駿河侵攻・・・1


── 駿河侵攻 ──



北条氏康



1568年が間もなく終わりとなる残り一ヶ月を切った師走に満を持して餓狼が動き出した。



「御屋形様武田が陣振れを出しました、12月6日甲斐を出立致します、徳川も同じく間もなく陣振れが出る模様です」



「ついに来ました、父上、幻庵様、予言通り正太郎殿の予言通り武田が間もなく侵攻を開始致します」



「我らは狼狽うろたええる必要は無い、予定通り動けば良いだけじゃ、小太郎抜かり無いであろうな?」



「はい、全て万端に整っております」



「では予定通り氏真殿をお連れし、影武者を今川館に用意致せ、それと朝比奈殿に間もなく徳川が動く事を念の為伝えよ、それと那須殿にもこちらの動きをその都度手筈通り伝えるのじゃ」



「はっ、判っております」



「いよいよ儂と寿桂尼殿で施した一手が動く時である、あの世で見ているであろうよ」



那須に訪れていた幻庵は板室温泉で長逗留した後、寿桂尼が無くなったと聞き、太郎の館を弔問に訪れそのまま小田原に帰還していた。



「では某の影武者と兵5000を蒲原城に向かわせます、いざという時に備えさせます」



「うむ、では念には念を入れ備えよ、蒲原であれば掛川にも良いであろう」



「大宮城へも送っておろうな?」



「既に3000の兵と兵糧を富士信忠殿へ送っております」



「よしならば万全である」





武田陣営


「陣振れを出せ、総振れである、12月6日に全軍で出立致す、4日までに参集せよ!」



「いよいよで御座いますな、やっと駿河に侵攻出来ます、これまでいろいろとありましたがこれにて海の地を念願の塩を得る地を手に入れる時が来ました」



「本当よ、寿桂尼が中々しぶとく難儀した、まあー今川の滅亡を見ずに行ったのじゃ、儂の仏心よ、駿河の地を儂が手に入れる事を見なくて済むのじゃ、安らかに眠っておれば良い、徳川も大丈夫であろうな」



「はい、こちらが新盆まで待ち、徳川が秋の収穫が終わってからという条件を我らも飲みましたので問題ないでしょう、徳川が遠江へ攻め、我らが駿河から挟撃すれば北条も今川も手出し出来ませぬ、北条だけ警戒すれば良いだけです」



「これにて北条とも手切れだ、安心して暴れようぞ、早く海を見たい物よ」




小田氏治


二ヶ月ほど前に遡る。



「では彦太郎、掛川に荷を運び、帰りは小田原により荷を積み又、掛川に搬入せよ、我らの任は地味であるがこれが無ければ成功せぬ、軽い気持ちで行えば事故に繋がる、油断せずに行うのだぞ、菅谷、里見義堯殿、倅の事をよろしく頼む」



「な~に、心配いらねぇー、こう見えても彦太郎殿はうちの倅より聡明だ、俺達の方こそ面倒見てもらわねばならんくらいだ、のう勝貞どん、そうよ、まあー帆船ももう慣れたから心配しなくても大丈夫だ、大船に乗ったつもりで見守っていりゃーええ、では行ってくるでぇー」



「では父上行って参ります」



小田家の帆船には那須で作った木砲が積載されていた、これがあるが無いかで掛川の防備に雲泥の差が出る事は間違いないと確信する程の武器となろう。



「では皆の者出立じゃー、小田原に向け出立せよ!」





那須正太郎


「長野殿やっと来ましたぞ、長い間お待たせ致しました、間もなくで御座います」



「この日をどんなに心待ちしておりましたか、某無事に戻りましたら、是非正太郎様に臣従致します、是非お仲間に加えて頂きたい、本来であればもっと早く言う予定でありましたが、それでは甘えになると思い言えませんでした、領地に戻りそれを手土産に臣従と考えておりました」



「そうでしたか、それはありがたい、業盛殿がおればどんなに心強いか、某の方が感謝してありませぬ」



「以前の某はなんで父が亡くなり支えていた国人領主が私から離れたのか、那須に来てその理由が判りました、若様を見て目が覚めました、某は父の武威を利用していただけです、自分で何もしておりません、それなのに父上と同じ様に威張り腐り国人領主達を見下しておりました、その事に気づき大いに反省出来る自分になりました、戻りましたら二度とそのような振舞は行わず善政を行いたいと決意しております、どうかこれからもよろしく導きをお願い致します」



「そうですか、今の業盛殿が戻られたら領民がきっと喜ばれるでしょう、間もなくで御座います、我ら正太郎軍も共に行き予定通りの行動を致しますので現地での差配お願い致します」





徳川家康


「皆の者陣振れじゃ、12月13日遠江に向け進軍致す11日までに参集せよ、領土を広げる戦である、出立準備を致せ」


寿桂尼様お許し下さい、某竹千代は寿桂尼様の御国に攻め入ります、武田に侵略される前に進みます、黙って見過ごしても武田が侵略致します、我らの方が善政を行えます、必ず民を労わります、降伏する者は配下として仕官させ安堵出来るように致します、我らが攻め入るは今川を守る為で御座います、どうかお許し下さい。





朝比奈 泰朝


「那須の皆様この度はお世話になります、この朝比奈心より感謝致します」



「ご安心されよ、那須当主資胤様と嫡子正太郎様が選ばれし弓の名手200名が必ずお役に立ちます、弓での遊撃となりますが、どれも皆弓の才に長ける者達です、必ずやご期待に沿えるよう働きます」



那須から城の防衛として福原長晴(正太郎重臣福原の従兄)と弓の名手200名を派遣した、200名は万を超える騎馬隊の者達から選ばれた一線級の弓士達であった。



「お~皆様方が那須の方々ですな、某の孫が世話になっております、この戦いが終わりましたら某も那須に訪問する事になります、どうぞ誼をお願い致します」



「武田信虎様ですね、福原長晴と申します、某太郎様よりお聞きしております、幼少時にお別れになられたと、早くお会いしたいと申しておりました、掛川をなんとしても守り、勝ちましょうぞ、どうぞよろしくお願いします」



掛川城は一年以上前からこの時に備え、堀を広げ、曲輪を増設し、幾重にも防備を固め備えていた、仮に敵が侵入しても罠を張り巡らし不落の城として整えていた。



史実では武田信玄が今川領駿河侵攻は早々に成功する、しかし、そこから北条との戦いが2年程続き決して簡単に成功したとは言い難い、家康の遠江侵攻も掛川城の抵抗激しく最後まで落城せず、最後は城が孤立した事で氏真他城兵を北条側に渡し、城を接収するという事で侵攻を成功させる。しかしこの事を事前に知った上で北条家は動くのである。





武田信玄


「よし、ではこれより出陣を致す、銅鑼を鳴らせ、法螺貝を吹くのじゃ!」



ジャーンジャーン、ジャーンジャー、ブォーブォー!



「全軍出陣せよ! 出立じゃ!」



12月6日、武田軍は一路駿河に向け出陣した、甲斐から駿河には富士川沿いに進めば難なく行ける、途中峠道もあるが隘路も少なく甲斐の山側からなだらかに下って行く道である。


距離にして約90キロで富士川河口の蒲原に着く、そこから西へ約30キロ程で静岡であり今川館のある駿府となる。



「物見を放て、今夜は身延にて一泊する、明日は蒲原に泊まり、三日目に館へ攻め入る!」





北条氏政


「どうやら12月6日に甲斐を出ました、明日には大宮城前を通過するでしょう」



「富士信忠殿へ注進してあるか?」



「はい、風魔より知らせてあります」



「まさか大宮城(別名富士城)が簡単に抜けないとは、驚くであろうな、富士殿があれ程武田に牙を向く者であったとはこちらも驚きよ、今川にも頼もしい御仁がおった者よ」



「ええ、どうやら何度も武田から調略があった様ですが、失礼な物言いで腸が煮えくり返っていた言っておりました、そこへ我らが此度の件を伝えましたら、真っ先に攻撃すると、それまで手出し無用と言う程で御座いましたから、その後我らの仕掛けが発動します」



「仕掛けが発動し、その後、富士殿は共に戦う事は大丈夫なのであろうな?」



「はい、何度も念を押し、既に我らの兵も城におります」



「では後は風魔であるな」



駿河侵攻における国人領主で最後まで抵抗した武将はこの富士信忠と朝比奈泰朝と言われている、それ程多く者が信玄の調略に乗り今川を離れていた。

誰が味方で敵なのか判別が出来ないほど今川家は衰退しており、最後の綱が寿桂尼ただ一人であったのだ。



「物見が戻りまして御座います、身延方面異常なしとの事です、別の者が蒲原方面を索敵しております」



「よし今夜は予定通り身延に宿泊致す」



その夜は何事もなく身延で夜を過ごし、蒲原を目指した信玄。



「物見が戻りました、御屋形様に報告ありと申しております。」



「よし、此れへ」



「申し上げます、大宮城に今川家の旗多数見えまする、それと同じく富士家の家紋幟旗が多数城壁に乱立しております、城内に兵が多数いるようで御座います」



「何、馬場よ、やはり富士はダメであったか? 寝返らなかったのか?」



「富士の返事は、はっきりせず、どちらにも付かぬような口振りで御座いました」



「では我らを軽く見ていると言う事か、富士などどうにでも出来るが今は駿河に攻め入るが先である、しかし舐められた以上先ずは城攻めを行いその後、蒲原に到着しそこで5000の兵を残し、大宮城の兵と北条の兵に備え足止めを行う、残り15000は予定通り駿府今川館を目指す事にする、進軍しながら兵を分けよ」



「はっ、判りまして御座る」



12月8日午後大宮城前で武田軍が布陣を敷き翌日城攻めの構えを行う。

12月9日、朝、銅鑼が鳴り、法螺貝か吹かれ城攻めが始まる。



「よし、城攻めを行う、皆の者掛かれ、叩き潰すのじゃ!」



「馬鹿め、武田にこの城が落とせる物か、儂を誰と心得ておるのだ、我こそは富士山本宮浅間大社の富士大宮司、富士信忠であるぞ、神に弓を引く者を成敗してくれぬ!」



この富士信忠は歴戦の勇者であった、今川家お家騒動花倉の乱、河東の乱にても今川義元を支持参戦し戦功を義元から評されていた。


史実においても北条氏政は永禄111568年12月、信忠に対し戦功を賞すると共に大宮城中の給人領地の安堵を約束し、今後の戦況次第では伊豆国に領地を宛行う約束をしている。


9日早朝より夕刻まで城攻めを行うが城への目立った被害もなく、武田軍が一方的に被害を被り500を超える犠牲者を出していた。



「全然攻撃が刺さっておらぬでは無いか、もう良い、城から出て来ぬ以上こちらが不利である、蒲原に兵を残し、明日より駿府に向かう、良いな、一旦陣を後方に下げよ、追撃を受けぬよう警戒せよ」


12月10日朝。


「これより今川館に向かう出立せよ!」


蒲原より駿府今川館まで約30キロである、午後には到着する予定である。





風魔の罠


「蒲原を出ました、一部の兵を残し向かいました、あと一刻程で峠に来ます」


「よし、配置に付け、敵が予定の場所に着いたら狼煙を上げよ!」


「見えて来ました、武田軍が見えました」


「よしもう少しじゃ・・・まだまだぞ・・・まだぞ・・・今ぞ狼煙を上げよ!」


「狼煙が上がりました、狼煙が見えます」


「よし綱を切れ、いまぞ綱を切れ!」



「・・・?・・うん、何の音であるか?」



周りを見渡しても左側は駿河の海、右側は小高い斜面である、音の方角は斜面の前方上から木々が崩れる音であった、音の方角を見ると小高い山の木々が揺れ動き、徐々に信玄達に向かって来る音であった。



「逃げよ、戻れ、がけ崩れぞ、逃げよ、山津波じゃ、戻れ戻れー!」



ゆっくりと樹木が斜面を滑り岩肌を崩し前方の道を一気に塞がれてしまった、この場所こそ薩埵さった峠と呼ばれる場所であり、東海道五十三次の由比宿と興津宿の間に位置する所であり、史実では同じ場所で武田軍の駿河侵攻に対して今川氏真が15000の兵で迎え討つも離反者が多くあっさり敗退した場所であり、武田軍は今川館を12月13日に接収してしまう。


余りにも武田軍の侵攻速度が速く今川館にいた多くの者が武田に捕らえられ、この事態を伝える氏康書状には『愚老息女不求得乗物躰、此恥辱難雪候』と、氏康の娘で氏真の正室早川殿は輿もなく徒歩で逃げる危機的状況であった、氏康は、娘が徒歩で逃げるという屈辱的な状況となったことに対し激怒している。


薩埵峠の斜面を形成している薩埵山は標高200m程の山であり崩落の罠を仕掛けるのに最適な場所であった、この場所に崩落の罠を仕掛け、ここから先の今川館に行かせない為に玲子が考え一年以上前から風魔が落石の罠を作り仕掛ていたのである。



「これでは駿府に行けぬではないか、なんたる事だ、むうーこうなったら一旦戻れ、甲斐に戻り体制を整える、蒲原に残した兵は殿しんがりとせよ」




徳川家康


「殿注進が来ました、武田が予定通り軍を興し6日に甲斐を出立致しました」


「よし、では9日~10日には攻撃が始まるな、さすれば駿河側に今川も力をいれるであろうから、我らは13日に遠江に攻め入るとする、13日に出立する、良いな!」


こうして家康は武田が甲斐に一旦戻る事を知らずに13日に進軍を開始した。


数日遡り薩埵峠で風魔ががけ崩れを起こし武田軍の足止めに成功した事が北条家に伝わった時、今川館から避難していた氏真の正室早川殿が父の氏康にある一言、不安な事を口にした。


「父上様、そう言えばお田鶴の方おたづのかたはどこにいるのですか、小田原には避難に来ておらぬのですか?」



「えっ、お田鶴の方・・・・忘れておった、ままま・待て待て・・・・今なら・・・お主は心配せんでもよい、今から儂が手を打つ」



「いそぎ小太郎を呼べ、大至急じゃ」



「お呼びで御座いますか?」



「急ぎ危ない橋であるが渡って欲しい、峠の罠については他の者に任せ、儂の姪であるお田鶴の方を無理やりでも良いから連れて来るのじゃ、中々言う事を聞かぬと思うが多少手荒な真似をしても良いから連れて来るのじゃ!」



「引馬城の間取りは判るであろうな?」



「問題ありませぬ」



「よしでは連れ出した際に重臣にこれを渡し後を託すのじゃ、良いな徳川が攻め入る前になんとしても連れ出すのじゃ」



12月10日、引馬城に風魔小太郎が正装した整いで先に重臣の飯尾正親に面会を求めた、正親はお田鶴の方の近しい親族衆である。



「おっ、これは小太郎殿ではありませぬか、正装とは、気づきませなんだ、某に何か用事でもありますか?」



「はっ、こちらの文をお読み下さい、氏康様からの文になります」



「なんと、某にですか、では拝見致します・・・・・・・これは・・本当に良いのですね!」



「はい、今なら間に合います、徳川が動いてからではお田鶴の方様はここを動かぬであろうと、動く前に事を急ぎ小田原にお連れしろと申されまして」



「そこでもう一つ文をお田鶴のお方様宛に氏政様からお預かりしております、これには~~の事が書かれており急ぎ小田原に来る様に書かれております、この文を読んでも中々動こうとはなさらぬかも知れませぬ、そこで正親殿のお力を借り無理やり小田原に向かう様に話して頂きたいのです」




駿河侵攻・・・2につづく。



登場人物が増えて来ると忙しいですね、頭が追い付けません。

次章「駿河侵攻2」になります。

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