四章・物語の裏側で。

春のはじまり。

 ある山に設けられた石の階段を抜けた先に、山肌を抉った巨大な平地がある。敷き詰められた石畳の広場を、数十メイルの高さを誇る神像が何体も囲んでいた。



 古き時代、この地はエルフェン教徒が集う場所だった。

 長い階段を数えきれない教徒が歩き、やがて目の当たりにした神像が放つ神秘を前に、皆、涙したという。



 その場所の名は、ローゼス・カイタス。

 古い言葉で、『神へ謁見する地』を意味する。



 ローゼス・カイタスは誰が作ったわけでもなく、最初からそこに存在していた神秘的な場所である。

 いまでは神像は見るも無残に多くが砕け、半壊したものも少なくない。

 そうなってしまった理由は魔王である。



 魔王は自らの側近をその地に放ち、神に牙を剥いた。

 以来、ローゼス・カイタスは熱心な教徒も足を運ぶことができなくなった。

 レオメルが再び魔王に狙われることを危惧し、出入り口を特別な力で封印したからだ。



 それから数百年、ローゼス・カイタスに一組の男女がいた。

 理不尽としか言い表せない存在を前に、二人はいつものように言葉を交わす。



「ねぇ、レン」



 リシアが口を開き、レンの顔を見上げた。



「こんなことになるなら、帝都のお祭りに参加していたかったって思う? あっちにいれば、戦うのは武闘大会に参加した同年代ばっかりだったし、今頃私たちが決勝で戦ってたかも」


「いえ、別に後悔はしてません」


「ふふっ、レンならそう言うと思ってた」


「とはいえ、祭りの名前の最後に『裏』ってつけたいところですけどね」



 二人が顔を見合わせて笑う。

 帝都で行われている巨大な催し事の裏側で、こんなことになってるなんて誰が想像するだろう。

 自嘲したレンは、表舞台の裏側で死闘を演じるその前に、



「これも俺たちらしいのかもしれませんね」


「そうかも。表舞台を離れて戦おうとしてるのは、確かに私たちらしいわ」


「……今更ですが、やっぱり避難してくれませんか?」


「バカ。ほんとに今更だし、無理なことはレンもわかってるでしょ」



 リシアはレンの言葉に苦笑して、白焉びゃくえんを握る手に力を込めた。

 彼女の象徴ともいえる名剣を握る手は決して震えることなく、隣に立つレンを見上げて微笑む姿からも恐れは見えない。

 彼女は周囲に舞う砂嵐の先に理不尽を見ながら、



「それとも、隣に立つ相手が私では不満なのかしら?」



 迫りくる砂嵐に対し、レンが鉄の魔剣を一閃。

 魔法の一つだった強風がそれによって雲散したところで、リシアはレンの一歩前に出て振り向いた。猶も可憐に、そして美しい笑みを浮かべていた彼女がレンに手を伸ばす。

 彼女の指先から生じた光の波が、レンの身体を包み込んでいく。



「どう?」と彼女が声に出さず瞳で挑発的に告げる。


「こんな状況なのに、リシア様はいつも通りですね」


「死んでしまうとしても、隣にレンがいてくれるなら十分よ。ただ、死ぬのが何十年か早くなるだけだわ」


「――――そう、ですか」



 レンはリシアの手を取った。

 一際強い閃光が二人を包みこんでいき、互いの身体に力が漲った。



「怪我をしても怒らないでくださいよ」


「くどいわよ。聖女の手を取ったのだからレンも覚悟なさい」



 数多の神像は風化して、はたまた魔王の側近の手により多くが砕けている。

 そこでの緊張感は留まることを知らず、されどリシアはレンの傍で微笑んでいた。



「昔と違って強くなった私の神聖魔法、楽しみにしてて。もしかしたら、レンの魔剣、、も切れ味がちょっと良くなってるかも」



 二人は理不尽との戦いに身を投じ、剣を振る。

 数多の神像に囲まれたこの地で、物語の裏で繰り広げられる死闘が幕を開けた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 それから三か月ほど遡り、四月の中旬頃のことだ。



 近年の帝国士官学院は、以前に増して国内外から注目されていた。

 一昨年入学した年代はバルドル山脈での事件に加え、その際にあのユリシス・イグナートの娘がいたこともあり注目を集めた。

 また、去年はあの英爵家の嫡子が二人も入学し、今年も二人が入学した。

 その中に勇者ルインの血を引くヴェインがいることは、まだレン以外の誰も知らない。



 ――――新入生たちが少しずつ学院に慣れ、いくつかの授業が本格的にはじまった頃。



 校門の外で偶然顔を合わせた二人は、双璧を成す美姫だった。

 帝国士官学院ではいま、彼女たちが男女問わず生徒たちの注目を一番に集める二人がいる。

 夏に十四歳になるリシアと、もうすぐ十六歳になるフィオナだ。



 リシアの可憐さは更に磨かれただけでなく、以前から高めだった身長も成長し、体格も女性らしさが増していた。フィオナもそうだ。入学時から注目の的だった彼女の美しさはまた一段と増しており、しかし忘れてはならない愛らしさも異性の目を奪って止まない。



 二人は可憐さと美しさを絶妙なバランスで併せ持った、どこか神秘的な少女たちだった。



 派閥は違えど言葉を交わす彼女たちを見れば、その並びに恍惚とし、彼女たちの笑みを自分にだけ向けてほしいと思ってしまう者も少なくない。制服に身を包んだ二人はキラキラと輝いて見えるほどだから、もうどうしようもない欲求だったのだ。



 問題はその願いが叶うことはないということだが、それはさておき――――



「リシア様?」



 校舎に足を踏み入れたところで、フィオナがリシアに問いかける。

 リシアの傍にいつもいるはずのレンが見えないことが不思議で、何かあったのかと思ったのだ。



「レン君はお休みなんですか?」


「行ければ午後からって言ってましたよ。理由はわかりませんが、朝、お父様と話してから決めたみたいです。――――理由はわかりませんが」


「あはは……二度も同じことを仰るということは、リシア様は承服していないのですね」



 苦笑いすら絵になるフィオナの前で、僅かに唇を尖らせたリシアもまた絵になった。

 彼女たちは授業がはじまる前に少し話でもしようと思い、互いの教室ではなく、屋上へ向かうことに決めて歩を進めた。



 リシアは途中、職員室に寄ってほしいとフィオナに言った。

 その理由は、レンにかかわる話があるからだ。



「だって、いきなりなんですよ! 一緒に登校しようと思ってたら、いきなりレンだけお父様に呼ばれて――――レンがお父様の執務室から出てきたと思ったら、突然、午前中は休みます……って言ってきたんですから!」



 一応、その話もあって屋上へ行く前に職員室へ行くつもりだった。

 この学院では休む際に一々連絡する必要はないが、学院がはじまってすぐなことに加え、レンはリシアと共に新入生の総代を務めたため、この時期くらいは連絡をと思ったのだ。



「変ですね……」



 話を聞くフィオナも怪訝そうに考えて、



「リシア様にも内緒で学院を休む……しかもクラウゼル子爵、、と話した後ということは、何かあったに違いありません」


「ですよね? 昨夏の大時計台のこともありますし」


「でも、クラウゼル子爵もお教えくださらなかったんですよね?」


「ええ。お父様は私に『気にするな』としか教えてくれなかったんです」



 二人はふと、中庭を挟んだ向かい側の校舎を歩く一組の男女の姿を見た。中庭にた別の生徒たちがその男女のことを話題にしていた声が、微かに聞こえてくる。



『聞いた? あの一年生の子たち、ギルドでも頑張ってるんですって。もうこないだⅮランクになったらしいわよ』


『Ⅾランク!? すごーい! 一年生なのにもうそんなに強いんだ!』


『あのリオハルド家のご令嬢だもの。隣にいる男の子だって、ご令嬢に並ぶかそれより強いかもって話じゃない。だから入学してすぐなのに活躍してるのよ、きっと』



 女生徒たちの話題はすぐ、リシアとレンに移り変わる。



『一年生と言えばクラウゼルの聖女様もじゃない? 新入生総代を務めた男の子もすごそうって噂だけど』


『聖女様はすごいって話を何度も聞いたけど、男の子の方はわからないわ』


『あっ、私の弟が特待クラスに入ったから聞いてるわよ』


『へぇ、最終試験の会場も同じだったの?』


『そうみたい。でも魔物が出てもほとんど聖女様が倒してたって。男の子の方はあまり剣を使わなかったみたいだし、使っても魔物が弱くて強さがわからなかったんですって』


『へぇー……じゃあやっぱり、他の子たちの方が強いのかしら。総代を務めたから成績は良いと思うけど』



 その会話を小耳に挟んだところで、フィオナがリシアに話しかける。



「レン君はあまり戦わなかったんですか?」


「ええ。レンは他の受験生たちが怪我をしないように周りを見ていましたから」



 そこにバルドル山脈での思い出がかかわることは言うまでもなく、レンは主にサポートを担当した。彼が最終試験で目立たなかったというのはその影響だ。しかし、試験官たちはそんなレンの振る舞いをちゃんと見ていたため、いい成績を残せたのである。



『来年は他の英爵家の方たちも入学するって話よ』


『楽しみよね。勇者ルインの血を継ぐ家系以外、全員が揃うんだもの』



 その意味では、セーラたちは表舞台で称賛を集めるような存在であり、今後は更に輝くと思われる。逆にレンやラディウスの働きをたとえるなら、影の英雄的なものだ。



 クラウゼルの民やレンが生まれた村の者たちはレンの活躍を知っているが、レンと七英雄の末裔たちのどちらが人目を引く活躍をできるかというと、明らかに七英雄の末裔やヴェインたちだろう。



 だが、リシアとフィオナがそれを気にした様子はない。

 彼女たちはレンに命を救われた者同士、彼の強さを誰よりも知っていると自負している。そんな彼の強さを知る数少ない人物であることには、嬉しさと誇りを覚えていた。



 やがて二人はリシアが寄りたいと言った職員室の前に到着し、リシアだけ入室する。彼女は担任の教員へレンが学院に来ていないことと、時間があれば午後から登校したいと口にしていたと告げた。



「アシュトンだけなのか?」


「はい。父と話していたので仕事だと思うのですが、詳細は教えてもらえませんでした」


「なるほど……ひとまず事情はわかった」



 この学院は貴族や他国の王族もいるため、理由を明かさず休む生徒も多い。

 担任もそれに慣れているからか深く尋ねることはせず、軽く頷くだけに留めた。



「では、私は失礼します」



 リシアがそう言って職員室を出る直前、耳に届いたある教員たちの会話。



『第三皇子殿下が早ければ午後からの登校で、無理なら学院を休まれるとのことだ』


『了解しました。恐らく公務でしょう』



 リシアは「第三皇子殿下も……?」と呟いて職員室を出る。

 職員室の外で待っていたフィオナの前で考え込む様子を見せながら、「行きましょう」と口にして屋上へ向かって歩き出す。

 するとフィオナが、



「どうしたんですか?」



 リシアの様子が違った理由を尋ねた。



「職員室で小耳に挟んだのですが、第三皇子殿下もお休みらしいです」


「……レン君と同じ日にって、珍しいですね」



 それを聞いたフィオナもリシアと同じように考える。

 二人は考えると言うよりは、ほぼ確信した様子で「もしかして……」という声を同時に漏らした。屋上へ向かう、最後の踊り場でのことだった。



「リシア様」


「フィオナ様」



 声が重なったのは、二人が屋上の扉を開け放つと同時だった。



「レン君と第三皇子殿下が同じ日に休むのが、ただの偶然とは思えません!」


「私もです。しかもお父様に仕事を任されてたとか――――絶対に隠れて何かしてるに違いありません!」



 屋上に他の生徒はいなかったから、二人とも大きめの声で意見を述べる。

 当然と言うか、わかり切っていたが二人は同じ意見だ。それこそ、大時計台の件を思い返せばここで二人の休みが無関係とは思えない。

 二人は互いを見て頷き合うと、



 ……また、私たちに内緒で何かしてるようですね、と。



 完全に同じ言葉を、ほぼ同時に発する。

 二人が学院に来ることができたあたり、それほど大きな騒動があったというわけではないだろう。

 だが、気になってしまうのはどうしようもなかったのだ。



 ――――――――――



 本日まで長らくお時間を頂戴してしまい恐れ入ります……。

 また基本的に毎日更新(急な仕事のときなどはご容赦ください)で4章を進めて参ります。

 ※4章も例によって、およそ一か月と少しの期間を予定しております。



 また、書籍版2巻の情報も少しずつ告知できるようになるかと思います。

 他にもお休みをいただく際などもTwitterで最初に告知させていただいておりますので、もしよければそちらもご確認いただけますと幸いです



 それでは、4章も何卒よろしくお願い申し上げます……!


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