イェルククゥという名のエルフ【後】
主人の指示に戸惑っていたマナイーターは、もう一度促され主人に従い牙を剥いた。
肉が食い千切られ、骨が咀嚼されていく音が丘陵に響き渡る。
瞬く間にイェルククゥの右腕が食い尽くされ、つづけて左腕に咢が向かえば、瞬く間にその腕が食い千切られた。
「アーッハッハッハッハァッ! 痛いぞォオッ! 絶望したくなる痛さだなァアアッ! ハハァッ! 喰われていくゥッ! 私の腕がッ! どうしようもない痛みと共に喰われていくゥウウウッ!」
……不思議だった。
イェルククゥは憔悴しきって、血の気は消えていく一方だ。
なのに、マナイーターの体躯が大きくなっていく。
(どうなってる。何が起こってるんだ)
だが、間もなく。
イェルククゥは、憔悴しながらも狂気に満ちた迫真の表情に、今度は不敵な笑みを浮かべた。
同時にマナイーターの体躯は、すぐに成長を止めた。
「あァ……やっぱりかァ……ッ! 忌まわしき封印めェ……ッ!」
エルフが施した封印は、イェルククゥの両腕の骨すら蝕んでいる。
しかし、その両腕を失っても封印は解けなかった。
いや、正しくは封印の一部が解けるに至ったが、それはあくまでもごく一部だけのよう。
このことに気が付いたイェルククゥ。
当然、レンも同じ予想をしていた。
彼はイェルククゥの思惑が失敗に終わったと思ったのだが……。
「最期だ――――惜しむモノは何もないィッ!」
イェルククゥの足元から、一本の木の根が生じた。
その木の根はイェルククゥの胸まで伸び、トンッ――――と、ほんの一瞬でその胸を貫いてしまう。
もう、死を待つだけのイェルククゥ。
その男の胸の奥で、ナニカが破裂する音がした。
(あんなことをすれば……ッ)
無理やり身体を破壊して、封印を解こうとしているようだが、先に死が訪れて然るべき。
そうなれば、マナイーターも消えてレンの勝利になる。
「ッ――――ァァァアアアアアアアアッ!」
けど、咆えたイェルククゥの胸元から、うっすら緑色の光が生じた。
「ク、フフ……ゥ……! あれほど高価なポーション、というのに……この程度かァ……ッ! ヒヒッ……痛い……痛いナァッ!」
イェルククゥは木の根両手の代わりに用い、ポーションを体内に直接撒いたようだ。彼が言うには高価であるそうだが、見れば、ほんのわずかな延命しかできていない。
………本当に最期の、命懸け。
残された時間は、幾ばくも無かろう。
もはやレンとリシアを殺すために、無理やり僅かな時間を稼いでるにすぎない。
イェルククゥはそのためだけに、精神を焼き切りそうな痛みにも耐えながら、レンの想像が及ばない狂気に堕ちた。
『ハフッ……ハッ……ッ!』
やがて、巨大化したマナイーターは、横たわったもう一匹のマナイーターの亡骸も咀嚼する。
今度はその成長が止まらず、遂には以前の十数倍までの巨躯へ変貌した。
更に巨躯は分厚く、そして脈動する血管を浮かべた筋肉に覆われていた。
手足は一本ずつ増えて、翼も一対増している。
口から見える鋭利な牙は、レンが乗っていた馬の全長よりも長い。
――――まるで、ドラゴンだった。
レンが七英雄の伝説で見たことのある、強大なドラゴンのようだった。
『シィイイ……シュルルルゥ……』
そのマナイーターは業火を孕んだ吐息を漏らし、レンを睥睨。
背を丸めた猫が如く姿勢を取り、主人の下を離れ近づいてくる。
「私が……生きている……うちにィ……ッ!」
イェルククゥの口から、かすみながらも喜色に富んだ声が発せられた。
自身が生み出した木の根に胸を貫かれながら、その木の根に身体を支えられながら、おびただしい負の感情を孕ませて。
「殺……せェ……」
消えた。
マナイーターがいつの間にか、レンの視界から完全に消えた。
次の刹那、レンの真横から突風と共に何かが近づく。
「ッ――――!?」
意識を向けた瞬間、彼の身体に強すぎる衝撃が奔った。
すると、胴体の骨がギッ! ギッ! という嫌な音を奏でながら軋み、丘陵の大地を抉りながら吹き飛ばされる。
経験したことのない痛みに苛まれていると、目の前に黒い影の追撃が迫る。
『シィィイイイイイイッ!』
月灯りに照らされた牙が何本も見えた。
寸でのところでその牙から逃れたが、代わりに剛腕がレンの横っ腹を強打する。
レンは玩具のように扱われ、骨が砕ける痛みにこらえながら思った。
(あんなことをして封印を……ッ!?)
エルフの封印がどういうものか詳しくは知らない。
それでもイェルククゥはさっき、骨まで侵食された封印と口にしていた。
つまり、腕の皮膚だけ剥いだところで封印は消えない。だから腕ごとマナイーターに食わせ、強引に封印を解こうとした。
が、それでも足りなかった。
だから胸を貫き、命を投げ捨てることで解くに至った――――レンはそう思った。
その影響で封印が解けたのか、あるいは解けてはいないが、封印が弱まったのかは判断できない。
ただ、僅かな時間のために、高価なポーションを用いて生き永らえてるのは事実。
そのため命は風前の灯火のはずだ。
『シュルルルゥウウウウウッ!』
マナイーターが夜風よりも早くレンに詰め寄る。
(くっ……俺が知ってるイェルククゥの強さじゃない……ッ!)
レンが知るイェルククゥは、結局のところ封印された姿でしかない。
なにせ、ゲーム時代のイェルククゥはこんな強引なことはしなかったから。
奴は戦闘が終わってすぐ、何かしでかそうとしたところを、学院長の手により倒されてしまうのだ。
――――現状の強さは命が尽きるまでの限定だが、レンとリシアを殺すのに十分すぎる強さだった。
(いまのマナイーターはBランク……いや、もしかしたらもっと上の……ッ)
考えながらも鉄の魔剣を構えたレンに、今一度、マナイーターの剛腕が押し出された。
抵抗できるはずのない膂力が、鉄の魔剣越しに強い衝撃をもたらす。
「げほぁ――――ッ!?」
また、転がされた。
大地を抉りながら転がったレンの身体は、リシアを庇ったあの場所に戻る。
そこには、リシアが苦しそうに喘ぎながら横たわっていた。
「リシ……ア……様……ッ」
地を這いリシアに近づいた。
彼女だけでも助けたい。
そんな気持ちに駆られたレンは、どうにかして立ち上がろうと試みた。
「立て……よ……ッ!」
しかし、立てない。
度重なる消耗と、封印が解かれたマナイーターの攻撃で、身体はもう限界だった。
せめてもう少し時間を稼げれば、先にイェルククゥが死んだかもしれない。
でも、その少しを稼ぐことすら至難だった。
「くはっ、はは……終わり……だァアアア……ッ!」
イェルククゥが霞んだ声で、勝利を宣言する。
巨躯のマナイーターは飛び上がり、宙で口を開けレンとリシアに牙を剥けた。
もう、駄目なのか?
諦めていないレンが、最後の力を振り絞って立ち上がろうとした、その瞬間――――。
「……ありが、とう」
傍に居たリシアの口から、微かな声が聞こえてきた。
返事をしようとしたレンが口を動かした。でも、声が出ない。
痛みに堪えるあまり、声を出すことができなかった。
でもそうしていると、レンの身体が不意に痛みから解放された。
不思議に思っていたところで、二人の身体が白光のベールに包み込まれる。
「リシア……様……?」
レンが絞り出した声を聞き、リシアは気丈に微笑み頷いた。
「わがままな……私のこと……たくさん、たくさん……守ってくれて、ありがとう」
彼女は猶も微笑んでいた。
決して活力を取り戻したわけではないから、額には大粒の汗を浮かべ、顔色は僅かに青白い。
でも、美しかった。
凛としたその姿は、この瞬間も変わらなかった。
「だから――――ね」
残された力を振り絞り、彼女はレンに伸ばした手を重ねる。
そして、暖かな力を彼に与えた。
もう残されたいはずの力を強引に振り絞り生み出した、レンのための神聖魔法だった。
「……あげる。聖女って、こんなこともできるのよ」
言い終えた彼女は最後に、
「……レンだけでも、無事で居て」
元気を装った声で言い、また気を失ってしまう。
白いベールは、それをきっかけにヒビが入りはじめた。
「…………」
きっとリシアは、いまのうちに逃げろと言ったのだ。
だが、レンの足は動かなかった。
もう間もなく殺されるであろうことを知りながら、その事実に恐怖して、足元を僅かに震わせながら。
それでも、リシアの傍を離れようとしなかった。
「どうしてこうなったんだろうな」
そのことにレンは自嘲する。
自分はリシアとの邂逅を避け、七英雄の伝説と同じ未来を避けようとしていたのに。
更には自分が知らない展開に陥った。
なのに自分は、命懸けで彼女を守ろうとしている。
それが、どうもおかしくて笑いがこみ上げてきたのだ。
「すみません。リシア様」
ボロボロのレンは立ちあがった。
さっきまでと違い、今度はすぐに立ち上がれた。
「俺は絶対に、リシア様を置いて逃げる気はありません」
本当に怖いのはマナイーターではない。
ここで自分の心が負け、リシアを置いて逃げてしまうことの方がずっとずっと怖かった。
そう考えた自分が少し不思議で、ほんのわずかに頬が緩む。
いつの間に、こんな熱血になっていたんだろう?
強い勇気を持って、レンが言う。
「ここまで来て、負けられるかよ」
鉄の魔剣を構えたレンの姿は頼りないが、白いベールの外に迫るマナイーターに向けた眼光は刃のように鋭い。
二人を包むベールは、レンが戦う姿勢をとると粉々に砕け散った。
『シィィイイイイイイイイイイイイイイッ!』
これまで、レンを玩具扱いした膂力の結晶が……。
イェルククゥの本気による、強大なマナイーターの剛腕が振り下ろされる。
その剛腕の下では、レンが神聖魔法の閃光を手元に纏い――――鉄の魔剣を振り上げた。
「こんなとこで……ッ」
その切っ先は、マナイーターの膂力を受け止めた。
大地を揺らすばかりか、レンが立つ大地を沈没させるだけの膂力を、レンはリシアを守りながら受け止めた。
「終われるかよォォオオオオオオオッ!」
『ッ――――!?』
そして、弾き返した。
リシアが分け与えた最後の力を使って、本来であればレンに出せないはずの膂力を以て、剛腕を、マナイーターの身体を弾き飛ばした。
けど、代償が大きすぎた。
レンの両腕は筋肉がまるで作用していないかのように、だらん、と脱力しきって垂れてしまう。
そして、身体を支える両足も力を失い膝をついた。
「動け……よ……ッ! 何のために頑張って来たんだ……ッ!」
喚いても変わらず、身体は完全に言うことを利かない。
それどころか、
「身体が……ッ」
とうとうレンは横たわり、腕輪を付けた腕がリシアの胸の間に重なった。
(く……そ……)
こんなときなのに瞼が重い。
遠くから聞こえてくるイェルククゥの高笑いも聞こえにくかった。
もう、本当にできることはないのか?
いいや。せめて、ほんの一瞬でも時間を稼ごう。
レンはリシアの身体を自分の下に引き寄せ、コンマ一秒でも時間を稼ぎ、イェルククゥが先に絶命することを祈った。
(……すみま、せん)
こんな情けないことしかできなくて、涙が浮かんだ――――。
そんな中、だった。
リシアの胸元から。
そして、リシアの身体に重なっていた手元の腕輪から、神聖魔法によく似た光が生じた。
それは眩い白光を放って、レンを驚愕させたのだ。
(これ、は……?)
驚くままに腕輪を見る。
そこには、見慣れた魔剣の一覧に、
――――
・????(レベル1:1/1)
――――
こんなときに、どうして新たな魔剣が?
それも、なんで「?」だらけなんだ?
疑問ばかりが浮かんだが、レンは決める。
(……なんでもいい)
都合のいい話だが、もしもこれが、リシアを助けられる力だったら……。
その可能性を考えたレンは、リシアを助けられるならどんな魔剣でもいいと思い、その名前も知らぬ魔剣に命令した。
来い、何でもいい。
戦えるなら、どんな力でも構わない――――と。
『ガァアアアアアアアアッ!』
マナイーターの咆哮が響き渡る。
先ほどの、攻撃をはじき返されたことへの怒りも感じられた。
「これが殺しだ……私の……最期の快楽……ッ!」
イェルククゥの歓喜に満ちた声が響き渡る。
もう、他にできることはない。
「彼女を守れるなら、どんな力だってかまわない……ッ!」
ふと、レンとリシアの二人が眩い閃光と、黄金の雷光に包み込まれた。
レンはそれを、名前が分からぬ魔剣を召喚できたからだ、と本能で悟った。
しかし眩さのせいで、召喚したはずの魔剣の姿を見れない。
わかったのは、宙にそれらしき長剣の影が浮かんでいたことだけ。
レンは手を伸ばし、その影を握った。
すると、閃光と雷光は白風を纏い、天を穿つ光芒を成す。
――――目を見開き、唖然としたイェルククゥ。
――――光に目を閉じた巨躯のマナイーター。
周囲に横たわる魔物の死体が、すべて光の粒子に変わっていく。
それは、巨躯のマナイーターもだった。
レンとリシアを食い千切るはずだった口元から光の粒子に変わり、すべては天を穿つ光芒に飲み込まれ、強烈な風と共に天へと昇っていく。
「ク……フフゥ……こんな……あり得な――――」
最後は瀕死のイェルククゥも同じく飲み込まれ、何もわからぬうちに
光芒もやがて細くなり、消え去る直前にレンとリシアの二人の身体に染み入った。
これは、活力だ。
二人の身体を癒す、不思議な光だった。
「……せめて、リシア様だけ……で、も――――」
どうやって勝てたのか、あの魔剣は何なのか。
気が付くとあの魔剣は消えていたが、レンはそれにも疑問を一切抱くことなかった。
彼はただ、リシアのことだけを案じていたから。
やがて、意識を手放すその瞬間。
レンはリシアが呼吸をしているのを確認して、ようやく笑みを浮かべる。
それからすぐ、ふっ――――と瞼を閉じたのである。
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