早めの帰宅。
何者かと思ってレンがその方向に目を向ければ、先日、ギルドで言葉を交わした法衣姿の女性が立っていた。
相も変わらず加工したような声だから、余計に気が付きやすかったのだと思う。
レンはその女性に身体を向け、眉をひそめる。
怪訝に思う声音が自然と口から漏れだすも、服が川の水と泥で汚れているせいでしまりがなかった。
「……どうして貴女がここに?」
「それはボクの台詞だよ。クラウゼルに居たはずのキミが、どうして川で水遊びをしてたの?」
女性はケロッとした様子で答えた。
嘘か本当か、レンにはそれを確かめる術がない。
「俺はちょっとした事情がありまして。――――それと、水遊びじゃないです」
れっきとした仕事なのだが、こうも濡れていては胸を張れないところだ。
けど、その不満げなレンの姿を気に入ったのか、法衣姿の女性はくすくすと笑いながら宙に指をかざし、くるくるっと動かしはじめた。
「風邪を引いちゃったら大変だもんね」
瞬く間のレンの服が乾いていく。
服の汚れまで消えていき、パリッと乾いた服に早変わりだ。
「――――いまのは?」
「ふっふっふー……何を隠そう、いまの魔法は服を綺麗にしてしまう魔法なのだ! どうどう? すごいでしょ!」
明らかにそれに限定してはないだろう、と思った。
そんなことより、レンはその用途に使える魔法があるなんて知らなかった。
だが、思えば七英雄の伝説でそんな魔法があったところで、誰が使うというのだろう。汚れなんて概念はないから、使い道は皆無なのだ。
(ってことは、俺が知らない生活用の魔法も存在するのか)
予定外に面白い知識を得たと思い、レンは満足した様子で微笑んだ。
すると、法衣を着た女性はレンが喜んだのだと思い、得意げに笑いながら腕を組む。
レンはここでようやく尋ねる機会を得た。
「貴女はどうしてここに?」
この出会いが偶然か否か……明らかに怪しさを感じさせる法衣の女性の目的を尋ねる。
当然、その答えがすべて本当かどうかは不明だ。
けれど、レンは尋ねずにいられなかった。
「お仕事だよ。この見るからに怪しそうな服装と違って、結構、お堅いお仕事なんだ」
「……なるほど」
レンは怪しさに対して否定も肯定もせず、密かに「自覚があったのか」と内心で呟いた。
しかしお堅い仕事と聞けば、興味が湧いてくる。
(変装が必要で、しかもお堅い仕事――――ってなんだ?)
警戒心は捨てず、僅かに首を傾げた。
だが、法衣の女性はそれ以上教えてくれる様子はない。
声は依然として加工されたそれだったし、深く被ったフードから覗く口元は、どうしてかそれ以上は顔のパーツがレンの視界に映らない。
やはり、あの法衣が彼女の姿を隠すための効果を持っているのだろう。
――――レンは答えを見いだせず、短い沈黙を交わす。
やがてそれを、第三者の声が一変させた。
『……』
『……ブルゥ』
二人が居る場所から少し離れた、川に落ちていなかった倒木の陰。あるいは倒れていない木々の陰から、数匹の魔物がレンたちを見ていた。
それは、レンにとっては懐かしいリトルボアである。
リトルボアたちは腹を空かせているのか、低い声を発しなら静かに近づいて来る。
「災害のせいで、普段のえさ場で食べるものが無かったんだろうね」
「はい。どうやらそのようです」
女性はレンの返事を聞いてすぐ、そのレンの前に立ちふさがるように動いた――――のだが、
「あ、レン君はボクの後ろに――――」
レンはそれよりも早く一歩前に出る。後ろに女性を庇うように、腰に携えていた鉄の魔剣を抜いてそれを構えた。
前に出られた女性はまばたきを繰り返して、「あ、あれ?」と困ったように言う。
「ど……どうして?」
「どうして、ってなにがです?」
レンはいまにも襲い掛かってきそうなリトルボアから目をそらさず、女性に振り向くことなく答えた。
女性の声からは、彼女がきょとんとした顔を浮かべていることが想像できた。
「ど、どうしてキミはボクの前に立ってるの?」
「……そりゃ、戦うためですけど」
「そ、そうじゃなくってっ! まるでボクを守るようにしてるのは――――」
「実際に守ろうとしてるんだから、当たり前じゃないですか」
「――――ふえ?」
怪しさに溢れた女性相手ではあるが、レンの身体は自然と動いていた。
恐らく、リシアと行動するうちに身に着けた振る舞いであろう。
また、警戒心はさることながら、見ず知らずの女性に守られるようなことは受け入れがたかったのもある。
背を見せることにはやや不安があったから、すぐにリトルボアを討伐にかかる。
その近くでは、女性が今もなお驚きの声を上げていた。
「……やっぱり、キミが例の英雄さんなのかな」
呟きはレンの耳に届かず、彼は飛び跳ねたリトルボアを瞬く間に討伐した。
難なく討伐を終えたレンが鉄の魔剣を腰に戻す。
背後で法衣の女性が何か言っていたことに気が付いて、彼は小首をかしげた。
「何か言いましたか?」
「うん。キミは可愛いなー、って」
「……意味がわからないんですが」
「説明してあげるって言ったら、一緒に帝都に来てくれる?」
「いえ、絶対に行きません」
「はぁ……残念」
法衣の女性は心底残念そうに呟くと、仕方なそうに歩き出す。
彼女はすれ違いざまに、レンの服に付いた返り血を浄化した。
「もう行かなくっちゃ。仕事だらけで辟易してたけど、キミと会えたおかげで楽しかったよ」
唐突な別れの言葉がレンに告げられる。
レンは手を伸ばし、彼女を止めようとした。
「待ってください! まだ話は……ッ!」
まだ、聞いておきたいことがある。冒険者ギルドで、そしてさっきもレンの力を示唆したことを確認できていない。
しかし、彼女の肩に手が届きかけたその刹那、
「――――ボクはこれからバルドル山脈に行かなきゃだから、またねっ!」
レンの前に暖かな風が吹き、彼に一瞬だけ目を手で覆わせた。
次に目を開けたときには女性の姿がなく、片付けるはずだった倒木もどこかへ消えてしまっていた。
怪しさ満点だったあの女性について、レンはじっと佇みながら考えた。
色々な魔法、そして一人称。いま一度話してみてよくよく理解に至った、彼女の人懐っこさを感じさせる話し方。
これらを思えば、レンもある人物を予想できる。
「……まさか、あの
けれど、その人物がこんな田舎にいるとも思えなかった。
何せ、脳裏をかすめたのは、クロノア・ハイランド。帝国士官学院の学院長にほからない。
しかしどうにも半信半疑だ。
極めて多忙な彼女がここにいるとは、どうしても断定できなかったのである。
◇ ◇ ◇ ◇
「ねぇ、どうして早く帰ることになったの?」
夜になり、客間に居るレンをいつものように訪ねたリシアが言う。
リシアはその理由を聞かされていなかったけど、レンはヴァイスに口止めされておらず、聞かれたら答えていいと言われていたため、素直に答えることにした。
「実は――――」
素性が知れない女性と冒険者ギルドで知り合ったこと。その女性と川の上流で再会したこと。イェルククゥの件からまだ半年も経っていないから、念のため早めに帰ること。
これらの話を聞かされたリシアは、であれば仕方ないと頷いた。
「どんな女性だったの?」
「実は全然わからないんです。法衣を着てましたし、フードを深く被っていたので顔も見えませんでしたから」
声だって加工されているようだった。
これらの話をリシアに聞かせれば、彼女は「確かに怪しいわね」と言う。
だが、彼女に心配している様子はなかった。
ここにはレンがいるし、ヴァイスをはじめとした騎士たちが居る。
彼女は全幅の信頼を声に孕ませていた。
「じゃあ、少しだけ夜更かししてもいいのかしら」
「明日からの予定がなくなったからですか?」
「ええ。――――ちょっとした遊戯ができるモノも持ってきてるから、よかったら一緒にどう?」
彼女はそう言って、自分の部屋から何かを運んでくる。
レンが居る客間のテーブルに広げたのは、将棋やチェスを想起させるボードゲームの盤だった。
最初はレンのぼろ負けだったけど、途中から状況が変わりはじめる。
コツを掴んだレンが連勝すれば、リシアは持ち前の負けず嫌いを発揮した。
レンも負けたら「もう一度!」と張り合ってしまい、気が付くといつになく夜が更けていたのだった。
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