生まれてから間もなく。
気が付くと、温かな湯を浴びせられていることがわかった。
蓮は目を開けて辺りの様子を確かめようとしたが、どんなに頑張っても目が開かない。それどころか全身に思うように力が入らなかった。
「坊ちゃんは元気ですねぇー。奥様もそう思いませんか?」
老成した女性の声が聞こえてきた。
「ええ。だけど良かったわ。元気に育ってくれそうで安心したもの」
つづけて、今度はまだ若そうな声が届く。その声は若干疲れを孕んでいた。
蓮は困惑しつつも、先ほどより心が落ち着いた。これは聞こえてきた二人の声が穏やかで、優しげだったからかもしれない。
(どうなってるんだ、コレ)
蓮は戸惑いの声を心の中に響かせながら、視覚以外の感覚を研ぎ澄ましてみた。
夢にしては感覚が優れすぎていて、これが現実ではないとは思えなかった。だが大人だった自分が赤ん坊になるという、非現実的なことに理解が追い付かない。
困惑する蓮をよそに二人の女性は蓮について何か話していたが、蓮はそれどころではなかった。
(まさか――――)
あり得ないと思いながら、さっきまでプレイしていた七英雄の伝説を思い出した。
重要なのはその中でも、『魔剣召喚』という隠しスキルを発見した後のことだ。
(特別なダウンロードコンテンツで……特別な物語をスタート……)
馬鹿げた話だと思った。
でも夢と一蹴できないこの状況のせいで、とんでもない予想を考えてしまう。
(俺は転生したのか?)
蓮はファンタジーものに造詣が深いこともあり、すぐにこの予想が脳裏をよぎった。
それを受け入れられるかは別としても、この状況は視覚を除いた他の感覚が優れすぎていて、予想が現実味を帯びていた。
(……なるほど)
こりゃすごい。本当に特別なダウンロードコンテンツで、特別な物語だ。
蓮は冷静を装いながら心の中で呟いた。
すると、今更ながら羞恥心が溢れてくる。
今の自分が赤ん坊だとして、素っ裸で産湯か何かを掛けられていると思ったらとんでもない話である。
蓮は一人の大人だったのだから、当たり前の羞恥心だ。
だからと言って抵抗できるわけではないことが問題だった。
今一度身体が動くか確認してみるが、結果は変わらず、二人の女性を喜ばせるだけだった。
(もう少し状況を把握しておきたいけど……)
思いのほか自分が冷静だったことに、蓮は改めて驚いた。
ただこれは、非現実すぎる現象が現実に起こっていることに加え、身体が思うように動かないから他のことを諦めているからこその落ち着きだったのかもしれない。
(せめて名前だけでも)
と、蓮は祈るように身体をばたつかせた。
その祈りに答えるかのように、老成した女性が若い女性に尋ねる。
「奥様。ところで坊ちゃんのお名前は……」
「もちろん決めているわ」
「それは何よりです。……さぁ奥様、そろそろ大丈夫ですから坊ちゃんを抱いてあげて、お名前を呼んであげてくださいな」
蓮は自分の身体が柔らかい布に包まれたのを感じ、身体を宙に持ち上げられたことを悟った。
だけどすぐに暖かさに包まれた。きっと若い声の女性に抱き上げられたのだと思い、名前を呼ばれるのを待った。
「この子の名前は――――」
蓮はひとまずこの状況への理解は諦めて、自分がどのキャラなのか期待をした。
きっと七英雄の伝説でも重要な人物のはず。隠しスキルで特別な物語がはじまるというのだから間違いない。
言ってしまえば心の中が期待に満たされたほどだったが、
「
その言葉を聞いた蓮は唖然とした。
何故ならその名前は……。
(お、俺がアイツに――――!?)
レン・アシュトンというのは主人公の友人にして、七英雄の伝説IIで騒動を巻き起こした張本人に他ならない。それはもう死亡フラグが立ちっぱなしのキャラだ。
名前は蓮と読み方が同じレンなだけあって、密かに親近感を覚えていたこともある。
だが今は、それはもう複雑な感情に苛まれていた。
(わけがわからない。いきなり転生して、それもヤバめのキャラとかどうしたらいいんだよ!)
疑問に答えるような都合のいい存在はどこにも居ない。
蓮の声にならない叫びが、心の中に大きく大きく木霊した。
◇ ◇ ◇ ◇
一日経っても、そして一週間経っても蓮の疑問に答える者は居なかった。
気が付くと目を開けられるようになっていたが、自分の目で確認できたことと言えば、今いる部屋が隙間風が吹き放題な若干ボロい部屋であることと、やはり自分は赤ん坊であるということくらいだ。
――――そんな生活を送りはじめて、半年と少しの時間が過ぎた。
(もう疑いようがない。俺は転生して、レン・アシュトンになったんだ)
ここまで来ると現実じゃないと言われた方が嘘くさかった。
つまり蓮は――――いや、レンはこれが現実であることを疑わぬと同時に、この世界で生きていかなければならないのだ、と覚悟するに至っていた。
それに、最近では以前の蓮と違う、レンとして生まれた新たな自分が現れてきたような気もしていた。レンとして生を受けて間もない頃は、元の世界に戻りたいとさえ思っていたのに、ここ数週間はそれを考えることがなくなっていたのだ。
お前はレンなのだから、この世界で生きて当たり前なんだ。
まるで、世界からこう言われているような感覚だった。
(平和に生きよう。皇帝に討伐を命じられるなんて絶対に嫌だ)
レンはそう思って一人頷く。
自分が本当にあのレン・アシュトンなら、ゲームの彼と違う道を歩めばいいだけのこと。清く正しく生きて、まっとうな人生を歩まねば――――と心に決めたのである。
(で、今日もそろそろかな)
レンは窓の外が明るくなりはじめたのを確認して、部屋の扉に意識を向けた。
すると間もなく扉が開いて、一人の女性がやってきた。
「あらあら、お母さんのことを待っていたのね」
彼女の名はミレイユ。レンの母親だ。
ミレイユの顔立ちは整っていて、蓮と同じ黒に近い茶髪が特徴的な女性だ。
また、蓮がこの半年に得た情報によると、彼女は二十一歳になったばかりだ。
「さぁご飯を食べましょうねー」
そう言ったミレイユはレンを抱き上げ、服をはだけた。
実のところ、生まれて間もない頃のレンは母乳を与えられることに忌避感があった。何せ相手は以前までの自分と同年代の女性で、しかも人妻だ。
ただでさえもう彼女は作らないと決めていたレンにとって、下心を覚える暇もなく衝撃だった。
(まぁ……結局下心が生まれることはなかったけど)
恐らく本能で知っていたのだ。
自分はこのミレイユと言う女性から生まれたから、そんな感情を抱くわけがない、と。
だから吹っ切れてからはあっさりしたものだった。レンはそれまでと違い遠慮することなく食欲に従った。
今日も今日とて食欲に従って、満足したところで食休みに勤しむ。
感謝の言葉を口にすることはできないから、ミレイユには満面の笑みで感謝した。
「いい子いい子。それじゃ、またお休みしましょうね」
少し経ってからベッドに寝かしつけられた。
ミレイユはレンに微笑みかけてからこの部屋を立ち去った。
一人残されたレンは軽くため息を吐き、天井を見上げて口を開く。
「あうあ」
暇だ。こう言ったつもりだった。だがうまく発音できなかった。
(身体も満足に動かせないし、成長するまでどうにもならないのかな)
こうなってくるとやれることが限られる。
実際のところ、寝ているか起きるか……後は聞き耳を立てて周囲の環境を探るくらいしかできないのだが、まったくもって探れていないのが実情だ。
であれば、レンに出来ることは成長を待つだけ――――というのも受け入れがたい。
レンは幸いにも前世の経験がある。
その影響か、最近ではハイハイはお手の物だし、一人で座ることもできた。近頃はベッドの上でだらしなく座り、窓の外をぼーっと眺めるのがマイブームなくらいである。
……話を戻すと、レンは確かめようと思っていたことがあった。
それは、隠しスキル『魔剣召喚』についてだ。
(これまでは危なそうだったから使わなかったけど)
どうやって魔剣が現れるのかも分からないというのに、たとえば頭上から現れて動けない自分に突き刺さったらとんでもない話だった。
そのためレンは、幾分か身体を自由に動かせるまで待っていたのだ。
(――――で)
どうすれば召喚できるかという話になる。
七英雄の伝説はプレイ中、ボタンを押すことでメニュー画面を開くことができた。そこでパーティメンバーにアイテムを使ったり、魔法を使って体力を回復することもしばしばあったのだ。
しかし、ボタンなんてものは現実には存在しない。
そして「ステータスオープン」などと例の言葉を考えてみても、何か現れる気配はなかった。
「…………あばあ」
項垂れた。
じゃあどうやって召喚するんだと思い、赤ん坊のレンは頭を抱えた。
心の中では「魔剣召喚、魔剣召喚、魔剣召喚」と何度も呟いた。それは強い願いのように、あるいは呪詛のようにつづけられ、いつしか――――。
「あう!?」
ベッドの上で座っていた蓮の膝の上に、コロン、と宙から腕輪が落ちてきた。
まだ赤ん坊のレンの腕にもぴったりな大きさで、全体が銀細工のように美しく、大きな水晶玉が埋め込まれた腕輪だった。
(なんだこれ――――ッ!? い、いや! 水晶玉に映ってるのって――――ッ)
魔剣ではなかったことにガッカリしたが、腕輪を持ち上げてみると、水晶玉の中に浮かび上がった文字に気が付いて目を見開いた。
そこにはこう書かれている
――――――
レン・アシュトン
[ジョブ] アシュトン家・長男
[スキル] ・魔剣召喚(レベル1:0/0)
・魔剣召喚術(レベル1:0/100)
召喚した魔剣を使用することで熟練度を得る。
レベル1:魔剣を【一本】召喚することができる。
レベル2:魔剣召喚中に【身体能力UP(小)】の効果を得る。
レベル3:*********************。
[習得済み魔剣] ・木の魔剣 (レベル1:0/100)
自然魔法(小)程度の攻撃を可能とする。
レベルの上昇に伴って攻撃効果範囲が拡大する。
・鉄の魔剣 (開放条件・魔剣召喚術レベル2、
木の魔剣レベル2)
――――――
水晶玉の中には、いわゆるステータス画面が映っていた。
だが、ゲームの時代と違って自分自身のレベルに加え、体力や魔力、攻撃力などの欄がない。
あれは言ってしまえばプレイヤーに分かりやすく強さを伝えるためのものだから、本来であれば数値化されていない方が正しいのかもしれない。
(魔剣召喚術……? なんだこれ。魔剣召喚に付随するスキルか?)
七英雄の伝説でも似たようなことがあった。
たとえば上位職のガーディアンを使った際には、最初から剣術と白魔法を覚えているといったように。
(……で、確か魔石を使って熟練度を上げるんだっけか)
レベルの後に記載された0/100が熟練度だろう。
魔剣召喚に熟練度とレベルがないのは、その役割を魔剣そのものの熟練度が主体となっているからだ、とレンは推測した。
(後は特定の条件を達成すれば魔剣を増やせるって話だったけど)
初期状態で使える魔剣は木の魔剣だけで、開放したところで鉄の魔剣しかない。
ファンタジー色の強い魔剣を使えると思っていたこともあり、若干気落ちしてしまう。考えていたのは炎を放てる魔剣であるとか、雷を撃つ魔剣とかだ。
(ま、まぁ……最初から強い力を持ってる方がおかしいし……。でも木の魔剣って、ただの木刀じゃ……いや、違うな)
レンは声に出さず呟いて、何の気なしに木の魔剣の文字に指先を押し当てた。
違った。ただの木刀ではなかった。
(自然魔法って確か、植物を生み出したりして戦うスキルだったような)
七英雄の伝説に出てくる敵の中に、自然魔法の使い手を居たことを思い出した。
その敵は森の中で戦うことになる
更に魔法で魔物を使役してくるため、最初はかなりの苦戦を強いられた。
(あのエルフの自然魔法は強かったけど、こっちはカッコの中に小ってあるのが気になってくる)
これは普通より弱い自然魔法、こう思っておいた方が良さそうだ。
(次はこっちだ)
レンは魔剣召喚術の欄に目を向け、ようやく喜ぶに至った。
魔石がないと何もできないと思っていたところに、『魔剣召喚術』に限っては魔石が不要と分かったことで、今後の見通しがずっと明るくなった。
レベル3の説明が伏せられていることは気になったが、まだレベル1だから見えないのだろうと思って素直に喜んだ。
(そうと決まれば試してみたいな)
レンはすでにこの世界で生きる覚悟をしている。
自衛のためにも、使える力は理解しておきたかった。
(魔物が存在する世界で戦えないなんて、平和に生きるどころの話じゃないし)
そう思い、木の魔剣……木の魔剣……と心の中で何度も呟いた。
だが一向に現れる気配がない。
項垂れそうになったレンはふと、目の前にある腕輪を見た。
もしかして――――と予想をして、利き腕の右腕を近づけた。すると腕輪が勝手に動き、レンの腕に装備されてしまう。
「あう!?」
慌てて身体を動かしたレンは後ろに倒れ込んだ。
右腕を見ると、勝手に装備された腕輪がそのまま嵌っていた。
(何はともあれ……これでいけるのかも)
先ほど脳裏に浮かんだ予想と言うのは、魔剣召喚はこの腕輪を装着していないと発動しないのかもしれない、というものだ。
そしてその予想は的中した。
レンが今一度、心の中で「木の魔剣……」と呟いてすぐ、何もない空中にひびが入った。
ひびの中からはゆっくり、鞘から抜かれるかのように木製の剣が現れはじめる。
その剣はやがてレンの真横に落ちた。粗末なベッドの上にボフッ、と情けない音を上げて。
「あう――――え?」
身体が歓喜に震えだしそうになった直前、レンは目を見開いて驚いた。
(ちっちぇ……)
魔剣と言うくせに木製。しかもその長さは短剣というのもおこがましく、見てくれは一般的な包丁が関の山だった。
これで見事な彫刻でも施されていれば美術品にも見えたろうが、飾りっけは皆無である。
(ま、まだレベルも上がってないし……あと一応、自然魔法も使えるから……)
レンは不満を抱きながら、木のナイフ――――こと木の魔剣を手に取った。
先ほどから心なしか身体が重くて頭が痛い気がする。でも気のせいだと思うことにして手元に力らを籠めて、振りかぶろうと腕を動かした。
前世では竹刀を振った経験すらなかったから、トレーニングの一環として試みたのだ。
だが思うようにいかない。
そもそも、赤ん坊にそんな力があるはずなかった。
(しかも頭痛が……あっ、やばいこれ……)
気のせいだと思っていた頭痛が増していく。
身体もずっと重くなってきて、それらが絶え間なく蓮を襲った。
(ぐぁ……ぁ……)
やがてレンは痛みに耐えきれず目を閉じた。
意識が遠ざかっていく。
レンは強烈な頭痛に苛まれたまま、瞼をゆっくりと閉じたのである。
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