二度目の依頼と、レンの懸念。
帝国士官学院が誇る特待クラス。
この日、最終試験会場へ受験生たちを送る魔導船の乗り場へと、その受験生たちが集められていた。
この場に集まった者たちは、一人残らず高性能な防寒着を身に着けていた。
すべては、やっと漕ぎ着けた最終試験のために。
――――場所は帝都から数週間のとある町に設けられた、魔導船乗り場である。
用意された魔導船は一級品。
仮に空で強大な魔物に出会ったとしても、受験生を無事に町へ送り届けることを至上の目的として造られたものだ。
乗組員もまた、二十年以上のキャリアを積んだ者のみが選ばれる。
また、受験生を送り届けるその直前まで、辺りは徹底した管理下に置かれる。
用意された魔導船に乗り込みさえすれば、それこそ、レオメルが誇る帝城ほどではなくとも、十分な安全が保障されるといえよう。
試験会場にたどり着いても、万が一に備えて学院の教員や帝都の騎士が配備されている。
故に、不穏分子が入り込む可能性は限りなく低い。
――――やがて。
「船長」
すべての確認が終了した後に、操舵室にて乗組員が船長に声を掛けた。
「所定の確認、検査が終了しました」
「では、出航だ」
その操舵室だが、魔導船の場合は通常の船と違い、内部に多くの魔道具が連なった特殊な空間になる。
中でもこの魔導船は更に特殊だ。
公平性を保つべく厳しい管理下に置かれた受験のため、行き先についても出発直前にならなければ確認できない。出航の合図を出すと同時に、操舵室中央に鎮座したガラス板状の魔道具にその航路が浮かび上がるのだが、
「な――――ッ」
それを見て、船長が驚いた。
同時に多くの乗組員も絶句した。
「間違いはないのか?」
船長が近くにいた乗組員に尋ねた。
「そ、そのはずです……ッ! 魔道具職人の他、魔導船管理師も……それこそ、帝国士官学院の理事も確認しておりました!」
それを受けて、船長は受け取っていた報告書を確認する。
中には、百を超す確認事項の責任者に加え、それらをいつ、誰と確認したのかがすべて詳細に記載されていた。
目を通していくと、数人の乗組員が魔道具職人や理事と確認したとあった。
「お前たち、間違いはないのだな?」
「は、はい!」
「何度も確認いたしました! 冬なのに間違いないのかと尋ねれば、その環境でこそ真価が問われるのだ……と……」
その乗組員たちも最初は驚いたのだが、理事も、そして魔道具職人もまた航路の指定に問題はなく、決まっていた試験会場通りだった、とのことである。
「……ならばいい。我々はこれより、定められた航路に則って受験生を連れて行く」
遂に船長は納得して、乗組員らに出航の合図を告げた。
魔導船の中に積まれた炉が魔石を動力に浮上を開始して、すぐに魔導船乗り場の遥か天空へ辿りつく。
「――――目標、
この言葉をきっかけに、受験生たちを乗せた魔導船が空を駆ける。
目指すは、七英雄の伝説Iのラストステージ。
学院長・クロノアが避けたはずの、あの場所へ向かって。
◇ ◇ ◇ ◇
それから、月日が少しだけ遡る。
レンが屋根を修理した日から一週間も経ち、一年が終わるまであと数日の頃だ。
一年が終わるその日には、本邸で使用人や騎士を労うための食事会が開かれるそうだ。
皆、その日を心待ちにしているとヴァイスから聞いた。
――――レンもまた、その日を楽しみにしていたのだが。
『すまん。少年』
明け方のことだ。
レンが旧館で主な生活空間としている部屋の扉が、ヴァイスの声と共にノックされる。
直ぐに目を覚ましたレンが時計を見ると、まだ朝の四時を過ぎた頃だった。
(どうしたんだろ)
重たい瞼を擦りながらベッドを下りて、外套を羽織り扉へ向かう。
扉を開けると、ひやっと冷たい空気で息が白くなった。
「こんな時間に申し訳ない」
「大丈夫です。ですが、何かあったのですか?」
「……ああ。少年の耳に入れるか迷ったのだが、伝えるべきと判断した」
神妙な声音で言ったヴァイスが、懐から一枚の紙を取り出した。
レンはそれを受け取り、目を通す。
しかし、薄暗くて読みづらかったため、彼は部屋の中にヴァイスを通し、魔道具の灯りを付けて改めた。
その紙は、ギルドからだった。
「……指名依頼?」
先日断ったのと同じ、指名依頼の連絡。
だが、内容が今回は剣呑だ。
「バルドル山脈付近で歴史的な降雪……」
かねてからの雪が更に猛威を振るい、近隣の村々も事前準備だけでは賄えなくなってしまっているようだ。
それに加え、厳しい積雪の中心であるバルドル山脈に閉じ込められた者たちが居る。
「山脈にある古い砦から、緊急用の狼煙ですか」
「そうだ。我らの下にも別件として、その事態についてほぼ同時に連絡が届いた。ご当主様はそれを受け、周辺の村々へ騎士を派遣することを決定されたのだが……」
その一方で、レンには冒険者ギルドから指名依頼が届いた。
依頼人の名は、メイダス。
先日レンに指名依頼を出したカイの相棒で、狼男だ。
だが、どうやら完全に安否不明と言うわけではないらしい。
『バルドル山脈の中腹付近には、冒険者たちも使う古い砦がある。今回のような緊急時にはそこに籠り、狼煙を上げて救助を求めるんだ』
先ほどレンが読み上げたように、要救助者たちはそこにいるらしい。
幸い、砦には食料があり、暖をとれる限りは生きられる。
水は雪を溶かせばどうにかなるだろうが、食料や暖をとれるかは問題で、古い砦では潤沢な備えは期待できない。
(あの砦じゃ、何週間ももたない気がする)
一応、その砦の存在はレンも知っている。
ゲーム時代はキャラクターたちを回復させるため、何度も使った休憩地点だった。
内部には薪などの備蓄はあまりなく、ほとんどは冒険者たちが持ち寄った装備頼りになるだろう。
食料は魔物を狩ったとしても、いつまで体力が持つだろうか。
(……だからやめとけばよかったのに)
などと思いつつ、レンの脳裏を数多くの考えが蠢いた。
(メイダスさんには白金の羽の件で世話になった。でも、行く先がバルドル山脈で、この天候なのは無視できない)
かといって、悩んでいる場合じゃないはずだ。
人命が懸かっているのなら、そんな暇はない。
ともあれ、冒険者たちによる自己責任なこともわかるのだが――――。
(ッ――――無視しちゃいけない理由があるじゃないか)
やがて、レンの感情が指名依頼を受ける方に傾いた。
彼はとある一つの情報を思い返したことで、それまでに思っていた迷いを一瞬で忘れ去ってしまったのだ。
「レザード様は起きていらっしゃいますか?」
「うむ。執務室におられるはずだ」
それを聞いたレンはヴァイスに頼み込み、レザードと話すことにした。
レンはすぐに着替えをしてから急いで部屋を出て、旧館から本邸への渡り廊下を進む。
普段と違い、本邸はこんな時間でも騒々しい。
こんなときにレザードから時間を貰うことには申し訳なさがあったけど、レンが先ほど抱いた一つの懸念を、いますぐに伝えなければいけない。
「ご当主様。少年を連れて参りました」
ヴァイスはレザードの執務室の前でそう言い、返事が聞こえたところで扉を開けた。
待っていたレンを先に中へ行かせ、つづいて自分も中に入る。
机の傍に居たレザードは普段と違い、忙しない様子で棚と机を往復していた。
「レン、どうしたのだ?」
こんな状況なのに、レザードはレンを疎ましく思うことなく言った。
忙しなさはあったものの、逆に言えばそれくらいだ。
「手短に申し上げます。俺の下に届いた指名依頼を受けることを、お許しいただきたいのです」
「――――不要だ。レンが危険を冒す必要はない」
しかしレザードは当たり前のように一蹴した。
「冒険者たちは自信の判断で危険を冒す。それに対し、関係のないレンが手を貸す必要はない」
冷たい言い方だが、それが真実だ。
しかし、レンは決して引かなかった。
メイダスには白金の羽の件で世話になったが、それ以外の理由で、何としても指名依頼を受ける必要があったから。
「護衛対象がとある貴族の御用商人だ、とレザード様は知っていましたか?」
ふと、忙しなかったはずのレザードが足を止めた。
レンの後ろでは静かにしていたヴァイスも目を見開き、まさか……と呟く。
二人にとっても、レンと同じで無視できない話があったのだ。
「座ってくれ」
レザードはソファに向かい、レンを対面に座らせた。
必ず聞いておかねばならないと悟ってのことだ。
「連絡が取れない冒険者の中に、俺の知り合いが一人います。彼が言うには、依頼人は英雄派に属する貴族の御用商人だそうです」
半ば予想していた話だったのだが、レザードは額に手を当て天を仰いだ。
「こんなときに面倒な……」
「ご当主様、英雄派の御用商人なら無視はしたくありませんな」
「ああ。あの事件から間もない我らは、神経質なくらいがちょうどいい。イグナート侯爵との友誼があろうと、奴ら英雄派はクラウゼル家に思うところがあるだろうからな」
隙は見せたくない、こういうことである。
ギヴェン子爵の事件からまだ一年も経っていないとあって、三人は今回の件も無視できないと考えたのだ。
「すみません。指名依頼を断った段階で報告しておくべきでした」
「ん? ああ、報告してもらえるのに越したことはなかったが、結果は変わらなかっただろう」
レンの後悔を慰めるわけではないが、実際、レザードが御用商人の存在を聞いていてもできることは僅かだ。
今冬のバルドル山脈の厳しさを伝え、予定の変更を求めることはできよう。
だが、言ってしまえばそれ以上のことは難しい。
そもそもクラウゼル家をよく思っていない英雄派と懇意であるなら、素直に聞くとは到底思えないし、逆に予定変更による納品の遅延で文句でも言われそうなものだからだ。
御用商人の身柄を拘束したり、監視するなんてもっての外。
それこそ、敵対行動をとったと思われてしまう。
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