派遣された理由。

 獅子聖庁の騎士がエステルの声に答える。



「はっ! 我らが現地の増援として向かうこととなっております!」



 わざわざ空で合流したのは、そのためだ。

 いま空中で行き来している者たちは、諸々の情報を共有することに励んでいる。



「私が不在の獅子聖庁はどうだった。皆々、怠けることなく研鑽に励んでいたのだろうな?」



 尋ねられた騎士の中から、代表して口を開く者がいた。

 獅子聖庁に足を運んで研鑽に励むレンとも度々剣を交わしていた、巨躯を誇る力自慢のあの騎士だった。

 この男であっても、エステルを前にすれば久方ぶりの緊張に身体が強張る。



「もちろんですとも。最近は以前にも増して、死ぬ気で鍛錬に励まねばならない事情があります故」


「まさか――――皇族の方々に対し、失態を演じたのではなかろうな?」



 エステルが纏う気配が変わった。

 獅子聖庁の騎士たちはとりわけ皇族への忠義に厚かったが、エステルは更に厚い。

 それ故、彼女は部下が失態を演じた可能性を危惧して声音に覇気を混じらせた。

 彼女の圧を前に騎士は生唾を飲み込むも、すぐに真意を口にする。何も隠す必要はなかった。



「そのようなことはございません。新たな才能を前に、我らが力不足を実感しただけなのです」


「……新たな才能だと?」



 ユリシス・イグナートの紹介で獅子聖庁に足を運ぶようになったレン・アシュトンと、リシア・クラウゼルの二人のことを語る。

 エステルに語る騎士は二人のことをよく知るため、事細かに話すことができた。

 話を聞いた彼女はリシアに限らずレンにも興味を抱く。



「白の聖女のことなら知っていたが、彼女よりその少年の方が才気に溢れているだと?」


「はっ。閣下も彼をご覧になればすぐにわかるかと」



 すると、もう一人の騎士が口を開いて、



「レン殿は既に剣豪級ですし、昨夏には第三皇子殿下のお傍で剣を取り、大時計台の騒動にて特筆すべき活躍をしてみせました。剣聖になる日も、そう遠くないかもしれませぬ」


「ラディウス殿下の友人となった少年のことか。噂には聞いているが――――」



 エステルはレン・アシュトンという存在のことを考えながら、祖国レオメルの方角に顔を向けた。

 が、すべては実際に見てからでないと判断できないと思い、息を吐く。

 エステルは自分の代わりにマーテル大陸へ向かう部下の肩に手を置いて、



「興味深い話を聞けた。後のことは頼んだぞ」


「はっ!」



 檄を送ったエステルは、愛する祖国への帰路に就いた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 エステルが祖国に着いたのは、翌日の夕方だった。

 数年ぶりの帰郷に思うことは色々とあった。魔導船の窓から見下ろす祖国の景色には熱い気持ちが滾って止まない。



 彼女を乗せた軍用機は、帝都のはずれにある軍保有の魔導船乗り場に降り立つ。そこからは専用の線路を進む魔導列車に乗り、獅子聖庁近くの駅まで向かった。

 魔導列車を降りた後には、獅子聖庁に向かうことなく帝城を目指した。



 帝城にたどり着いた彼女はすぐ皇帝に謁見した。

 夕方と夜の間くらいの空になっていた頃である。



 エステルは皇帝からねぎらいの言葉を頂戴した後に、昨夏のエレンディルでの騒動について尋ねた。

 しかし、皇帝はラディウスに聞くよう言った。

 その方が、長期の遠征を務めた本当の理由もあって都合がいいだろう――――と。

 


 皇帝に謁見をし終えたエステルが謁見の間を出ると、そこには壁に背を預けたラディウスの姿があった。



「ラディウス殿下! お久しゅうございます!」



 獅子聖庁の内装によく似た、黒い大理石調の回廊に彼の姿が良く映える。

 エステルの声を聞いたラディウスは壁から背を放し、近づいてくるエステルの下へ自分も歩を進めた。



 それを見たエステルが慌てて肩膝を付こうとしたのだが、ラディウスに「楽にしてくれ」と言われたため姿勢を正す。



「私は楽にしてくれと言ったのだが……」


「これが私にとって楽な姿勢なのです。ご容赦を」


「やれやれ……そなたは相変わらずだな」


「当然です。私はラディウス殿下がお生まれになった頃から、何一つ変わってないのですから」



 ラディウスはエステルの肩にぽん、と手を置いた。

 眼前の彼の姿に、帰国して間もないエステルは歓喜に身が震えん思いだった。



「そう言ってくれるそなたが頼もしいことこの上ない。此度は誠に大義であった。レオメルを愛するそなたにとって、これほど長期の遠征は思うところがあったであろう」


「とんでもございません。陛下とラディウス殿下から密命、、をいただいたこと以上の誉れはありませぬ」


「……すまないな。しかし、おかげで収穫があったと聞く」


「はっ。陛下にはもう、書面にて報告をお渡ししております。ラディウス殿下にも是非にと思っておりました」



 すると二人は、示し合わせたように歩き出す。

 窓から差し込む茜色の光が、こうしている間にも暗くなりつつあった。



「――――ラディウス殿下からご相談いただいたのは、二年前の春でしたか」


「ああ。その数か月前にバルドル山脈で勃発した騒動について、私は多くを考えた。魔王教の存在は我が国だけに牙を剥いたのか、否かが焦点となった」


「そしてその際、都合よく聖地から増援依頼が届きました」



 ラディウスが頷く。

 彼は当時を思い返しながら言葉を発する。



「我らとしては奴らに恩を売れる。それに若干でも示威行為に踏み切れた」


「ですが、本当の目的は違った」


 

 間髪入れないエステルの言葉こそ、彼女ほどの人物が祖国を二年近くも離れていた理由だ。

 そこには一部の人間しか知らない秘密が隠されている。

 


「陛下とラディウス殿下はある目的があって、私に密命をお与えくださった。祖国を離れた私は、その命に従い数多くのことを調べて参りました」



 密命の内容は調査だった。

 表向きは獅子聖庁の騎士たちを率いての増援部隊であり、実際に紛争地では人道支援などにも協力した。

 だが、それだけのために二年も祖国を離れていたわけではない。



 エステルには他に重要な仕事があったのだ。

 紛争地の争いに魔王教が関わっていないか調べ、また魔王教に関する情報は何でもいいから探るという使命があった。



 その際、エステルが単身でマーテル大陸を巡ることもあった。

 彼女ほどの立場の人間が二年近く祖国を離れていたのは、それが最たる理由だ。



 言うまでもないが、皇族や帝都を守る戦力が多い方がいい。それもあって最初は長期の任務に思うところがあったエステルだが、レオメルには剣王がいる。

 剣王に対処しきれない状況に陥ってしまえば、エステルがいても同じことだった。



 ……無論、皇帝やラディウスにも葛藤はあった。

 いくら重要な調査とはいえ、エステルほどの人間を二年も祖国から派遣することには迷いがあったのだ。

 しかし、重要な仕事であるからこそエステルが良かった。

 それを証明するかのような言葉が、彼女の口から発せられる。



「マーテル大陸にて調査活動をつづけた私は、魔王教の幹部と思しき者らの情報を得て参りました」



 ならばこそ、彼女を派遣することに意味があっといえよう。

 レオメルとしても魔王教の存在を甘く見ていないことの証明であり、こうして密命を下した価値を示せたのならだれも文句はないはずだ。



「……さすがだ、エステル。度々報告は届いていたが、直接聞ける機会がどれほど待ち遠しかったことか」


「はっ! そのお言葉だけで、命を懸けた甲斐があったというもの」



 昨夏、エレンディルの大時計台を襲ったレニダスから得られた情報もある。

 尋問にかけたことで得られたのは、魔王教はとある神殿を襲い、そこに保管されていた聖遺物エルフェンの涙を盗んだことだ。

 その際、レニダスや魔王教徒たちは教主と呼ばれる者を筆頭にしたと言う。

 これらについては、レオメルから遠く離れたマーテル大陸にいたエステルにも共有していた。



「これを」



 エステルが軍服の懐から、一枚の羊皮紙を取り出した。

 それを受け取ったラディウスが目を通すところへ、エステルがつづける。



「この男の名にどうやってたどり着いた」


「すべては、魔王教から得られた情報による結論です」


「戦ったのだな?」


「はっ。紛争地でもやはり暗躍していたらしく、調査中に何度か遭遇いたしました。もっとも、我が剣の敵ではございませんが」



 エステルは幾度も魔王教徒と事を構えたのだが、一度も傷を負うことなくその戦いを終えた。

 相手を尋問に掛けたり、荷物から得られる僅かな情報をおよそ二年の間にいくつも集めたことで、彼女はある人物にたどり着いたのだ。



「その男が教主だと思われます」

 

「……伝承によると、魔王の側近を務めた者の一人だったか。今回、それが生きていた、と」


「その男が死んでいたという確かな記録はありません。あくまでも、魔王が死ぬと同時に姿を消したという記録しかございませんので」



 ラディウスは歩きながら「確かにそうだ」と呟き、じっと羊皮紙を見つめた。

 半歩遅れて歩くエステルはその様子を視界に収めながら言う。



「ラディウス殿下、襲われた神殿の件はお覚えですか?」


「覚えているが、それがどうかしたのか?」


「その神殿に足を運んでいた冒険者と会うことができました。聞くところによると、その際、教主と思しき者の傍に二人の側近がいたそうです」


「それはあの男レニダスからも聞けていなかったな。その二人の外見などの情報はあるか?」


「申し訳ないのですがございません。聖地にいた者も居合わせた冒険者たちも、目の当たりにした教主らしき人物と二人の側近はローブに身を包み、仮面で顔を隠していたと言っておりました」



 エステルが申し訳なさそうに言えば、ラディウスは「気にするな」と告げた。



「教主の名や種族を知れただけでも十分だ」



 ところで以前、レンは彼なりに考えて魔王教の情報を共有すべく動いたことがある。

 自分が持つ魔王教の情報――――といってもどこに現れるかなどはもうあてにならないため、共有できる情報は限りなく少なかった。バルドル山脈の騒動の際にユリシスに共有した情報こそ彼が知る情報のほとんどだったくらいなのだ。



「……情報をまとめ次第、レンとユリシスにも伝えなくてはな」



 魔王教に教主と呼ばれる存在がいたことはレンも知っていたし、情報を共有している。教主の存在自体は、七英雄の伝説Ⅱの終盤で姿を見せたため知っていたのだ。だから昨夏の騒動の際も、教主という単語を聞いた際に眉をひそめた。



 もっとも、レンが見た教主もエステルの報告通り姿を隠していたため、教主の存在しか伝えることはできなかった。教主の名とその種族、また二人の大幹部がいることは、レンもはじめて知ることになるだろう。



「エステル、そなたの故郷ドレイクの食材と、オスロエス山の果実を取り寄せている。そなたの屋敷に届けてあるから、そなたの夫と楽しんでくれ」


「何と! よろしいのですか!?」


「他にもちゃんと礼をさせてもらうが、とりあえずはな。――――だがもう少し話がしたいから時間をくれ」



 茶でも交えながら、残る話を少ししておきたい。

 ラディウスはエステルを連れ歩きながら、ふと、



「……忙しくなるな」



 そう、呟いたのだった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 話が終わってから、ラディウスは報告書を読むため自室へ向かった。

 一方、城内を歩くエステルは途中、近衛騎士に呼ばれて謁見の間へ再び足を運んだ。そこで皇帝に新たな命令を下された彼女は、謁見の間を去る前に一つ厳命された。



 新たな任務の内容は誰にも知られることがあってはならぬ、ということ。たとえラディウスであっても、皇妃であってもだ。

 エステルは任務の内容を不思議に思うも、皇帝に「お任せください」と答えた。



「――――また、珍しい任務をくださるものだ」



 謁見の間を出た彼女は一人、歩きながらそのように呟いた。



 ……夜は更けていく。

 帝城を出たエステルは満天の星を見上げてから、久方ぶりに自分の屋敷への帰路に就いたのである。




 ◇ ◇ ◇ ◇

 



 夜が明けて間もなく、空が薄暗い頃。



「おはようございます。今日も学院に行く前に剣の訓練ですか?」



 獅子聖庁の前に立つ騎士がレンを見て言った。



「おはようございます。今日もお世話になりに参りました」


「ははっ、お世話になりに来たなどとんでもない。我らとしても、レン殿が来てくださると気が引き締まる思いですよ。ところで、聖女様はいらっしゃらなかったのですか?」


「リシア様はクラウゼル家の仕事があるんです。授業には間に合うそうですが、朝の訓練には参加できないらしく……」



 レンは獅子聖庁の騎士に会釈をして、先へと進んだ。



 いつものように訓練をして、汗を流す。

 漆黒の騎士たちと剣を磨き合いつづけること、数時間。立てつづけの立ち合いを経たレンが息を切らしてながら、猶も剣を振っていた。

 こうなると、大の大人たちにも先に音を上げる者が現れはじめる。



「はぁ……はぁ……っ」


「ま、参りました……っ」



 幾人も武舞台の中央を離れ、地べたに腰つく。

 しかし、彼らを少年に負けた軟弱者とは言えまい。

 レンは日々、まさしく人間離れした速度で成長をつづけている。片や才能あふれる獅子聖庁の騎士たちであろうと、その少年は更に上をいきつづけた。



「最近のレン殿は以前にも増して気迫が入っているな……」


「何でも、獅子王大祭の影響もあるそうだぞ。放課後に通える日がすくなくなるだろうから、なるべく朝早くに通えるようにしているそうだ」


「そ、それでなのか……」



 騎士たちの視線の先にて、レンはただ剣を振ることに真摯だった。



(もっとだ――――)



 そのレン自身、倒れるまで訓練をつづけるのだから恐れ入る。

 彼が剣を振ることに没頭し、滾る力をいかんなく発揮しながら汗を散らしていたところで、



「ま、まさかあのお方は……ッ!?」


「い――――いつの間に帰られていたのだッ!?」



 騎士たちが驚き、地べたに腰をついていた者たちも慌てて立ち上がる。

 地下に広がる訓練場から見上げることのできる、吹き抜けの上。そこに現れた者の姿に気が付いた者たちから、次々に背筋を伸ばす。



 皆、一様に口を閉じた。

 レンの相手をしていた者も手を止め、吹き抜けを見上げる。

 その姿に、レンは相手が参ったの合図を出したのだと思い、



「つづけてお願いします。俺はまだ戦えますから」



 意気揚々とその言葉を口にして、次の挑戦者を待つ。



(剣聖になるためには、もっと頑張らないと)



 絶えず剣を振り、纏いの練度を高める。

 それにより新たな戦技を得ることに余念がなかったレンの耳に、



「エルフェン教曰く、不屈はもっとも偉大な精神の一つだそうだ。そこに剛力が伴えば、人々はそれを剛勇と称えるらしい」



 レンの遥か頭上から届く女性の声。

 声から伝わるほどの迫力に、レンは無意識に吹き抜けを見上げた。



「――――私の獅子聖庁に、随分と威勢がいい少年がいるじゃないか」



 その先に――――彼女がいた。

 吹き抜けの上からこちらを見下ろす、苛烈の権化が。

 レンはそのとき、目を見開いて息を呑んだ。



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