孫一


顕如と信長による武家と宗教の争いの内容を見た場合、信長は武家一色であるが、本願寺顕如の勢力は信者の一向門徒だけではない、むしろその他もろもろの勢力が顕如に味方している、信長と敵対した三好の残党、浅井朝倉の残党、銭雇の忍びなども含まれている、その中で特殊な近代兵器である多数の鉄砲を所持し力を持つ者達が顕如に付いていた、雑賀衆と根来衆と呼ばれる二大武力勢力、ともに5000以上の配下を持ち鉄砲に特化した勢力、正面切って戦う信長を撃退し追い返す程の力を持つ集団であった。


特に雑賀衆は8000近い集団で鉄砲を武器として信長の前に立ちはだかった、この年1576年石山合戦では7月の両者一向宗と信長の戦いでは雑賀衆の働きで信長を敗退に追い込み退けている、雑賀を率いる頭領の名は鈴木孫一と名乗った、雑賀衆は幾つかの集団に別れているがその中心にいるのが鈴木孫一であった、この時点では雑賀衆の頭領と言える、顕如はその力を利用する為に雑賀衆と根来衆にしっかりと報酬を払い一向一揆に必要な守り神として利用していた。


雑賀と根来の鉄砲と織田信長の持つ鉄砲隊では、雑賀と根来の方が一枚上手の名手を揃えておりその餌食になる者が多かった、何故信長は力押しで一気に攻める事が出来なかったのか、それは石山本願寺が自然に守られた地形が要塞化されていたからである、幾つもの中州が島となり、その島から本願寺が形成されている、河川が堀となり攻め入る事に不利であり、守る事に有利な地形であった、近江川、大和川、河内川という川が合わさり河川が堀となり島々の中に本願寺がある、攻め入るには多くの船と兵力で全体を囲むしか無かった、実にやっかいな所に顕如の本願寺があった。


難攻の本願寺に攻め入れば雑賀と根来の鉄砲の餌食となり、一斉に攻め入るには相当数の船に乗り大勢で攻め込むしか方法が見当たらず、兵糧攻めを検討するも大量の米が運ばれており長期戦になるしか無かった。


一口に石山合戦と言えば10年あまり続く本願寺との戦を意味するが合戦は幾つも行っており、この1576年の戦は天王寺合戦、第一次木津川口海戦と呼ばれている。


天正4年1576年春、顕如の要請に基づき毛利輝元と将軍足利義昭が大量の兵糧を得た事により和議を破り軍備を整える、元々信長との和議など無いに等しい物であり、信長は米止めを行っていた、信長はすぐさま本願寺の動きを察知し、三方から包囲し、動きを封鎖しようとする、しかし、楼岸大阪市中央区木津浪速区より海上を経由で門徒、弾薬、兵糧を送り対抗、織田軍が木津を攻めると、顕如は1万を超える軍勢で織田軍を蹴散らしてしまう。


蹴散らされ残った織田軍は砦に立て篭もり、信長に救援を要請を行う、その為すぐさま諸国へ陣触れを発したが、集結が遅く、3千の兵を連れて本願寺軍に攻めかかり包囲を突破して砦に入り、砦の兵等と合流して反撃にでた、篭城策を取るものと思い込んでいた本願寺軍は浮き足立って敗走し、石山本願寺に退却した、これが天王寺合戦と呼ばれている、これにより信長はより封鎖に力を入れる事になる。


中州の島々からなる本願寺、そこに逃げ込んで来た門徒衆の家族と多くの兵達5万以上の大勢が立て籠もり、那須が売った兵糧1万石、米に換算すると2万5千俵、この数量で大人から子供までの食料と考えた場合、立て籠もる数5万と見立て6ヶ月~8ヶ月分の兵糧と言える、合戦が始まり夏には残り三ヶ月分も持たぬと誰もが知る所となる。


経済的に封鎖された本願寺は、さらなる援助を毛利に要請した、結婚式で銭を使い果たし懐具合が寂しい那須資晴の元に又もや毛利の商人若松屋が訪れる。



「なんとその方またもや米が欲しいと言うのか?」



「私も商人であれば米を依頼されれば動くしかありませぬ、多くの民が生き延びる糊口の米であります、どうか那須様の御情けで御救い下され」



「確かに民が生き延びる糊口となろうが、前回は戦前、今は既に戦を行っている、軍俵としての色合いが濃い兵糧と言える、儂一人で今回は決める事は出来ぬ、暫し待つが良い、父上と協議致す!」



若松屋が訪れた事で評定が開かれる事に、幸い城には重役達も領地に戻っておらず即座に開かれた。



「如何致しましょうか、父上、米は蔵に充分ありますが、この事織田家が知った場合那須を敵視致しませんでしょうか?」



「儂が織田殿であったとしたら、毛利に味方していると判断し敵と見なすであろう、味方していると見なされない方法があれば良いが?」



「半兵衛何か良い策は無いか? 今の那須家は銭が無いのじゃ、儂は売りたいが敵と見なされるも回避しなくてはならぬ!! 他の者も良い策があれば申せ、敵と成らずに銭を得る方法じゃ!!」



「この半兵衛でも中々であります、某は戦の軍略は描けますが、銭儲けの軍略は中々どうして至極難しいとしか言えませぬ!」



評定では中々良い意見が整わず、何時になく長時間となっていた、資胤と資晴の本音は米を売りたい、なんとしても米を売り、銭が欲しい、重臣達は無理である、そんな巧い手は無いか、諦めた方がいいという意見で纏まっており、どうしても評定を終わりにしたく無い当主と資晴であった、そこへ、そっと手を控えめに資晴に見える様に手を上げる者が!!



「梅、何かあるのだな、申して見よ!」



「では、こちらの地図を見て下され、那須はここ、本願寺はここになります、そして毛利の家はここ安芸になります」



「うんうん、そうであるが、それがどうしたのじゃ?」






「那須からこの本願寺に流れた場合は敵と見なされます、所が少し遠くなりますが、米をこの安芸の国に持って行けばどうなりましょう、京からも10ヶ国以上離れており、全く遠くの場所になります、ここ安芸からは毛利の船で勝手に米を本願寺に送った場合は那須は敵とならぬのでありませんか?」



「お~お~なんとなんと、どうじゃ、半兵衛、十兵衛、この梅の申し出はなんと理解する?」



「若様、御屋形様、梅の申したこの案はかの孔明が戦で使った埋伏の策と同じあります、兵が隠れ潜むのでは無く米が隠れ潜む策とは誰も見抜けませぬ、仮に露見しても顕如の元に米を運び入れる者は毛利であり、那須が支援した事には成りませぬ、瞠目に値する策としか言えませぬ!!」



「梅よ、又してもでかしたぞ、しかしどうしてその様に知恵が湧くのじゃ、前回もそうであったが、梅には福の神でも付いておるのか、実に良い案じゃ、此度も相場の2.5倍で売りつけるのであるな?」



「若様、この手は何度も使えませぬ、ですから今回は相場の3倍、そして米は1万石、他に芋など蔵に眠っております砂糖も売りつけましょう、砂糖を売れば何れは大切な砂糖を買う客に毛利がなるかと思われます、戦が治まれば今度は砂糖を売る客となり益を那須にもたらします!」



「・・・(笑)・・・(笑)・・・父上、今の話をお聞きしましたか? 二重三重に毛利から益を取る梅の長大なる銭の軍略、梅のお陰でウハウハに成れますぞ、七家の者達に借金を返せますぞ!」



梅の話を聞き、広間にいる重臣達からも一斉に梅を褒め歓喜に包まれた、資晴の結婚式で北条家から姫の警護騎馬隊一人50500万、長持ち衆達一人20200万という御祝儀として莫大な労賃を渡す為に、七家より銭を借金して支払っており、さらに七家の家でも資晴の結婚式に御祝儀を無理やり徴収されている、那須家の面々は米等の食は沢山持っているが銭そのものが底を付いていた。


銭が時々無くなる事はこれまでに何度も経験しており以前は金と明銭を交換する為に堺より油屋が銭を手配しなんとか急場を乗越えていた、所が堺の町を信長が抑えた事で中々商人だけの匙加減で明銭の仕入れが出来なくなり那須の国は銭不足になっていた、そこへ資晴の式が重なり、貨幣経済からややもすると物々交換の昔に戻ってしまうのでは無いかと言う分岐点であった。


那須家の困窮を救う為に梅の案を採用し、米の外、大量の芋、砂糖等を相場の3倍で売る事にした、本来の売上であれば1万5千石の処、4万5千石という那須家史上初めての大商いとなった、若松屋もどうせその買う銭は顕如が出すのであって毛利では特に腹を痛めないとの事で3倍で買う事を了承した。


毛利輝元は米の手配が出来た事になり、顕如の要請に応え、7月15日に村上水軍、毛利水軍と連携し船800艘に兵糧を運ぶために大坂の海上に現れ、包囲している織田水軍300艘の船を焼き払い、本願寺に兵糧を届けた、この大量の兵糧が本願寺に届いた事で包囲しての兵糧攻めを諦める事になり、信長は兵を退けた、その結果、顕如側の行った籠城戦が勝利した形に、第一次木津川口海戦と呼ばれたこの戦で信長は、対毛利家との本格的な戦準備に入って行く事になる。


大量の銭を手に入れた那須家は七家に借金を返し、それでも多くの銭が手元に残り、まさにウハウハの資胤と資晴親子であった、この功は大である資胤は考え梅に壮麗なる雅の十二単を贈る事にした、くの一であるが侍女衆の頭でもある梅、那須家200石の大家の侍女長である、それに相応しい雅な十二単を贈った資胤の配慮もまた雅と言えよう。


後日この話を聞き、丁重に断る為に梅は伴と鞍馬天狗に相談する事にした。



「そう断る話でもあるまい、御屋形様は其方の忠義を認めた御計らいなのだ、今の其方は資晴様だけを守る侍女では無いのだ、梅が考えているより責任ある重責を担っているのだ、上に立つ立場となった今、いつどのような場でその十二単が必要な時が来るか判らぬ、その為に御屋形様がご配慮して頂けたのだ、那須家は200万石を大きく超える家となったのじゃ、侍女の者達もそれに見合う装いが必要なのだ、ここはありがたく頂いておくのだ!! 良いな!!」



女将と天狗より言い含められ渋々受け取る事になった梅、知らぬ内に大責の身になっていた事に本人も驚いていた、この十二単について女将の伴と天狗は梅に話した事とは違い別の意味が隠されているのでは無いかと読み取っていた。



「確かに梅の活躍は大きく忍びの者としてこれ以上ない功を認めて頂き嬉しい事ではあるが、その恩賞に十二単とは儂は正直驚いておる、内容が内容なだけにここは慎重に考えねばならぬので無いか、どう観ておるこの事」



「私もお前様と同じであります、御屋形様には資晴様、資宗様と姫様である皐月様となります、皐月様は明年小田守治様へ嫁がれます、那須家は200万国を超える大家です、大国であるにも関わらず子の数が少なくこれ以上の政略における婚を結ぶ事は出来ませぬ、もしやの話になりますが、梅を御屋形様の養女と致し、他家に嫁がせるやも知れませぬ、恐れ多い話成れどその意が十二単に含まれておるやも知れませぬ!」



「・・・・それは・・・確かに・・・そう読む事が出来る・・・駄目じゃ・・頭が追い付けぬ・・・世の政に関わって来ておらぬ鞍馬には難しすぎる話である、まさかここまで梅が大きい者になろうとは、嬉しい事なのだが儂には付いて行けぬ、この事は様子を見るしかあるまい」



「お前様、私も同じです、それとなく資晴様に梅の今後を聞いて見ます、話によっては我らも覚悟が必要となります」



梅の保護者である鞍馬夫婦も資胤より十二単を褒美として頂ける事に正直驚いていた、十二単は単なる女性が着る着物ではない、公的な身分ある女性の女房装束の儀服であり、大名家、公家、又は宮中の公の場所で晴れの装いとして着用する着物であり身分無き者が着れる着物ではない、その着物を褒美として頂くという事は梅がそれらの身分に相応しい地位が今後控えているのでは無いかと憶測した鞍馬夫婦と言える、それだけ重みのある恩賞と言える。




織田家は戦、那須は結婚と毛利との商いで危機を回避。

次章「中国」になります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る