聖歌隊の歌。

「レン、よかったら明日の朝、時間をとれないか? せっかくだし、みんなでお祈りに行こうってセーラが言っててさ」


「お祈りって、準決勝で勝てるように?」



 ヴェインが頷くと、セーラがつづける。



「私もヴェインも相手が英爵家の人だから、これまで以上に緊張しちゃってて」


「特にセーラは、準決勝の相手がカイト先輩だからさ」



 ヴェインが準決勝で戦う相手もまたそう。二年次にいる英爵家の人間で、ヴェインを強く気に入る女生徒だ。前にカイトが言っていたように、弓の名手である。



「ほんと……こうなるかもって覚悟してたけど、やっぱり緊張しちゃって。準決勝は昼過ぎからだし。二人さえよければ、あたしたちと一緒にローゼス・カイタスへ行かない?」



 レンとリシアは帝都大神殿へ行くものだと思っていた。

 そのため、予想していなかった場所の名を聞いて困惑した。



「でも、ローゼス・カイタスって封印されてますよ?」


「そうね。けどお祈りするための場所は何個かあるの。ローゼス・カイタスに行けなくなってから、エルフェン教が用意した場所ってわけ」


「へぇー……そういう場所が……」



 七英雄の伝説にこんなイベントはなかった。ただ、現実が七英雄の伝説通りに進まないことはレンも慣れっこである。



「どうしてローゼス・カイタスなの? お祈りなら帝都大神殿の方が近いのに」


「リシア、前に自分の目で封印を見たいって言ってたでしょ? 臨時便が出てるんだしいい機会じゃない? それに、明日は聖歌隊もいるみたいだし」


「そう言えば……確かお父様もそう言ってたような……」



 獅子王大祭初日の夜、レザードがそんなことを言っていた。

 が、リシアはレンと顔を見合わせて苦笑する。

 気になっている封印はもう、夜に魔導船の窓から見てしまった。それでもせっかくの気遣いを無下にするのはどうかと思うし、セーラが楽しそうにしているから言い出せない。



 また、セーラの誘いはさておき聖歌隊には興味がある。

 どんな歌なのか、リシアもレンも聞いてみたいと思っていた。



「私とレンも聖歌隊の歌を聞きたいと思ってたから、ちょうどよかったわ」


「ほんと? じゃあ決まりっ! 明日、空中庭園で集合ね!」



 微笑むセーラの横でレンとリシアの二人が目配せを交わしたのを、ネムは見逃さなかった。



「二人は優しいねー」



 それを聞いたセーラが、



「ネム? 急にどうしたの?」


「ううん、こっちの話。ネムはセーラちゃんと違って意外と目ざといから、二人が隠してることまでばっちり確認していたのです」


「? どういうこと?」


「ネムのことだから、適当なことを言ってるだけよ」


「あー! リシアちゃんってば、まるでネムがいつも適当みたいなこと言ってる! ネムが適当なのは偶にだよ! 偶にっ!」



 鼻息荒く不満をあらわにしたネムを見た全員が笑った。

 ところで、何故ここにネムがいるのかというと、彼女が武闘大会を観戦したからだ。喜びの報告をするセーラたちにただ同行していただけ。



 やってきた三人がいなくなってから、本部に戻ったレンとリシア。

 二人を見てラディウスが問いかける。



「何かあったのか?」


「武闘大会でちょっとね。明日はうちの生徒たちだけで準決勝だってさ」


「それは朗報だ。ならば三人で見てくるといい。最終日は本部にいる必要がないから、気兼ねなく楽しんでこい」



 その提案にレンとリシア、フィオナの三人が笑った。



「ラディウスは? 一緒に来ない?」


「ごめんニャ~殿下は私と予定があるからダメなのニャ~」


「あ、そうだったんですね」



 レンは少し残念そうに頷いた。 




 ◇ ◇ ◇ ◇




 朝の早い時間帯にもかかわらず、ローゼス・カイタス周辺は多くの人で賑わっていた。



 古びた街道は崩れたレンガが数多く見られる。場所によっては苔むしていた。街道の周辺は青々とした芝生が広がった美しい景色で、そこに多くの商人が店を開いていた。

 先ほど魔導船を降りたレンが、辺りの様子を見渡した。



(こんな感じになってるのか)



 魔導船乗り場は簡易的なものとしか聞いておらず、先日、空から見下ろした際は夜だったからあまりよくわからなかった。

 いま、レンがみているのは簡易的な鉄塔が並んだ魔導船乗り場だ。いくつかの鉄塔が並んでいる。

 移動式の階段を降りたところで、



「レン、あっちをみて」



 リシアがローゼス・カイタスがある山を指差した。

 先日と違いまだ鮮明に見える霧――――時の檻を眺めてから、二人は辺りの地形を見た。ローゼス・カイタスは聞いていた通り、山の大部分が封印に覆われている。山と平地の間に峡谷があって、橋で行き来できるようになっていた。橋を抜けた先には山道へ通じる階段があり、橋を抜けた先は既に封印の中だ。当然、橋も普段は封鎖されている。



 今日は聖歌隊が行くからか、封鎖されておらず代わりにエルフェン教の騎士が立っていた。



「こないだと違って、よく見えますね」


「ええ、そうね」



 既に周りは国内外のエルフェン教徒をはじめ、数多くの客で賑わっていた。

 気を抜くと、あっさり人混みにさらわれてしまいそうなほどだった。



「すごい人だ……はぐれないようにしないとな、セーラ」


「気を付けましょう。――――でもまずは朝ごはんにしない?」


「賛成っ! ネムもお腹が空いちゃって空いちゃって……」



 朝早くから来ていたため、レンとリシア以外の三人は朝食を抜いていた。三人は帝都からエレンディルに来る必要があったので、前者二人より忙しない朝を過ごしたのだ。



「ネム調べによると、ここにある出店もすごく評判らしいよ!」



 美味い肉を焼く名店や、菓子や茶が自慢の出店もあるそうだ。



「あ! ヴェイン君はネムが手を繋いであげよっか? にしし、はぐれちゃうと大変だしさ~」


「い、いいって! 大丈夫だから!」


「もー照れなくていいのに~……それとも、ネムじゃ不満なのかな~?」


「それも違くて……レ、レン! 笑ってないで助けてくれって!」


「ごめん。話題の出店を探す方が大事かな」



 ついでに嫉妬しているセーラから目をそらすように辺りの出店を見渡した。

 色々な出店があった。何を食べるかは好きに選べるだろう。

 ネムにからかわれ、セーラに不満そうな目を向けられたヴェインが戸惑う様子を傍目に、レンはリシアと言葉を交わす。



「お腹いっぱいだったけど、いい香りのせいで私も食べたくなってきちゃった」


「俺もです。少しだけ食べちゃいましょっか」


「ええ。ふふっ……何にしようかしら。普段はエレンディルとか帝都で見ないお店がいいかしら」



 一行はいくつかの出店を巡って腹を満たす。

 常に賑やかに、人混みではぐれてしまわぬよう五人は固まって歩いた。



 この辺りがより一層賑わいはじめたのは、更に数十分が過ぎてからだった。聖歌隊に所属するエルフェン教徒たちが白いローブに身を包んで登場し、エルフェン教の騎士に囲まれながら街道を歩き出す。



 その光景を見る周りのエルフェン教徒の中には、手を合わせる者も少なくない。

 聖歌隊は観客を率いるように、山へ向かう峡谷に架かった橋を目指した。



「俺たちも行きましょうか」


「ええ」



 レンとリシアに倣い、他の三人も歩きはじめる。

 簡易的な魔導船乗り場の近くから、橋の近くまでは徒歩で三十分ほどの時間を要した。最初に橋の近くに到着した聖歌隊の面々に客を近づけないよう、橋を守るようにエルフェン教の騎士が立ちはだかる。



 聖歌隊の面々は、橋を渡った先にある封印のすぐ手前で足を止めた。

 他の聖歌隊の者と違い、一人だけ大きな杖を持っていた者がいる。その者は杖を両手に持ったまま真横に構え、天に捧げるかの如く差し出した。杖の先にあった巨大な宝石が輝くと、周りの者たちが一斉に歌いはじめる。



 レンは無心で歌に耳を傾け、遠く離れた階段で歌う聖歌隊の様子に目を奪われていた。どうしてなのかレンもわからなかったけれど、ついぼーっとしてしまうような感覚だった。



(…………)



 どこまでもどこまでも響き渡るその歌に気を取られて止まない。

 歌に使われている言語がわからず、歌詞が理解できなくてもだった。



「レン、訳した方がいい?」



 リシアがレンに耳打ちした。

 周りで歌を聞く者の邪魔にならないよう気を遣ったようだ。



「え? わかるんですか?」


「うん。あれは聖紋術式に使われる言語だから、私も少しくらいならわかるの」


「さすがリシア様。でも、リシア様にも歌を聞いていてほしいですから、俺のことは気にしないでください」


「いいの。私もレンと一緒に楽しみたいんだから」



 普段はしないほどの顔の距離。

 頬と頬が密着しそうな距離間で、歌詞を共通語に訳していくリシア。



「――――偉大なる主神。創造神の子――――我が歌を捧げん――――さぁ、御許へ。主の許へ」



 リシアは断片的に歌詞を訳しつづけた。

 いつしか最初の歌が終わりを迎えた。レンの周りには涙するエルフェン教徒の数も少なくなかったし、一緒にここへ来た三名も感動しているのか無言だった。

 


 つづけて二度、三度と鎮魂のための歌が響き渡った。

 すると、



「――――え?」



 唐突にレンの視界が僅かにボヤけ、耳鳴りがした。

 思わず両手を伸ばし、両耳を抑えてしまう。それなのにもっと不思議なことが起こる。耳を抑えていたはずのレンがとある音を鮮明に聞いたのだ。



 りぃん、りぃん――――



 どこまでも響き渡る鈴の音を聞いたレンの視界が、蜃気楼のように揺らぐ。いまの現象はすぐに鳴りを潜めたが、何がどうなっているのか理解が追い付かなかった。



 周りを見渡すも、レンのように何か気にしているような者は見えない。

 だが、たった一人だけ、レンの隣にいたリシアだけが同じ感覚に浸っていた。



「レン……いまの」


「リシア様もわかったんですね」



 七度目の歌が終わったことで、それまで静かだったセーラがリシアに声を掛ける。



「あたしったら感動してばっかりで……リシア? レンをじっと黙ってどうしたの? 歌に感動してた?」


「……ううん。急に大きな鈴の音が聞こえたから、びっくりしちゃって」


「鈴の音なんて聞こえたかしら。ヴェインはどう?」


「いや、聞こえなかったと思う」



 次にレンが、



「じゃあヴェイン、いまの蜃気楼みたいなのは?」


「別にそんなのもなかったと思うぞ。ってか、急にどうしたんだ? 二人とも、もしかして体調でも悪いとか?」


「……そんなんじゃないよ。ごめん、気のせいだったのかも」


「そうね。私とレンが気にしすぎてたのかも」



 二人はそう言って誤魔化した。

 そして聖歌隊たちは、いまの歌を最後に石階段を下りはじめる。来たときと同じようにエルフェン教の騎士に囲まれたまま、静かに街道を歩きはじめた。

 レンとリシアは顔を見合わせて、先ほどの現象について考える。あれは自分たちにだけ起こった現象だと思い眉をひそめていた。



「混み合う前に、私たちは魔導船に戻らない?」


「あっ、そうね! それがいいかも!」



 帰りに混み合うことを避けたいという、それらしい言い訳を口にすればセーラとヴェインがすぐに頷く。ネムだってそうだった。

 実際には早くここを離れたいという、本能的な気持ちによるものなのだが。



「だねだね~! 遅れると満員で乗れなくなるかもしれないし!」


「それはまずいかも。あたしもヴェインも午後には準決勝だから、急がなくっちゃ」



 五人は魔導船乗り場に戻るため歩を進める。

 周りの人が賑わう中を、逆走するかのように。


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