家族たちも話を聞いて。
クラウゼル領にある名もなき村、ロイ・アシュトンが預かりし辺境の地。
そうは言うものの近年は周辺の発展もあり、辺境と呼ばれているのは昔の話だ。
いまでは周辺の街道もよく整備され、旧ギヴェン子爵領をはじめ、各地からの中継地として徐々に知られつつある隠れ家のような場所だった。
そろそろ、村に名をつけるべきだろうとも言われている。
旅人や商人、村人たちからそうした嘆願の声が届くことも少なくなかった。
冬でも年々増していく賑わいに包まれた、そんな村の中へ、
「はぁ……はぁ……っ!」
街道を馬に乗り駆け抜け、この村を訪れた若い騎士。
彼はこの領の中心地クラウゼルから、早馬に乗ってやってきた。
村の中心にある通りを進む彼を見た者たちの多くは、何か起こったのだろうかと気にしているようだった。
アシュトン家の屋敷の前で馬を止めたその騎士を見て、
「どうしたんだ!」
村に駐在する騎士たちが慌てて駆け寄り、声をかけた。
「何か事件でも?」
「かなり急いでいるようだな」
急いでやってきた騎士の顔には笑みが浮かんでいた。
「ああ! だが、事件ではないから心配は無用だ!」
彼はそう言うと、馬に預けていた鞄を手に取り、馬を他の騎士に任せて屋敷の敷地内へ。
庭園では、日が昇る前に狩りに出かけていたロイがその戦果を確認していた。
最近のロイは発展をつづける村の運営で忙しかったが、こうして自分の足で森の様子を確認するのはいまもつづく日課だった。
「随分と忙しないじゃないか」
ロイは落ち着いた口調で尋ねる。
その姿は前までの彼と違う。
日々、成長をつづけるこの村の長として、もうすぐ町と言ってもいいほどの規模にまで成長したこの地を預かる者として、ロイ・アシュトンという男にも変化が訪れつつあった。
まるでそれは、遠く離れた都会で暮らす息子にも似ている。
「失礼。早急にお伝えしたいことがありまして」
騎士はロイの前に立つと、鞄を開けてある日の新聞を取り出す。
普段はクラウゼルに流通していない、帝都やエレンディルのような大都会でしか売られていない新聞だった。
「新聞? 俺も最近はたまに目にすることがあるが……」
ほんの数年前までは、この村で新聞を見る機会なんてなかった。
発展するにつれて商人が持ち込むようになったから、いまでは事情が違うのだが。
それでも、基本的にこの村に関係しない情報ばかりではある。
「新聞なんか持ってきて、どうしたんだ?」
「ご覧いただきたい記事があるのです」
あるページを開いて見せられ、ロイは「おう」と言って読みはじめる。
彼がはっとしたのは、そのあとすぐだ。
騎士の承諾を得てから新聞を預かり、「行ってくる!」と口にして屋敷の中へ向かった。
いつもと違い何やら楽しそうに、でも慌ただしくやってきた夫を見て、レンの母、ミレイユ・アシュトンが「あら?」と。
「あなた、どうかした?」
「ああ! これを見てくれ!」
まだ真新しいエントランスに置かれたテーブルに広げられた新聞。ある記事が、アシュトン夫妻の目を引いた。
読めば読むほど、レンにしか思えない事柄ばかりが書き記されていた。
『イグナート領とレオナール領に現れた魔物は、魔王教によるものと断定された。いずれもすでに討伐された、と軍は宣言。此度の騒動では獅子聖庁長官が派遣され、直々に魔物を討伐したというが、彼女の傍に控える少年の姿を見た者は多い。噂によれば、日ごろから獅子聖庁に出入りをしていると言うが――――』
一人息子が元気にやっていることへの喜びと、また派手なことをしたようだという苦笑。
その様子を、屋敷の中での仕事をしていた騎士が見て嬉しそうに笑っていた。
しかし、ロイとミレイユが顔を見合わせて困ったように腕を組む。
「お二人とも、どうなさいました?」
「ああ、いやな……」
「ええ……そのね……」
言いづらそうにしていたが、ロイがとうとう口を開き、
「ほら、ここに書いてあることだ」
クラウゼル家に仕える騎士。剣聖。
そんな文字がいくつか並んでいたのだが、
「剣聖って実際、どんくらい強いんだ?」
彼の隣ではうんうん、とミレイユが勢いよく首を縦に振っていた。
あまりにも唐突な、そしてまさかの問いかけには騎士がぽかんとしていたが、彼も黙ってはいられない。
「し、知らなかったのですか!?」
「そりゃーなぁ……ミレイユもだろ?」
「そうねー……私たちはずっとこの村で暮らしてきたから、都会のことはよくわからなくて」
「でも、きっとすごいんだよな?」
「と、当然です! 中でも剛剣技の剣聖級ともなれば、我らがいくら数を揃えようとレン殿に怪我一つ負わせられないほどで……ああいえ、それだとすごさが伝わりませんが……」
結局、騎士は「この大国レオメルの中でも、一握りの実力者です」と言った。
「すごいじゃない! そんなに出世しちゃったのね!」
「ええ……間違いなく……」
騎士は呆れたのではなく、アシュトン夫妻に伝えられたことに安堵していた。
だが騎士自身、どれほどいまのレンが強いか理解しきれていないところがあり、想像で説明している部分があった。
それでも、あの剛剣技だ。
騎士の想像の範疇にないといえば、当たり前の力である。
ロイが誇らしげに、
「――――ま、レンらしいな」
すべてをその言葉に集約し、再び喜ぶ。
冬の空に広がる雲が晴れていく。
その間から差し込む光が、この村を照らしていた。
◇ ◇ ◇ ◇
同じ頃に。
白いコートに身を包んで歩く少女。
彼女の名を、フィオナ・イグナートと言う。
気品に満ちた美貌と可愛らしさは日々磨かれ、彼女を見た異性を魅了して止まない。しかしそれらの気高さを伺わせないほど、とある少年の前では年相応の少女らしく弾む笑みを浮かべる、そんな令嬢だった。
絹を思わせる艶を浮かべた黒い髪を寒風に揺らしながら、彼女はたったいまその少年こと、レン・アシュトンとともに帝国士官学院の図書館から出てきたところだ。
まだ冬休みの最中、静かな学院へ空からふわふわとした雪が降りていた。
「お探しの本があってよかったですね」
と、フィオナが嬉しそうに告げた。
「これ、冬休みに入る前にレオナール先輩から、面白かったって聞いたんです」
「ふふっ、だから探しに来てたんですね」
「そういう感じです。あのレオナール先輩のお勧めだったんで、冬休みが終わる前に読んでみようと思って」
あのカイト・レオナールが本を読む。
これだけを聞くと違和感を抱く者も少なくないが、事実だった。
いくつかの偉人のエピソードをまとめた短編集だからか、活字に忌避感を抱きやすいカイトも楽しんで読めたのかもしれない。
この本に書かれているいくつかの逸話は、劇にもなっているそうだ。
二人、肩を並べて学院の外へ向かって歩きながら、
「今年もまた、賑やかな冬でしたね」
くすりと微笑み、レンと顔を見合わせて。
「バルドル山脈のときほど衝撃的ではなかったですけどね」
言うまでもなく冗談であり、フィオナと顔を合わせて笑う。
フィオナはそのまま問いかける。
「でも……
んー、とレンが悩んでみてから言う。
「だとしてもですかね」
「だとしても?」
「はい。やっぱり、不完全だったとはいえアスヴァルのほうがずっと強かったので」
イグナート侯爵領に現れた
あの戦いの後、レンは獅子聖庁の長官エステルの魔導船でその地を離れた。
とある海域にて、エステルと共にもう一体の
『エウペハイムに現れた個体のほうが強かったな。何がどうなっている?』
海面近くまで高度を下げた、ドレイク家の魔導船の甲板にて。
戦いの最中に、獅子聖庁が誇る長官にして、レオメル最強の騎士と呼ばれるエステル・オスロエス・ドレイクその人があくび交じりに言った。
それはもう大きいあくびで、いまにも昼寝してしまいそうなくらい呑気だった。
強力な魔物が近くにいるというのにも関わらず、彼女は緊張していないどころか、普段と何ら変わらない態度でいた。
先ほど、彼女が口にした言葉にレンが答えるような声を発する。
『どうなんでしょうね!』
レンはミスリルの魔剣を手に、暴れる海の魔物――――
彼は振り向きざまに、偉大なる長官殿へ言葉を投げかけた。
『ってか、エステル様も戦ってくださいよ!』
『なんだレン、私が一緒に戦わないと怖いのか?』
『……べ、別にそんなんじゃないですけど!』
『ならよいではないか。さぁさ、よそ見をするんじゃない』
強がったわけではないが、剣聖に至ったレンは自分の力を試したい気持ちが強かった。
手にした力が指の隙間から抜け落ちていくような、そんな淡い感覚はない。しかし、忘れないように、あの感触を可能な限り体に覚えこませたくもあって。
エステルが見守る中での戦いは、何も怖くない。
当然、エステルも考えなしに呑気に構えていたわけではない。彼女もレンに開花した力の感覚を沁みこませたい気持ちがあって、こんな態度ではあるがしっかりと様子を見ていた。
レンは万が一を考える必要がなかったからか、思うように剣を振り、
『はぁあああ!』
残る
戦いを終えてからは、
『この程度の魔物では、もはやレンの相手にならんようだな』
レンを讃えたエステルが笑っていた。
――――という、冬の思い出がレンの脳裏をよぎる。
あれから、リシアが慌ててエウペハイムに足を運んだり、事後処理にも多少なりとも顔を出したりと世話しない日々を過ごした。
幸い、まだ冬休みは終わっていない。
レンは最後にせめて、長期休暇らしい日々を過ごそうとしていた。
「寮までご一緒しますね」
レンが送ることを示唆すれば、フィオナは「嬉しいです」と言った。
その道中で、
「勲章の授与式はどういう雰囲気でしたか?」
それはつい先日のことだ。
――――――――――
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