5章のエピローグ:エウペハイムでの話の終わりに。
さらに一時間後、
「むぅ……!」
リシアだった。
イグナート侯爵邸に来た彼女はクラウゼルへ出発していたはず。それでもここにいるのは、昨日のうちに緊急の連絡を受けたからだ。
帝都とエレンディルにも襲撃の連絡が届き、魔導船の多くが緊急で運航を停止。その例にリシアも漏れず、帰省して行う予定だった仕事は延期になった。
「どうして私がいないときに限って、そんなことになってるのよ……っ!」
文句を言っているわけではなく、レンを心配していたことの表れだ。
イグナート侯爵邸の客間で、リシアは「怪我はない?」とか「痛いところは?」とか、ひどくレンを心配していた。
「いやあの、どうしてこうなったのか自分でもあんまりわかってない感じでして……」
けろっと、いつもの様子で振る舞うレンにリシアの身体から力が抜ける。
「……もう。しかも剣聖になれたんでしょ?」
「はい。本当にこちらも急だったんですよね」
「また簡単に言ってるし……レンらしいといえばレンらしいけど……」
彼が無事でいてくれたのなら、それだけでも十分だった。
それはリシアと同じく傍にいるフィオナも同じで、リシアが言ったことにうんうんと頷いていた。
窓の外に、最近はあまりみなかったふわふわとした雪が舞っていた。
ふぅ、と息をついたリシアがレンの傍を離れる。
「イグナート侯爵にご挨拶してくるわ」
急な来訪の理由は、もちろん先日の騒動のこと。
本来であればレザードもここにきて話をしたかったのだが、彼も領地を預かる身。成すべきことがありここに来ることはできなかった。
そうした話も含めて、リシアはユリシスと話す必要もあって足を運んでいた。
「リシア」
「なーに?」
「心配していただいて、ありがとうございました」
「――――ううん。レンが無事ならそれだけで十分よ」
楽しそうに、嬉しそうに。
聖女の微笑みが煌めいていた。
「また後で、たくさん話を聞かせてね」
「ええ、もちろんです」
二人はこうした掛け合いをすることだっていくらでもできた。レンの話し方も、敬語を使っていてもリシアが相手だと砕けている。
リシアが席を外してから、
「きっと、お父様はクラウゼル子爵に手紙を用意していると思います。今回の件でご心配をかけていると思いますので……」
「わかりました。俺からも話しておきますね」
それにしても、と、
「なんかこう、冬休みがあっという間に終わりそうな気配がしてきましたね」
「ふふっ、私もです。あんなことがありましたから、これから忙しくなると思います。レン君もまたいろいろあるでしょうから」
「え? 俺がですか?」
「あ、あれ? ご存じじゃなかったですか?」
「すみません。何もわかってないんですが、どういうことですか?」
「ええっと、剛剣技って確か剣聖になったら――――」
まったく知らなかった。
そんな話を聞いて、レンはまばたきを繰り返した。
彼が驚いた姿に、隣に立つフィオナが目を細める。
(あとで考えよう)
レンは窓の前でうんと背を伸ばした、
――――昨日は
戦果はすでに各所で共有されている。レンが関係していることを知る者も、決して少なくないのが実情だ。
今後、それらの事実がどう扱われるのかはまだわからない。
いまは昨日までの疲れで、考えていたくなかった。
「フィオナ様もすごくお忙しそうですよね」
「そんなことありませんよ。レン君がしたことに比べたら、こんなのへっちゃらです!」
「本当ですか? けど、昨日から一睡もしていないじゃないですか」
事後処理に追われていたからだ。
レンも手伝うと言ったが、フィオナとユリシスが許すはずもなかった。
また、十数分が過ぎた。
そろそろリシアが戻ってくるかもしれない。
とりとめのない話をしていたレンが壁に掛けられた時計を見て思い、フィオナもおもむろに席を立った。
「もうすぐリシア様もお戻りになるでしょうから、お茶とお菓子を用意してもらってきますね」
「いえいえ! フィオナ様もお疲れでしょうから、別に――――っ!」
歩いていくフィオナの背に話しかけてすぐ、本当に数秒後。
カタッ! 窓に吹き付けた吹雪の音にフィオナが唐突に振り向いて、すぐ後ろに来ていたレンを見て驚く。
慌てて距離を取りかけた彼女が体勢を崩すと、それを見たレンが手を伸ばした。
フィオナの身体が床に倒れないように支えたレンの身体が、ふらっとすぐ傍にあるソファに転がった。
「っ……!?」
寝ていなかったからなのか、思うように力が入らなかったフィオナ。
レンに支えられたフィオナは、彼の上へ覆いかぶさるようにして……
「フィオナ様、大丈――――」
「――――」
彼の頬に、何かが落とされた。
ほんの一瞬だったし、彼女の艶やかな髪も広がったから、レンの目にはよく見えなかった。
しかし、頬に何かが触れたような気がした。
フィオナは慌てふためきながら身体を起こし、隣にある別のソファに座りなおす。
左右の太ももを擦らせ、真っ赤になりながら俯いていた。
「えっと、大丈夫でしたか?」
「っ~~だ、だだだ、大丈夫です!」
「それはよかったんですが、なんで慌ててるんですか?」
「な、なななんでもありません! 私はいつも通りですよ!」
次に顔を上げた彼女は、いまにも泣いてしまいそうなくらい瞳を潤ませていた。
とんでもなく真っ赤な頬のまま平静を保とうとしているが、レンにはやはりわからない。
「いやいやいや! 全然いつも通りじゃないですって!」
「ううん! 私は本当に大丈夫ですから!」
「だ、大丈夫って、どういうことですか!?」
フィオナは席を立ち、レンの言葉を反芻。
冷静になれたわけではないが、彼の言葉が頭の中に浮かんで離れなかった。
どういうこと、その言葉が何度も何度も繰り返される。
「ちょっと待っててください! すぐに戻ってきますから……っ!」
そう言い残し、逃げるようにレンの傍を離れた。
せっかく止めてくれたのに、と思うことはあっても、またもう少し落ち着きたくもあって。
きょとんとしていたレンのことだけを考えながら、胸が打つ早鐘をとても心地よく思いながら。
カチャン、とドアを閉じる。
フィオナはドアを背にしながら、
「レン君……あのね」
目を閉じて、この緊張に身をゆだねて。
たった一つだけの答え。
『だ、大丈夫って、
嘘をつけないたった一つの気持ちが、その証明。
あんなことがあっても大丈夫だと言い切れる理由がある。
「――――だって、
はじめて逢ったときから、ずっと。
◇ ◇ ◇ ◇
これは遥か昔、ある時代のこと。
『ねぇ貴方、ここは?』
『いい加減、名前で呼んでくれたりしませんか?』
『恥ずかしいからいや』
『……一言、セシルって呼んでいただくだけなんですけどね』
『まだ無理』
ぶっきらぼうに言うが、照れている。
それがわかっただけで十分なのかもしれない。
『それで、ここはどこ?』
『近くにある大都市から派生してできた町です。新都市ですね』
二人が歩くのは、まだ発展途上の町だ。
しかし、近隣に大都市があるから発展の速度は過去になく、すでに多くの貴族も住まうところであるという。
通りを歩く二人はローブに身を包んでいた。
一見すれば旅人のようだから、騎士に身分を確かめられることもない。
『騎士に尋ねられたら、逃げましょうか』
『尋ねられるわけないでしょ。何を聞くのよ?』
『俺が貴女を無理やり連れだしたこととかですかね』
『どうやって? 存在すら隠されていた私のことを、どうやって騎士に話すのよ』
『それはそれとして、俺たち二人をお尋ね者にするくらいはできますし』
『……あ、そうかも』
そこまで言うと、少女はセシルの前を歩いた。
とん、とんと軽快な足取りでローブの裾を揺らしながら。
『でも一つだけ撤回して?』
『何をです?』
『貴方が私を無理やり連れだしたってこと。私の意志でついてきたんだから、勘違いしないでよね』
少女はまたぶっきらぼうに言って、照れたのだ。
二人が向かったのは、この街の片隅にある建物だ。
『ここに貴方の友人がいるの?』
『はい。この孤児院で一番偉い人です』
『……ジェノ院?』
看板に書いてある文字を読み上げる。
『裏口から行きましょう。いまは子供たちが寝てるでしょうから、起こしたくありません』
『……ええ』
建物の裏手へ向かったところで、そこにある木製のドアをノックした。
扉が開かれ、孤児院の職員が顔を見せる。
セシルは職員と慣れた様子で会話して、裏口から中に入った。中は静かだ。子供たちがまだ寝ている時間だからか、物音ひとつしない。
セシルと少女は歩いて、この孤児院の一番奥にある部屋に向かった。
ぺこり、と職員が頭を下げて去った後で、
『一つだけ、謝らないといけないことがあります』
『貴方がすることなら全部許してあげたいけど、一応聞かせてくれる?』
『俺がこれからすることに対して、という答えになります。詳しくは、実際に見ていただいてからのほうがいいかもしれません』
二人は最奥にある部屋に入った。
そこで待っていたジェノという男を見るや否や、少女――――蝕み姫は力を暴走させかける。
けれど、そこはセシルが守った約束により防がれたし、手を握るセシルのおかげですべて無事に収まった。蝕み姫が着たローブのポケットから、その際に蝕まれたミスリル製のコインが一枚落ちた。
やがて、話を聞いて落ち着きを取り戻した蝕み姫。
彼女はセシルの後ろに隠れながら、じっとジェノの様子を窺う。
それを見たジェノが苦笑しつつ、
『妹と仲良くしてくれているようだな。私はそれだけで十分だ』
『それはも――――』
『いまさら兄ぶろうとするなんて、どういう風の吹き回し? ずっと私のことをいないもの扱いしていたくせに』
『……それは違いますよ、ジェノが可哀そうです』
セシルは言った。
ジェノという男は妹のために尽くしてきたと。
彼女が知らないところで、いままでずっと彼女の力を封じられないかと、様々なことを調べていたのだと。
今日も二人が人里を去る前に、力をどれくらい抑えられたか確認したいと考えていたのだとも。
蝕み姫はまた、少しだけ落ち着きを取り戻した。
『ジェノは貴女の力に蝕まれた品を解析して、どうにか抑えられないかって研究していたんです。貴女が使っていたペンとかも、そのために取り寄せていたそうですよ』
『そ……そう……なんだ……』
『信じてくれとは言わない。だが、まぁ……そういうことだ』
ジェノは切なそうに言ってから、ため息をついた。
すると彼は、外へ行こうと言って二人を誘う。
孤児院の外にある遊具の傍へ行くと、用意してあったキャンバスの前に立った。
『話しながら描かせてくれ』
『なんで?』
『なんでって、セシル。絵は私の唯一の趣味だし、妹を送る前に一枚くらい描かせてくれたっていいだろう?』
セシルは蝕み姫と顔を見合わせ、そのくらいならと頷き合う。
二人が穏やかな時間を過ごすのを見ながら、ジェノは小さなキャンバスに筆を走らせていく。
そうしながら、彼らは言葉を交わす。
『セシル、もう表舞台には出てこないつもりか?』
『もちろん。彼女と静かなところで暮らすつもり』
『……本当にいいのか? そなたほどの者が――――』
『ジェノ、それ以上は駄目だ』
『……すまない』
二人の意味深な会話に、蝕み姫が小首をひねっていた。
けれど邪魔できない空気を感じ取り、彼女はブランコに座りながら様子を見ている。
『けど、それを言ったらジェノだってそうだ』
『私か?』
『そ。こんな時代だからこそ、孤児院で子供たちを救うことには意義があると思う。だけどジェノだって、本当はここにいるべき人間じゃないはずだ』
彼らの会話はここで終わり、息をついた。
それからすっかり意味深なことは口にされず、ここでの穏やかな時間を楽しんだ。
しばらくすれば絵を書くのも終わった。
『できた?』
『馬鹿を言うな。まだできてない。残りの風景などを書き込んで終わりだ』
そう言って、再び孤児院の中にあるジェノの部屋へ向かう。
壁一面の絵と祭壇を前に、ジェノが言う。
セシルと蝕み姫と顔を合わせて、
『式は挙げたのか?』
『し、式?』
『っ――――ふぇ!?』
『その様子では挙げられていないようだな。それに、挙げる予定もないように見える』
驚く二人。
蝕み姫がかぁっと頬を赤らめた横で、セシルが言う。
『……俺たちの状況を考えると、今後も含めて無理があったしさ』
『そういうことだろうと思っていた。だから、この機会を設けてもらえてよかったと思っている。私が二人を祝福しよう』
ここでの式は、だれの目にも止まらないささやかなもの。
ここでの式は、歴史に残されることのない密やかなもの。
けれど、これでよかったのだ。
『セシル・アシュトンに問う。この婚儀に――――』
式は滞りなく進み、やがて二人はこの街を去った。
どこへ行くかは聞かなかった。これからどうするのかということも聞かなかった。
だけど、ジェノはそれでいいと思った。
数日後、彼は庭園の片隅でキャンバスを見て。
絵が完成したところで、
『いい絵が描けた』
そう口にして、青々とした空を見上げたのである。
これは遥か昔の出来事。
レンがその絵を見つけ出す、ずっと前にあったことだった。
――――――――――
五章もお付き合いいただきありがとうございました。
今回も長くなり、また途中でお休みをいただいたりとありましたが、楽しんでいただけておりましたら、それに勝る喜びはありません。
例によって次章の更新まで、またお時間をいただければと思います!
活動ノートやTwitterで告知してまいりますので、ご確認くださいませ!
また、書籍版三巻がこの夏発売予定となっておりますので、是非チェックしてみてください!
といったところで最後になりますが、改めてお礼を。
いつもたくさんの応援、本当に本当にありがとうございます!
これからもシリーズをご愛読いただけるよう、書籍版、web版ともに頑張って参りますので、どうぞよろしくお願いいたします!
それではまた、六章で皆様とお会いできますように!
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