剣術の授業で。

(な……なんで……?)



 こんなにも急に、何の前触れもなしに現れるとは予想していなかった。

 現れた人物は唖然とするレンを嘲笑うかのように堂々と、この場に集まった騎士たちへと檄を飛ばす。



「皆々は訓練をつづけよ。年端もいかぬ少年に負けたことを、悔しく思えるのならな」



 彼女は革靴で歩く度にカツン、という音を上げながらやってくる。

 そんな様子を唖然と見ていたレン。彼が立つ訓練場の中央へやってきた女性が声を掛ける。



「貴様は誰だ」



 向けられた迫力は、その声からひしひし伝わってくるようだった。

 肌をひりつかせるほどの覇気と相まって、レンは生唾を飲みかけた。



「レン・アシュトンと申します」


「……ふむ、やはりか」



 女性の射抜くような鋭い視線に、レンは決して怯まなかった。



「私はエステルだ。この獅子聖庁の長官である」



 その名はレンが予想していた通り、この獅子聖庁の長官の名だ。

 エステルを目の当たりにしたレンは、久しく経験していなかった特筆すべき緊張感に苛まれていた。

 自覚すればするほど、漂う凄みに驚かされる。



(――――帰還した軍を迎えるパレードとかの話はなかったな。まぁ、毎回やるわけじゃないだろうけど)



 レンは何一つ聞いていなかったこともあり困惑した。

 だが、そんなレンが時計を見て「あっ」と声を漏らす。

 学院に行く前に剣を振りに来たレンには、そろそろ身支度を整えなければならない時間が近づいていた。



 剣を振ることに没頭しすぎていたことを知り、彼は頭を抱えたくなった。

 しかしその前に、エステルへ事情を説明して謝罪しなければならない。

 それでもレンはエステルほどの大物を前に、いくら学院があろうとここで立ち去るのはどうだろうかという、当たり前の疑問を抱く。



「長官、レン殿はこれより学院がありますので……」



 しかし一人の騎士がそう口にすると、



「むっ」



 エステルが態度を急変させた。



「レン、ちゃんと学院へ行くのだろう?」


「は、はい! しかしながらご挨拶をすべきと思い、中々申し上げられず……ッ」


「うむ。良い心がけだ。しかし授業も大事にせねばならん。特にこの時期はな」



 すると、エステルはレンがきょとんとするほどあっさり許してくれた。

 レンはその返事を受けて頭を下げると、足早に訓練場を後にする。



 そのレンが去る後姿を見ながら、



「悪くない。中々、芯の通った男ではないか」



 彼女は次に「もっとも、私の夫ほどではないが」と笑った。




 ◇ ◇ ◇ ◇




「――――っていうことがありました」



 レンが教室で獅子聖庁でのことをリシアに告げた。

 レンとリシアの隣り合った席の前にやってきたセーラが、それを聞いて笑みを引き攣らせた。



「あ、あの長官殿が帰って来たのね……」


「私はその長官殿と会ったことないけど、セーラは何か嫌な思い出もあるの?」


「あたしというか、お父様がね。それも嫌な思い出ってわけじゃないけど」



 レンとリシアがエレンディルに来るしばらく前に、セーラの父である現リオハルド英爵がエステルと剣を競ったそう。意見の相違などの険吞なそれではなく、互いに剣の腕を確かめたかったのだとか。



「ぼろ負けよ、ぼろ負け」


「ほんと? セーラのお父様も剣聖級なのに?」


「ええ。傍から見てる私は何が何だかさっぱりだったわ。実際に戦ったお父様も、よくわからないうちに負けてたって言ってたくらいだし」



 それに、とセーラが当時のことを思い出しながら。



「リシアなら私より知ってるんじゃない? 剛剣使いの剣聖級は、その他の流派の剣聖級と一線を画すでしょ。それに剣聖って、一つの階級の中で実力差が一番あるじゃない」



 なぜなら剣聖は、剣王の一つ下にある位だからだ。それより上は剣王しか存在しないため、剣聖以下の階級と比べて実力差が一番顕著だった。

 要は剣王が強すぎるせいで、下にいる剣聖の実力を測るのが難しいということ。

 相手が剛剣技における剣聖であれば、猶のこと難しい相手だった。



「あっ! そういえばリシアに聞きたいことがあったんだから!」


「あら、急にどうしたの?」


「剛剣技よ! 剛剣技! どうなの? リシアも獅子聖庁に足を運んで剣を磨いてるって聞いたけど、どのくらい強くなってるのか聞かせてよ」


「私の等級が知りたいってこと?」


「そう!」



 セーラが気になっても不思議じゃない。

 何せリシアは、幼い頃からその剣の腕と才を轟かせてきた少女なのだ。

 ただでさえライバルとして、またその強さを目標としてきたセーラにとって、リシアの強さが気になって堪らなかった。

 


「去年の終わり頃に剣客級の戦技アーツを使えるようになって以来、剣豪級を目指してるところよ」



 さらっと述べられた返事にセーラの笑みが凍る。



「――――き、聞かなきゃよかった……」



 単純な換算ではあるが、一般的な実力で他の流派における剣豪級といったところか。しかもそれが、昨年末というのだからセーラは恐れ入った。

 セーラはリシアの机に突っ伏すと、その下で両足をばたつかせる。

 恐らく……というか間違いなく、リシアとの実力差が開いたことを悟って思うところがあるようだ。



「……リシア様」


「気にしないで。セーラはこう見えて打たれ強いから」


「こう見えてって何よ! あたしが貧弱に見えるってこと?」


「見た目はね。だってセーラ、腰とかすっごく細いじゃない」


「嫌味にしか聞こえないんだけど。あたしより細い子に言われたくないわ」



 二人は冗談を交わし合ってから微笑み合った。

 すると、リシアが仕方なそうに頬杖をついてすぐのことだ。

 レンが「あれ?」と声に出す。



「そういえば、ヴェインがいませんね」



 これにより、三人の間に緊張が奔った。

 主にセーラの態度が変わったことで、レンが唖然とする羽目になったのだ。



「誰それ? 知らないわ」


「……え?」



 セーラのやや冷たい声にレンがきょとんとしていると、そのセーラが窓の外に目を向けてつんとした態度を示す。

 すると、リシアが間髪入れずレンに耳打ちする。

 一瞬、甘い香りがレンの鼻孔をくすぐった。



「彼、一つ上の先輩に呼ばれてるみたい。二年次にいる英爵家の方で、すっごく綺麗な女性なんですって」


「あー……噂には聞いたことがあります」


「つまり、セーラが不機嫌になったのはそのせいよ」


「なるほど。俺は触れちゃいけないことに触れちゃったみたいですね」



 リシアは「気にしないでいいと思うわ」と苦笑した。



「……レンもその先輩と会ってみたい?」


「いえ、まったく」



 迷わずの即答にリシアが逆に面食らう。

 その横で、レンは密かに考えた。



(確かに言われてみれば、そんなイベントがあった気がする)



 入学して間もないヴェインは英爵家の者たちと友誼を深めていく中で、サブヒロインに位置付けられた二年次の少女とも出会うことになる。セーラと同じく綺麗な少女なので、人目を引く存在だ。



 とはいえ、ヴェインがの色香に惑わされたなどではなく、むしろ断る方がどうかしてると言えるような、ささやかな手伝いだ。



 ……猶、このクラスにもセーラ以外に英爵家の人間が存在する。

 姿が見えないから、まだ登校していないようだ。ちなみにレンはいまのところ、言葉を交わしたことはない。

 別にこのまま卒業まで言葉を交わさずとも構わない、そんな気持ちだった。



(そういや、いまみたくリオハルド嬢が不機嫌になってたっけ)



 つまるところレンの現状は、イベントの裏側といったところだろう。

 ゲームとこの現実を一緒くたにすることはレンも愚かだと何度も心に思ったことだが、似た何かがあると色々と考えさせられてしまう。

 不機嫌だったセーラが気分を一新するために、半ば強引に話題を変えた。



「今日の午後からよね! 私たちが参加する授業がはじまるのって!」



 言わずもがな、セーラが何よりも楽しみにしていた剣術の授業だ。

 剣術のような一般的な授業は特待クラスに限らず、一般クラスの生徒が混じることもある。

 この日の授業を選んでいた三人は、午後から同じ授業を受けるのだ。



「そうね。でもセーラ、私は前から言ってたと思うけど、別に学院の外で一緒に訓練をしても構わないのよ?」


「もちろん覚えてるけど、せっかくだから学院で剣を交わせる日を待ちたかったの」


「……それ、何か意味があるの?」


「気持ちの問題よ。前に騎士の詰め所でぼろ負けしたときよりも強くなったあたしを、この晴れ舞台で見てもらいたいし」



 そこにセーラなりの考えがあるのなら、レンもリシアも尊重する。

 日々、努力を重ねてリシアに追いつこうと努力している姿は、二人から見ても輝いて見えた。



 ヴェインが教室に戻ると、セーラはつんとした顔で彼を迎えた。

 レンは戸惑ったヴェインの後姿を見て、「頑張れ」と密かに笑みを零した。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 昼食を終えてから訓練場に向かう前、セーラは更衣室の中で午前中よりも更に上機嫌な姿を披露していた。



「やっとリシアと剣を交わせるんだもの。入念に準備運動をしなくっちゃ」


「はいはい。準備運動で体力を使いすぎないようにしなさいよ」


「わかってるってば! ふふっ……前に剣を交わした日以来、私がどれくらい強くなったのか見せてあげるんだからね」



 二人は制服から訓練用の服装に着替えた。

 帝国士官学院が指定する専用の運動着があるわけではないため、生徒たちは皆自分が動きやすく、気持ちが昂るそれに身を包む。



 着替えを終えた二人が更衣室を出て、剣術の授業で使う訓練場へ足を運ぶ。

 さながら小さな闘技場と言わんばかりのそこは、おおよそ一つの学び舎が持つには過剰すぎる設備に見える。全体を囲む客席まで用意されていた。

 が、すべてはここが帝国士官学院だから、という言葉で説明できる。



 そんな訓練場に、二人以外の女生徒や男子生徒が既に十人は揃っていた。

 その中にヴェインの姿はあったが、レンの姿はない。



「レンはまだみたいね」



 セーラが言えばリシアが答える。



「レンなら遅れてくるわよ。獅子王大祭の実行委員の仕事があるから、午後の授業は後半から参加するって言ってたわ」


「いいの? それならリシアも行かないといけないんじゃない?」


「本来ならね」


「本来ならって、どういうこと?」


「気にしないで。こっちの話だから」



 レンがする仕事は大したものではなく、あくまでもちょっとした書類仕事をこなす程度のものだ。

 それにリシアを付き合わせるのは、セーラが可哀そうとレンは考えた。

 今日までこの日の授業を待っていた彼女に対し、これ以上のおあずけは思うところがあった。



 リシアはそうした事実を煙に巻き、授業開始前の準備運動に取り掛かる。

 彼女が身体をほぐしていると、



「あ、ヴェイン」



 そこへやってきたヴェインがセーラとリシアに声を掛ける。



「レンは遅れてくるんだってさ」


「知ってるわ。実行委員の仕事ならしょうがないし、私たちも感謝しないとね」


「だな。っていうわけで、えっと……今日はクラウゼルさんと?」


「ええ。当たり前じゃない」



 会話をしながら準備運動をするうちに、その時間は訪れた。

 この授業を担当する男性の教員が訓練場にやってくると、集まったおよそ二十名の生徒たちを見て口を開く。



「諸君、帝国剣術の授業へようこそ」



 この学院では他にも、聖剣技などの授業を選択することもできる。

 基本となる帝国剣術を受講すれば剣術の単位は問題ないため、後は生徒の裁量次第だ。



「レオメルでは、帝国剣術を基本的な剣術と定めている。しかし特待クラスはもちろん、一般クラスに入学した者たちもそれなりに剣の扱いは学んでいるはずだ」



 生徒たちが静かに頷いた。



「まずはその程度を確認させてもらう」



 今日の授業は前半をその時間に割き、後半から技術的な指導を行うという。

 だが教員が口にしたように、ここに集まった生徒の多くが剣の扱いは学外の同年代と比べても長けている。

 基本的な剣術と言っても、訓練の練度は集まった生徒たち次第ということだった。



「私が見て回る。皆、好きなように相手を見つけて剣を振りなさい。流派は問わない。だが戦技は使わないように――――はじめっ!」



 また急なと思いながら、生徒たちは教員の指示に従った。

 生徒たちがペアを作って剣を振ろうとしていた中、一際注目を集めていたのがリシアとセーラのペアだった。



 二人の類まれな美貌はさることながら、互いにその剣の腕を轟かせる少女たち。

 当然、教員も二人がどれほど強いのかと興味を抱いていた。



 生徒たちが無意識に避けていた訓練場の中央へ向かった二人は、注目を集めている事実を気にすることなく訓練用の剣を構えた。いつもレンと、あるいは獅子聖庁の騎士を相手に剣を振るリシアは自然体で悠々と。



「……今日までの努力を見せるのよ。緊張してる場合じゃないでしょ」



 方やセーラの様子は、少し緊張しているように見える。

 だが、そこへ届くヴェインの声。



「……セーラ!」



 すると、ヴェインにぐっ! と握り拳を向けられて、自身の頬を叩いて気合を入れたセーラから硬さが取れる。

 ヴェインに勇気づけられたのか、表情にもいつものセーラらしさが見えてきた。



「もう平気?」


「ええ。待たせたわね」



 リシアの優しい声。

 セーラが心置きなく剣を振れるよう待っていたリシアの声に、セーラは若干照れくさそうに笑った。



――――――――――



 たくさんの応援をいただけたおかげで、5万フォロワーに到達いたしました。

 これからも精進して参りますので、引きつづきお楽しみいただけますと幸いです!

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