剣の庭。
「…………」
「…………」
見つめあいながらの沈黙を経て、ラディウスが眉を潜めてレンに問う。
「それがどうしたというのだ?」
レンが大いに驚いたのは、それからすぐのことだった。
「いやいやいや――――っ!」
平然と会話をしていた自分にも驚くばかりだが、ラディウスの言葉を咀嚼し終えてからはわけが違う。
皇太子。レオメルを継ぐ者。
「ほ、本当に!?」
「こんなことで嘘をついてどうする。だいたいレンも前に言っていたではないか。次期皇帝との呼び声高い私がどうの、と」
「そりゃそうだけど! こう、実際にそうなると驚きもなんというか……!」
驚いた。それはもう驚いたのだが、まずは言うべきことがある。
レンもそのことを思い出し、まだ落ち着かないまま、
「おめでとう。ラディウスなら絶対にそうなるって思ってた」
「ああ。ありがとう」
レンに祝われたラディウスがくしゃっとした笑みを浮かべた。普段は決して見せることのない、年相応の人懐っこい笑い方だ。
「レンに祝ってもらいたかったのもそうだが、驚いてほしくもあった。くくっ、今日は来てもらった甲斐がある」
「まぁ……それなら驚いた甲斐があるからいいけどさ」
祝われる側のラディウスがいいなら、自分も気にすることはない。
落ち着きを取り戻したレンは、これまでかろうじて落とさずに持っていたティーカップを口に運んで、もう一度喉を濡らした。
「もうわかってくれたと思うが、いまのはセシル・アシュトンのことと完全に別件だったというわけではないのだ」
「ん? なにが?」
「忘れたのか? 禁書庫だ」
レンは一呼吸分の間を置いてから苦笑した。
「ああいや、忘れてたわけじゃないよ。皇太子の話で驚きが残ってたみたい」
禁書庫は帝立図書館の最下層に存在する、足を運べる者が限られた特別な場所だ。
レンは以前、ラディウスと禁書庫について話をしたことがあった。もしもラディウスが皇太子になることができたら、彼がそこに足を運べるようになると。
当時、レンはアシュトン家の家系図でも眠っていたら、と冗談交じりに話したことがある。
「ここまできたら私も気になるからな。引きつづき、調べてみたいと思っている」
「ありがと。――――うちに関連した情報が禁書庫にあったらあったで、また話が仰々しくなりそうだけどね」
「何を言うか。いまの時点で十分仰々しいぞ」
ラディウスはレンを見ながら涼しげに笑っていた。
だが一瞬、
「……」
レンを見ていると心のうちに、もしかすると――――という予感を抱く。
だがラディウスは、その予感に気が付かなかった振りをした。レンもその仕草に気が付いておらず、歓談がつづく。
「冬休み明けの学院は、どこにいても話題に事欠かなさそうだ」
「あー、ヴェインのこととか?」
「なんだレン、もう聞いていたのか?」
「まぁ、少しだけ」
「妙に歯切れが悪いが、確かにそのことだ。本当かどうかわからんが、凄まじい聖なる力を放ったという。あのアイリアの力すら共鳴したと聞くが……それではまるで――――」
「七英雄の関係者?」
「そうだ。しかしそうなると残りは一つしかない」
「残されてるのは勇者ルインだけだね」
消えたと思われていた、勇者ルインの血縁。
ラディウスが嬉しそうにも、気だるそうそう見える表情を浮かべながら、いつもはしないおざなりな「かもな」という気の抜けた返事。
「この際、派閥争いそのものはどうでもいい。仮にヴェインという男が勇者ルインの血を受け継いだ存在だったのなら、それは素晴らしいことだ。私としても喜ばしい……が」
「が、のつづきは?」
「英雄派が勢いづくことも自由だが、それで下手なことを考える貴族が現れたら面倒だとは思っている」
臣民を思えば、英雄派が賑わうことは悪いことではなかった。
ただ一方で、英雄派に限らず皇族派にも現れることのある、面倒な貴族たちの対処に思うことがあるだけ。
しかしラディウスはそこに、自分たちの力不足もある、と添えて自嘲。
次に彼は気を取り直して、
「それとレンのこともな」
レンが倒した、と公式に報があるわけではないが、貴族たちは間違いなく耳に入れるし、新聞にもそれらしき記事があったから、いくらでも想像することはできた。
ただでさえ同じ学び舎の中なのだ。問いかけに来るものは大勢いるだろう。
「次に目指すのは剣王か」
「……ああ」
それを聞いたレンはルトレーシェとの縁を感じながら、神殿が立ち並ぶ区画ではじめて彼女と言葉を交わしたことを思い返した。
ラディウスはレンが何か考えている気がして、遠慮なく問う。
「剣王と何かあったのか?」
「うーん……あった、みたいな感じかな」
「教えてくれるか」
「いいけど、大したことじゃないんだよね」
レンはルトレーシェと出会って話したことを口にした。
同じことを、昨日はリシアにも伝えてある。
いくらラディウスでも、レンがルトレーシェと会うことは想像していなかった。レンが会ったルトレーシェも驚いていたから、あれは間違いなく偶然だ。
「……本当にわからんな」
レンの……アシュトン家のことも、ルトレーシェの思惑も。
考えても答えは出ず、二人はいつしか茶を飲み干していた。
それからは普通の、とりとめのない話をするに留めた。
「春には残る英爵家の二人も入学してくるそうだ。無事、入試も終えたと聞く」
英雄派がまた一段と賑わうだろう。それはそれとしても、ラディウス自身の件も皇族派の追い風になるだろうが。
昼過ぎに、
「もう閉館だな」
ラディウスが言ったように、学院の図書館が閉館される。
冬休み期間中は日によって午前中で閉じる日もあった。
「城に帰るなら、途中まで送ろうか?」
「いや、大丈夫だ。迎えが来る」
「ん、りょーかい」
二人で学院を出れば、ラディウスを迎えに来た馬車が留まっていた。
レンは一人になってから、あるところへ歩を進めだした。
◇ ◇ ◇ ◇
徒歩で一時間と少し。
帝都の片隅にある一本の橋を越えた先。帝都にありながら広い敷地を占有していたのは、冬でも緑豊かな草原だ。
ここは立ち入りに許可が必要とされていたが、レンはその許可を得ている。
そんな平原には、何か建物があるわけでも宝物が隠されているわけでもない。だが、許可なき者が足を踏み入れられない理由は確かにあった。
この地は過去、獅子王が剣の訓練に足を運んだ場所であり、いまでも大切にされている。
剣の庭と呼ばれている、レオメルの民にとって特別な場所だ。
立ち入るための許可を得る方法はいくつかあって、どれも城が認可することにより正式に足を踏み入れられるようになる。
レンのように、獅子聖庁から勲章を授与された者もそう。
他には稀有な働きをしたレオメルの民へ、特別に許可されることもあった。
事実、七英雄の伝説ではそれらの働きなどが評価されて足を踏み入れられるようになったのだ。
(この日の午後二時半)
時系列的には七英雄の伝説Ⅰの本編終了後。Ⅱに入る前。
バルドル山脈にてユリシス・イグナートとの戦いを終え、王都に帰還してからの自由な日々の中でのことだ。
レンが平原の草を踏む。
雪で少しだけ湿っぽい芝の上を進んで、
「ゲーム通りなわけないか」
七英雄の伝説通りにはならない。
そうならないように動いてきたレンが自分の口でそんなことを言ったことが面白く、自嘲気味に。
彼は
僅かだが丘のように地面が隆起した、そんな平原の一角に立った一本の木だ。
レンがそこに立ち、どこか遠くを見ていると――――
「どうして、あなたがここに?」
ある女性の美しい声だった。
その声に振り向く前に、レンは胸元が自分でも驚くくらい鼓動を繰り返しているのを感じ、それを彼女に悟られぬよう平静を装いながら振り向いた。
「もしかしたら、貴女に会えるかもしれないと思って」
彼が振り向いた先にいたのは、白銀の姫君。
「……私と?」
「そうですよ。――――剣王、ルトレーシェ様」
レオメルに存在する最高戦力。
七英雄の伝説では、剣王に挑戦などと称されていたそのイベント、ルトレーシェと出会える機会。
(なんだろ――――)
ルトレーシェは神秘的な美しさを湛えていた。
しかし、その美しさ以上にどこか儚く、レンが知る実力の持ち主には到底見えない。
けれど一瞬だった。
彼女はすぐにその影を消し、ただ驚く。誰もが彼女を超然とした、常に冷静な女性であると思っていた。
それなのに彼女は、レンがここにいることに驚き立ち止まっているようである。
気を取り直した彼女がレンに答える。
「どのような敬称も必要ありません。私はただのルトレーシェですから」
淡々と答えた彼女がつづける。
「レン・アシュトン、どうして私に会いに来たのですか?」
「一度、貴女に直接話を聞いてみたかったからです。昨日は聞けなかったので」
ルトレーシェは大時計台でのことを聞かれるのだろうと思った。
あれは以前、レンがエレンディルに引っ越してからの事件だった。
エレンディルが誇る大時計台が魔王教に狙われ、その企みを看破したラディウスたちにより、わざと誘い込んで掃討した戦いだ。
しかし、ルトレーシェは「何となく力を貸した」としか説明していない。
レンもそれをラディウスから聞いていたし、尋ねても煙に巻かれるかもと思っていたのだが、
「貴女はアシュトンについて、何か知っているんですか?」
イグナート侯爵領、旧市街。
水に沈んだ街で見つかった孤児院での情報を踏まえ、神秘庁が誇る研究者ラグナが多くのことを調べ上げた。
セシル・アシュトンという男と、蝕み姫。
これを考えると、大時計台でルトレーシェが力を貸してくれたことが気になる。もしかすると彼女は、アシュトンについて何か知っているのではないか、と。
そしてその予想は……
「話す理由はありません」
ルトレーシェは否定しなかった。
彼女はラディウスと話していた時と違い、嘘をつかなかった。
その代わり、話す理由がないと一蹴されたわけだが。
「ですが、あなたを前に進ませることはできます」
彼女がこれまで手にしていた長剣の、それを包む布がするっと解けた。
「前に進ませる、ですか」
「ええ。……でも、先に聞かせてください」
彼女がレンを見つめながら、
「レン・アシュトン、あなたは私より強くなれますか?」
あの名工ヴェルリッヒの口から、あれ以上の剣は打てないと言わせた天下の名剣。
銘は『
神喰が芝の上に突き立てられたが、立ち合いで実力を見ようという意図はない。ルトレーシェはレンの意思を聞こうとしていたにすぎない。
「俺が、貴女より強く……」
レンの口から言葉が出てこなかったのは、迷いからではない。
彼はここでの言葉選びに迷っていた。そして彼の口から出てくる言葉は、ルトレーシェの興味を引いた。
「答えになっていないかもしれませんが、俺がすることは変わりませんよ。俺は昔から変わらず、必要があれば強くなるだけです。だからもし、貴女より強くなる必要があるのなら、俺は必ず貴女より強くなりたいと思っています」
剣王を侮辱するようなことを言いたくなかった。
礼を失するような物言いを避け、むしろ自分の考えを――――絶対に剣王になると決め、剣聖にいたってからの気持ちを、再確認するように告げた。
「――――」
白銀の姫君はレンを見ていた。
いつしか彼女は指先を軽く動かし、芝の上に落ちていた布を宙に浮かすと、神喰を覆わせた。
レンに背を向けた彼女が、
「あの!」
彼の傍を離れていきながら唇を動かす。
「
何故ギルドの、高難易度の依頼がそうなのか。
レンの働きで多くの運命が変わっているいま、彼は無視できなかった。
――――――――――
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