親友が言ったこと。

 エレンディルが誇る巨大複合駅、空中庭園に帰ったレンをリシアが迎えた。



 紫水晶アメジストと白銀を溶かし混ぜたような美しい髪。

 少しずつ大人っぽくなってくるも可憐さを失うことのない彼女は、夜空に光る星々より煌めく。

 レンが来てすぐに弾む声で、



「おかえりなさい、レン」



 朝方ぶりの再会に「ただいま帰りました」と答えたレンが、周りを見てから聞く。



「あれ? リシアだけですか?」


「うん。さっきまでお父様とヴァイスがいたんだけど、レンと入れ違いで帝都に行っちゃったの」



 ちょっとした仕事のためだという。

 護衛は――――というのはリシアの実力から見てもそうだし、周りにいくらでも警備員や騎士がいるから愚問だろう。



 二人並んで歩きはじめ、地上階へ向かって外に出る。

 夜が更けてきたからなのか、外に出ると頬に吹く風の冷たさが少し痛かった。

 リシアは夜のエレンディルの大通りを歩きながら、隣にいるレンを見た。冬休みに入る前よりちょっとだけ、彼のことを見上げるようになった気がした。



「読みたかった本はあった?」


「あったんですが、なんか人気の本らしく、俺が借りられたのは偶然みたいです。昨日までは別の方が借りてたんだって、司書の方が言ってました」


「よかった。私も読んでみたかったの」



 リシアも読んでみたいように見えたから、レンは「先に読みますか?」と尋ねた。

 するとリシアが、「もう、レンが借りてきた本なのよ。レンの後で大丈夫」と言ったから、



「じゃあ、俺が読み終わったら持っていきますね」


「うん! 待ってる!」



 そんなちょっとした約束にも嬉しそうに笑う彼女の足取りは、とても軽かった。

 そのあとで、



「――――今日も寝る前にする?」


「そうしましょう」



 というやり取りを経て――――



 夜、まだレザードとヴァイスは帰っていなかった。

 時刻は夜の十時を過ぎ、もう少し経ったらレンもリシアも寝る時間帯だ。



 リシアとレンは屋敷の広間に足を運び、ある訓練に勤しんでいた。

 ローゼス・カイタスの騒動から、リシアは神聖魔法を使うことに忌避感を抱いていた。それをクロノアに相談し、またレンがエウペハイムで鞄の旅人こと、神秘庁の研究室を預かるラグナと話したことをきっかけに、冬の後半から神聖魔法の訓練を再開していた。



 学院長クロノアの助言もあり、レンとリシアの二人で少しずつ……



「ねねっ、やっぱりレンに使うと効果が強くない?」


「ですねー……やっぱりあのとき、無理やりリシアの魔石に言い聞かせたからかもしれません」


「じゃあ私の力の主はレンってことになるけど、そういうこと?」



 リシアが笑いながら言った。



「そういうわけじゃなくて、こう……お前レンは口うるさいから言うことを聞いてやる、みたいな」



 いまでこそ他の人、たとえばレザードやヴァイスに神聖魔法を用いたときより、レンに対して使ったときの方がより効力を発揮する。

 どう考えても、ローゼス・カイタスでのことが関係しているのだが、理由は不明なままだった。



「今日はこのくらいにしておきますか」


「うん。じゃあまた明日ね」



 寝る前の訓練を終えた頃には、レンの瞼も重くなっていた。

 広間から自室へ戻り、軽く寝る前の支度をしてから魔道具の明かりを消す。ベッドに横になってすぐ、大きなあくびをしてから瞼を閉じた。



 ――――夜が明けてすぐ、レンの部屋がノックされた。



 扉を開けると廊下に給仕が立っていて、レンはその給仕から手紙を渡された。

 手紙を見ると、送り主の名前が簡素に記されていた。



「ラディウスから?」


「そのようにお伺いしております。詳しくは中をご確認いただきたい……と近衛騎士の方が申しておりました」



 レンは頷いて部屋の中へ戻り、机に向かって手紙の封蝋を取った。

 中に収められていた羊皮紙を取り出し、ラディウスの直筆を目で追った。



『今日か明日、時間があれば学院で会いたい。我々がいつも使っている小部屋で本を読んでいるから、可能なら来てほしい』



 もし余裕がなくても気にしないでくれ、と綴られている。

 昨年から妙に忙しなかったラディウスがようやく落ち着きつつあるらしく、彼はたまの休日を学院で本を読みながら過ごすそうだ。



 忙しかった親友からの、せっかくの誘い。

 レンに断る理由はなかったから、彼はさっそく今日にでもと思った。

 急いで食堂へ向かって朝食を済ませた。少し遅れて起きてきたリシアがそんなレンを見て、小首を捻っていた。



「こんな時間からどうしたの?」


「ラディウスに誘われたんで、学院に行ってきます」


「わかった。気を付けて行ってきて」



 食後、身支度を整えて玄関ホールへ向かうと、リシアがレンを見送った。

 屋敷を出たレンが呼吸をすれば、白い吐息が風にさわられる。正面の門をくぐって大通りに出てすぐに、彼は雪化粧が施された大時計台を一瞥した。




 ◇ ◇ ◇ ◇




「ラディウス」



 学院についたレンは図書館へ向かい、その奥にある小部屋へ足を踏み入れ親友の名を呼んだ。

 ラディウスは椅子に座り、本を片手に静かな時間を過ごしていたのだが、レンに呼びかけられてすぐに頬を緩めた。



「なんで笑ってるの?」


「すまない。レンがあまりにも普段通りすぎてな」


「? どういうこと?」


「考えてもみろ。私たちが前に顔を合わせたのはいつだ?」


「レオナール家のパーティとかの話をしたときだっけ?」


「そうだ。レオナール家の秘宝、銀王盾アイリアが見つかった少し後だ。もう少し細かく言うなら、レンが巨神の使いワダツミを討伐する前だな」



 ラディウスは多忙を極めていたから、今日までレンと顔を合わすことがなかった。

 叙勲も叙勲で、あれは城ではなく獅子聖庁の管轄であるため話は別だし、それを言えば、巨神の使いワダツミの騒動もあって、ラディウスが想定外の予定を詰め込まれていたこともある。

 彼が言いたかったのは、



「あれだけの活躍をしておきながら、レンがいつも通りなことが面白くてな」


「いやいやいや、むしろどう変われっていうのさ」


「それもそうなのだが、まさか自分と一歳しか変わらない少年が、剛剣技の剣聖級に到達するとなればさすがにな」



 と言い、ラディウスは本を閉じてテーブルに置いた。

 レンは近くの席に腰を下ろし、くつろぎだした。



「同じことを獅子聖庁でも言われたよ」


「騎士たちにか?」


「そ。剣聖になってはじめて訓練に行ったとき、みんなすごく祝ってくれたんだけど……。いつも通り訓練してたら、そのまんまいつも通りですねって言われた」


「くくっ……そうだろうさ」



 獅子聖庁の騎士たちにとっても、訓練するレンの様子は変わっていないように見えた。

 だが、訓練に打ち込む姿勢は以前にも増して苛烈というか、これまでと限界が変わったからかより強度の高い訓練をするようになった。

 その姿勢が、変わらずレンらしく見えたのだろう。



「話したいことがあるみたいだったけど、改まるような感じ?」


「幾分かな。……レンと会えていなかったときに色々あった。レンの祖先周りの件でラグナがいくつか調べていたのだが、それについて早速話しておきたかった」



 本題とは別に、久しぶりにレンと語らいたい気持ちもあったのだが。



「ラグナさんが? 旧市街の……ジェノ院だっけ」



 開かずの扉と言われていた建物の扉が、レンが触れたことで開いた。

 その建物がジェノ院という名の孤児院だった。



「あそこで手紙とかが見つかってから、まだ何か月も経ってないけど。何かあったの?」


「ああ。ラグナはそういう男でな。難題だろうとすぐに何らかの結果を出す。その後の調査で難航することはあっても、絶対に成果を上げるのだ」


「――――おみそれしました」



 ここでラディウスが懐から折りたたまれた紙を取り出し、レンに渡した。

 これは以前、ラディウスがラグナから受け取った調査報告が書かれた紙そのままで、レンはラディウスが驚いたのと同じ文面に目を通す。



 レンは紙に書かれていたことを読み終えるまで数分と要せず、しかし考えをまとめるためには数分を要した。

 彼は嘆息してラディウスを見る。



「セシル・アシュトンって、結局、誰なんだろうね」


「さて。よくわからんが特別な存在のようだ。蝕み姫もそうだな。わからないことだらけではあるのだが、核心に迫る大きな一歩を踏み出せたことは間違いない」


「ようやく、最初の一歩って感じだけどね」


「一歩も進めないより、ずっといい」



 ラディウスがどこを見るわけでもなく、窓の外の遠くを眺めながら、



「なぁ、レン」


「んー、なにー?」


「アシュトン家のこと以外に、もう一つ話したいことがある」



 急な話題の切り替わりでも、レンはマイペースに返事をする。



「おー……どんな話だろ」


「先日まで私が忙しかった理由のことだ。ようやく話がまとまって話せる状況になったから、レンにも聞いてほしい」



 レンは暖かい飲み物でも入れようと席を立っていた。

 魔道具から湯を出し、ティーポットに注ぐと湯気が立つ。茶葉を落とせば、その湯気にいい香りが混じりはじめた。

 茶の用意をつづけるレンの耳に、



「私は皇太子になることが決まった。正式になるのはまだ先だがな」


「へぇー、そうなんだ。すごいじゃん」


「うむ。我ながら気合を入れて動いた甲斐あって、根回しも終わっている。私が正式に皇太子になるのは夏か秋か、あるいはもう少し後か……。もう、多くの大貴族は感付いているようだな」


「あーね。内々定みたいな状況か」


「わかりやすく言えば、そんなものだ」



 レンは用意した茶が入ったティーカップを運んできた。小さな音を立ててラディウスの目の前に置かれる。

 レンはカップを手に持ったまま、雪景色が見える窓の前に立った。

 ごく、と一口嚥下して喉を濡らす。



 間もなく、彼は「――――ん?」と、



「あのさ、皇太子になるって言った?」


「ああ、言ったぞ」



 ――――――――――



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