真田の忍び


── 武田信玄 ──



掛川城を巡る戦いで進展が見込めず遠江の引馬から袋井までの地を武田領として徳川と分け、掛川城と距離3キロの所にある久野城に兵5000を残し7月に躑躅ヶ崎館に信玄は戻った。



「使番の真田と千代女を呼べ」



暫くして両者が揃い。



「真田その方の配下に忍びがおったな、その方が嫌っておる千代女と協力し北条と西上野に忍ばせ、此度の一連の動きを裏で操る者を探れ、我らが駿河に出張る以前から策を労していたとしか考えられん、箕輪城も簡単に落とせぬように強化されている、短期間で出来る訳が無いのにとうの昔から準備されて我らが動くのを待っていたような節がある、薩埵峠の落石といい、箕輪城の強化、それと掛川の防備、北条の素早い援軍、どれを見ても繋がっているように感じてならん」



「千代女は変装し、真田は色々と知っていそうな者を人攫い《ひとさらい》し、千代女の元に連れて行くのじゃ、後は千代女の呪印にて聞き出すのじゃ、必ず裏で糸を引く者をあぶり出しするのじゃ、二人で協力して行うのじゃぞ」



「解り申した」



信玄は甲斐に戻りここ数年に起きてた不思議な事、太郎が消え、妻三条も消えた、そして此度の一連の動きなど、負ける理由が見つからずに負けてしまった、どう考えても誰かが我らの動きを読み差配しているに違いないとの結論に達した。



「では千代女殿些か連携をいたしましょう」



「真田様が私の事を嫌っております事は承知しておりますが、御屋形様からの厳命で御座います、どうぞよしなにお願い致します」



真田昌幸まさゆきが選ばれた理由に二つある、西上野の長野が支配する領地と真田の領地が接しており、長野が強くなるという事は真田に取っても危機に繋がる、兵力だけを比較しても長野の方が倍以上備えており、攻め込まれたら一大事となる、それと真田には独自の忍びを抱えており諜報戦に武田側の中で長けた武将である事で此度の任を厳命さたれ。


一方、望月千代女は武田家の呪詛士であり人を操る呪印を施せる特別な技を持つ者として、これまで多くの諜報を歩き巫女を用い有益な情報を信玄に与え、多大な貢献を行って来た者である、しかし、近年那須に派遣した巫女達が戻ず信玄からもやや遠うざけられており、名誉挽回の機会を与えられたと言えよう。


ただ真田はこの千代女を嫌っていた、呪印で人を操り縛るなど、気味が悪く、何か人外の者に見えて油断ならぬ女であると、出来るなら関わりたくない者であると。



「では千代女殿、最初に北条に潜伏した方が良いと思うが如何であろうか?」



「そうですね、此度の中心地で御座います、一番多くの益が見込めるでしょう、真田様は何時出発されますか?」



「我らは明日にでも出立致す」



「では妾は数日して発ちます、小田原の適当な宿に妾の編み笠を目印にして下され」



「解り申した、では御免」



「唐沢玄蕃からさわげんばよ、先程の話聞いておったな、透破すっぱを多く放ち、事情を知っていそうな者を怪しまれずに近づきさらって来るのじゃ、此度の話は御屋形様直々の話、手を抜く事が出来ん、それと千代女にも気をつけよ、油断しておるとお主が操られてしまうぞ、単独で接触は行ってはならん」



「安心して下され、この唐沢玄蕃、そこまで落ちぶれてはおりませぬ、では我らも配下の者と小田原に向かいまする、宿の目印はいつもの通りでお願い致します」



「うむ、判った、後から参る」



一方の千代女は幼い頃より忍びの子として調練を受けていたが、育つにつれ、人の心が見通せる、相手が考えている事を誰よりも読める子であり、又、先読みという不思議な力があると見抜いた師が神官であり特殊な宿禰に千代女を連れて行き見せた所、千代女には人を操る力が、特殊な力が宿っているとして、千代女を引き取り、宿禰の下で修行する若き日々を過ごした。


宿禰の下では日ノ本の神話に出て来る神々と関連する場所を廻りその場所にて宿禰から数々の呪印と陰呪という負が宿った言霊を千代女の魂に封印され、人を操る呪印の力を授かり忍びとしてではなく、人を操る巫女の長として信玄に仕える事になったのである。


鞍馬天狗の話では武内宿禰たけしうちのすくねの末裔が人を操れるとの話であり千代女はその者の下で修行したのであろうとの事だった。


此度こそは妾が育てた巫女が戻らぬ原因も調べようと決意した千代女。


真田の忍び唐沢玄蕃とは、有名な忍者であり数々のエピソードが残されている。

修験道の修行で会得した技を駆使して、幸隆・昌幸に仕え、忍びの名人として『飛び六法』と呼ぶ忍術を使い助走なしで約1.8mの高さの壁を飛び超え、12mの高さから無音で着地したとされる通称『於猿』と呼ばれた忍者である。


真田の配下には優れた忍びが他にも多数いたのである。




── 越相同盟 ──




永禄121569年6月、武田家の駿河今川領国への侵攻(駿河侵攻)に伴い、北条家は甲相同盟を手切とし、越後上杉家との越相同盟が締結された。


 上杉家と北条家は長らく敵対関係にあり、同盟締結に際しては北条氏政の次男・国増丸を上杉謙信へ養子に出すことが決められる。



「では御実城様、北条と正式に同盟を結ぶという事で宜しいのですね?」



「長年管領家に対して災いをもたらし、幾度となく戦を行ったが、ここ数年関東も平穏となり、我も管領として務めを無事に果たせるは北条が静かに成った事が大きい因でもある、武田が駿河に侵攻し、武田との同盟が手切れとなれば問題無いであろう」



「それと我ら上杉家では信玄との決着はついておらぬ、ここで北条と手を組むという事で両家にて挟撃を行えるやも知れぬ、更にもう一つ大きい要因がある、それは我の養子という形で迎え、氏康の七男、国増丸を人質に取れるという利点がある、これで北条家は我らに手を出さぬという証を示した、我らに分があり、臣下の礼を取った以上問題はあるまい」



「流石御実城で御座います、これで後顧の憂いを無くし、越中の一向に集中出来ます、椎名康胤があろう事に甲斐の武田信玄と手を結びよって、謀反を起し一向と手を組むなど成敗せねば示しが尽きませぬ、直接信玄は表に出ておりませぬが、一向が動いている以上連動してます、松倉城を叩くしかありませぬ」



「では同盟が結ばれ我らは越中に向かう、軒猿に命じ一向の動きを探るのじゃ、明春雪解けしたら向かうぞ、準備を整えておくのだ」



「判り申した」



謙信に取って北条と同盟を組む事は大きい利点であった、しかし越後という国は冬に道が閉ざされ他国行く事が出来ない国であった、謙信の越後国石高は40万石であるが管領職という格式があり、それに付き従う国人領主もおり石高だけで判断が出来ない家である。





── 浅井長政 ──




謙信が越中を狙う中この年、越後の隣でも朝倉家浅井家でも煮え切らない事態になっていた。



「長政様、戻りまして御座る」



「お~片桐直貞、良くぞ戻った、それで何か掴めたか?」



「はい、朝倉殿の近習と接触する事が出来まして、詳しい話を聞く事が出来ました」



「それでどんな話があったのだ」



「最初将軍に成られました義昭様より、将軍に成れた事は朝倉のお陰でもあり感謝している、京に上り私を支えて欲しいとの感状と依頼があったそうです」



「その際は朝倉殿も喜んで京に上る気でいたそうです、ところがその数日後に織田信長より文が届き状況が変わったそうです」



「どのような事が起きたのだ」



「それが信長より届いた文には、朝倉が義昭を担ぎ中々京に上らず時を過ごしていた事を叱責し、朝倉の代わりに義昭を将軍にしたのは全て織田のお陰であり、織田の手柄である、朝倉も感謝するが良い、今一度、朝倉に手柄を取る機会をこの信長が与えよう、この織田信長に感謝し我が膝下に参集せよという内容の文が届いたのです」



「その文によって朝倉殿の京に上る意思が挫けたそうに御座います」



「それと朝倉の国人領主達に調略が入っており朝倉を見限り織田に着くようにと誘いが入っているとの事です」



「なんと義兄はそのような文を書き、調略までしているというのか」



「それでは仮に朝倉殿が京に上れば奸計があると思い殺されに行くような物では無いか、行きたくも行けぬではないか」



「近習の方も殿と同じ事を言っておられました」



「将軍は、足利義昭将軍はこの事を知らぬのか」



「朝倉義景殿がこのまま逆賊と見なされてしまうではないか、義兄は何故そこまで追い詰めるのか、某にはわからぬ」



「儂にはどうする事も出来ぬ、父上の話が理が勝っているように感じる」





── 蝦夷の歓待 ──




助のいる根室の村で大勢の者が集まり一豊、半兵衛一行を歓迎する宴が行われていた、歓迎の宴を行う前に酋長イソンノアシが那須の一行が荒神が住む遠くの外海を乗越え再び根室の地に戻った事を感謝しカムイの神にイオマンテの儀式を行い熊の魂を送り感謝の祭礼を行った。

(イオマンテとはヒグマなど動物を殺してその魂であるカムイを神々の世界 に送り帰す祭りのことである)



「半兵衛殿、驚かれたと思うが実に不思議な祭礼だと某も感じ入っている、この熊は村で飼育された熊だと言う、助の話では、狩猟で仕留めた母親はその場で殺し、小熊は集落に連れ帰って育て、人間の子供と同じように家の中で大切に育て赤ん坊と同様に母乳をやり育て大きくなってくると屋外の丸太で組んだ檻に移し人と同じような食事を与え、育てた後に集落をあげての盛大な送り儀礼を行い、丸太の間で首を挟んでヒグマを屠殺し、解体し肉を人々で食するそうだ」



「一豊殿! 蝦夷の人々は過酷な環境を神とし、それを乗越え生を営む事が出来た事を感謝しているのでしょう、その神と人を繋ぐ役目を熊が行っているのですね」



「我らの豊穣祭りと基本は同じ事であろうと某感じました」



「さすが半兵衛殿ですね、そうかも知れませぬ、我らも毎年豊穣祭りを行っております」



儀式も終わり、用意された酒と食事を取りながら歌が歌われ踊りが披露された、この歓迎の宴では助の村と6つの村、そして急遽参加の意思を示した2つの村が加わり盛大な宴となった。



一豊達も麦菓子、大学芋、濁酒、澄酒を提供し、それと宴の中でそれぞれの村の酋長に大小の太刀を渡した、その村々の頂点に立つ大酋長を根室のイソンノアシとする事になった、楽しい宴の翌日大酋長イソンノアシと各酋長により今後の方針が示された。



方針の確認内容が以下のように取り決められた。


1、那須家と誼を通じた大酋長イソンノアシを中心に同盟を結ぶ村は那須家が庇護をする。

2、同盟した村には米、穀物、織物類、糸類、針、酒、鍋、陶器、椀わん、茶碗、鉄器、刃物、まさかり、鎌、鉈なた等の必要な品を優先的に交易として渡す。

3、同盟した村の酋長には大小の太刀を進呈する。

4、那須家にはトペニの樹液、干鮭からさけ、干鯡ほしにしん、干鱈ひだら串鮑くしあわび串海鼠くしなまこ、昆布、魚ノ油、干鮫ほしさめ、塩引鮭しおびきさけを交易品として提供する。

5、那須家が守る代わりに那須の幟を村に建て同盟を意思を表示する。

6、那須の言葉を通訳出来る者を村で2名選び、半年間那須の地で研修を行う。

7、馬については徐々に引き渡し村々で飼育育成を図る。

8、今後一定数の那須の侍を同盟した村を守るために駐屯する。

9、その他、必要な事は大酋長と酋長達と決めていく。



この1569年時における蝦夷人同士の争いは資料的に認められず、実に平和的な暮らしをしていたと理解される、その後1600年代に入り徳川幕府によるアイヌ人の文化を一部禁止をするなど和人文化の強要など交易の制限などの政策を推し進めた事でアイヌ人の争いも起こり徐々に弱体化して行き自立性を奪い民族解体へと繋がっていく、しかし、那須が根室に現れた事で歴史が大きく変わる事になる、蝦夷の地は那須とアイヌの共存体制の自治区に変化していく、どちらに取っても必要な存在に、ただそこに行くまではもう少し時間が必要であった。



「ではこれより某一豊と半兵衛の二班に分け蝦夷調査を開始する、期間は一ヶ月間とし、30日後に根室に帰還する事とする、では出発!」



一豊隊、隊長は一豊、助、鞍馬2名、他根室のアイヌ人3名、騎馬の弓隊5名の12人、一豊隊は知床半島、サロマ湖、紋別、宗谷岬を経て内陸側の旭川を目指し戻るルート。


半兵衛隊、隊長は半兵衛、アエトヨ兄弟、梅、鞍馬2名、他根室のアイヌ人2名、騎馬弓隊5名の13名、半兵衛隊は釧路、襟裳岬、内陸側帯広を目指し戻るルートである。


目的は現地を確認する事と途中のアイヌの村を訪れ交易の申し込みを行う誼を通じる為の調査である、移動は騎馬と徒歩であり、馬には交易品を荷車に乗せての移動し、宿泊は簡易ゲルのテントを所持しており宿泊する事になる、時期は6月に入るも涼しいと言うより真冬の寒空の時もあり那須とは違う厳しい環境と言える。



「しかし寒いのう、もう六月に入ったぞ、助は寒くないのか?」



「一豊様 まあー寒いと言えば寒いですが、真冬は某も大変でした、風など吹いておれば全身が凍ります、あの経験からすれば暖かい感じです、寒ければ着る、暑ければ脱ぐ、これだけです、この程度は寒いの内に入りませぬ」



「その方元々マタギであるからそうなのであろうが、蝦夷の人達が着てる毛皮も温かそうであったのう、あれを借りてくれば良かった」



「毛皮は風を通さず良い物です、家の中では着ませぬがここの者は寒さに強い者達ですぞ、漁では海に入る者も既におります、某は泳げませぬので無理ですが、浅瀬で泳ぎを覚える事になっています、蝦夷の者は湖と川を大切にしておりますので酋長から泳げる様になれと厳命されました」



「そう言う事か、道理で水に関係したところに多い所に村があったのか」



「間もなく大きい湖が見えます、サロマ湖という大きい湖です、アイヌの村が四つあると言っています、その内の一つは既に同盟しております」



「そうか、蝦夷人同士の争いはあるのか?」



「狩場で揉める時がありますが、酋長が間に入れば普通は解決します」



「あと狩りで揉めたら手持ちの荷を渡せば解決するとも言っておりました、某はまだ一度もそのような場に出くわしておらぬので」



「あっ・・・前方に蝦夷の人がおります、あそこです」



「・・・・さっぱり判らん?」



「あっははは、森の民ですからな、平地の者とは違いますので、ほらこちらに二人向かって来ます」



「本当にいたぞ、では助殿頼むぞ」



「ネプカエエルウェタアン?」 (やあー食事はしたか?)



「ソモ、エントゥラワイペヤン」 (いやまだだ、一緒に食べよう)



「一豊様一緒に食事をする事になりました、知らない者同士ですが、お互い一緒に食事をする事で距離を縮め敵対しない事を示すのです、彼らの生きて行く知恵です」



「それは良い考えじゃ、では支度をしようでは無いか、酒を出しても良いのか?」



「ええ、喜ばれると思います」




一豊隊はサロマ湖での最初のアイヌ人との出会いが始まったどんな展開が待ち受けているのであろうか?





長政の苦悩が読み取れます。

次章「大酋長現る」になります。

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