それぞれの思惑


板室温泉地で正太郎は宿を営んでいる者、宿泊している湯治客へ、炊き出しを行った、澄酒も配られ楽しい賑わいの日となった、武田太郎達も一緒に干し肉入りの芋粥と澄酒を配り共に参加した、正太郎は一人三枚の麦菓子を配布、甘い麦菓子に大喜びする板室温泉の人々、武田太郎はこれまでに領民と触れ合った経験が無く、触れ合うとしても大上段に構え、一方的に何かを伝え、相手が平伏するだけの関係であった。



正太郎の行いに武田太郎は只々驚いた、領主の嫡子が下々と普通に語り、話しかけ手渡しで菓子を与えるなど武田家でその様な事をやれば、大きい騒ぎとなり、上に立つ者が威厳無き行動と捉われ問題となるであろうと、その振舞の違いに只々驚いた。



正太郎は10日程のんびりと板室で過ごし、烏山に戻る事なった、武田と和田に暫くここに留まり、身を隠す様にと自重を促し、北条家より何かしらの知らせが届くのでそれまでは留まる様に話した、又、五藤と林を置いて行くので何かあれば頼めば良いと伝えた。



五藤と林には、残りの酒も置いて行くので共に飲み語らうが良いと、その方達とて一豊と一緒に那須に縁あって来たのであり、先達としていろいろと不安があろうかと思うので那須の家について教えてあげる様にと伝え別れた。





── 武田信玄 ──





躑躅ヶ崎館にて息子の太郎が出奔した事をどう致すかについて重臣に伝え話した。



「飯富も恐らく一緒であろう、今川、北条にも通じていない様である、皆の者の意見を忌憚なく言うが良い」



「御屋形様、この馬場信春、此度の事、理由はどうであれ、既に我らの領内には太郎様も飯富らもおりません、こうなれば、残念ですが、戻る事も無いかと思われます、であればこの先については余り影響ある事は起こらぬかと思います、既に無い者として扱い次に進められる事の方が宜しいかと思われます」



「他の者はどうであるか?」



「某穴山も馬場殿が言われました事とほぼ同じであります、今は長野業正が亡くなり若き長野業盛が治める箕輪を攻め、上野一帯を武田の領に一日も早くするべきです、その上で駿河に攻め込む時であるかと」



「兄上、ここは次に移る時です、太郎の奥方を今川に返し、憂いを無くし進みましょう」



「では皆の者も同じなのであるな、ではこれより上野への戦支度を初め収穫を終えてより上野箕輪、長野を攻める、その様に支度をせえ!」



この後、武田太郎の奥方であった今川義元の娘である奥方嶺松院れいしょういんは今川の元に送り返され今川家とは手切れとなった、武田家は今川家の領国へ侵攻する意図を明確にした。




北条家と今川家では同盟を結んでより両家の関係は良好であり、特に織田信長により桶狭間の戦で今川義元が討たれてより、後を継いだ氏真より頻繁に使者が使わされ、北条家でも北条氏康の娘が氏真に嫁いでおり現当主の北条氏政と義理の兄弟でもある為何かと手を貸していた。



北条氏政よりいずれ武田家とは縁が切れる、その場合は武田太郎に嫁いだ嶺松院が戻されるであろう、その時は儂が面倒を見る故、北条家に送る様にと、又武田家からの仕官を求めてくる者がいた場合もこちらに寄こす様にと話を事前に伝えていた、氏真はその通りに行い、6月中旬に今川家に戻された氏真の妹にあたる嶺松院を向かい入れ8月に北条家に送った、併せて武田家を出奔し今川家に仕官を求めて来た者達が複数おりその者達も北条家に送られた。



正太郎の元に氏政より文が、そこには聞いていた通りの事態が武田家に起こり武田太郎の奥方であった嶺松院が今川家に戻され、今は北条家にて庇護している、又、武田家を出奔した者達が仕官を求めて来たので、今は同じく庇護している、そちらに10月頃に嶺松院と仕官を求めて来た者達を送るので向かい入れの支度を願いたいとの文であった。



武田太郎もそうであるが、今川義元の娘である嶺松院れいしょういんも大国の姫と言う育ちであり、正太郎に比べれは育った環境は天と地程の差があり、向かい入れる以上安易に扱っては後の災いとなる、正太郎は母上に相談し、館を急ぎ建築する事になり、目立たぬ場所として板室温泉の地に近い百村と言う風光明媚な地に館を立てる事にし手配した。




── 那須家評定 ──




「皆の者大義である、では収穫目前であるので勘定奉行より報告があるので聞く様に」



「では、勘定方総奉行の大関大泉よりお伝えいたします、まず今年の田の実りで御座いますが、新しい田植えにて大きく石高が増える予定となります、那須側での田の石高約9万石、常陸側の石高11万石、計20万石となります、併せて海からの塩、海産物からの収益が1万石、それから大子金山からの金の石高が1万石となります、締めて合計、22万石となります」



評定の間から感嘆の声と、驚きと喜びの喜々とした声の歓声が上がった。



これらの石高はそれぞれの家の規模に合わせて、配分され、その費用で新たに人を雇い、雇用を作り、大きくして行く大切な石高であった、元々どの家でも広い領地を持っており、人が不足しているので領地を増やしても人が増えない限り家を大きく出来ない理由があった。



他にも椎茸の分もあるがこれは、正太郎と当主資胤と鞍馬達だけの収入となり那須家の石高には入れない事に。



軍奉行から、各家で当初の目的である兵数4500名から、那須家全体で6000名とする様に目標が伝えられた、特に騎馬隊の増員を急ぎ行い、弓士の育成に力を注ぐ様に、具体的には那須本家2250名、大関家、1000名、大田原800名、福原600名、千本、芦野、伊王野にて各350名、計4850名を目指す事になった。



騎馬隊増員に向けて馬の殖産年1000頭を行う事、今は高原地帯に群棲している那須駒を利用する事とし、兵全体の半数を騎馬隊とする事にした、併せて小田家との軍事調練を開催する、調練の責任者に大関殿、副に千本殿が騎馬隊総司令、副指令として任に当たる事になった。



金山奉行に大田原が責任者となった。



これとは別に正太郎は独自に正太郎軍300名を作る予定であった、又、竹中半兵衛より水車を用いて稲作の面積を増産とする五ヵ年計画として、五年後に旧那須側で16万石、常陸側で同じく18万石を目指し計34万石と目標が定められた。



他にも避難して来る者達を向かい入れる新たな村を作り、それらからの収穫も五年後に6万石を目指し那須家全体で40万石の計画であると伝えられ了承された。



正太郎からも完成した大津の港に那須家の500石船を5隻、新たに高萩の港を作りそこにも500石船3隻寄港出来る様に整備し、堺、小田原、土浦、高萩、大津間の貿易船を運航すると話し、新時代が来る説明をした。



他に澄酒の増産を行うので伊王野、大田原、烏山の三ヵ所を拠点として、酒蔵を作り貿易の品として売る事とした、その為に道路の整備を竹中半兵衛主導の元に普請を行うので各家の領民に通達し、普請手伝いには昼餉の食事と手当を支給する旨を通達する様にと伝えた。




── 上野国 ──




上野国とは現在の群馬県である、古代関東では今の群馬県栃木県の地域を4世紀あたりに毛野(けの/けぬ)と呼ばれており五世紀末頃に上毛野、下毛野、那須という三つの領域に分かれ、八世紀末には上野、下野、那須という国となる、その後いつの間にか下野の中に那須が組み込まれ現在の栃木県になる、戦国時代の下野国である。



戦国期この上野国に猛将として知られる長野業正なりまさがいた、関東管領上杉憲政を支え箕輪城群馬県高崎市を居城とし上野国を代表する武人であった、その強さから国人領主からも信頼されており、1557年、甲斐国の武田信玄が西上野侵攻を開始すると領主達を纏め2万の軍勢を揃え対処するなど一際大きい存在の武将であった。



その大きい武人が1561年11月22日に亡くなった、その際に嫡子業盛に『私が死んだ後、一里塚と変わらないような墓を作れ、我が法要は無用。敵の首を墓前に一つでも多く供えよ、敵に降伏してはならない、運が尽きたなら潔く討死せよ、それこそが私への孝養、これに過ぎたるものはない』と遺言した。



嫡子業盛は父の死によって後を継ぐ、若干17才という若き武将であった、その若者に餓狼が襲い掛かる、餓狼とは甲斐国武田信玄である。



長野業盛は叫んでいた、何故じゃ、なにゆえ私の言葉に従わぬのじゃ、このままでは、上野国は武田に荒らされるではないか、管領の長尾殿も一体どうしたのじゃ、何故国人領主達が離れていくのか、何故父上に従っていた者が離れていくのじゃ!



関東管領上杉謙信も戦いに没頭していた、永禄71564年4月、蘆名盛氏軍が武田信玄と手を結んで越後へ攻め込んだが蘆名を退け、野尻城を武田軍から奪え返し、8月、上杉軍は信玄率いる武田軍と川中島で再び対峙した(第五次川中島の戦い)60日間対峙するも決着つかず双方が退陣した。




1565年2月、朝倉義景が一向一揆との戦いで苦戦していたため、支援。

同年3月、関宿城が北条氏康の攻撃に晒される(第一次関宿合戦)。

同年5月、将軍・足利義輝が三好義継・三好三人衆・松永らの謀反により二条御所で殺害される。(永禄の変)



謙信も目まぐるしい戦の日々を過ごしており、余裕が無い状態であった、一番の問題は、偉大な当主の後を継ぐ者が陥る、傲慢さによる振舞に気づかぬ事にある。




今川氏真、武田太郎もそうであった、偉大な当主の後を継ぎ治め政を行えども、実績が無いにも関わらず、父親の威光を、自分にもあると勘違いし、威圧感を持ちこれまで支えてきた者に接するなど、そこには傲慢という慢が面に出ており、人が離れて行く、業盛もやはり若くして後を継ぎ、気負いが傲慢と言う形で現れ、国人領主達が武田側になびき始めた。



老練な餓狼にとって経験浅き業盛など手の上で転がす様な存在でしかない、武田信玄の狙いは上野であり、その中心的な家である長野業盛であった、長野を倒し上野という国を狙う信玄。




武田信玄が大暴れしている時期です、中二病的な言葉で『触ると危険』な武田家です。次章「正太郎軍団」になります。

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