イェルククゥという名のエルフ【前】

 レンとリシアを待ち受けていた魔獣使いは夜空を見上げ、フードから覗かせた口元に笑みを浮かべた。



「悪いが、契約なんだ、、、、、



 丘陵を埋め尽くす草花に覆われた大地が揺れる。

 いたるところの地面が隆起しはじめ、地中から甲高い鳴き声が響きだす。



「どうせ諦めてくれないんだろ? だったら力づくだ。それでも駄目なら、殺すしかない」



 魔獣使いの背後に黒い渦が二つ現れ、そこから両手を出して這いずるようにマナイーターが姿を見せる。そのマナイーターが獰猛な鳴き声を上げると同時に、レンとシリアの周囲の地面から魔物が現れた。



 それは虫に似ていたり、鼠を想起させたりと様々な魔物たちだった。



(高くてもEランクだ)



 見覚えのある魔物ばかりだからおおよそ理解できたが、数が多すぎる。

 百には満たないが、限りなくそれに近い数がレンとリシアを取り囲んでいた。



 そこへ、背後の森から声が届く。



「居たぞッ!」



 ギヴェン子爵の騎士たちだった。

 しかし、彼らの声は間もなく悲鳴に代わる。



「え……っ? お、おい!? なんで俺たちの方に来るんだ!?」


「やめろ! 待てッ! 俺たちは味方で――――ぐぁああああッ!?」



 レンとリシアを追ってきた彼らは瞬く間に魔物に囲まれ、乗りこなしていた馬ごと襲われだす。

 まるで、漆黒の雲に包み込まれていくようだった。

 悲鳴に混じるゴリッ、ゴリッという硬いナニカを砕く音が丘陵に響くたびに、手綱を握るレンの手元に力が入る。



「急に来られても命令が間に合わないだろうに……しかしまぁ、関係ないな。奴らが居たところで戦力にならん。餌になった方がよっぽど有意義だ」



 魔獣使いの冷酷な言葉には仲間意識が感じられない。

 レンは悲鳴を背に、眉をひそめながら魔獣使いから目を離さなかった。



「……レン。剣、貸してくれる?」



 リシアも緊張感に溢れ、戦いのための言葉を交わす。



「すみません。これは――――」


「ううん。レンの不思議な剣じゃなくて、火を起こすときに使ってた短剣でいいわ」


「わかりました。それでしたら」



 レンはヴァイスから貰った短剣をリシアに手渡した。

 と同時に、周囲の魔物たちが大地を蹴り、飛び跳ねる。

 それを見たレンは手綱を引き、攻撃を躱しながら木の魔剣を振った。



『ギャッ!』



 面前から迫る一匹目の眉間を強打し、



『グギィッ!?』



 真横から飛び跳ねてきた別の魔物に対しては、リシアが短剣で軽々と首根を斬った。

 二匹をあっさり倒しても、残された魔物は数えきれない。

 しかし、レンは馬を走らせながら数多の魔物を屠る。

 木の魔剣で障害物を生み出し、丘陵での戦いを優位に進めるべく試みた。



「ふむ。やはり、この程度の魔物では束になったところで――――か」



 高みの見物をつづける魔獣使いが溜息を漏らす。



 その声はレンとリシアの耳に届かなかった。

 二人は馬に乗ったまま丘陵を駆け巡り、猶も大地から飛び出す魔物たちを相手に、圧倒的な戦いを繰り広げていた。

 そのため、戦いの他に気を払う余裕が無かったのだ。



(大丈夫。戦える)



 魔物が次々に倒れていく。

 レンとリシアが進んだ跡には、例外なく事切れた魔物が横たわる。

 二人は馬で丘陵を駆け巡りながら戦っていたから、その死体がいたるところに散乱していた。



「レンッ!」



「はい! わかってますッ!」



 ふと、リシアが咆えた。

 目の前から迫る数多くの魔物を視界に収めたレン。

 彼は木の魔剣を振り、目の前の地面に太く筋張った木の根を生やす。

 これで魔物の攻撃を防ぎ、自分たちに有意な状況を作りつづけた。



「剣身が短くて戦い辛いけど、どうにかなるものねっ!」



 そこでリシアが魅せる。

 冬を越し一段と腕を上げた彼女は頼もしかった。



「またお強くなられたんですね!」


「ええ! だって、レンに勝ちたかったんだものっ!」


(ッ――――そういや、この前は病気のせいで立ち会えなかったんだっけ)



 彼女は本調子でないのに。

 剣も普段と違い短いのに――――けど、一切関係ない。

 聖女・リシア・クラウゼルは強く、そして美しかった。

 その剣技は凛麗な容貌に劣らず美しく、流麗。

 目を見張るとはこのことで、彼女が背を預けたレンは何度も驚かされた。



「そういうレンだって、また強くなってるじゃないっ! どうしてよっ! 私だって、たくさんたくさん頑張ったのにっ!」


「そ、そう言われましても……ッ!」



 蔓延る魔物を倒しながら、二人は以外にも落ち着いていた。

 こんなときに話すことではないと知りながら、むしろ互いをこのまま落ち着かせるためにも、口を閉じようとしなかった。



「いい? 後で絶対に立ち会ってもらうんだからねっ!」


「……ええ。是非」



 多くの想いが込もった返事だった。

 彼女を絶対に送り届けなければ。この戦いで負けることは許されない。父さんと母さんは無事だろうか。

 他にもたくさんの想いが入り混じる中、レンはリシアの背を見て密かに思う。



 ……彼女が居れば、どうにかなる。



 戦いながら、いつしか彼女に勇気づけられていた。

 これは彼女も同じことで、



 ……彼と居れば、負けない。



 レンと同じく心を支えられていた。

 もちろん、彼女はここに来る前からレンを信頼していたし、勇気づけられていた。

 いまはその感情が大きくなり、戦いの中で激しく心を揺さぶっている。



「っ――――ご、ごめんなさいっ!」



 リシアが屠りきれなかった魔物の鋭利な爪――――それが、レンの頬を横切る。

 取りこぼしはレンが容易に対処したが、その状況にしてしまったリシアの身体が若干、強張る。



「大丈夫です! だから気にせず、思うがままに戦ってくださいッ!」



 それを、レンが間髪おかずに気遣った。

 強張っていたリシアの身体から、瞬く間に硬さが抜ける。



「……ほんと、優しいんだから。ねぇ、クラウゼルに着いたら、そのまま私の屋敷で暮らす気はない?」


「ま、また急ですね! どうしたんですか!?」


「だって毎日立ち会えるし、私がヴァイスやお父様に怒られたときも、レンなら私に優しくしてくれそうだもの――――ねっ!」



 話をしつつ短剣を振る彼女は、一瞬の強張りを忘れ奮闘した。

 辺りには、もはや数えきれない数の魔物が横たわる。

 しかし不意に、彼女は前方からの気配に対して仕方なそうにため息を吐いた。



「……アレはお願いしていいかしら?」



 現れた魔物は、二人が乗る馬の体調を数倍したくらいのワームだ。

 大地を割って現れると、ハサミのような口を左右に空けて襲い掛かってくる。



「はい。お任せください」



 しかしレンは動じず、木の魔剣を消して鉄の魔剣を召喚する。

 手綱を握っていない手で握りしめると、迷うことなくワームの真正面に馬を走らせた。



 そして、すれ違いざまに剣閃を放つ。

 彼の一振りによる風圧が、離れたところに居た魔獣使いにも届いた。



「なっ……馬鹿な……ッ!」



 驚嘆した魔獣使いと同じように、リシアは息を呑む。

 立ち合いで見せたことのない、レンの圧倒的な強さを前にして。



「……ねぇ、」



 すれ違いざまの一振りで動きを止めたワームの体躯が二つに割れる。

 ワームは大地に倒れ、小さくも地響きを奏でた。

 後には体液で大地を穢し、独特の腐臭を漂わせる。



「私なんかより、レンの方がずっと強くなってるじゃない」


「お、お褒めに預かり光栄です」


「……帰ったら絶対に立ち会ってもらうんだからね。いい?」



 苦笑を交え、レンは「わかりました」と即答した。

 ――――しかしそこで、



『キィッ』


『キ――――ッ!』



 マナイーターが魔獣使いを急かすように鳴いた。

 「ははっ」、こう笑った魔獣使いがその二匹を軽く撫でる。



「そろそろか」



 魔獣使いの声が広い丘陵に滔々とうとうと響き渡る。

 ここに来て奴らが動き出した理由だが、わかりきっている。

 レンとリシアの二人が消耗するのを待ち、使役するマナイーターで勝負を決めに来る。そのためだ。



 ……ただ、レンとリシアに絶望している様子はない。

 動きだした魔獣使いを映した二人の双眸には、依然として勇気が宿っていた。



「隠さずに教えて。レンはこのままでも勝てると思う?」



 魔物たちが迫る僅かな時間にリシアが尋ねた。



「頑張ります」


「……そうじゃなくて、別に隠さなくていいんだってば。本当のところはどうなの? 返事次第で私の立ち回りも変わってくるの!」


「立ち回り……?」


「いいから! 勝てるの? 勝てないの?」



 時間を無駄にしたくないのはレンも同じだったから、素直に本当のところを口にすることに決めた。



「正直、あの二匹が来たら限りなく勝利が遠ざかります」



 重ねて思い返すが、マナイーターはDランク相当である。

 だが、返事を聞いたリシアは絶望しなかった。

 命の危機だというのに、「それを聞けて良かった」と呟いたのだ。



「レンは覚えてる? 私って聖女なんだけど」


「忘れたことはありませんが……」


「ならいいわ。それじゃ、はじめるからね」



 すると、彼女の手元から小さな光球がいくつも生じた。

 光球はレンの身体に溶け込んでいき、彼に身体の変化をもたらす。



(これは……)


「……良かった。自分以外に使ったのははじめて、、、、だけど、ちゃんとできたみたい」



 これはきっと、レンがリシアとはじめて会ったときに思い出した力――――。



神聖魔法、、、、、ですか?」



 コクリ、とリシアが静かに頷いた。



(――――こんなにすごいのか)



 神聖魔法によるバフは、ステータスが見違えるほど上昇する。

 身体の調子が良い日と比べても身体が軽い。まるで別格だ。全身に漲ってくる力が留まることをしらない。

 これらのすべてが、レンを経験したことがない万能感に浸らせていく。



 そんな中、



「狩れ。今日は遠慮なく戦えるぞ」



 魔獣使いがレンたちを仕留めに掛かる。



『キィッ! キキッ!』


『キキィッ!』



 あのシーフウルフェンと同じランクの魔物が、二匹。

 そのマナイーターが翼を広げ、夜の空に飛翔する。

 だがレンには、飛翔して迫るマナイーターたちの動きが鈍重に見えた。



(これなら――――ッ!)



 戦える。いや、勝てる。

 確信できるだけの強さが、いまのレンに宿っていた。



「ごめんなさい。私は神聖魔法に集中していいかしら?」


「はい。俺が必ずアイツらを倒しますからッ!」



 このとき、レンは気が付けなかった。

 リシアの身体が高熱を発していることや、体調が悪かった先日と同じように大粒の汗を浮かべてていたこと。それに、声も若干消沈していることにもそうだ。

 魔獣使いに気を取られ過ぎて、普段できる確認ができていなかった。



『グルルゥッ!』



 獣の姿をした魔物が真横から飛び跳ねてくる。

 だが、いずれもレンが手にした鉄の魔剣にあっさり両断されてしまう。

 その光景はこれまでと変わらないように見えるが、鉄の魔剣を振るレンは明らかな違いを感じていた。



 それは膂力に限らず、鉄の魔剣そのものの切れ味も段違い。

 いまなら、何でも切れる自信があった。 



「……馬鹿な。どうしてあれほどの力が」



 魔獣使いは驚嘆した。

 馬上で戦うレンの姿が、その小柄な体躯に収まらぬ巨大な存在に見えてくる。

 戦いぶりは少年のそれじゃない。



 迫る魔物をすべて圧倒しながらこちらに近づくその姿に、魔獣使いの足が無意識のうちに後退していた。



『キ――――ッ!』



 それでも、マナイーターの強さには自信がある。

 獲物を狙う猛禽類が如く勢いで降下するマナイーターが、目にもとまらぬ速度を維持したままレンの頭上に迫る。



『ギィイイイイッ!』



 大口を開け、咆えたマナイーター。

 確実に反応できない、最高の速さとタイミングでの攻撃だ。

 しかし、



「退いてろ」



 レンは冷淡に呟き、頭上に鉄の魔剣を振った。

 夜に紛れて見づらいが、マナイーターの翼膜が切り裂かれて漆黒の鮮血が舞う。

 マナイーターは宙で不規則に旋回を繰り返すと、最後は丘陵の大地に落下してしまう。



 一方、レンが駆る馬の勢いは微塵も変わらず、真っすぐ魔獣使いに向かっていく。

 背後から落下したマナイーターが爬行してくるが、意に介していなかった。



「ッ……燃やせッ! 焼き尽くせッ!」



 主人の声を聞き、もう一匹のマナイーターが業火を吐く。

 夜風は刹那に熱波に変わり、はるか上空からレンへと降り注ぐ。



(走り切れ……ッ!)



 熱波から逃れるには、魔獣使いの傍に行くしかない。

 手綱を引く手に力がこもる。



「くははッ! そのまま燃え尽きるといいッ!」


「この……ッ!」



 間に合わない。熱波が早すぎる。

 諦めかけたところで、



「走って……私が貴方を守るから……っ!」



 リシアが片手を天にかざし、白光のベールで馬の頭上を覆った。

 ほぼ同時に届いた業火はそれに遮られるが、ベールは間もなくひびが入る。



「っ……!」



 すると、リシアの身体が大きく揺れた。

 間もなくベールが冬の水たまりを覆う薄氷のように砕け散る。

 業火は……そのギリギリで収まった。



「馬鹿なッ!?」



 魔獣使いが今一度驚嘆する。

 宙ではマナイーターが苦しそうに肩を揺らしていた。



「リシア様ッ! ありがとうございま――――ッ」



 ここでレンはようやく気が付く。

 リシアの身体に起きた異変のすべてに、やっと。



(もしかして)



 魔力を使い過ぎた。それも、本調子でないのに。



「リシア様……ッ!」



 レンが不安そうな顔を浮かべたことに気が付いてか、リシアがおもむろに振り向いた。彼女は苦しそうにしながらも、気丈に微笑んで見せる。



「平気……! レンは気にしないで……っ!」



 そうはいっても、魔力を消費しつづけることは危険だ。

 だが、リシア本人にそれを止める気がない。

 神聖魔法を使いつづけなければ、二人とも死んでしまうからだ。



「そうか……聖女の力、神聖魔法かッ! レン・アシュトンの変化もそのせいなのだな……ッ!?」



 魔獣使いが待つ大岩が近づく。

 レンは鉄の魔剣を強く握り締め、目を凝らした。



「であれば納得だッ! くははッ……驚かされたぞッ!」


「せいぜい驚いてろッ! これで終わらせるッ!」



 やがて、馬が大地を蹴り飛び跳ねる。

 大岩の上にたどり着いたレンは鉄の魔剣を振り上げ、そして――――。




「これで終わりだ――――魔獣使いッ!」




 鉄の魔剣が魔獣使いの首筋から胸へ、腹筋へ一閃。

 だが、浅い。

 深紅の鮮血が舞うも、魔獣使いは肉が絶たれる寸前で半歩下がっていた。



 ――――いや、その寸前で、レンの身体がほんの僅かに後退していた。



(いまのは……ッ!?)



 マナイーターが身体を引っ張ったのかと思ったがそうでもない。

 考えている間にも、レンが乗る馬は大岩を駆けおりてしまう。大岩を登る際に生じた勢いを殺しきれていなかったようだ。



「はぁ……はぁ……っ」



 リシアの体調が悪化の一途を辿る。

 背を預かるレンは唇をぎゅっと噛みしめながら、魔獣使いを仕留めきれなかったことに自責の念を覚え、リシアに「すみません」と謝罪する。



「ううん……レンのせいじゃないから……っ」



 気丈な返事には、より一層心が痛みを催した。



「やれやれ、危ないところだった」



 そこで、レンは魔獣使いを見上げてハッとした。

 背中を引っ張ったであろうツタ、、が背中に残っていたことも知り、眉をひそめた。



「レン・アシュトン。あまり私に無理をさせないでくれないか?」


「……お前」


「私はまだ封印を解けていないんだ。それで杖もなしに自然魔法、、、、も使うのは荷が重い」



 だから先日の逃走劇では無理をせず、ここで勝負を仕掛けに来た。



(あのとき、俺が杖を砕いたからってことか)



 ところで、その魔獣使いが着ていたローブは鉄の魔剣に切り裂かれ、隠されていた顔が見えている。

 奴は純金を想起させる長い金髪を靡かせ、端正に整った顔に笑いを浮かべていた。



 ………レンはその顔に覚えがある。

 はじめて会うのに、レンは名前だって知っていた。



「……ああ、お前だから、、、、、なんだな。ただの魔獣使いじゃなくて、自然魔法まで使えたのは」


「ほう、まるで私を知っているような口ぶりだな」



 その通り。レンは奴のことを知っていた。

 だが、それをわざわざ教える意味はあるだろうか?

 迷いはあったが、どうせこの様子では油断を誘えない。

 お前を知っている、という知識をひけらかすことで生じるメリットはないが、いまならデメリットもない。



 だから、せめてもの意趣返しとして。

 奴の動揺を誘うべく、口を開いて不敵に言う。




「――――イェルククゥ、、、、、、。どうしてお前がここに居るんだ」




 確信した声で言うと、大岩の上で驚きの声が上がる。



「なぜ、私の名を知っている」


「……さぁ、どうしてだろうな」



 煙に巻くと、イェルククゥの頬に驚き以外にも苛立ちが見えた。



 ――――魔獣使いこと、イェルククゥ。

 彼は生まれながらに心を残虐性で満たしたエルフであり、同族のエルフを何人も手に掛けた過去を持つ。

 普通であれば処刑にされるところを、この世界のエルフには処刑の文化がないことから、力の大部分を封印して追放されたのだ。



 また、七英雄の伝説Iでは、物語の中盤で主人公たちが戦うボスでもある。

 レンがこれらの情報を覚えていたのは、そのためだ。



 それに言うまでもないことではあるが、イェルククゥはレオメル人ではない。

 レオメルに生まれた者は、どんな種族であろうと国内の法により罰せられるが、イェルククゥの場合はそもそも別の大陸の生まれだ。

 彼が冒険者として活動を開始した際には、既に素性を隠していたにすぎない。



(驚いたのはこっちだよ)



 なぜかと言うと、レンは生まれ変わってから、何度もイェルククゥについて考えたことがある。

 最初は木の魔剣に自然魔法(小)の効果があると知ったときで、次は確か、シーフウルフェンと戦ったとき。



 どちらもイェルククゥの戦い方を参考にするためだった。

 ……これには言葉が見当たらない。なんて奇縁だろう。

 戦い方を参考にしていたボスが、こうして自分の前に現れるなんて。



(で、どうしてあいつがギヴェン子爵の下に……)



 心の内で考えながらも、レンは地を這って近づくマナイーターに剣を向ける。



『ギィッ――――ギァアッ!』



 鉄の魔剣を警戒しているのか、さっきまでと違い距離がある。

 マナイーターは雄たけびと共に腕を振り回しているだけだが、Dランクの魔物相当とあって、それでも油断はできない。



「まぁいいさ! 容赦する必要はないッ! 焼き殺せッ!」



 残る一匹がまた口を開き、業火を吐く。

 だが、さっきまでの勢いがない。

 消耗が激しかったのか、傍にイェルククゥがいるからなのか、今回はレンが馬で逃れられるだけの余裕があった。



「くッ……何をしてるッ!」



 苛立つイェルククゥが腕を大きく振っていた。

 その腕に刻まれた紋様を見て、レンは「ああ」と呟く。



「お前、ギヴェン子爵と取引したんだなッ!」


「……ッ!?」


「封印を解ける人の情報が欲しかったんだろ!? お前の両腕に刻まれたエルフの封印を解くのは、決して簡単じゃないって話だからなッ!」



 確信めいた言葉にイェルククゥが目を見開いた。



「どうしてそんなことまで知っているッ!」


「さぁな! けど、他にも知ってるぞッ! お前が封印を解く術を探すため、この大陸中を旅してることもッ! そのために冒険者になったってこともなッ!」



 イェルククゥの両腕に施された紋様は入れ墨などではなく、強力な封印だ。

 あれは魔力を奪い、ステータスを著しく低下させる代物である。

 杖という補助が無ければ二つのスキルを同時に使うのが厳しいのも、そのせいだった。



(あいつは確か――――ッ)



 七英雄の伝説にて、イェルククゥは封印を解くためとある人物の叡智に目を付ける。

 それは世界最高の魔法使いと謳われる、帝国士官学院の学院長だ。



 しかし、イェルククゥではその人物に勝てない。

 だから彼は学生に目を付け、課外授業で学園を離れた主人公たちを狙う。主人公たちを人質に取ろうと、多くの罠を仕掛け戦闘を仕掛けてくるのだ。



(だとしても、やるべきことは変わらない)



 レンは応戦しつつ、鉄の魔剣を構え直した。



「っ……ハァ……ァ……ハァ……」



 リシアの苦しい声。

 もう、一秒でも早く戦いを終わらせなければ。

 レンは鉄の魔剣を真横に構え、大岩へ向けて馬を走らせる。

 そのまま目を閉じ、すぅ――――っと息を吸い、




「もう、本当に最後だ」




 静かな呟きの後に、幾重にも重なる剣閃が放たれる。

 大岩は瞬く間に刻まれていき、頂上に立っていたイェルククゥの足元が崩れる。



「このッ! 忌まわしい神聖魔法だなッ!」



 崩壊する大岩は岩石と化し、その中をイェルククゥが落ちていく。

 馬ももう、限界が近い。

 最後にもう一度だけ頑張ってくれ、その願いを込めて手綱を引いたレンは、落下する岩石の中に身を投じた。



 行く手を遮る岩石を鉄の魔剣で断ちながら、彼は遂に――――。




「これで終わらせるッ!」




 鉄の魔剣で突く構えを見せ、切っ先をイェルククゥの喉仏目掛けて突き出した。

 イェルククゥも消耗しているのか、さきほどのように自然魔法を用いる様子はない。



 代わりに、



「私を守れッ!」



 翼幕が無事な、業火を吐いていたマナイーターに命じた。

 すると、レンとイェルククゥの間にそのマナイーターが現れて、主人が致命の一撃をもらうのを防ぎにかかった。



『ギィイイイッ!』



 マナイーターは二人の間に割って入り、主人に変わり鉄の魔剣で貫かれる。

 だが、ただでは死ななかった。

 最期にレンが乗る馬に体当たりをして吹き飛ばす。

 その際、馬に乗るリシアが宙に投げ出された。



「この……ッ! 間に合え……ッ!」



 レンもまた宙で馬を離れ、飛ばされながらもリシアの身体を抱き寄せる。

 すると、二人は吹き飛ばされた勢いのまま、大地にその身を投げ出した。



 幸い、周囲に蔓延る魔物の死体がクッションとなり、大きな衝撃はなかった。

 少し離れたところに横たわる馬も、足元を気にしているが大怪我には至っていなかったのを確認する。

 魔物の血を引く馬とあってか、身体も頑丈らしい。



「ぐっ……リシア様! 大丈夫ですか!?」


「ッ……」



 彼女は息をしていた。けど、気を失っていた。



(神聖魔法も消えてる……限界だったんだ)



 レンの心はざわついた。

 一匹のマナイーターは大地に横たわっているけど、もしもイェルククゥにもう一度召喚する余力があったらどうしよう――――と、戦況の変化に焦りが募る。



 

 が、すぐに光明が見えた。

 横たわるマナイーターのすぐ傍で、イェルククゥが膝をついている。

 離れていてよく見えないが、彼の肩口は骨が見える深さまで貫かれていたのだ。



「く……ふふ……」



 イェルククゥは肩からおびただしい量の鮮血を流しながら、小さく嗤った。



「届いていた、のか」



 鉄の魔剣による突きを、マナイーターでは防ぎきれなかった。

 鋭利な剣先はマナイーターの身体を貫いた後、イェルククゥの肩口にも到達していたのだ。



「くはは、ははっ……はっはっはっはッ! 物凄い血だッ! これがすべて、私の身体から出た血だってッ!?」



 絶叫交じりの声を聞き、イェルククゥの傍に地を這うマナイーターが寄り添った。

 主人が間もなく死ぬと悟り、レンを見て威嚇している。

 だが、そんなことよりもイェルククゥの様子が不気味すぎた。



 血走った目で笑いつづけるその姿に、相対するレンの肌が粟立った。



「殺し足りない。この腕の骨まで侵食した封印を解き、いままで我慢した分まで人を殺したいと思っていたのに……。あァ、これではもう殺せなくなるじゃないか」


「そうだ。自分でも言っただろ……お前はもう、終わりなんだよ」



 そう言うも、レンの身体もほぼ限界だ。

 マナイーターに守られるイェルククゥに近づけなかったのは、そのせいだ。



「もう終わり……もう殺せない……?」



 呟いたイェルククゥがふと、



「――――いいや、まだ殺せるじゃないか」



 レンを、気を失ったリシアを見て下卑た笑みを浮かべた。



「何故だろうな。私は人が死ぬ間際の顔を見ると、言いようのない快楽を覚えてしまうんだ。異性と身体を重ね、共に達することよりよっぽど心地いい快楽にな」


「だから、どうしたっていうんだ」


「ふ、ふふ……特に意味はないとも……。私が殺しを愛する理由を伝えたかっただけだからな」 



 イェルククゥはつづけて言う。

 信じられない、自殺的な一言を。

 その声は、ひどく落ち着いていた。




「マナイーターよ。私の両腕を喰え、、、、、、、




 耳を疑う命令に対し、消耗しきったレンが絶句した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る