発見と展望。

 ヴァイスはリシアの病状が確定したところで、幾人かの騎士をクラウゼルに向かわせた。

 もちろん、帰還が遅くなるという旨を連絡するためだ。



 また、リシアの体調が落ち着きはじめたのは、三日後のことだった。

 と言っても、高熱や頭痛は収まっておらず、身体も気だるいまま。

 しかし少しなら会話をできるまでに回復して、自分が置かれた状況を理解するに至れっていた。



「お嬢様。レン殿がいらっしゃいました」


『……うん、入っていいわ』



 時間は夕暮れを過ぎた頃だった。

 リシアは体調が優れる頃合いを見計らってレンを呼び、彼と会話をすべく身体を起こして待っていた。



 女性騎士が扉を開けると、ベッドで横になったリシアとレンの視線が交錯する。



(……まだ頬が真っ赤だ)



 ベッドの上で身体を起こしたリシアを見て、レンは彼女のすぐれない顔色と、何処か弱々しい様子に気が付いた。



「レン殿。事前にお伝えした通り、他者にうつる病ではございませんのでご安心を」


「はい。大丈夫です」


「では私は外におりますので、何かありましたらお呼びください」



 男爵令嬢こと聖女と、その男爵家に仕える騎士の倅が一対一。

 レンは貴族というのは、男女の仲に強い警戒感を抱くものだと考えていた。

 だというのに、一人部屋の中に残された意味に戸惑いを覚えたのだが、二人の年齢を思えば間違い、、、を思うことの方が不埒なのかもしれない。



(きっとそうだ)



 自信をそう納得させたレンはリシアが居るベッドへ近づいていく。



「――――ごめん、なさい」



 彼女はレンがベッド横に立ったのを見て、開口一番に謝罪を述べる。

 一度頭を下げ、そして上げたとき、彼女は瞳をうっすらと涙で潤ませていた。

 くやしさ、不甲斐なさ、申し訳なさがひしひしと伝わってくる悲痛な表情を浮かべていた。



 その様子はこれまでと違ってか弱く、声も掠れて頼りない。

 だというのにレンに対して頭を下げようとしたから、レンは慌てて彼女を止める。



「謝罪は要りません! だから頭を下げるのは止めてください!」



 制止しても彼女は止まらなかった。

 だからレンは不敬と思いながらも両手を伸ばし、彼女の肩に手を置いた。



(……すごい熱だ……)



 このときリシアの体温の高さに驚きつつも、彼女が止まったことに安堵して手を離した。



「私――――」


「大丈夫です。父も母も迷惑に思ってませんから」



 ところで、レンはリシアが申し訳ない気持ちを募らせているという話をヴァイスの口から聞いていた。



 彼女はただでさえ自分の希望でこの村に来ているのに、来て早々ベッドを借り、病に伏せてしまったことに強く自責の念を抱いていたそうだ。

 ……きっといまは、自分のことが情けなくて仕方ないのだろう。



「体調は――――まだ悪そうですが、少しは回復したみたいで安心しました」



 レンは話題を変えるための言葉を発しながら、ベッド横に置いてある丸椅子に腰を下ろした。



(この様子だと、謝るためだけに呼んだのかな)



 だとすればもう話すことがない。

 しかし、来て早々帰るのは無礼な気がした。

 まだ本調子ではないリシアの傍に長居する気もなかったレンは、丁度いい話題がないものかと考えだしたのだが、



「ギヴェン子爵の件もごめんなさい。たくさん迷惑を掛けちゃってるわよね」



 リシアの方から口を開き、再度、謝罪交じりの言葉を発した。



「……もうヴァイスから聞いてると思うけど、今回は私たちがギヴェン子爵に意思を示すための遠出でもあったの」


(いや、聞いてない)


「だからいつもより多くの村々を巡る予定だったし、この村からも遠回りをしてクラウゼルに帰る予定だったわ。……聖女の私が領内を巡ることで、クラウゼルは結束してるって知らしめるつもりだった」



 寄り親が居ない中立派のクラウゼル家では、できたところでこのくらいだった。

 明確な抵抗の意思を示すことで、ギヴェン子爵以外の英雄派から手を出されることを避けるためには、致し方ないことだったと言えよう。



 たとえ抵抗らしい抵抗と言えない、脆弱な振る舞いだったとしてもだ。



「そのはずだったのに……ほんと、自分が情けなくてイヤ……」



 リシアは膝を抱き、肩を小刻みに震わせる。

 かすれた声には嗚咽が混じりはじめた。



「……貴方にだって、一度も勝てなかった。こんなの、ただ迷惑をかけただけの小娘じゃない」


「立ち合いは立ち合いです。真剣で戦えば負けていたのは俺かもしれません」


「……慰めてくれるのね。でも、いまの私じゃ、亡くなったお母様の評判を下げるだけだわ」



 レンはリシアの母が亡くなっていた事実をはじめて知った。

 少なくともそれは、レンが生まれた後のことのはず。



(それなら父さんがクラウゼルに顔を出しに行ってもおかしくないのに、父さんが屋敷を発った記憶がない)



 赤ん坊のころの記憶を呼び覚ますも、やはりロイがこの村を発った記憶がなかった。

 密かに考えていたレンの横顔を見たリシアが悟る。



「クラウゼルが喪に伏した際、貴方のお父様のように村を預かる騎士には、わざわざ顔を出さなくてもいいって私のお父様が連絡したのよ」


「……どうして俺の考えがわかったんですか?」


「何となく。貴方って、意外とわかりやすいわよね」



 ばつの悪そうな顔を浮かべたレンは「すみません」と神妙な声色で謝った。



「気にしないでいいわよ」



 リシアはそう言って話をつづけた。



「お母様は私が聖女だと知って、飛び跳ねるように喜んでくださったそうなの。リシアはきっとすごい存在になるんだ……って、病気で亡くなった日も仰ってたんですって」



 母のことを語るリシアは誇らしそうだった。



「私、お母様の顔は似顔絵でしか見たことがないし、声は知らないわ。……だけどあの服を着て戦うたび、そのお母様に応援されてる気がしてた」


「もしかして、立ち会いの際に着ていた服ですか?」


「ええ。あれはね、お母様が小さかったころに使ってた服なんですって。お母様は帝城に勤める騎士の家系に生まれたから、幼い頃からああいう服を着ることが多かったらしいの」



 言わば形見だ。

 リシアにとってはそれが、気合を入れるための立ち合いには、うってつけの服装だった。



「――――だけどね、ぜーんぶ空回りしちゃった」



 レンはここにきて、リシアという少女の心を少し理解した気がした。

 聖女と呼ばれ期待されてきた彼女には、その期待に応えたいという感情の他に、亡き母に対しての強い想いがあったのだ。



 そのため彼女は、レンという少年と立ち合うことに大きな意義を見出していた。

 クラウゼルの屋敷ではヴァイス以外との訓練で身が入っていないと言われることもあったようだが、それは向上心の裏返しで、自分より強い者と戦えないことへの焦りだった。



「だけど、安心して。もうアシュトン家に迷惑はかけないから」


「…………」


「ちゃんとヴァイスと話したわ。何度も私のせいで慌ただしくしちゃって、本当に本当にごめんなさい。後で貴方のご両親にも謝らせてもらうわ」



 やはり、この少女は気高い。

 成長することへの渇望が自身のためでなく、亡き母と期待を寄せる皆のためという事実には、レンもそう思わざるを得なかった。



 ただ、いまのリシアは見ていて辛くなる。

 彼女は純粋で、くすみ一つない白銀のように清らかだった。



 そう、だからなのだろう。



「――――今度いらっしゃるときは、火を起こす魔道具をお願いします。もちろん、余ってたらでいいですよ」



 自分でも何を言ってるんだと思ったレンは、リシアの悲痛な姿をこれ以上見たくなかったのだ。



「どういう、こと?」



 リシアが顔を上げた。

 泣きはらした目元は赤く腫れぼったい。



「土間で火を起こせる魔道具があれば便利だと思いまして」


「だ、だから! 今度って……っ!」


「またいらっしゃるときのことですよ」


「あのね……! 私はもう、迷惑になるから来ないって言ったの!」



 当然、リシアは困惑した。



「だいたい貴方……私と立ち合うのを避けてたじゃない……」


(……それは否定できない)


「だったら、迷惑ってことでしょ」


「思うところは色々ありましたが、お嬢様もよく考えてほしいんです」


「……なーに?」


「普通、いきなりやって来た人に立ち合えって言われたら、どんな人だって戸惑うのではないかと……」



 それが一番の理由ではないが、これもまた本心だ。

 リシアはこの場面で正論を言われると思っておらず、じっとレンを見上げたまま硬直した。

 一方のレンだが、そのリシアを見て微笑む。

 優しくて、思わずリシアが頼りそうになる大人びた笑みだった。



「お嬢様もそう思いませんか?」


「……思う」


「同意していただけて何よりです。次回からは、可能な限り事前に連絡をいただけたら大丈夫です。それと、俺は絶対にこの村から出るつもりはないので、そのあたりも忘れないでくださいね。村の中に限ってならお相手いたしますから」



 そう言うと、レンは丸椅子から立ち上がる。



「少し話し過ぎました。そろそろお体に障るかもしれませんので、この辺で」


「ま、待って……っ! いまの話、ほんとにいいの……っ!?」


「はい。ですが、この話はまたにしましょう。お嬢様が元気になってから、ゆっくり話した方がいいと思います」



 歩き出したレンは扉に向かう。

 リシアは彼の背に手を伸ばし掛けるも、まだ遠慮の気持ちが残されていたせいでぐっとこらえた。

 そこでレンは扉の前で振り向き、挨拶を述べようとした。

 ハッと思い出したリシアがその直前に言う。



「ごめんなさい。この期に及んで申し訳ないのだけれど……後でペンとインクを借りてもいい? お父様に手紙を書かないといけなくて」



 どうやら紙や封筒はあるらしい。

 では、とレンは部屋の片隅に置かれた古びた机に向かいかけた。

 しかし、リシアに「今日じゃなくていい」と言われ、念のために、ペンとインクを置いている場所だけ告げることにした。



「机の上に私のペンなどが入った小物入れがありますから、いつでも使ってください」


「……あ、ありがと」


「いえいえ。では、今度こそこの辺で」



 最後にもう一度笑みを浮かべたレンが扉に向かい、リシアに顔を向けて頭を下げた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 彼の様子を力なく眺めていたリシアは、彼が居なくなったあとも扉を見つづけていた自分に気が付いて、



「……私、なんで扉を見てたんだろ」



 疑問を口から漏らし、ベッドの上に倒れ込む。

 いつの間にか、焼けるように熱く割れそうな頭痛に苛まれていた頭が、少し落ち着いていたようだった。



「誰か」



 彼女は部屋の外に居るであろう、専属護衛の騎士を呼んだ。

 やってきた騎士にヴァイスを呼ぶように言うと、間もなくそのヴァイスがやってくる。



「どうなさいましたか」


「ヴァイスにお願いがあるの。実は――――」



 その内容というのは、魔物の討伐であった。

 リシア一行がこの村に来る際、彼女たちも森でリトルボアが異常発生している状況を目の当たりにしていた。

 ヴァイスや騎士が手伝えば、多く間引けるだろうと思っての願いだ。



私が護衛に付けなくな、、、、、、、、、、りますが、、、、よろしいのですか、、、、、、、、?」


「そんなの今更でしょ。貴方がいなくても私は遠出をするし、クラウゼルでも町に出るときは専属の護衛がいるじゃない。それと一緒よ」


「確かにその通りではありますが……」


「他の騎士もたくさんいるんだから、少し離れたってどうってことないわ。どうせ私は寝てるだけだし、アシュトン家のために働いてきてほしいの」



 当然、リシアは自分がその役目を果たしたかった。

 これほど病で動けないことが恨めしいと思ったことはない。その思いを汲んだヴァイスはリシアの成長に胸を打たれた。



「お嬢様に変わり、全力でアシュトン家へと礼を尽くして参ります」



 最後に彼は快諾し、リシアの求めに応じることを決めた。

 そして、彼は満足した様子でレンの部屋を離れる。

 


 一人残り、静寂に包まれた部屋の中。

 リシアは僅かな寂しさから眠気を催せず、ベッドの上で上半身を起こす。

 つづけてレンの机に目を向けた。



「ペン……借りようかしら」



 本来であれば寝た方がいいのだが、どうしても眠くない。

 だから、無理をしない程度に手紙を書いてみるかと思ったのだ。



 彼女は身体に力を入れて立ち上がってみる。

 でも、やはり足元がふらついた。

 しかし思いのほか調子が戻っていたから、自分の鞄の中から便箋を取り出して足を進めた。



 普段レンが使う机に向かい、小物入れを探す。

 しかし、見つけた小物入れは二つあった。



 一つは机の片隅に置かれた小物入れで、もう一つは机に備え付けられた棚に置かれた小物入れである。

 


「……どっちかしら」



 リシアは体調が優れないせいで正常な判断ができなかった。

 普段なら、机の上にある方が用意されたもののはず、と容易に想像できたはずなのだが、今回はぼーっとしながら棚に置かれた小物入れに手を伸ばした。



 もしかすると、その小物入れが目立っていたからかもしれない。

 溶けた塗装に覆われたそれが、不思議と目を引いたのだ。



 ――――それを手に取ると、乾いていた塗装がパキッ! と音をあげてヒビがはいった。

 一冬を倉庫で過ごし、気温差などでもろくなっていたらしい。



 そして、開かれた小物入れの中にリシアは見つけた。



「……これって、もしかして」



 間違いなく、無くしたと思っていた自分のもの、、

 はじめてレンの村に来たときを境に、何故か何処かへ消えていたはずのそれが収められていた。



「……ふぅん、そう」



 リシアは冷静に多くの感情に苛まれる。

 怒り……は不思議と一瞬だけだった。

 どちらかと言うと、筆舌に尽くしがたい羞恥心への整理に戸惑い、見つけてしまったコレの処理をどうするべきか、という悩みが大きい。



 ついでに、レンたちに迷惑をかけ過ぎたことも関係している。

 それを思えばたかが下着一枚――――とまでは女性として、令嬢として割り切れなかった。

 当然、思うところはある。



 中でも特に、レンを窘めなければという思いだ。

 先ほどの話があって、この件を理由にレンをクラウゼルに連れて行く……もとい、脅すようなことは絶対にしたくない。

 が、間違いを正すことは絶対に必要なはずだ……と。



 あわよくば、レンが自分からクラウゼルに来て償うと言ってくれることを期待していないわけでもない。

 心の片隅でそんなよこしまなことを思う自分が居たことに、リシアは自嘲した。



 だがやはり、間違いは間違いであるとレンに言わなければ。



 指摘するときのことを想像すると、今から羞恥心に身がよじれそうになるけど、リシアは決意した。



「もう少し体調がよくなったら、彼と一対一でお話ししなきゃ」



 リシアは小物入れの中から自分のものだけを取り出し、それを鞄に運んで中に入れる。

 もう、手紙を書く気は失せていたのである。 



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