はじめての距離で。
「緊張しました。でも幸いなことに勲章を下さるのがエステル様だったので、割といつも通りでいられた気がします」
「ふふっ、エステル様、そのときはいつもより厳格なお姿でしたか?」
「あー……」
まぁ、話しても大丈夫だろう。
この冬に友誼を持つようになったフィオナとエステルだし、二人ともすでに砕けた態度で接してもいた。
「それは最初だけでした。途中から、緊張してる俺を見てニヤニヤしてましたよ」
エステルはレンの緊張をほぐしたかったのかもしれないが。
フィオナは笑って、レンが不満げに話す姿を楽しそうに眺めていた。
「エステル様の執務室で授与していただいたんですけど――――」
獅子聖庁の上層階にあるエステルの執務室。
その場は獅子聖庁の騎士たちも同席していたが、緊張したのは意外と最初のほうだけ。執務室の雰囲気だってそれはもう厳かだったのに、エステルのせいですぐにいつも通りだった。
「いただいたのはいいんですが、普段使いするものでもないので、とりあえず部屋に飾ってある感じです」
「そうなんですか?」
「はい。制服につけるような品でもありませんしね」
帝国士官学院はある程度、制服を自由に着こなすことを認めている。
だからカイトは夏になると制服のスラックスに半袖のシャツを着ており、レンの同級生のネム・アルティアはフードがついているパーカーをよく羽織っている。ヴェインをひどく気に入っている上級生のシャーロット・ロフェリアも、ボタンを多く開けてみたりスカートの丈を変えてみたり、彼女なりに着こなしている。
そのため、勲章一つつけるくらい問題はない。
制服に付けたければ付けていいとエステルも言っていたが、貰った勲章はとても目立つ。
『私も軍服の上着以外は着けていないぞ。正装で足を運ぶべき場所で身に着けるくらいの気持ちでいいだろう』
他に授与された者もそうしているらしいから、レンもその例に倣うことにしていた。
……まぁ、目立つよね。
レンが授与された勲章は、名を『聖・グリムドール剣章』という。
黒い剣中心に金糸などで飾られた勲章で、胸元に飾るとそれだけで凄みがある。獅子聖庁の長官が授与できる勲章で、剣聖に至った剛剣使いだけが手にすることができた。
獅子聖庁は半独立機関とも言われることがある。
レオメルにおいて絶対的な存在である開祖、獅子王に関連した機関のため、事によっては国が指示を下せない領域もあった。
そんな半独立機関の獅子聖庁が贈る聖・グリムドール剣章。その名の由来は獅子王に次ぐ実力を誇った騎士、グリムドールという盲目の騎士だ。
剛剣技を扱う者として剣聖になったからと言って、それ単体で国から特別な褒章が出るわけではない。仮に爵位や領地を出そうものなら、レオメルに籍を置く冒険者に対してもそうしなければ不公平だった。
だが、
◇ ◇ ◇ ◇
フィオナを女子寮へ送った帰りに、冬の帝都を歩いて。
レンは帝都でウィンドウショッピングを楽しみながら、大通り沿いの巨大な建物を一瞥。
冒険者ギルド、レオメル帝国本部。
建物の中には普通のギルド同様のスペースが用意されている。
帝国中の冒険者ギルドに貼りだされている依頼の中から、規模の大きなものならここでも受託することができた。
レンは何の気なしに、その中へ足を踏み入れた。
クラウゼルやエレンディルとも違う、より先進的な内装。それらを見ていたレンの耳に届くのは、ほかのギルドではあまり聞かない声だった。
「ああいえ、こちらは帝国法院やエルフェン教の管轄ではなく――――」
「西方の貴族の方々より、こういった調査の相談がございまして」
ここではその他のギルドと違い貴族や騎士、文官の姿もある。
ここで依頼を出し、地方へ連絡することも可能としているからだ。
「レン・アシュトン様ですね?」
掲示板を見ていたレンに声をかけたのは、このギルド職員の女性だった。
「こちらは
「ああいえ、今日は何となく寄ってみただけなので。……ってか、俺のことをご存じだったんですね」
「もちろんです。獅子聖庁より連絡をいただいておりますので」
というのは、
・帝都ギルドにて、特別な依頼受注を可能とする。
・
聖・グリムドール剣章を得たことによる特典。あるいは剛剣使いとして剣聖に至ったことによる特典。
それらのこと以外にも社交の場、貴族社会にて存在感を増す。レンがいままで持っていなかった、特別な変化をもたらしていた。
別に剛剣技を扱う剣聖だけが受けられるというわけではなく、一定の実力者としてレオメルが身分を保障することで、ギルドでも……ということ。ほかにもいくつかその権利を得る手段はあるが、いずれも一筋縄ではいかない特別なもの。
「
契約書に帝都ギルドの紋章が刻印された特別な依頼。
レンが以前受託したことのある特殊依頼とも違う、ハイレベルな依頼の数々。いずれも例外なく、何らかの面倒で危険な事情がある。
七英雄の伝説でも成功すればいい装備が手に入ったり、受ける価値のあるものばかりだった。
ギルド職員が去ってからも建物の中を見ていたレンが、壁に掛けられていた時計を見た。
あまり長居するつもりはなかったのだが、すでに三十分は過ぎている。ここにいる理由もなかったからもう外に出た。
一月の冷たい風が彼の頬を撫で、髪の毛を揺らす。
――――ねぇねぇ、あっちのお店にあるのって新作なんだって!
――――あーそっかー、もうすぐ春だもんね。
どこかの学び舎に通っている制服姿の少女たちの声を耳にしながら、人で賑わう大通りを抜ける。
本屋に寄り、服屋で春の服を選んでいたら日が暮れていた。
夕食も帝都で済ませ、夜の七時を過ぎた頃にはそろそろ帰ろうと思っていた。
最後は帝都に来たついでに獅子聖庁に寄り、エステルに一言挨拶をしてから駅に向かおうと官庁街を歩く。
通りすがりに、神殿が立ち並ぶ区域に差し掛かる。
……そういや、はじめてきたかも。
自分の足ではじめてこの辺りを歩いていて、やはり周りには聖職者をはじめとした者たちが多くいるなと思った。
昨年の夏には、ローゼス・カイタスの封印が解けた。
いまでもそれにレンとリシアが関わっていることを知る人物は限られているが、エルフェン教はそれから今日までずっと、主神の思し召しなのだと言っている。影響は残されており、このさらに奥に鎮座する帝都大神殿は、それ以前と比較にならないくらいの巡礼者で賑わっていた。
「――――あと、ヴェインの力もか」
つい声に出して呟いた。
彼が本来、ユリシス・イグナートが復活させようとしていたアスヴァルを再び眠りにつかせるために使ったはずの力と、その覚醒。だが、相手が
レンはレオナール家の魔導船での出来事を、少しだけ聞いていた。
冬休み明けの学院では、ヴェインのことが新たな話題の中心となるはずだ。
等間隔に立ち並ぶ黒いアンティーク調の街頭から注がれる明かりが、レンの進む道を照らしていた。
雪がうっすら積もった石畳に、レンの足跡が残されていく。
「ヴェインが完全に覚醒したら――――」
きっとそれは、魔王教の脅威に対しての大きな力になる。
そう、つづけようとしてすぐ。
……え?
レンは前方から歩いてくる一人の女性を見て、思わず足を止めた。
歩いてくる女性も足を止めて、レンを見ていた。
「――――」
「――――」
立ち止まったレンは、どうして彼女がここに……と驚く。女性も同じような気持ちでレンを見ていた。
けれど、先に女性のほうから歩きはじめ、レンの隣へ近づいてくる。
彼女はレンの数歩手前で口を開き、
「あなたは不思議な人ですね」
レンを見ながらだった。
「
「……貴女は、どうして――――」
すれ違いざまに。
神秘的な美貌の彼女、
「また、どこかで」
彼女の髪が風に靡いて、レンを横切った。
振り向いたレンは、そこにいるはずのルトレーシェの姿をどこを探しても見付けられなかった。
冬の空から降り注ぐ雪に、消えてしまったかのように。
彼女はもうそこにはいなかったのだ。
――――――――――
3巻の感想(コメントやx(Twitter)にて)をありがとうございます!
引き続き、お楽しみいただけますように……!
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