春うらら


よくぞこの遠き那須の地に来てくれた、先ずは暫くゆっくり身体を労わり、落ち着いてから話そうではないか、この地に来たからには儂がその方達を守るゆえ安心するが良い、話はそれからじゃ、ゆっくり疲れを癒すのじゃ。



武田太郎達四名は理由も解らずやっとの事で烏山城近くに到着するも、訳も分からずに板室温泉の温泉宿場町に連れて行かれた、さっきの童は誰であろう、名も名乗らず、身分の高い者に違いないが、心身共に疲れていたので聞き返す事もせずに言われるがままに従う四名であった。



温泉宿に到着し、某此度その方らの面倒を見る五籐吉兵衛と林勝吉と申します、先ずはゆっくりと温泉に浸かり心安らかに過ごされよ、な~に、今は困惑しておろうが、本当に困惑するのはこれからである、安心してここで先ずは疲れを癒されよ。それからここの温泉はやや温い湯であるので半刻程ゆっくりと浸かり寝湯もあるゆえ、何も考えずに浸る事をお勧め致す。



五頭吉兵衛と林勝吉は、山内一豊の家臣であり傅役の様な存在、一豊が父を戦で亡くし、幼い頃より先代の子を立派に育てようとしてきた二人である、この二人には逆らえない一豊。



この東国の地がどこなのか、何かその昔見たのどかな風景がそこら中にあり、争いも無く、時間がどこか遠くへ、それこそ遠き昔の甲斐国にも、この様な平穏な地があったに違い無いと思える風景に、父と争い幽閉されていた事を全て忘れる事が出来るのどかな地であった。



ここがどこなのか、甲斐国ではない事は分かる、戦国の地でも無い、民の安らかな顔は、本当に争いが無い地であり、武士を見ても驚かず、我らを見ても強張った顔もせず、愛想よく会釈する民達である、この地は、この国は何処なのであろうか?



ここに来るまでに心も体も疲れ果てており、この夜は真綿の雲の中で体が吸い込まれ、幼き頃に心地よい母上の胸の中で安心して眠る事が出来た夜であり優しさに包まれた夜であった。



戦国の世を殺戮という弱肉を貪り、信玄と共に餓狼の士として血を求め、餓狼の王の子を育てる栄誉ある地位を手に入れ心血を注ぎ育てた、若き王を守り、命を捧げる事を誓った戦狼の飯富虎昌にも、この状況に驚き、既に自分は自分は死んでおり、魂が全く違う世界を漂い魂が夢を見ている、己の魂が、若を守るために常世とは違う世界を漂っているに違いないと理解していた。



この板室温泉という場所は会津(福島県蘆名領)に通じる街道にあり温泉宿場は、一般的な温泉のイメージとは違い、心身が病んだ者、打撲や体そのものに障害を受け、リハビリが必要な者には最適な温泉である、硫黄泉とは違い、単純泉ではあるが体を癒すには有能な泉質で、温泉の温度もやや低温な温泉である為ゆっくりと浸かる、時間にして30分以上はゆっくりと浸かる事が出来る温泉である。



折角なのでここで板室温泉について紹介します。



平安期後冷泉天皇の時代である康平21059年3月、下野国那須郡の領主である那須宗重が狩りの際に発見したという『下野の薬湯』と称され、特有の入浴方法として綱の湯つなのゆが知られる、綱の湯は、持ち手となる綱を温泉小屋の梁に結わえて湯浴上に垂らし、湯治客はこれを握って腰以上の深度のある湯浴に立ったまま浸かって湯治を行う、水圧がかかるため血行が良くなり関節痛に効くとされる、初めは杖を必要とした湯治客も湯治の後には杖が不要となるほどに回復したといわれ、これより板室温泉は杖いらずの湯とも呼ばれるようになった。



どちらかと言えば、長期間宿に滞在して湯治場としてのイメージの温泉地である。

(現在でも朝夕の食事付きで7千円前後の宿も、中には低価格の自炊の宿もある様である)



この地に滞在する事になった武田太郎一行である、そこへ遅れて、幕臣の和田が送られて来た、和田の事を見た事がある飯富は、驚き狼狽した、何故この地で、名のある幕臣に会うのか、本当に和田なのであろうか、温泉に浸かりながら、失礼ですが、幕臣の和田殿では御座りませんかと声を掛ける。



その問いに驚き、目を見開く和田であった、問いの主が誰だか分らぬが、私の名を知っている者がいた事に驚いた。



問いかけた者を確かめるも誰だから判らず、其方様はどちら様でしょうかと聞く以外なかった。



湯舟に浸かりながら、双方が共に名乗るも、何故ここに名乗った者がここにいるのか解らず、その夜は共にお互いに何があったのか話した。



和田からの話で、我ら武田の者四名を救ったのは那須の嫡子、正太郎という子であると、その子は神童であると、物事の先を読み、時には将軍をも恐れずに諫言する者である、その者の計らいで助けられこの温泉の地に我らは来たという事を教えられた。



正太郎は、一豊が和田を救い出し、武田太郎達も既に板室温泉にいると言う事で、田植えも終わり、ひと段落したので初めて、領内にある那須山に近い、板室の温泉地に足を運ぶ事にした、大津より沢山の干物と甘露煮、麦菓子、干し肉、里芋、野菜、塩、澄酒を二斗樽10個を荷馬車に積み、いつものメンバーとアウン、ウインも連れて訪れた。



「こんな山間の所に温泉地があるとは、平家の里を思い出す、綺麗な川があるのう、おっ、あの岩山の日陰を見よ、まだ雪があるぞ、ここは烏山と違って、岩肌が荒々しく見える大昔の地と同じであるのう、空気が美味しい、アウン、ウインどうであるか?」



「良い獣が沢山いそうで楽しい所です、猪の匂いがします、鹿も沢山いる匂いがします」



「本当なのか、そんな匂いどこにも、う~さっぱりじゃ、梅なら平家にいたから判るか?」



「う~あの二人は小さい時より獣と戦って育ったのでしょう、私にも分かりません、獣の匂いでお美味しいという意味が、その言葉には過酷な意味あるかと、平家とは違う感覚なのでしょう」



「まあーあの二人と比べてしまうと、全てが違う答えになるから、別物なのであろう」



「アウン、ウインお主は温泉に浸かった事はあるのか?」



「私達の育った地ではその様な悪魔に呪われた水に入った事はありません、暖かい水など、呪われています、水に火を付けて温かくする湯なら何度も入っておりますが、呪われた水に来るのは初めてです」



「めんどくさい奴らだのう、よいか、温泉に入らねば万と福と結婚は出来んぞ、あの二人は温泉が大好きなのじゃ、よいか分かったか」



「・・・はい、温泉が大好きになりました・・・だから早く結婚お願いします」



「字は覚えたのかどうであるか?」



「はい、梅殿が教えてくれて覚えいます、一豊様はダメです、すぐ怒ります、一豊様全然ダメでした」



「なんじゃ梅、どいう事じゃ?」 



「はい、彼らは文字の無い国で育ちました、しかし、絵は描けます、絵を書いて簡単な事を伝える事を狩猟中していた様です、例えばあの山の後ろに猪がいるから先に行く、それを後から来る者に地面に、山の絵を書いて猪の絵を書いて、先に移動したりしていた様です」



「猪という字を書いて字の意味と猪に似ている説明を行い、人、石、岩、川など簡単な文字を、どうしてこの様な字なのかを説明したら意味が通じた様で、それからは覚えるのが速くなりました、一豊様はいいから覚えろと言うだけで、怒り出す様で、愚痴を言っておられました」



「なんか笑える話だのう、一豊に教える様に言ったのが間違いであったか、楽しい話じゃ、さすが梅だ、文字の意味を説明し、だからこう言う形をしている文字なのだと教えた訳じゃな、それは我らも新しい字を学ぶ時と全く同じある、初めて見る難しい漢字の時はこんな漢字があったのか、意味を聞けば、ほうと唸り、誰がこの様な字を最初に創ったのかと感心してしまう、文字とは深いのう」




楽しい会話をする中、板室温泉宿に到着した、宿の主と女将他宿の者達が玄関前で膝を付き拝礼している姿を見て。



「ささ、立ってくれ、その様な事はしなくて良い、此度お世話になる那須正太郎である、主殿と奥方であるな、共に楽しいひと時を過ごそうではないか、新しい澄酒と干し肉など沢山持って来たゆえ、この温泉地にて宿を行っている者、逗留している者達と共に食し楽しもうではないか、先ずはお世話になる」



この時代の温泉宿は六軒程であり一度に泊まれても100人程であり、主に湯治と商人が泊まる小さな温泉地であった、正太郎達はその中で一番大きい宿に逗留する事に、隣の宿に武田太郎と和田が宿泊していた。



宿にて夕餉の前に武田太郎一行4名と幕臣の和田と謁見する事になった。



「その方が武田太郎殿であるな、私が那須家嫡子の正太郎である、そこに控えている者が配下の方々であるな、それと足利幕府幕臣の和田殿であるな、昨年は父上がお世話になった、その方達の事情はおおまか知っておるので、説明は不要である、先ずはこの地にて疲れているであろう心と体を癒して欲しい、それからゆっくりと次の事を考えようでは無いか」



「それと武田殿も心配されているかと思うが、そなたの奥方は間もなく北条殿が、氏政殿の元に来る事になる、頃合いを見てこの地に来る事になっておる、それと太郎殿の傅役であり二十四将の飯富虎昌おぶとらまさ殿と側近の長坂源五郎・曽根周防殿であるな、そなた達が率いていた騎馬80騎の者達は甲斐国を放逐となった、北条殿の領地、又は今川殿の領地に仕官を求めに来た場合には、この地に来れる様に北条殿が手配してくれる事になっておる、騎馬の者達は処断されずに済んだ様である」



「和田殿にもお伝えする事がある、将軍義輝殿が殺害され、弟の覚慶殿が松永久秀という者が興福寺という寺に幽閉しており無事に生きておるそうじゃ、安心されよ」



正太郎から、遠く離れた地にて武田家の事、幕府の事を語る正太郎に声も出せず、全く思考が追い付けず困惑する一同で会った。



「大変失礼なのですが、某が知る中で、武田家と那須のお家とは今までに繋がりがあった家では無かったかと思われます、どの様な経緯で太郎様を初め我らは助け出され、又、先程の言われた北条家との話まで出来上がっておるのでしょうか? 某皆目見当が尽きません、出来ますればお教え願います」



「そうであろうな、皆目見当が附かぬと思う、詳しい話を申したいが、それが出来んのじゃ、話をする場合には、儂の臣下になってもらわねばならないのじゃ、説明するには特別な理由があるのじゃ、ゆえに特別な理由を聞くには臣下となって頂かねば語る事が出来ない程、重大な秘密があるのじゃ、だから話せんのだ」



「話せるとしたら、武田太郎殿を御救いした理由に、太郎殿の奥底にある義という信義から起こったお家騒動である、やり方は決して賛成できる訳ではないが、その義という心根が太郎殿に宿しておったからであろう、それを育てた飯富殿の心にも義があっという事じゃ、どの様な者にも義という心あるのだが、欲に溺れれば義と言う心は奥底に沈んでしまい、義は死んでしまうのじゃ、戦国の世ではその義が育たぬ理由がそこにある、太郎殿には義が見て取れたゆえ救い出したのじゃ」



「先ずは夕餉でも食しながら歓談しようでは無いか」



正太郎から語られた不思議な話の数々、武田家とは程遠い考え方捉え方に戸惑うも安心する話でもあった、不思議という言葉しか思い浮かばない一同で会った。





那須の物語で武田太郎はどうなって行くのでしょうか?

父親信玄から廃絶され処断される運命からどうなって行くのでしょうね。

次章「それぞれの思惑」になります。

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