戦争や幸徳事件も謀反と紹介されている、幸徳事件とは明治天皇の暗殺が計画され全国の社会主義者や無政府主義者を逮捕、起訴して死刑や有期刑判決を下した政治的弾圧、冤罪事件、1936年の二・二六事件も、当時の資料には謀反の言葉が見うけられる。
── 露見 ──
1574年1月に入り正信の元に岡崎城で謀られている計略の仔細が報告された。
「今の話、間違いないな、裏は取れているであろうな!」
「はっ、間違いありませぬ、某も床下に潜り謀の話を聞きまして御座る」
「この事、誰かに伝えたか?」
「正信様が初めてになります」
「絶対に漏らしてはならぬ、闇から闇に葬り被害を食い止めねばならぬ、殿には儂から伝える、その方は聞かれた事だけ話せば良い! それにしてもまさかである、殿が可愛がり目を掛け家老の末席にまで昇進させた者が首謀者の一人とは、悲しむであろうな、儂自らあ奴の首を切り落としたい位じゃ、この始末どう付けるか、難儀である!」
「正信様、それともう一つ、嫡子の信康様がこの事とは関係ないのですが、鷹狩で獲物が捕れず帰りの道中に僧侶に出くわし、獲物が捕れぬ理由はその僧侶が狩場の近くにいたからであると言い自ら切り殺しております、それと民で流行りの踊りが上手く出来ぬ農民を矢で撃ち殺しております、この悪行をお聞きになり大変に驚かれた奥方徳姫様の侍女付きが実家の織田様へ仔細が書かれた文が送られたようです」
「なに?・・・しかし、本当にそのような事があったのか?」
「この事を知る者達に緘口令が出ておりますが僧侶が属してました寺と殺された農民の家を突き止め確認した所二人とも亡くなっており、確かな事であると思われます」
「同盟先とはいえ明らかに徳川家が臣従している立場、その織田家の姫からそのような悪行が伝わればどの様な災いが降りかかるか、困った事である!」
「それともう一つ懸念する事があります、築山様の手配りで信康様に側室があてがわれました、その者の出自が今一つ不明であり探りを入れております、婚儀を終えて間もなくの時期に側室が出来た事にも奥方様は嫌気をしておりますようで御座います、この件も織田様に伝わっているかと!」
次々と語られる報告に対処を誤ればお家の危機が訪れると考える正信、嫡子の件は忍び寄る姦計を処理した後に対処する事にし、緊急を要する家康暗殺の謀の解決を先とした。
「以上が殿のお命を狙う者達であります、計画の実行は七夕の節句を利用し殿に毒酒にて殺害を謀る策であります、服部が床下に潜み仔細の話を聞いております、首謀者の者達は私の手にて解決を行いますが、築山様に関しては殿の採決で手配りが必要になります、築山様と信康様の良好な関係を考えれば場合によってはお家騒動になります」
「岡崎の城には信康様の配下が多数おりますので細心の手配りが必要となります!」
「正信はお家騒動になると読んでいるのだな?」
「はい、築山様は殿のご正室、信康様は嫡子であります、殿に反旗を掲げれば戦に発展致します、そうならぬ様に解決を図らねばなりませぬ」
「判った、では本当に儂を亡き者にしようとしているその時まで知らぬ振りを致す、大賀一味にも判らぬ様に儂も振舞う、毒酒を盛られる寸前まで気付かぬ振りを致す、仮に毒酒を盛らなかった場合は大賀一味のみ処断を致す事にする!!」
「判り申した、殿これより話す事は私の独り言になります、勝手に独り言を話します」
「殿の心中を察すれば悲しくこの世にこれ程辛い事があろうかと嘆き悲しむでありましょう、その昔雪斎様と寿桂尼様が言われた、物の見方を一つ変えるだけで見え方が大きく違う、質と思えば辛くやり切れぬが、大望を成す為の修練と捉えれば一回りも二回りも大きく成れる、今こそあの言葉を殿に御聞かせして上げたい、某正信は何処までも殿に付いて参りますぞ!」
家康は正信が語る独り言に目を閉じ黙って聞き入り部屋を退出した、お田鶴のお方様より怪しい文の下書きを伝えられ、まさか正室の築山が信玄に自分を亡き者にする謀を廻らし、よりによって下級武士であった大賀の努力と才を認め家老にまで育てた儂に刃を向けて来ようとは、これでは自分が惨めであり実に辛く悲しみを背をった人生だとしみじみと感じていた。
正信が語る独り言、危機を知らせてくれたお田鶴のお方がいてくれた事に一塁の望みが見え隠れしていた家康であった。
── 玲子の独り言 ──
玲子は無事に可愛い女の子『那美』を出産し、実家に里帰りして養生していた、初めての子育てという事もあり、洋一達と暮らしていた羽生の賃貸戸建の家とは20分程の距離であり、仕事を終え夕飯は洋一も玲子の実家でお世話になっていた。
「あいパパが帰って来マチタヨ~、ナミちゃん~ パパでちゅよ~!!」
「あっ、汚い手で触らないで、手は洗ったの? 那美が病気に感染したらどうするの?怒!」
「最初に洗ってから那美に挨拶したんだよ~もう見て無かったの? ママは直ぐに怒りマチュね~!! 那美は真似しちゃダメでちゅよ~!!」
「なんか余計な事今言って無かった? 那美が信じたらどうするの怒!!」
「なに馬鹿な会話をしてるんだい、二人とも生まれてまだ10日だよ、玲子ももっと洋一さんを大切に扱わないとそれこそ那美が真似したらどうするんだい!」
「・・・・ごめんなさい」
「いえ、僕の方こそ余計な一言で・・・」
相変わらずな主従関係の洋一夫婦、食事を終えた後に玲子より津軽安東家について補足と言うか訂正の説明が伝えられた。
「以前説明した津軽安東家の事なんだけど、その後調べで訂正があるの、津軽安東家の津軽という名前に誤魔化されていて、実際はもっと大きい家見たいなの、当時の資料が余りなくて津軽安東家の領地は今の秋田県の母体の様な家だったのよ、石高も20万石以上ありそうなの、だから実際に動員出来る兵数は5000~1万人位かも知れないのよ!」
「それとこの時期の津軽安東家は南部家に押され始めていて蝦夷からの得られる交易の利権を取られてしまえば弱体化するという危機感があるようだから必ず家を上げて蝦夷を取り返そうとする筈よ、その事も伝えて欲しいの!」
「えっ、そんな状況だったのですか、資晴には兵数は3000から多くて5000としか説明してませんが、今頃戦っていると思うのでもう対応は無理かと、大丈夫でしょうか?」
「結構きついかもね、アイヌの戦士達が3000だったよね、あと今那須から騎馬の調練で山内騎馬隊が150騎と佐竹海賊衆が100人程と和田衆が20名程だったよね?」
「海戦で援軍を防ぐ30石の戦船が20隻と念の為に木砲を積んでいる1000石船と500石船が各一隻です、それで全兵力になります」
「そうなるとやはりどれだけ援軍を阻止出来るかだよね、どうなるか判りませんが資晴には伝えておきます、野戦での戦いとは違うと思うのでそこそこ日数があるかも知れません、打てる手があるかも知れません!!」
「うん、そうだね、まあ~一回の戦で決着が着く方が珍しい事だし、信長は本願寺の一向と決着まで10年戦うからね、じゃーお願いね!!」
「じゃー明日また晩御飯にお邪魔します、週末にうちの両親が那美の顔を見に来るそうです!」
「うん、了解、又親同士で一杯やるつもりよ、洋一さんはなんとか逃げてね!!」
「判りました(笑)!!」
その夜に洋一から津軽安東家の兵数について訂正の話が伝わり、翌日主だった者で対策が話し合われた。
「そうなりますと津軽安東家は必ず蝦夷に兵を向けまする、那須から遠くであり、蝦夷に来ないと考えておるでしょう、津軽安東家が小さい家であれば出兵を見送る可能性もありましたが、動員出来る兵数がいるとなれば簡単には蝦夷を手放し致しませぬ!」
「やはりそうであるのう、その場合我らは援軍を向けても義兄の意思に逆らう事にはならぬであろうか?」
「敵勢の蠣崎が主家から援軍が来るのです、我らも那須ナヨロシクに援軍を出す事に躊躇いは必要ありませぬ、津軽安東家と那須家の戦いと捉え方が宜しいかと!!」
「そうなると我らの手元にある船は1000石船一隻、500石船3隻、300石船3隻と30石の戦船が20隻しか残っておらぬ、連れて行ける兵数に限りがあるが、大丈夫か?」
「向こうには山内殿の騎馬隊150騎がおります、こちらもあと150騎程と長柄足軽500に弓を持たせ、さらに木砲隊を用意すれば宜しいかと、それでも兵が足りぬ場合は船が急ぎ戻り増援すれば宜しいかと思われます」
「支度に幾日を要するかのう?」
「兵数もそれ程の数ではありませぬ、我らが動かせる範囲で足ります、二日あれば準備出来ましょう!!」
「では三日後に出立致す、資晴軍の出陣じゃ!!」
「此度は儂も行く、義兄に会いに行くとする!!」
洋一から津軽安東家の動員出来る兵数を聞き、急遽対処する事になり、資晴が動かせる軍勢を引き連れ出陣する事になった、援軍の陣容は資晴を守る馬廻役50騎と足軽100騎、戦闘部隊として騎馬隊120騎、長柄足軽500騎、木砲隊120名木砲30機戦船の操船海賊衆80名他鞍馬10名、和田衆20名他である。
── 蝦夷戦第二幕 ──
蠣崎館の当主を初め配下の者達を蝦夷から追い出しに成功し、館城下に住む漁民や町人といった和人の領民も半数程一旦津軽安東家の元に避難したが、アイヌの者達が領民には手を出さないと約束した事と、山内騎馬隊が触れ回ったお陰でそれ程の混乱は生じてはいなかった。
館は既に那須ナヨロシクに接収されており、次の戦に備え待ち構えていた、そこへ津軽安東家を見張っている和田衆より報告が知らされた。
津軽安東家が戦準備に入った事、船の割り当てを始めている事、船は50石~100石の船が港に並びはじめ、40隻程の船が用意されている、一隻辺り50~120人と見ても3500強の兵が来るものと思われるとの報告が入る。
忍びの報告を佐竹海将に伝え、援軍の船が到着する港にアイヌの者達を配置させ、最初に矢で態勢が整うまで攻撃する事になった、その後、館には籠らず最初と同じく森の中で戦う事にした、籠城戦の経験が無く森の中で戦う事を選択した那須ナヨロシクである。
「那須ナヨロシク殿宜しいか?」
「山内殿なんでも気になる事があれば言って下さい、戦は未経験であり他の酋長も私の意見に従うだけです、私の意見が正しいのかも正直判りません!」
「那須ナヨロシク殿の判断は間違っておりませぬ、ただ敵の援軍が予想より多く、佐竹殿も阻止する為に奮闘するでありましょうが、蠣崎の援軍が多く来る事になるでしょう、そこで我らも参戦する事をゆるして下され、蝦夷の危機は那須の危機であります、敵の援軍が来る以上、我らも戦いまする、どうかよろしくお願いします!!」
「お~なんと心強い事であろうか、蠣崎だけであれば我らだけで充分であるが敵が我らと同じかそれ以上の軍勢であれば相当な被害を受けます、是非参戦を願いたい、この通り感謝致す!」
「何を言いますか、この事を若様、義弟の資晴様が知りましたら必ず援軍を那須ナヨロシク殿に送るでしょう、既に危機を察知し動いているかも知れませんぞ、それ程頼りになる若様です、必ず勝ちましょう那須ナヨロシク様、蝦夷の地を取り戻しましょう!!」
一豊と那須ナヨロシクが戦について話し合う中、佐竹海将からと火急の策が和田衆から告げられた。
「なるほど、それでは敵の援軍の船を一旦函館に着岸させから帰る船を壊し津軽に帰還出来ぬようにするとの話であるな!」
「はい、海将が言うには敵の船が多く、函館に向かう船の妨害を行ってもそれ程効果が無いと判断し、船を函館に着岸させ兵を下ろした船を壊し帰還出来ない様にし、函館の蠣崎館に兵糧を残さず運び出せば数日で津軽安東家の兵達は糧食に困り疲弊していくであろうと、代わりに城下の町に住む者達から食を得ようとするであろうから、城下の領民は事前に食料をもって避難させてしまえば必ず困窮するはずだと説明しておりました、領民の避難には1000石船と500石船の中に多数のゲルがあるのでそれを利用すれば雨風はしのげると、この事を山内殿に説明すれば理解してくれるとの事であります!!」
「それは名案じゃ、敵の数が多い分手持ちの糧食は数日で無くなるであろう、見事な兵糧攻めじゃ! 那須ナヨロシク殿某の騎馬隊が領民を案内します、ナヨロシク殿は館にある食料を運び出して下され、今から我らも手配り致します」
敵の援軍の数が予想より多く、その多い兵数を利用する策を用いる事に、佐竹海将は元は常陸40万石の当主であり一万以上の兵を率いて戦っていた猛将である、敵の出方に臨機応変に対処できる知恵の持主である、アイヌの者達であれば手持ちの食料が無くなれば森の中で得る方法を習得しているが侍という者達は自らの生存能力は低くアイヌの狩猟民族とは全く別の者達である。
「良し、着いたぞ物見を放て、館の様子も確認するのだ、先ずは襲われぬように方円の陣を構築しろ!」
津軽安東家の当主、安東愛季は蠣崎に代わり直接蝦夷を支配下に治める覚悟で多くの兵を率いて蝦夷に乗り込んだ。
「物見が戻りました! 館には人がおりませぬ、蝦夷人もいないとの事です!」
「良し、これより館を接収する、蠣崎は案内役として先導せよ!!」
「敵の援軍約3500が蠣崎館に入りました、港には見張りが20名程しかおりませぬ!」
「よし、日が落ちたら船を壊す事とする、見張りは逃がさずに始末するか捕虜とせよ!」
日が落ちた後に和田衆が暗闇の中近づき見張りを倒し、10名程が捕虜となった。
「よし、船の底に穴を開けよ、手分けして朝方までに船底を破壊するのだ!」
「殿・・殿大変です、港に泊めておいた船が壊されております、見張りの者達も誰もおりませぬ、船が壊されております!!」
「なに・・・ぬかった、儂とした事が・・・敵は態と我らを誘い入れたのだ、兵糧はどれ程残っておる、急ぎ確認せよ!!」
津軽安東家の主要な町がある十三湊とさんみなとから函館に行くには津軽海峡を経て函館湾に入らねばならなく、その場合海上を100キロ近く進む為50石船以上のしっかりした船が必要となる。
「殿、我らの手持ちの兵糧は五日分しかありませぬ、館には食料がありませぬ、それと町には誰もおりませぬ、家々にもほとんど食料は残っておりませぬ!」
「なんとこれは拙いぞ、これより評定を開く重臣どもを集めよ、それと蠣崎を先に呼ぶのだ!!」
安東愛季は簡単に館に入れた事、そこには兵糧が無く、城下の町には領民が不明となっていた事を考え即断で罠に嵌ったと理解した、戦う前に生き延びる手段と蝦夷のアイヌ人を撃退する検討に入った、安東は決して凡将ではなく、即決即断の出来る知恵のある将である。
ここに、当初蠣崎との戦いとしていた戦が大きく変貌する事になった、津軽安東家との大戦が蝦夷の地で始まる事になった。
戦って兵数だけでは無いですね、智将が存在が大きいですね、一豊と佐竹海将がいる事で安心感が違います。次章「蝦夷合戦」になります。
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